カナリア・クルトール
魔法学園第一試合場。
ドーム型の建物で、魔法学園の中でも相当な巨大さを誇っている。
魔法学園生徒達の間では「第一」と呼ばれているその巨大な試合場は、割れるような歓声とじりじりと肌を焼くような熱気に包まれていた。
五千を超える観客が見つめる先には、七人の少年少女。
しかもその中の三人は、かの『救世の英雄』の子供だという。
試合場の盛り上がりは、ピークに達していた。
「どうやら逃げることはしなかったみたいね。安心したわ」
明確な敵意を宿した瞳がセントを捉え、見据えている。
まるで他の者などいないかのように、その燃えるような感情を隠そうともせずに。
カナリア・クルトール。
『救世』ドラン・クルトールの娘、燃えるような紅の髪をもつ美しい少女だ。
そして、もう一人。
「お前には……まけない……」
静かに、しかしその言葉に含まれた想いは相当なものだろう。
セントを見るその表情に、動揺など一切見受けられない。
ユリサール・エンジ。
『救世』アノエスト・エンジの娘、光を受けて輝く緑の髪に、考えを読ませない無表情が特徴の少女。
どちらも紛れもない『英雄』の子供。
そしてその少女二人が見据える先にはーー。
「………」
静かに二人を見つめ返す白髪の少年ーーセント・ユーラスが立っていた。
既にセント達七人は、中央フィールド内に入っていた。
円形のフィールドで、薄い膜のようなものに覆われている。
この薄い膜のようなものが、魔法学園教師と優秀な生徒によって張られた結界であった。
こ結界の中ならば、どんなに大きなダメージを負っても死ぬことはないようになっている。
フィールド内では、教師による最終説明が行われていた。
「それでは、これより新入生魔法模擬戦闘試合を開始します。フィールドの中は、集中を乱さないように外の音を遮断する魔法がかけられています。ですが、フィール内の音は外に聞こえますので、そのつもりで。棄権を申し出る際は、フィールド外の教師に棄権の意思を伝えてください。『本当によろしいですか』と聞き返しますので、それに応じれば棄権が決定します。何か質問はありますか?」
「い、今から棄権することはできないんですか?」
一人の少年がそう質問する。ロイル・アーガストという少年だった。
すでに足が小さく震えてしまっている。
普通の十歳ならば仕方のない事だった。
「いえ、棄権は試合開始の合図があってからしかできない決まりになっています。棄権を申し出ている者に攻撃を加えることは違反になっていますので、落ち着いて棄権の意思を伝えてください」
それを聞いて英雄の子供以外の者の顔に明らかな安堵が浮かぶ。
「質問はそれ以外ないですか?では、始めます。私がフィールド外に出て、フィールド内中央の魔方陣に赤い光が灯ったら試合開始となります」
そういって教師はゆっくりとフィールド外へ向かって歩いていく。
始まるのだと、そう告げるように。
さすがのカナリア、ユリサールにも緊張が浮かび上がる。
この戦いでクルトールとエンジが、ユーラスにも負けていないと、否。勝ってすらいると証明するのだ。
そのために、今まで二人で魔法の修行をしてきたのだから。
そのために、今まで二人で頑張ってきたのだから。
絶対に負けない。負けられない。
十歳という若すぎる少女達が背負った「覚悟」は、その重さをじわじわと増していた。
そして教師がーーフィールド外へ。
フィールドの幾何学的な魔方陣に、赤い光が灯った。
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「き、棄権します!」
「本当によろしいですか?」
「は、はやく!お願いします!」
最後の一人が棄権を決定する。
情けない、とカナリアは思う。男がまるで子犬のように怯えながら棄権する姿は正直見るに耐えなかった。しかしそのおかげでーー。
「そのおかげでーー邪魔ははいらないわね。セント・ユーラス」
そう、これで邪魔者はいなくなった。
フィールド内には、カナリアと、ユリサールと、セントしかいない。
「………ああ、そうだね。カナリア・クルトール」
初めて聞くセント・ユーラスの声。
まだ声変り前の、少し高い男の声。優しい声音。その白髪と相まって、まるで天使のようだと思った。
思ってからーー何を考えているのかと自分に驚愕する。
あれだけ、もはや恨みさえしていたユーラスを天使だと。
ありえない。その考えを振り払うように声を出した。
「ああ嫌だわ。お前なんかに名前を呼ばれるのは。ねぇユリ」
「…………」
「ユリ?」
「……え?あ…うん。ありえない」
今の間はなんだろうか。
凄く気になったけれど、今は聞かないほうがいい気がした。
セント・ユーラスは苦笑いを受かべて、私の方を見ながら話しかけてきた。
「なんだかずいぶん嫌われているけど、何か君達にしたかな?」
困ったような、少し悲しそうな顔で。
その顔に強い苛立ちを感じた。だれからも祝福される日々を送ってきたのだろう、悩みなんて何もない日々を送ってきたのだろう、と。
「………世界を救ったのは、ユーラスだけじゃないの。お父様だって、ユリのお父様だって、命をかけて戦ったわ。なのにどうしてお父様は、ユリのお父様は、みんなに褒められないの?」
自分でも、魔力のコントロールが乱れて外に出てるのが分かる。
でも、どうしても抑えきれない。
隣からは、ユリの体から風と火の魔力が漏れ出しているのが感じられる。
ユリだって、我慢できないのだ。この感情が抑えられないから。
「だから……だから証明するのよ!クルトールもエンジも!ユーラスになんか負けないって!私たちが勝てば、みんなもお父様を認めるわ!!」
「くだらない」
「………なんですって?」
「くだらない、と言った。聞こえなかったかな?」
まるで聖人のような笑みを浮かべて、セント・ユーラスは続ける。
「そもそも目的はなんだったか?皆にもてはやされたいのか?英雄様英雄様と、ただちやほやされたいだけじゃないのか?」
「そんな事あるわけないでしょう!!私はただーー認めてほしいだけよ!皆ユーラスしか見ない!お父様だって命を懸けてーー!」
「認めていなかったら誰も英雄なんて呼ばない!!」
バチバチッ!!と、セントの周りを糸のような雷が伝っていく。
誰が見ても明らかにーーセントは怒っている。
怒っていて、そして何かを伝えようとしている。
「一番父親を英雄だと認めていないのは君達だカナリア・クルトール!!父様は言っていた!戦場で国を、人を守るために命を散らした人々こそが英雄だと!そんな覚悟をもって守り切って、生き残ったからこそ君の父も僕の父も英雄と呼ばれている!!そこになんの違いがあるんだよ!?」
叫ぶように言葉を紡ぐセントに、先ほどまでの笑みは消え去っている。
同じ英雄なのに、この少女は自分で勝手に壁を作って、人々を、世界を救った英雄を無意識に認めていない、と。
ただ必死に、ただ純粋に、想いを伝えようとする少年がそこにいた。
「そ、それは……!だって……皆が……!」
わからない、わからない。認めてくれなかったから。
「……なぁカナリア、皆って必要か?確かに英雄と多く語られる事は少ないかもしれない。でも、確かに君のお父様に救われた人がいる。いや人だけじゃない、世界だって救ったって、カナリアが一番知ってるだろ?」
そう語るセントの表情はーー泣き笑いのような顔で。
どうしてセントが泣いてるのかが解らなくて、でもなんだかおかしくてーーカナリアも泣き笑いのような表情になっていた。
「どうして……どうしてお前が泣いてるのよ…?馬鹿みたい……」
「馬鹿とはひどいな、でも、カナリア。簡単な事だったろ?」
今度は、純粋に、聖人のような笑みで。瞳を潤ませながら。
優しい、優しい声だった。
だからカナリアも、もう見つけた答えを隠せない。
「……うん…そうね。お父様を認めていなかったのは、本当は私だったのね……なのに勝手にユーラスを嫌って、羨んで……」
「でも、もう……」
「……ええ、もう違う。私のお父様は世界を救ったんだもの。私は私のお父様を、救世の英雄ドラン・クルトールを誰よりも誇りに思うわ。誰よりも、誰よりも、ね」
ふわっと、カナリアの顔に小さな笑顔が浮かぶ。
それは十歳という年齢に似合った、可愛らしい笑顔だった。
「良かった…あ、じゃあもう僕の事も嫌いじゃないよね?」
「くす、ええ、もちろーーユリ?」
カナリアが視線を向けた先には、元から白かった肌をさらに白くさせ、小さく体を震わせるユリサール・エンジの姿があった。
強気にセントを見据えていた瞳は小さく揺れ動き、焦点が定まっていない。
青くなった唇からは、小さな言葉が延々と漏れていた。
「大丈夫?ユリ?」
「騙されちゃダメ…騙されちゃダメ…騙されちゃダメ…騙されちゃダメ…騙されちゃダメ………」
「ちょ、ちょっとユリ?あなたも解ったでしょう?私たちはーー」
カナリアの言葉の途中で、ユリサールの魔力が膨れ上がった。
揺らぎ現れるは火と風の二属性の魔力。赤と緑の魔力を竜巻のように扱いながら、倒すべき敵、セント・ユーラスを虚ろな瞳で捉える。
「駄目!セント避けなさいっ!」
「私を……カナリアを……騙さないで!!!炎爪貫け!!」
ユリサールのから溢れる魔力が巨大な爪のように変化する。
触れるものを貫き、切り裂くような炎魔法がセントのいる場所へ突き刺さる。
そしてーー炎上。炎は地面に触れた瞬間に膨張し、爆発のような一撃になった。
完全な不意打ち。セントに避けるすべは、ない。
しかし、それだけでは終わらない。
「私は認めてる……!!父さまが英雄だって……一番私が…!!!」
たたき付けるような言葉とともに、容赦のない魔法が叩き込まれる。
もはや暴走に近い魔力の奔流は、炎となって、風となって、フィールド内を蹂躙していった。
「私じゃない…!み、認めてくれなかったのは……!!みんなのほうだ!!!」
エメラルドの瞳から涙を流して叫ぶ少女は、どうしてもセントが言った事を認められない。
どうしてユーラスばっかり。私の父様も頑張ったのに。命を懸けて、戦ったのに!
「どうして!!!」
止まらない。止まれない。ユーラスを倒せば、きっと皆エンジの名を認めてくれる。その一心で、ユリサール・エンジは魔法を出し続けた。
「ユリ…!あなただってもう気付いた筈よ!さっきセントが言った事は正しいわ!!だからーー!」
「うるさいうるさい!!みんなどうしてわかってくれないの!?みんなどうして……!!」
ふ、と。いきなり力が抜けたようにユリサールの体が傾く。
「っ!ユリ!」
カナリアが倒れたユリサールを抱きかかえる。顔から血の気が失せて、体温も低くなっていた。
「完全に魔力切れね……ユリ、大丈夫…?」
ユリサールは、その大きな瞳から静かに涙を流していた。
「カナリア……私…悔しくて……悲しくて…だって今までやってきたこと……全部無駄になっちゃうの……?私が…間違ってたのかな…」
「……それは…」
カナリアにはかける言葉が見つからなかった。
何せ今まで一緒に同じ志を持ってやってきたのに、今になって二人の間には決定的な差ができてしまっている。
間違いを認めたものと、認められないもの。
「カナリア……わたしーー」
「無駄なわけないだろ」
聞こえた声は、変わらない、優しい声音で。
その声のするほうを振り向けばーー。
セント・ユーラスが、無傷で、そこに立っていた。




