罠 2
ティラータが目を覚ますと最初に目に入ったのは、天井から束になっていくつもぶら下がる、草やら木の皮やら、トカゲのこげたものなど怪しげな乾物だった。
コポコポと、瓶の中で空気が踊る音が聞こえていた。
なぜこんな所で寝ていたのか分からず、天井を見つめたまま、しばし考え込む。
「気分はどうかしら、お嬢さん」
ベッド脇に人がいたことに気付き、そっと首を横に向けると、そこには見慣れた人物。
どうやらティラータは、目的の場所にはたどり着けたようだった。
「……世話になった」
そう言いながら起き上がり片足をベッドの縁に下ろしたところで、頭がくらりと揺れた。
「ちょっと、馬っ鹿じゃないの、あんた」
「……っ?」
ティラータのそばに立つ人物がすっと片手を上げ、ティラータの額に人差し指をトンと押し付けた。
たったそれだけで、起きかけていたティラータの身体が、元のベッドの上にふわりと落ちる。
「あんたの喰らった矢には、遅効性の神経毒が塗ってあったのよ。中和薬が間に合ったから良かったけれど、まだ完全には抜けきってないわ。安静にしてらっしゃい」
「そういう訳にはいかないんだ、ジャージャービーン」
腕を組んで仁王立ちの人物は続けた。
「それから、あたしはジャージャービーンじゃなくって、ジャン・ジャック・ビーン・ゲイブルズよ。何度言えば分かんのよ、まったくあんたたちアシャナ姫のとりまき共は!」
彼の名はジャン・ジャック・ビーン・ゲイブルズ。王宮に薬師として雇われている。元々はフェルナンディーという遠い異国の出身なのだが、訳あってイーリアスに流れ着き、この国に根付いて久しい。
ちなみにジャージャービーンというのは、まだ舌足らずな頃のアシャナ姫が、彼につけたあだ名だった。
薬師としての腕は確かなのだが、見た目と口調に残念感が否めない、変態と評判の薬師だ。その問題の容姿はというと、もじゃもじゃにしか見えないブラウンの髪に、少しだけふくよかな体つき。甘い口調に合わせて、くねくねと腰が動くのを見ただけで、どんなに遠くからでも彼は見間違うことはないと断言できる。そして近寄ってみれば、白い調剤作務衣の袖から覗く腕は体毛が濃く、口元には髪と同じ色の髭が少々……。
当然だが彼は、「男」だ。
そんなジャージャービーンは白い袖をまくり、ティラータの額に手のひらを当てると、しかめっ面を更に厳しくする。
「まだ熱もあるじゃないの、ほら、横になんなさい」
ちなみに、なぜ彼がおネエ言葉なのかはティラータも理由は知らなかった。年長者に対して聞いては失礼なのかとか、もっとも今更だとかいろいろあって、ティラータには追求する機会がなかっただけだが。
ティラータは仕方なくベッドに戻り、窓に目をやると、空が白み始めているのに気付く。
その横では、体型のわりに繊細そうな指でをした薬師が、濡れ布巾を絞りティラータの額を冷やす。
「一晩中、世話をしてくれたのか?」
あら、とニヤけて、意味ありげにティラータは見返された。
「やあね、覚えてないのね。あんた、誰にここまで運んでもらったと思ってんのよ。あたしはほら、こんな細腕でしょ。いくらあんたが女の子でも、あたしには運べないわよお。イヤね、ランカスちゃんよ。心配して来たんでしょ、あんたならお偉い王宮医師様のところより、あたしのとこに来るんじゃないかって……うふふ」
もじゃもじゃが、くねくねと揺れているのを、ティラータは首をひねりつつ眺めた。
話が長くなるので、要約するとこうだ。
意識が朦朧としたティラータは、かろうじて薬師のところに辿り着き持っていた矢尻を渡すと、そのまま部屋の扉にもたれかかるようにして気絶したのだった。
そこで、毒に詳しいジャージャービーンは事態を察し、その場で毒を判別し中和薬を飲ませ、傷の消毒をして手当てをしたはいいものの、非力な彼はベッドには運ぶことができない。
思案してみたが「まあいっか、こいつ丈夫だし」と放置していたところ、ようやくアシャナ姫が落ち着き他の兵と護衛を交代してランカス・ボルドがやって来たのだ。
それ幸いにと彼にティラータを運ばせ、更に看病までさせて、自分はすやすやと先程まで寝ていた……という訳だ。
突っ込みどころ満載の成り行きに、ティラータは終始こめかみに手を当てつつ聞いていた。
「けなげよね、彼。あんたたち、ちっちゃい頃からいつも一緒で、仲いいわよねぇ、うふふふ」
次から次へと良くしゃべるジャージャービーンに、ツッコミどころか合いの手も入れる暇もないのは、いつもの事だ。それが、ティラータは彼が少々苦手かもしれない、と時折思う理由だ。
「ボルドは確かに、私にとって最も信頼に足る者だが、私は少々腹を立てている」
「そこは素直に感謝するとこでしょ」
自分との会話で少しも楽しげに笑わないティラータを、薬師は横目で睨むのだったが、ティラータは真顔で首を左右に振ってみせた。
「あの男は仮にも近衛副隊長の任を預かる者だ。この状況下で護るべき姫を置いて、私の看病などに時間を費やすのは馬鹿げている。会ったら一発殴らずにはおれるか」
「あんたって……」
呆れた───その言葉をかろうじて飲み込み、ベッドに横たわる、気高い黄金の獅子を見下ろす。
「そうね、正論ね」
ふうっと溜息をつき、でもね、と続ける。
「殴ってもいいけれど、ランカスちゃんの気持ちには、ちゃんと感謝しなさいね。あんたのこと大事に想ってくれる数少ない人間なんだから」
珍しく良いことを言ったわねあたし、とつぶやく薬師に、ティラータが頷く。
「了解した。年長者の助言は聞くべきだと……」
ティラータのその言葉に、もじゃもじゃの髪を揺らして、勢い良く振り向くジャージャービーン。その顔は、悔しそうに歪んでいる。
「きいいいぃっ! あんたちょっと一言余計なのよ! どうせあたしは年増と言いたいんでしょう!」
予想以上な薬師の反応に、ようやくティラータが小さい声を上げて笑った。
しばらくすると、ジャージャービーンは大欠伸をしながら毒を中和する薬を調合し、水とともにティラータに差し出してくる。
「起きられる?」
「ありがとう、ジャージャービーン。でも、私はそろそろ行くよ」
今度はしっかりとした動きでベッドの縁に腰掛け、薬師を見る。
そう言い出すのを分かっていたのか、渋い表情ではあったが、薬師は先程のように頭ごなしには反論しなかった。だが腰に手を当てて、ティラータに問う。
「止めても聞かないんでしょ……どこまで行く気?」
「西の森へ」
「いつもの日課ってわけ? 一日くらいどうってことないじゃない?」
仮にも国王陛下からの勅命を受けた仕事に、その言い草は褒められたものではない。ティラータは苦笑いを浮かべる。
「確かに日課ではあるが、今日行かなければならない用ができた」
「ふうん」
首をかしげまだ何か言いたげな薬師をよそに、ティラータは靴を履いて立ち上がる。傍に置かれていた愛刀に手をかけると──。
扉をノックする者が。
「もう、今取り込み中よ、誰なの?」
面倒臭そうにジャージャービーンは鍵を開けると、そこに立っていたのは、近衛副隊長のボルドだった。