三十一話
「っ?セント……あなた……!」
信じられないものを見たかの表情でカナリアがセントを見る。言わずとも「ありえない」、と顔に書いてあるようだ。
ユリサール・エンジも、魔力切れを起こしている血の気の失せた顔を驚愕に染めている。自らが放った魔法だった故に、セントが無傷という事が信じられないのだろう。
勿論、そんな表情を見てこの男が喜ばない訳がない。
(おーおー驚いとる驚いとる、そうだよなぁ驚くよなぁ。だって普通じゃありえないもの!あの状況から俺様無傷!自分で自分に惚れちまうよ全く)
魔法群を切り抜けるのにこの男がなにをしたのか。奇跡的に闇の精霊出会い、奇跡的な魔法を与えられただけである。
あぁいや寿命を払っていたか。ちっとも無傷ではないような気がするが、それに気付いていないセント・ユーラスの脳内はお花畑だろう。
しかしそんな事情があるなどと分かる訳もなく、二人の少女はセントが何らかの魔法を使ってあの窮地を脱したのだと確信してしまった。セントが当たり前のように余裕の雰囲気を醸し出していたのも大きい。
「…………」
驚愕していたユリサールの表情が、徐々に諦観へと変わっていく。超えられない壁を前にして、果たせない思いを感じてしまった。
それでも、自分は認められない。セント・ユーラスが言った事を認める訳にはいかない。
魔力切れ特有の寒気を感じながら、声が震えないように声を出す。
「……無駄じゃないなんて、お前に言われたくない……!私が頑張ってきたのは……お父様をみんなに……!!」
「ユリ…………」
今、ユリサールはカナリアに身を預けて横たわっている状態だ。ユリサールの体温の低さとーー感情の昂りからくる震えを、カナリアは誰よりも感じていた。
(昔から、あなたは少し感情の出し方が下手だったわね、ユリ……。ずっと一緒だった私が、この私が認めれたのだから、ユリ。あなたもきっと……!)
姉妹のようだ、とよく言われてきた。一緒に魔法を練習し、辛い時も嬉しい時も、いつも二人で過ごしてきた。
感情を表情に出さないユリと一緒にいると、どうやら大人びて見えてしまうようで、カナリアのほうが姉だ、とも。
だけど自分は、本当に姉のような事を出来ていただろうかと思う。
誤った考えをずっと貫いて、揚句は憎んでさえいた存在に正しい道を教えられてしまった。
そして今ーー答えを示されて、認められないものを見てしまった妹を救うことも出来ない。
それでも、ただ一つーーいや、ただ一人だけ。
(お願いセント……!ユリを助けて……)
自分を救ってくれた少年に、必死に目で訴える。
戦う前に自分がセントに何を言ったか、覚えていない筈がない。今思うと、どれ程失礼で、最悪な態度だったのか。
涙が出るほどに後悔が押し寄せる。
でも、今だけでいい。お願い、と。
セント・ユーラスなら、きっとユリを救ってくれる。あれだけの魔法を受けて尚無傷。
きっと、あの魔法をより強力な魔法で跳ね返すことも出来たのだろう。私たちを傷付ける魔法もあったのだろう。
でも、セントはそれをしなかった。私の話を聞いて、怒って、叱ってくれた。
何年もの苦悩を、簡単に取り払ってくれた。
後でたくさんお礼を言おう。後でたくさん謝ろう。勿論、ユリと一緒に。
だからーー今だけはーー!
(お願いセント……!!)
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(十歳美少女の涙目上目使いイイっすな)
二人の少女を見つめながら思う。
セント自身、最早勝利が確定しているこの舞台への関心は薄れていた。しかしここで投げ出すわけにはいかない、ここで終われば恰好がつかない。理由はただそれだけだ。あとちょっとだけカナリアと仲良くなりたい。
(カナリア可愛いよな……アリアの次に)
この状況下でこんな事を考えられるのは世界中探してもセントくらいだろう。先読みのやり過ぎなのかは知らないが、自分の勝利と安全が確立するとこの男は達観を始めてしまう。
ナチュラルに最低な男だった。
(ま、さっさと終わらせた方がいいかね。疲れてきたし眠い)
そんな内心は全く表に出さず、ゆっくりと喋りだす。
「……なぁユリサール。疲れないか?その生き方」
この場にそぐわない、困り笑顔のような表情。
「……え?」
突然の会話の流れにユリサールも追いつかない。
十歳に生き方の話をしてもピンとこない、というのもあるだろう。
「誰になんと言われようと自分の志を曲げないのは悪いことじゃない。それは間違いのないことだよ、絶対に。でもな、自分で自分の意志を曲げられないというのは……見ていても生きづらそうだ」
会話のテクニックにペースチェンジ、というものがある。
会話の流れを断ち切るのは簡単だ。空気の読めない人などは、よく会話の流れを無視してぶった切る事などよくあるだろう。
しかし逆に、この流れを断ち切るタイミングさえ間違えなければ、自分のペースで会話を進めることが出来るだろう。
「今、ユリサールの中に、きっと二つの感情が渦巻いているだろ?俺が言った事を考えて、認めることが出来ない思いと……そしてきっとーー認めてしまいたいという思い」
今セントはだいぶゆっくりと会話を進めている。それには小さな抑揚だったり、少しの間だったり。
今までと変わらないように見せかけた、しかし確かな変化。
「じゃあ今俺が、君はほんとは父を認めていた、と言えば。それで君は満足か?そうだろうと、認めていなかったのは周りの人々だと、胸を張って言えるか?」
「そ、それは……」
セントの勝利条件は既に満たされている。なんの武器もない十歳の少女が、多くの材料を持ったこの男に対抗することは不可能だ。
「それに答えきる事が出来ないのなら、君はもう解っているんだろう。ありきたりな事を言ってしまうとーー真実は、もう君の中にあるんだ。ユリサール・エンジ」
果たして『真実』とは何なのだろうか。
セント・ユーラスが作り上げた虚像が、今少女の中で真実に姿を変えていく。
敵として認識されている状態なら、この話し方はタブー。だが今セント・ユーラスは、「ユリサールが放った魔法を無力化した状態」で話している。
強者の言葉とは、往々にして正しいものだ。
『英雄』を親に持つユリサールは、感覚でそれが分かる。
そしてその感覚を狂わせてしまうほどにーーセントの雰囲気は大きかった。
少女の体が、大きく震え始める。
頭の中は酷く混乱している。纏まりがない考えが次から次へと溢れだしてくる。
混乱の海に溺れそうな中で、自分を支えてくれているカナリアーー姉のような存在と。
自分を優しく見つめる白髪の少年の存在が、大きく見えた。
「……わたし、は…………え?」
体が、温かい。
ユリサールは、カナリアに抱きしめられていた。
「ごめんねユリ……あなたを救ってあげられなくて……答えをみつけてあげられなくて…………」
カナリアの瞳からは、涙が流れている。
一筋の涙が頬を伝いーーユリサールの頬に落ちた。
「でも……見つけてくれた人がいる……そうでしょ?ユリ……!」
カナリアの涙が、体温が。
気持ちが、こんなにも温かい。
「見つけたのは、俺だけじゃないみたいだけどな、カナリア?」
優しげで、柔らかい笑顔が見えた。
「……ええ、そうね。私も、ようやく見つけたの、ユリ」
気付けば、セント・ユーラスの、カナリアより大きな手が、ユリサールの頭に優しく触れていた。
三人で寄り添う光景はーーまるで本当の兄と妹達のようで。
セントとカナリアが、声を合わせて、ユリサールにーー。
「セント、ユリに良い事を教えてあげましょうか」
「あぁ、そうだね。本当、とても良い事だ」
陽だまりのような笑顔で。
「ユリ。あなたと私のお父様はね?」
「人々を救い、世界を救ったーー」
「「英雄なんだよ」」
静かに、ユリサールの頬を涙が伝った。
しかしその涙は、今まで流してきた冷たいものではなくーー。
確かな温かみを持った、美しい涙だった。
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