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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第三章 別れ道
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記憶 2

 国葬の行われた日の晩、オズマは恐怖におののいていた。

 彼女には、どうしても苦手な人物がいる。いや、人間でいえば苦手ではない者の方が少ないくらいだが、恐れを抱く相手は、唯一彼のみだ。

 人見知りで有名な、そして魔術師団の実質トップであるオズマは、喋りや態度こそおどおどしているものの、実際のところ人を恐れているわけではない。何しろ趣味が、拷問……もとい嗜虐である。そんな魔術師オズマが恐怖を抱くのは、彼が持つ底無し沼のように深く濃い魔力の気配。

 オズマが彼の魔力のありさまを形容するとしたら、神か悪魔。とてもこの世の人とは思えない。それを本人にそのまま伝えたら、殺されるかもしれないと本気で考えていた。

 そんな相手が、確実に近づいてくる。

 オズマは取るものとりあえず、逃げる算段をするのだが、気配はいつのまにかすぐ側まで迫っていた。


「あ、あわわ」

「どこに行くつもりだ、オズマ」


 扉を開けてるとすでにそこには、オズマの恐れる魔王がいた。


「あ、あの、なにかご用でしょう、か、リューラ王子」

「聞きたいことがある。中に入れろ」


 リューラが己の胸の位置しかない、小さな魔術師の頭越しに中を覗けば、室内にはたくさんの書物と紙、それから魔道具とおぼしき怪しげな物。天井から、干した蜥蜴かなにかが吊るされている。

 リューラは頬をひきつらせながら、恐れをなして動かないオズマを押し退け、強引に部屋に入る。


「ここは魔術師団の公的な部屋だと思ったが」


 嫌みを言いながら、足の踏み場を確保するために、リューラが積み上がった本を移動させている。まさか一国の王太子にそのようなことをさせる者は他にはいないだろう。しかしオズマは、別の意味で焦ってリューラの手を引いた。


「そ、それは大事なものなのであちらに!」


 リューラはため息まじりに、言うとおりに移動させる。そうしてなんとか、大の男一人が座る場所を確保したのだった。


「そ、それで、お話とは」


 オズマが埃を払って勧めた椅子にリューラを座らせると、自ら話を切り出した。


「およそ見当はついてるんじゃないのか?」

「こ、心当たりがいくつか、ありすぎて」


 右手で指折り数えて、さらに左手を出したところでリューラはそれを止めさせた。


「紋章のことだ、ティラータの」

「も、紋章って……まさか、見た、ですか?!」


 オズマの顔色が変わる。


「やはり、おまえも知っているのか」

「う、あ、…………はい、私がほ、施したものです」

「おまえが?」


 オズマはただでさえ日に焼けていない白い肌が、陶器のように色を失う。


「解除しろ」

「ふ、不可能なんです!」

「不可能? お前にもか?」


 ほんの少しリューラが声音を強くしただけで、オズマは身体を震わせる。

 だが視線は下を向き、ブツブツと呟きはじめた。


「そう、不可能だけど、解除じゃなければ」

「……どういうことだ?」

師範長ティラータ殿と、国、つまり魔法障壁の、どっちを取るかという、ことです」

「両方を生かすのは?」


 オズマは迫力を増したリューラに怯えながら、首を横に振る。


「詳しい話を聞かせてもらおうか」


 いよいよ観念せねばなるまいと、オズマは武者震いする。

 すべてを話し終えたとき、首が繋がっていればいいが。そう思いながら己の細い首を節ばった指でさすり、いよいよオズマは覚悟をきめた。いずれは己の命で始末をつけるつもりでいた、だからこれもまた来るべき日の序章にすぎないのだ、そう己を奮いたたせながら、話し始める。


「あ、あれは、十年前のことです。十年前、イーリアスに何があったか、ご、ご存じですか」


 オズマの問いに、端正な眉をわずかにひそめるリューラ。


「大規模な障壁のゆらぎか」

「はい、そうです」


 オズマは細い膝の上で、両手拳を握りしめる。

 自身の記憶のなかでは、当時それほど大した興味が沸く事ではなかった。いや、すべてにおいて、興味をもつということがまずなかった時代の出来事だ。


「すでに当時、わ、わたしはここにいました。師匠に拾われて五年ほどでしょうか。その日、珍しく慌てふためいた師匠に呼び出されて、何人かの魔法使いとともに向かったのが西の森で……」


 それまでにも研究目的で訪れたことがあった森の様相が、一変していたとオズマは続ける。

 緑豊かな木々はぐにゃぐにゃと枝がおかしな方向に曲がり、複雑な樹形に変化していた。それらは蔦や草だけでなく、樹齢百年を越えるような固い樫の木なども同じであり、考えられない状況だった。

 オズマたち魔法使いたちが異常を感じたのはそれだけではなかった。魔力に敏感なオズマだけでなく、随伴した他の魔法使いたちも膨れ上がった障壁の魔力を感じとり、あるものは腰を抜かし、またあるものは正気を失った。動けなくなるだけならまだいい、正気を失って恐れから逃れようと闇雲に魔法を使いはじめる者まで出てきたことにより、オズマはその処理に回らねばならなくなった。

 動けぬ者を集め、それ以外を気絶させる。それだけがオズマにできた対応ではあったが、一通り騒ぎを収めたのち、オズマは改めて障壁の調査をした。

 だが常時同じ場所で淡く光るだけの障壁が、ふいに風にゆらめくかのように動くことで、調査は難航した。そうでなくとも強く濃くたちこめる魔力のなか、オズマとて息が詰まりそうだった。それだけではない、ゆらぎのために犠牲になった動物や蛮族たちの遺体が、転がっている。暖かい季節だった、死臭はすぐに鼻をつくようになり、オズマの喉に酸いものがこみあげた。

 そうして行ける範囲すべてを見て回っても、オズマにそのゆらぎの原因など、分からなかった。ただ、魔法障壁は『ゆらぎ』現象が起きる、それも森から溢れる魔力量に関係している()()()()()()ということのみ。

 結局その調査は、無力感とともに、仲間を引きずって城に戻ることで終了した。

 ただひとつ、オズマに分かることは、魔力の源がどこにあったかということだけだった。


「魔力の源とは?」

「泉、です。ご、ご存じでしょう?」


 リューラは、ティラータにはじめて出会った泉を思い出す。


「あ、あの場所が、重要なのは、間違いないです。ですが……」

「続けろ」


 言いよどむオズマを、圧をもって促すリューラ。


「……け、結局、ゆらぎは収まり、それらの事象を探る手がかりは失われました。わ、私と師匠で長く検討、したのですが……」

「それでどうしてティラータの紋章に繋がるんだ」


 焦れたリューラにオズマは怯えつつも、雑多に積み重なった本の山から、一冊の魔法書を出してきて見せた。

『魔力循環の法則』と題された本だ。著者グリース・ベルトラント。はリューラには聞いたことがない名だった。

 頁をめくり、帝国語で書かれた書物をざっと眺める。

 よく拾える単語には、星、地脈、神の名もありどう魔法障壁と関連があるのかは、分かるようなものではなかった。だがふとリューラの手が止まる。めくられてしまった頁を戻し、見覚えのある紋章を広げる。


「これか……」


 リューラが見せつけた頁には、ティラータの胸に刻まれたのと酷似した紋章がある。


「当時、ベルトラント氏が、ここイーリアスに滞在、していました」

「目的は? イーリアス国王の招聘か?」


 オズマは慌てた風に、首を横に振った。


「彼は、じ、自説の研究のために、確認にきたと言っていました。魔法障壁の仕組みが、何のためにあるのかと……ちょうどその時に、障壁に異常が出て」

「それでその男の口車にのって、ティラータを実験にでも使ったのか」

「ち、ち、違います!」

「なにが違う? あれは確実にティラータの命を奪う枷だろうが」

「あの時は、仕方がなかた、んです……ティラータ殿が、あの女に殺されてしまうからって……はっ」


 オズマが慌てて両手で口を塞ぐが、遅かった。

 部屋全体に冷たく刃のような魔力が充満するのに、一瞬ほどの時間も要しなかったのだ。畏れから動けなくなったオズマの身体が、小刻みに揺れる。


「あ、ああ……」

「ティラータは、アシャナの治世のためと言い含められていたような口ぶりだった。だが俺の知らないことはまだありそうだ、洗いざらい話してもらおうか」


 分かった、分かったからとオズマは喘ぐが、声が出ない。するとリューラは練り高められていた己の魔力に気づき、力を抜く。

 するとオズマがへなへなと崩れ落ちる。

 そしてぽつりぽつりと話しはじめた。

 城に保護された当初から、貴族たちから目の敵にされていたティラータの立場。それから保護することを名目に連れていかれたアレス公の屋敷で、ヴィヴィアンに殺されかけたこと。ヴィヴィアンを罪に問われないために、ユモレスク大臣がティラータを排除する強硬手段に出ることが予測された。そして、あの時代にはまだ、現国王の兄ルートヴィッヒの影響が色濃かったこと。

 全てがティラータの存在にマイナスに働き、彼女を生かしておくことすら危うかったのだった。


「そ、それで、師匠はベルトラント氏の、提案を、受けたのです。ティラータ殿と、ふ、不安定になった魔法障壁を繋ぐ。彼女の命を媒体にすることで、障壁に安定を与え、そして障壁のためという名目で、彼女の立場を守……る」


 再び恐ろしい魔力の渦に、オズマは呑まれそうになった。


「そして、その施術を、おまえにさせたのか」


 リューラの低い声が、怯えるオズマの様子が、彼の怒りの度合いを表していた。

 十年前というと、ティラータは七歳、オズマでさえ十五の年だ。反吐が出るというのは、こういうことかとリューラは悪態をつきたかったが、ここにその相手はいない。

 オズマは、当時のことを断片的にしか覚えてはいなかった。ただ事実だけが頭に残ってはいるが、当時まだオズマは人形のようであったからだ。それはリューラも知っている事実。

 彼女は肉親から酷い扱いを受けており、師匠である主席魔術師ヨーゼルに保護されて十年ほど、自我が欠けたままであった。それをいいことに、彼女の強い魔法能力を利用していたのだ。


「師匠は、悪くない、です。唯一、自分を保っていられるのが、魔法を褒められるときだったので……そ、そうしないと暴走していたと、思うから。でも、私たちは同じで」


 ティラータと関わることで、自我を芽生えさせていったオズマ。

 そのきっかけを与えてくれた存在に、自分がしてしまったことの重さに、オズマは長く苛まれていた。

 だからもっと勉強しなくては、魔法を習得していけば、いつかは答えに辿り着けると信じて、ここまできてしまった。そう、リューラに告白する。


「答えは、見つかりそうか」

 

 少しだけ考えてから、オズマははっきりと頷いた。


「必ず」

「……ほう、強く出たな。最初は無理だと言っていなかったか」

「べ、別の選択肢を作れば、い、いいだけです。そ、それでリューラ王子、お、おおお願いがあります」


 決意のような光が、水色の瞳に宿っていた。

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