二十七話
カナリア・クルトールが会話に乗ってきた時点で、セントはほとんど勝利を確信していた。逆に、最初から全力で魔法を使われていたら簡単にセントは敗北していただろう。セントの作戦の中で、唯一そこだけが大きな不安材料だった。
しかし、教師が言った「棄権の方法」。これにより、試合開始直後からの魔法攻撃が来る可能性が排除された。
勿論、フィールド内が三人になった時点で攻撃が来る可能性もあった筈。しかしセントは、この可能性は低いと思っていた。
(人間は緊張すると無理やりにでも自分を落ち着かそうとする。緊張しなれているような者なら話は別だが、まだ十歳の子供には到底無理な話だ。棄権が行われている時間、もしくは棄権が済んだ瞬間を使って会話を狙うのは有効だろう。むしろカナリア達から話を振ってくる可能性が高い)
これがセントの読み。そして実際にカナリアはセントに話しかけている。
十歳の少女の事とはいえ、人が人の行動や言葉を予測するというのはそう簡単な事ではない。「どのような嘘をつけば自分が望む結果を得られるか」という事を考え続けてきたセントは、先を読むという能力が高かった。
その場の雰囲気を限界まで読んでいる、と言ってもいい。それができなければ、本気で相手を騙す事なんて出来きはしない。
「……世界を救ったのは、ユーラスだけじゃないの。お父様だって、ユリのお父様だって、命を懸けて戦ったわ。なのにどうしてお父様は、みんなに褒められないの?」
そう返すカナリアの背後には、赤い魔力が漏れ出している。陽炎のように揺らめき、まだ魔法としての形を得ていないのにもかかわらず炎のように赤く立ち上がる魔力。まるでカナリアの心をそのまま現したような熱量。
カナリアの言葉を聞いて、漏れ出す魔力を見てセントは確信する。
(来た。カナリアの感情が高ぶっているこの瞬間を逃したら終わる。このタイミングを逃さずにーー用意していた流れを作るだけだ。ただ、保険は掛けとかないといけないな)
保険ーーすなわち魔法。一つだけ小さな、しかし重要な効果を持つ魔法を発動する。
セントは詠唱を必要としない。そもそも詠唱とは、魔法を発動する際のイメージをより強固にするために行われるものだ。セントは前世の記憶をもっているために正確なイメージを浮かべるのは簡単な事だった。
この世界にも、詠唱をせずに魔法を発動する人間は結構存在している。セント以外に十歳という若さで詠唱を必要としない者がいるかはどうかは、不明だが。
用意していた、つまりセントはこうなる事を予測して先に自分が言うべき言葉を考えていた。今から言う言葉の一番の目的は、とにかく相手の感情を上下左右と振り回すことだ。怒らせてでも、悲しませてでも、混乱させられればなんでもいいと。
「だから……だから証明するのよ!クルトールもエンジも!ユーラスなんかに負けないって!私たちが勝てば、みんなもお父様を認めるわ!!」
ここだ、と。
感情が一番昂っている今こそ、流れを作る好機。
「くだらない」
「……なんですって?」
(おおこわ!赤いオーラが変色してドス黒く見える・・・。でもこっからだセント・ユーラス。カナリア自身も知らない虚像の真実を突き付けろ。相手は十歳のガキ、勢いさえあれば流せる。雰囲気を操るんだ)
優しい笑みを浮かべろと、自分に言い聞かせる。
「くだらない、と言った。聞こえなかったかな?」
意図的に優しい声音を作る。その声で話しながらも、本当にくだらないと思っているかのような顔で。
「そもそも目的は何だったか?皆にもてはやされたいのか?英雄様英雄様と、ただちやほやされたいだけなんじゃないのか?」
その言葉に、カナリアは更に激昂する。
「そんな事あるわけないでしょう!私はただーー認めてほしいだけよ!皆ユーラスしか見ない!お父様だって命を懸けてーー!」
「認めていなかったら誰も英雄なんて呼ばない!!」
バチバチッ!!と、
表情を大きく変化させて、微量の魔力を雷に変化させる。極小の魔力を操るその技量は十歳とは思えないほどだ。誰もかれもがこの雷はセントの感情が昂って抑えきれずに漏れた魔力と思っている。これで魔力量がせめて人並だったら、英雄の子供に相応しい自信を持てていただろう。可哀想に。
ともあれ、セントはここで流れを大きく変化させた。
「一番父親を英雄だと認めていないのは君だカナリア・クルトール!!父様は言っていた!戦場で国を、人を守るために命を散らした人々こそが英雄だと!それほどの覚悟をもって守り切って、そして生き残ったからこそ君の父も僕の父も英雄と呼ばれている!!そこになんの違いがあるんだよ!?」
叩き付けるように言葉を出すセントに、先程までの優しい表情は見受けられない。この表情の変化もセントの計算の一つだった。今までの笑みを消して、新たに作った必死の顔は、何かを伝えたい少年のイメージをより強固なものにしてくれるだろう。
そして今カナリアに向かって必死に伝えた言葉はーー。
(全くのてきとうだ。カナリアが父親を英雄と認めていないなんて思ってもいないし正直どうだっていい。が、この偽物はカナリアの心に簡単に入り込む。『そうかもしれない』と思った時点でーー)
「そ、それは……!だって…皆が……!」
カナリアに先程の怒りは見受けられない。目に見えてセントの言葉に動揺している。セントの必死な叫びと、『そうかもしれない』というあやふやな感情で混乱してしまっていた。
(勝った、俺が作った偽物を自分の真実と思い込んだ)
後はもう、簡単な事。
動揺して、混乱してしまった十歳の少女に泣き笑いのような顔を作って言葉を紡ぐ。大丈夫だと、君は間違っていないと諭すように。
今カナリアが一番ほしい言葉を、ゆっくりと告げる。
「……なぁカナリア、皆って必要か?確かに英雄と多く語られる事は少ないかもしれない。でも、確かに君のお父様に救われた人がいる。いや人だけじゃない、世界だって救ったって、カナリアが一番知ってるだろ?」
カナリアの瞳に、大粒の涙が浮かぶ。逃れられない答えを用意されて。
「どうして……どうしてお前が泣きそうなのよ…?馬鹿みたい……」
「馬鹿とはひどいな、でも、カナリア。簡単な事だったろ?」
「……うん…そうね。お父様を認めていなかったのは、本当は私だったのね……なのに勝手にユーラスを嫌って、羨んで……」
(さぁな、お前がお父様とやらを認めていなかったかどうかなんて知らん。でもーーお前がそう思うならそうなんじゃないか?)
まだ幼い少女に勝手に偽物の想いを与えておいてこの言いぐさ。完全な屑である。
「でも、もう……」
「……ええ、もう違う。私のお父様は世界を救ったんだもの。私は私のお父様を、救世の英雄ドラン・クルトールを誰よりも誇りに思うわ。誰よりも誰よりも、ね」
そう言って、カナリアが小さく笑顔を浮かべた。
セントにとっては完全な不意打ちーー今までカナリア・クルトールという少女に対してあまりいい印象がなかったセントだが、
(なんだよちょっと可愛いじゃないか)
と、そんなことを思ってしまうくらいには魅力的な笑顔だった。
なにはともあれーー
(これでーーこれでようやく俺が棄権する準備が整った。十歳とは思えない言葉で苦悩していた少女を救ったこの状況。そしてさっきワザと見せたーー魔力漏れを真似た魔法。普通の子供は感情が昂った程度じゃ魔力漏れは起こさない。ならば魔力漏れが起きるとはどういう事かーーそれは魔力量が普通より多いという事だ。さっきの雷を見れば、魔力量が多いと判断されて少なくとも上位クラスには入れる筈。棄権の仕方は何だっていいんだ、女の子と戦いたくないからとか、調子が悪いからとか、てきとうでいい。余裕を持った雰囲気を纏えば、周囲が勝手に騙されてくれる)
最初から、これが狙い。怪我もせず、敵を減らし、上位クラス入りを果たす。ここまで全てセントが思い描いた舞台のシナリオ通りに進んでいる。周りを騙していくと決意してから試合までの時間でここまでの脚本を作り上げたのだ。こと騙すという点において、もはや才能と呼べるレベルまで達している。
(さぁて後はもうてきとうに会話して、余裕ぶって棄権するだけだ)
言っていることは情けないが。
微笑んでいるカナリアにまとめとばかりに話しかける。
「良かった…あ、じゃあもう僕の事も嫌いじゃないよね?」
そう、ここまではセントのシナリオ通りだったのだ。
「くす、ええ、もちろーーユリ?」
カナリアがユリと呼ぶ少女。ユリサール・エンジ。
なんだか久々に名前を聞いたな、と他人事のように思うセント。
この時セントは、カナリアと一緒にユリサールも納得したと思い込んでいる。
正直、油断していた。
カナリアがユリサールに近よる、少し離れているセントにもユリサールの肌が病的なまでに白くなっているのが見えた。
虚ろな目で、唇からはここからでは聞き取れないがなにやら言葉が漏れていた。
ここにきて、肌を突き刺すようなあの嫌な感じが再びセントを襲った。
すなわちーー殺気。
ユリサールの体から、赤と緑の魔力が溢れだす。
それはすぐに竜巻のようになってーー少女の小さな掌に集まっていく。
「駄目!セント避けなさいっ!」
カナリアがこちらを向いて大声で叫ぶ。
だがその声に被さるようにーーユリサールの声が聞こえた。
いつもの静かな声ではない、叫びにも似た言葉。
その瞳は、セントを捉えて逃がさない。
(やっば!!!)
「私を……カナリアを……騙さないで!!炎爪貫け!!」
ユリサールの魔力が、炎の巨大な爪へと形を変える。
赤い豪風を纏った炎爪が、セントの真上に迫っていた。




