二十九話
「っーー誰だ……?」
内心倒れそうな程驚きながらも、表情を崩さず余裕を持った雰囲気でゆっくり振り返る。いついかなる時でも見栄を張るのがこの男。
そうして目を向けた先に立っている少女に、目を奪われる。
宵闇の様な、という形容がよく似合う漆黒の髪。その髪を後ろで一つに纏めーー所謂ポニーテールの髪型をしていた。
装飾の多い黒のドレスに身を包み、影のように存在感のない姿。
聖母のような笑みを浮かべたその顔は作り物のように整っている。
魅せられる、というのはこういう事を指すのだろう。セントは呼吸さえも忘れたようにその少女に目を奪われてしまっていた。
「くす。どうなされました?」
首をかくりと傾けながら少女が声を出す。可愛らしいしぐさの筈なのだが、どこか少しばかり不自然さを感じてしまう。
少女の声で我に返ったセントは、しかしそれでも余裕綽々の表情を崩さない。内心相当混乱しているのだが、それを表に出さないあたりさすがセント・ユーラスである。
動揺を声に出さないよう気を入れながら問いかける。
「君は……?」
一応聞いたものの、セントにはこの少女の正体に気付いていた。
この既視感に、更には人外離れした妖しい美貌。
そしてーーまるで呑み込まれそうになるほど強烈な印象を与えてくる漆黒の瞳。
間違いない、この少女はーー。
「くす。私、闇の精霊ですわ?」
語尾を上げて、先程とは逆の方向に首をかくりと傾けながら少女がーー闇の精霊が言う。
「どうぞ、よろしくお願いしますわァ」
スカートを摘み上げて、膝を折る。
高貴さ漂う仕草。優雅に佇む所作。少女の一つ一つが、セントの脳に直接衝撃を与えるかのように美しかった。首の動きが若干不自然だが。
だがそれを表に出すことはしない、セントもまた自分が出せる余裕の雰囲気を纏う。
雰囲気を纏うとはいったいどんな能力なのか。機会があれば是非ご教授いただきたいものである。
(闇の精霊……予想通りだな。雷の精霊と違って美しい……が、どこか不自然さがあるなこの女。とりあえず会話を優位に進めなきゃいけない、もしかしたら、もしかしたらこの状況から完璧な流れに持って行ける)
「やっぱりか、そうじゃないかと思っていたよ」
セントがそう言うと、闇の精霊は大きな目を少し見開いて驚いたような声を出した。
「あら……?予想されていたんですのォ……?」
どうやらセントが精霊だという事を予想していたことに驚いているらしい。
(成程、前にも思ったがいかに精霊といえど人間の心の中を見る事まではできないらしい。俺が以前にも精霊に会った事を知らないからな。もし心の中まで読まれるような事があればーー危なかったな。まぁそれはそれとしてーー魔力量は見られていると考えたほうが良さそうだ、雷の精霊も簡単に俺の魔力量を見抜いている)
「あぁ、前にも雷の精霊に会ったことがあってね。まぁその時は魔力量が少ないと怒られてしまってね」
真実と虚偽を織り交ぜて話すのは嘘つきの常套手段だ。苦笑い、困ったような表情を浮かべて会話を続ける。便利な表情筋で羨ましい限りである。
「その時も今みたいに周りの時間が止まっていてね、既視感があったのさ。いやあの時は確か……意識を速めている、とかなんとかでーー」
「あはァ」
言葉の途中で、少女が妖しい笑い声を漏らす。
「アレは少しばかり野蛮ですから……破壊を好むなど、くす」
聖母のような笑みで喋っていた少女だったがーー、
「それから、間違ってもアレと私の力をいっしょくたんにしないでくださいまし?私は単純にこの空間を止めているのですから、意識を速めるなどと、そのような矮小な事は致しませんわァ」
ゆらりと、少女の周りに深い闇が蠢いている。どうやら完全な地雷だったらしい。
セントは内心非常に焦っていた。
(やってもうた、嫌いなのか雷の精霊の事。わかる、超ミィートゥー。ってそんな場合じゃねぇ!)
「そ、それにしても君は雷の精霊と違って凄く綺麗だな。見惚れてしまったよ」
逸らし方が雑えある。肝心なところで役に立たない脳みそだった。
「……くす。今はそれで逸らされてあげますわ?でも次はないですわよ?」
ゆらり、体を少し揺らしながら精霊が告げる。
いつの間にか少女を囲っていた闇は消え去っていた。
(あぶねぇなこの女……)
「あぁ……さて、それでこの状況で俺にどんな用が?」
この時点でセントは何故精霊が現れたのかをほぼほぼ勘付いている。
が、大事なのはそこからどう事を運ぶかだった。
ドレスをゆらりと揺らしながら、少女が首をかしげて話す。
「くす。見たところ絶対絶命ですわね?」
(このアマ馬鹿にしてんのか!?)
沸点の低い男である。
「……確かに、でもそれがどうしたんだ?」
「あはァ、前に精霊とあった事のでしたら、もう解っているのでは?」
(やはり)
予想が確信に変わる。あまりにも運がいい、だがこの好機を逃す手はない。この闇の精霊も、雷の精霊と同じようにーー。
「精霊が人間に姿を見せることは滅多にありませんわ?姿を見せるとすれば、それは余程気に入ったーー私が魅せられてしまった魔力を使う人間の前だけですから」
少しだけ、少女の白い肌に朱がさした。照れているらしい。
(オイオイ可愛いじゃないのォ)
話し方がつられている。
「じゃあ俺が闇魔法を使ったから君は今ここに来たのか?」
「そうですわ?」
かくり、と首が傾けられる。
闇魔法を使って良かった。心からそう思うセント・ユーラスである。もしあの時保険のために闇魔法を使っていなかったら、この時間は存在せず、今頃はこんがり焼きあがってしまっていただろう。嘘吐きの丸焼きなんぞ誰も食べはしないから廃棄決定である。
(日頃の行いの良さのおかげだな……。さて、そろそろ本題に入るか、気合い入れろよ俺)
「……それで、このタイミングで出てきたという事は、俺を助けてくれるのか?」
ゆらり、ゆらりと揺れていた少女の体がピタリと止まる。
「あ、ハァ。そうですわねぇ。魔力が少ないあなたでは、ここから、どうやっても、どうすることも、できませんわよねぇ、くふ」
歌うように、聞いている者を呑み込んでしまうような美しい声で精霊は笑う。
まるでこの声以外を聞くことは許さないと言っているかのように。そして再びゆらりゆらりとドレスと漆黒の髪を左右に揺らしながら、
「いいですわよ?くす、私を満たしてくれるあなた様の事を、私なら簡単に助けられますわァ」
また首をかくん、とかしげながら。
「た・だ・しーーもちろん対価はいただきますわよ?魔力の少ないあなた様を救う対価を、私にくださいませ……?」
妖艶、言葉通り妖しく、艶やかな笑みを浮かべる闇の権化。
目を離すことは、誰もできない。ゆらりと揺れ続ける彼女を見ていれば、いずれ闇そのものと錯覚してしまうだろう。
もちろん、セント・ユーラスもーー、
(魔力少ない少ないうるせぇこの野郎!!気にしてんだぞ!!はいはい魔力量の少ない俺じゃあどうすることもできませんよ!!)
目を離さずに内心で散々暴れていた。なんとも虚しい男であった。
(いかん、切り替えろ俺。今はなんとしてもこの状況を覆すんだ。対価とか言ってたか?)
人の話はちゃんと聞かなければならない。
「……対価、それが何かにもよるね」
ニタァ、と少女が笑みを深くする。そんな邪悪な笑みを浮かべてもなお美しい精霊であった。
「あなた様の、人生を私にくださいまし?」
「なっ」
これにはさすがのセントも表情を崩さるをえなかった。
人生、すなわちーー寿命。
「……まるで死神だな」
「あ、は。察しが速いですわ。死神、そうですわねぇ。ですが私はそれを刈り取ったりはしませんわよ?愛しいあなた様のために、私を満たしてくれるあなたのために、私は提案しているのですわァ?決めるのは、あなた様ですから」
かくり、ゆらり。
精霊の動きは止まらない。
「……この状況を脱するのに必要な寿命は?」
「くす。初回特別サービスです、3年でいいとしましょうか」
三年、セント・ユーラスとして生きる時間の三年を犠牲にする。
(……不思議だな、前は三年なんてどうだっていいと思えていただろう、寿命なんていらないとさえ思っていたかもしれない。なのに今はーーこんなにも3年が惜しい)
誇りに思える両親がいる。
大切な約束をした少女がいる。
魔法という、夢のような奇跡を使える世界に、セント・ユーラスは生きている。
(だからこそ)
だからこそーー、
(ここで躓くわけにはいかない、俺は英雄の息子として、この世界を生きていくために)
「3年、君に捧げよう。闇の精霊よ、俺に、この現実を幻にする力を!」
ゆらり、ゆらり。
「あ、は。あはははははッ!!!それでこそ愛しいあなた様ですわァ!!」
その言葉で、スローモーションのように世界が時間を取り戻し始める。
けたけたと精霊は笑う。セントの事が愛しくてたまらないという表情。まるで踊っているかの様だった。
「私の手をお取りになってくださいまし……?」
白く細い指がセントの目の前に差し出される。その手を取れば、少し力を込めれば折れてしまいそうな、そんな印象を抱かせた。
既に、徐々に徐々に、ユリサール・エンジが放った魔法がゆっくりと動き始めている。
音も、熱も、全てが世界に戻り始めていた。
轟々と響く爆炎を真上に、闇の精霊は静かに笑う。
「さぁあなた様、私と手を繋いだままーー思った通りに魔法を出してくださいませ……?そしてーーまた御逢いしましょう?」
かくり、と何度目かもわからない、首をかしげる仕草をする。
ゆっくりと手を上に向け、セントはイメージする。どんな魔法が来ても、自分は傷付かないイメージを。
「覆せーーDenial」
セント・ユーラスの3年、26280時間を消費した魔法が発動した。
そしてーー炎爪が振り下ろされ、セントの姿は爆炎に包まれて見えなくなる。
その瞬間に、くす、と。笑い声が聞こえたような気がした。




