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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第一章 忍び寄る影
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罠 3

 思ってもみなかった来客に、薬師は楽しそうな顔でティラータを振り返る。だが彼女の表情は、薬師とはまったくの正反対だ。


「噂をすれば何とやら……ね」

「ボルド、なぜまたアーシャの元を離れた?」


 ティラータは責めるような面持ちで、扉の外に立つボルドを見る。


「まあ、お入んなさいな」


 小指を立てて零れる笑みを隠しながら、薬師はボルドを部屋へ招いた。

 すると、眉間に皺をよせていたのはティラータだけではなかった。ボルドはずかずかと歩み寄ると、遠慮なくまくし立てた。


「あなたこそ、何ですかその姿は。毒が抜けきってないのに、いったいどこへ行くつもりです?」


 相変わらず言葉こそ丁寧だが、表情からはいつもの彼の柔らかさは消えている。

 昨夜は毒矢によって意識を飛ばすほどの傷を負っていたにもかかわらず、すっかり支度を整えて涼しい顔で剣を腰に差す姿に、ボルドは憤りを隠せない様子だった。

 そのまま無言で睨みあいを始める二人を止めるのは、薬師の役目だ。

 パンパンと手を鳴らす。


「はいはいはい、ちょっと落ち着きましょーねぇ、二人とも」


 まるで幼児に言い聞かせるような仕草に、少し納得がいかない二人だったが、とりあえず気持ちが削がれたのは確かだった。


「ティラータ、あんたは言うことあったんでしょ?」


 ああ、と思い出したティラータは、徐に目の前のボルドに向かって頭を下げた。

 え、とボルドは仰天して後ずさるのだが、その顔はなんとも気味の悪い物でも見るかのように歪んでいる。


「看病してくれたと聞いた。ありがとう、ボルド。心配かけた」


 その言葉に目を瞬かせて驚き、ボルドはすぐに柔らかく微笑む。


「い、いえレグルス……そんな改められると照れ……」


 言い切らぬ内に、思わぬ衝撃が脳天に響いた。そして足がふらつき、無様にも膝を折るボルド。


「ぐっ……」


 それは、ティラータの拳骨が、ボルドの下あごを突き上げた衝撃だった。

 何が起こったのか把握しきれぬボルドが隣を見ると、ジャージャービーンが額に手を当て溜息を漏らしていた。

 そしてティラータはというと、ボルドがうずくまりそうになるのを何とか堪える姿を、鼻息荒く見下ろしているのだ。


「ひどいですよ、レグルス」

「うるさい。夜中にアーシャの元を離れるなど何事だ! どんな理由があるにせよ、姫の警護の責任者であるお前が悪い。殴らせろ」

「もう殴ったじゃないですか」


 溜息まじりのボルドと、対称的にすっきりした表情に戻ったティラータ。


「で、どこに行く気ですか」


 まだ顎をさすりつつ、ボルドが問う。


「西の森だ。調べたいことがある」

「今ですか?」

「今日でなくば意味が無くなる、らしい」

「らしい、って。誰からの情報ですか、調べるって何を?」

「アレス公からだ。詳しい事は調べてから報告する」

「アレス公?」


 その名にボルドばかりでなく、傍で茶を入れていた薬師までもが驚きの声を上げた。


「……ちょ、ちょっとあんた、それってマズくない?」


 薬師の言わんとしていることは、ティラータもよく理解している。傍らのボルドの表情が、再び硬くなる。


「尚更あなたを一人で向かわせるのは嫌です」

「昨夜の件ですが、本当に狙われたのはアシャナ姫でしょうか? 私はむしろ、あなたこそ命を狙われていたのだと思えてならない」


 ボルドの言葉に、ティラータはどう反応すべきか悩む。彼の言う可能性は、矢を受けたその場で脳裏にかすめた。

 わざわざティラータが傍に居るのを確認できるときに襲撃するなど、確率を考えればおかしなことだ。ならば姫の警護の隙を作る為、今回の襲撃はわざとティラータを狙ったとも考えられるのだ。

 だからこそティラータとしては、ボルドが簡単にアシャナ姫から離れるべきではないと憤るのだった。


「私が標的となるなら都合が良いではないか。アーシャに影響ない程度の距離で相手をおびき寄せ、潰していけばいい」

「何言ってるんですか、体調はまだ戻っていないんですよね? それで再びあなたに何かあれば、それこそ本丸である姫が危なくなるだけですよ」

「体調はさほど悪くない。ジャージャービーンにも外出許可をもらった」


 薬師は突然話を振られ、ぎょっとしてポットから目線を上げると、ボルドと目が合う。


「い、いやーね、許可っていうかほら、この娘言い出したら聞かないから……」


 薬師は、おほほほと笑い、呆れたようなボルドの視線を手に持つポットで遮り、わざとらしく目を泳がせていた。


「ということだから、私はもう行くぞ。しばらく私はアーシャの元へは行けないが、ボルドから私の無事を伝えてくれ」


 そう言ってティラータは腰に剣を差し直し、扉を開ける。


「ちょっ、レグルス!」

「話は後で聞く。今日は運動会(・・・)だろう、そうだよなジャージャービーン?」


 ティラータの言葉に、茶を啜っていた薬師がむせる。

 正午には戻る、そう言って我関せずとばかりに去ってしまうティラータを、ボルドは眉間に皺を寄せながら見送るしかなかった。

 一方、ティラータを見送った薬師は、やあねぇその運動会ってのは何よ、と憤慨しきりだ。


「ご愁傷様、ランカスちゃん。お茶でも飲んで、落ち着いてから戻んなさいな。あんたも休んでないのでしょ?」


 目の前に置かれたカップの湯気を見ながらボルドは、溜息をひとつ落とす。勝手に突っ走るティラータ、そして見たこともない色をした茶の湯。二つ分のそれをのみこむように、一口すすり、呟く。


「あなたは相変わらず、彼女には甘すぎませんか、ジャージャービーン?」


 分かってるわよと言いたげに、ふふと笑う薬師。


「そりゃ、あの娘はレグルス(・・・・)だもの」

「それは分かっていますが……」

「あんたは分かってないわ。いいえ、ここの国の者ほとんどが分かってない。剣聖というものの本当の存在価値を知らなすぎよ、その実力もね」


 モジャモジャを細い指でくるくると整えながら、彼の目は遠いところを見ているようだった。


「あたしはね、小さい頃に先代のレグルスに会ってるのよ」


 先代? とボルドは聞き返した。

 ──たしか、と思い出す。

 ティラータがレグルスの地位に史上最年少で就いたのは、一年前。その間、約三十年ほど空位だったとボルドは記憶している。

 いち剣士として、ジャージャービーンの知る先代レグルスに興味がわくボルド。


「どんな人だったんですか?」


 そうね、と遠い目をして語るその瞳には、憂いを知らぬ少年のように光を灯し、口元には笑みがこぼれる。


「すごい人だったわ。圧倒された……あたしの人生を変えてしまうほどに」


 それ以上は過ぎた事を語らず、ボルドに向き直る。


「信用してるのよ、これでも。あの娘は、己の身体のこともあんたの言いたいことも、彼のお人の考えも、ちゃんと分かってる」


 ──彼の人。

 ボルドの顔が曇る。


「彼女はアレス公を裏切れません。それを利用されれば……」

「ランカスちゃん」


 言葉を遮られ、ボルドはハッとする。


「アレス公は確かに、反国王反体制の旗印のように祀り上げられているみたいだけれど、それは本当に公の本意なのかしらね?」

「それは……」


 ボルドたち、近衛隊には頭の痛い話だった。


 この国には今、現王である陛下を倒そうと考える者たちがいる。

 イーリアスは経済的にも文化的にも他国の遅れを取り、既に国民の生活水準は各国の平均を下回っていると言っていいだろう。

 それを憂いるのは誰もが同じだ。

 だが、一部のものはこの衰退の原因を、魔法障壁とそれを支える国王へと帰結させる。

 事実、魔法障壁は国王ただ一人の祈りにより支えられているのだ。

 だから国王を廃し魔法障壁を取り払い、真の意味で自立した国家を建て直すべき、というのが彼ら反国王派の狙いだ。

 そしてその後に新たな王を立てる。障壁を支える魔力を決して持たない者──それがアレス公である。

 薬師は物思いに耽るボルドの手前に、瓶に入った矢尻を置く。


「ちょっと特殊な毒なのよ。あたしは出所さぐるわ、あんたは早くティラータを狙った不審者とやらを洗い出しなさいな」


 モジャモジャを指でくゆりながら、尊大に座った足を組みなおす。


「やはりあなたも狙われたのがレグルスだと?」

「そうねぇ、国王側にあの娘がいる限り、仮に陛下を降位させたとしてもその後上手くいきっこ無いじゃないの」

「だから、殺すと?」


 珍しく難しい表情のジャージャービーン。


「さあどうかしらね。あの娘を簡単に殺せると思っているくらいの間抜けなら、取り越し苦労かも……ファラの大祭が終わるまで、気が抜けないわよねぇ。カナン隊長の誘い、断るわけにいかなくなったじゃないのさ」

「建前とは分かっているのでしょう? 隊長のいつもの言い方ではないですか」


 剣術場に行くことを嫌がる様子の薬師に、ボルドは笑う。

 ジャージャービーンは両手で頬を覆い、ボルドを睨む。


「そういう問題じゃないわよ! あいつのいつもの嫌味よっ。あたしを、あんな野蛮で日差しの強い所まで引きずり出すだなんて! 女の軟肌にシミができたらどうしてくれるのよ! ちょっと、あんたからも上司に言ってちょうだい」


 こうなると、ジャージャービーンは止まらない。

 ボルドは不用意な言葉を後悔しつつ、苦笑いを浮かべながら頷くしかなかった。



◇ ◇ ◇ ◇


 深い森に朝日が差し、朝もやの中に鳥のさえずりが響く頃、男は藪を掻き分け太い木の根を越えて歩いて行く。

 その傍らには大きな黒い狼が一匹。

 先日ティラータに、天狼星シリウスと名乗ったその男は、藪を掻き分ける手を止め、狼に目配せする。

 狼はそれを受けて、従順にその場で伏せた。

 足を止めたシリウスの前方からは、数人の男の声がかすかに聞こえる。

 そのまま数歩だけ後方に下がり、回り込むように場所を移し木の上から隠れて様子を伺う。すると声がするのは、森を縦断する魔法障壁の、すぐ真下辺りからだった。

 一人が魔法障壁の真下の土を掘り、二人の男が剣を構えて周囲を警戒しているのが見える。

 だが三人ともにフード付きマントを目深に被り、顔が判別できない。

 シリウスは鋭い視線でその様子をじっと見守る。

 しゃがみ込んで土を掘っていた者が手を止め、脇に置かれていた石版のようなものを手に取る。


 ──何だあれは?


 シリウスが目を凝らすと、魔方陣のような刻印がちらりと見える。

 それを男が素早く地中へ埋めると、もとあったように土を被せて踏み固める。


「よし、いいぞ。行くぞ!」


 用は済んだのか、周囲を警戒しながら男達はその場を離れるようだ。見守るだけだったシリウスが動く。


「行け、ヴラド」


 小さくシリウスが囁くと、黒い塊が勢い良く藪から飛び出て、男達に襲い掛かる。


「うわあああっ!!」


 ヴラドと呼ばれた狼は、まず一番手前にいた男の剣を素早く避け、その手に牙をつき立てた。

 仲間を庇うように、もう一人の男が咄嗟に斬りかかり、狼は牙を放して飛びのける。


「グルルオオォッ」

「なんて大きさだ! ……何なんだ、この狼は」


 不審な三人の前に立ちはだかる狼は、普通の倍くらいはあるだろうか。

 黒い立派な毛並みに、光る金の瞳。右頬には額から口元にかけて大きな傷跡があり、獰猛さを更に引き立たせている。

 じりじりと狼の気迫に押され、魔法障壁を背に行き詰る男達に余裕の表情は無い。


「倒せ、このままでは障壁に巻き込まれ、俺達が黒こげだ」


 一番奥の石版を埋めていた男が指示すると、前の二人は黒狼に斬りかかる。


「うおおお!」


 狼は巨体に似合わず素早く剣をかわすと、わき目も振らず最奥の男に襲いかかる。


「ガアアアッ」


 鋭い爪が男のフードごと頭部をかすめ、鮮血を撒き散らす。


「くっ、この糞狼が!」


 襲われた男は、対抗しようと咄嗟に剣を振り回す。

 狼は闇雲に振られたような攻撃などモノともせず、身軽にかわす。

 それでも男は額から血を流しながらも、必死に走り出す。


「抜けるぞ、お前ら援護しろ!」


 狼は口元と右爪から血を滴らせたまま、大きく咆哮する。

 ──グルルルッ


「ひっ、化け物め!」


 追ってくる気配がないことに気付いたのか、男達は一目散に逃げてゆく。

 静かになったその場に、黒い狼が腰を下ろした。


「ご苦労だったな、ヴラド」


 シリウスが高見の見物から降りてくると、狼の頭をポンポンと撫でる。目を細めてそれを受ける姿からは、先程の激しさを想像できないくらい穏やかなものだった。


「さて……アレを掘り起こす前に、お前のその血糊を落とすか……おい、その姿ですり寄るな」


 シリウスが、血糊でべっとりと汚れた連れを拒絶すると、情けない高い鳴き声を返す狼。気分が悪いのはお互いだったのだろうと、シリウスは苦笑する。


「悪かったな、ついでに好い場所教えてやるから、そう拗ねるな」


 一人と一匹は、森の泉に向かって歩き出していた。


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