なろうでストレス展開が嫌われる理由
小説家になろうというサイトでは、鬱展開やストレス展開は嫌われる、叩かれるという話をわりと頻繁に目にする気がします。
これは本当なんでしょうか。
これは僕が読んだとある作品の話なのですが……ちょっと読んでみてもらえますでしょうか。
なお、記憶を掘り起こした上に圧縮して書いているので、細部は適当というか捏造です。
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俺はとあるボロアパートの大家だ。
副業でイラストレーターもやっていて、収入は十分にあるが、その実質はコミュ障の引きこもり。人生は灰色だ。
その俺が管理するボロアパートの一室、俺のいる管理人室の隣に、若い女性が入居することになった。
挨拶に来た彼女は、俺みたいなどうしようもないクズを相手にしても、屈託なく笑って、自分をさらけ出してくれた。
こうも無防備に信頼されると、逆にこの子大丈夫なのか?と心配になったぐらいだ。
彼女とはご近所付き合いで、毎日他愛もない話をするようになった。
灰色だった俺の人生が、ほのかに色付いたように感じる。
母子家庭で育ち、唯一の肉親である母親をも亡くした彼女は、あまり裕福ではなかった。
働き口を見つけるのはなかなか大変なようで、このたびとあるコンビニに採用されたと言って喜んでいた。
俺がある日、近所のコンビニに行くと、彼女がそこでアルバイトとして働いていた。
だが、そこの店長がクズだった。
事あるごとに、彼女にセクハラ──腰を揉んだり、尻を触ったり──をしている。
彼女は嫌がっているが、強くは言えないようだ。
俺は拳を握りしめる。
だけど、俺に何ができるのか。
俺が抗議に行ったところで、彼女の働き口を奪ってしまうかもしれない。
彼女がそれでも我慢して働いているなら、彼女の意志を尊重すべきなんじゃないのか。
俺は結局、何をすることもなく、コンビニを出るしかなかった。
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さて、どうだったでしょう。
あなたはこの作品を、面白いと思ったでしょうか。
多分、読後には不快な気分が残ったんじゃないかと思います。
ところで、この話には数日後、続きが書かれます。
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勤務を終えた彼女が、暗い顔でコンビニから出てくる。
俺は彼女に声をかけた。
彼女は驚いたようだが、わずかに笑顔を取り戻してくれた。
どうやらストーカーとは思われずに済んだようだ。
俺は帰り道、彼女に提案する。
もしよかったら、俺のメイドさんとして雇われてくれないか、と。
俺は時間があればイラストを描いているものだから、管理人室の中はぐちゃぐちゃだし、普段ろくなものも食ってない。
一方で、金はどちらかというと余っている。
金を払ってでも、家事をしてくれる人が、ちょうど欲しかったところなのだ。
俺のその提案に、彼女は泣きそうになりながらも、笑顔で頷いた。
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どうだったでしょう。
ここまで来れば、面白いと感じた人もいるんじゃないでしょうか。
少なくとも、読後に不快な気分が残っていることは、なくなったんじゃないかと思います。
つまり何が言いたいかというと、なろうでストレス展開が嫌われるのは、カタルシス展開が描かれる前に読んだ読者にとっては、話がそこでストップしてしまうからなのではないか、ということなのです。
書籍の小説であれば、続きを読み進めることでカタルシスのあるシーンまで一気に辿り着くことができますが、1話ごとに細切れで投稿するなろうの小説では、読者がストレスを受けた状態のまま、放置されてしまうということが起こりうる、ということです。
そんな風に思ったのですが、どんなもんでしょうか。
万一、上記ストーリーの元となった作品の作者がこのエッセイを読まれて、気分を害されるようなことがありましたら、誠に申し訳ございません。
この物語は、構造上非常によくできているなぁと感心したものでありまして、貶すような意図は一切ないことを付け加えさせていただきます。