表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第一章 忍び寄る影
6/63

黒真珠の姫 4

 一心不乱に型の鍛錬をするアシャナ姫の周りには、いつの間にか鍛錬を装って近衛兵が囲む形になっていた。

 当のアシャナ姫はそれを知ってか知らずか、隣で剣を振り回していた新人近衛兵の若い男に、こそこそと近づく。


「ねえ、ベルナール? 近衛のお仕事はもう慣れたかしら? カナン隊長に随分しごかれてるって聞いたけど」


 話しかけられたベルナールの顔には、内心ヒヤヒヤしているのが見てとれる。

 離れたところに仁王立ちする剣術師範長を、視界の端にとらえつつ、ヒソヒソと返すベルナール。


「ご心配ありがとうございます姫様。何とかやってます。でも、どこからお聞きになったんですか、その……しごかれてるって」


 その言葉につられて、アシャナ姫も小さな声で返した。


「まあ、そこかしこから。ふふ、可愛がられているのね、ベルナールは」

「はあ、恐れ入ります」


 苦笑いを浮かべながら再びティラータの方に視線を移すと、ばっちり目が合い、ベルナールは背筋が緊張で跳ねて固まる。


「そこ、無駄口をきかない。集中しろ!」


 ティラータが叱責を飛ばす。

 それだけでなく、つかつかと歩いてくるティラータに気付き、狼狽するベルナール。


「す、すみません」


 ティラータはとりあえず謝るベルナールを、ジロリと無言で観察すると、眉間に皺を寄せた。するとベルナールは何か思い当たる節があるのか、無意識に半歩下がる。


「ベルナール」

「はい!」

「お前、ちょっと太りすぎだ」

「……へっ?」


 思い描いていた説教パターンでなかったことに相当拍子抜けしたのか、ベルナールは唖然としたままだ。


「いい、いやですね師範長。僕……いえ、私は太ってなど」

「剣の鍛錬で付けたものならいざしらず、無駄に筋肉をつけるな、身体が硬くなる。得物に剣を持ちたいのなら、尚更だ」


 ベルナールは何か身に覚えがあるのか、バツの悪そうな顔をしているので、ティラータが無言のプレッシャーで「言ってみろ」と睨む。


「実はその、砂袋で足腰の鍛錬をと思って……ダメでしたか?」


 やっぱりな、という呆れ顔で聴いていたティラータが、ベルナールの脳天に容赦なく拳骨を落とす。


「まあいい。ベルナール、アシャナ姫の相手になってやってくれ」

「え、ええぇ?!」


 突然の切り返しについてゆけず、痛む頭を押さえ呆然としていた若い近衛兵の顔が、追いついてきた理解とともに蒼白になる。


「アーシャ、丁度いい相手がいた。まず、彼とひと試合やってみてくれ」

「わかったわ。よろしくね、ベルナール?」


 固まるベルナールに、アシャナ姫がにっこりと微笑みかける。



 アシャナ姫と新人近衛兵ベルナールの試合は、本日二つ目のイベントとなった。

 新人近衛隊員のベルナールと、我らが世継ぎの姫アシャナの対戦であるので、当然ではあった。だがアシャナ姫の応援をする者がいても、ベルナールへのそれは皆無といっていい状態だ。

 その状況が面白いのか、ますます男たちは野次を飛ばす。


「では、両者かまえ……はじめ!」


 ティラータの掛け声と共に、試合が始まった。


「どうしたベルナール、腰がひけてるぞ」


 早速の野次に、どっと笑いがおきる。

 ベルナールからしてみれば、絶対に怪我など負わせられない相手である。腕が確かでなければ入れない近衛に、末席とはいえ名を連ねているベルナールではあったが、さすがに緊張で身体が強張っている。だが万が一手心を加えて、守るべき相手であるアシャナ姫に負けたりなどしたら──。たるんでいるとばかりに、今以上の先輩達からのしごきが待ちかまえているであろうことは、嫌でもわかるのだろう。

 勝たねばならない、と珍しく真面目に剣を構えていた。

 試合の合図とともにアシャナ姫は、細身の長剣を繰り出すのを、ベルナールが慎重に受け流す。ということを先程から繰り返している。

 そこへティラータが無情にも声をかける。


「アーシャ、遠慮せずに思い切ってやって大丈夫だから」


 にっこりと、しかし目は笑っていないティラータに気付き、ベルナールは青くなる。

 ティラータの声に反応して、アシャナの動きが変わった。身体の柔軟性を最大限に生かし、ベルナールを上下に翻弄するかのように攻撃してゆく。


「わ、わわ、姫」


 慌てるベルナールに、周りの男から更に野次と笑いが巻き起こる。

 レイチェルが腰に手を当てて、尊大に言った。


「相変わらずね、彼」

「本人は真面目に励んでいるつもりのようだが、方向性が常にズレている」

「ふふ、その点、アシャナ様は期待以上なのよね。素質あるわ、うん」


 レイチェルは二人の対比を、興味深いと眺めている。


「アーシャは身体が柔らかいからな、上手く受け流すこともできるし、際どいところからでも攻撃に転じられる。それに比べてアイツは……」

「硬い、わよねぇ。もう、ガチガチ」


 レイチェルが、あっはっは、と大笑いすると、姫と間合いを取っていたベルナールが二人を見ていた。

 自分が笑われていたことを、ベルナールは本能で悟ったようだ。


「アーシャと立ち会って、気付けばいいのだがな」


 ぷはっ、と再びふき出すレイチェル。


「ムリムリ。あいつの鈍さは天下一品だもの。苦労するわね、ティラータ?」


 眉を寄せて、ため息をつくティラータ。

 それでも、近衛という花形に就けるほどの実力はあるのだが……ここらで一皮むけてもいい筈なのに、と肩を落とす。

 当然の結果ではあるが、アシャナ姫の剣を奪い取るかたちで、ベルナールが勝利を収めた。二人を兵たちが取り囲み姫へは労い、新人近衛へは労わりという名の、きつい可愛がりを施している。


「やれやれ、もうしばらくは雑用係り延長だな」


 背後からの落ち着いた低い声にティラータが振り返ると、ベルナールの上司であるランカス・ボルド近衛副隊長が立っていた。


「戻って来てたのか、早かったなボルド」


 ティラータの言葉に、印象的な空色の瞳を細め微笑む。がっしりとした体躯だが、人に威圧感を与えない穏やかな表情をする男だ。

 王宮でも屈強な男達の集う近衛兵たちを、副隊長として束ねるにはいささか迫力が欠ける。その丁寧な言葉と物腰は性分なのか、感情をあらわにする時でさえ、そのスタイルは崩れたためしがない。


「隊長から申し付かりまして、あなたと打ち合わせのための、打診をしにきたんですが……師範長殿?」

「お前ににそう呼ばれると、背中がかゆくなりそうだ」

「いえ、剣術場(ここ)での立場を守るのも、同じく師範としての私の務めでもありますから」


 穏やかだが、鋼のように揺らぎない芯を見せられ、ティラータはそれ以上何も言うべきではないと悟った。


「ところで何だ、その打ち合わせの打診とは?」

「ああ、そうでした。大祭中の姫の護衛についてですが、カナン近衛隊長が今日は都合が悪くて、日を改めて細部を確認しておきたく……どうせなら他の者も、たまにはここへ鍛錬に来たいだろう、と隊長が」


 ちょっと可笑しそうに笑う、ボルド。


「……それはカナン殿のいつもの悪い冗談か? それで誰だ、運動不足の犠牲者とやらは?」


 堅苦しいことを嫌う、叩き上げの近衛隊長らしい言い回しに、ティラータはクスリと笑って同調する。ボルドの上司にあたる近衛隊長は、時折りこうして遠回しにティラータと打ち合わせを打診してくるのだ。


「あら、私も身体がなまっているから、お誘いいただけますかしら副隊長殿?」

「ええ、もちろんですよレイチェル。あとは……魔術次官と薬師殿にも」


 横から会話に参加してくるレイチェルだったが、ボルドの言葉に、ティラータと顔を見合わせて苦笑い。


「……二人とも来るかしら……アレルヤは渋々、ジャージャービーンは文句たらたらよ、きっと」

「はは、いつものごとく、ごねられたら隊長が何とかするんでしょう」


 レイチェルのあきらめたような口ぶりに、ボルドがにこやかに答えている。

 薬師まで呼び出すことを選択した、近衛隊長の重い判断に、ティラータは嘆息しながら話の先を促す。


「それで、日時は?」

「そうですね、明後日の正午あたりはどうでしょうか」

「分かった」


 ティラータが頷いたところで、兵たちの取り巻きから脱したアシャナが、ティラータの元に戻ってきた。そのまま三人の会話は終了され、


「どうかしらティラータ? 少しはマシになって?」

「ああ、ずいぶんさまになってきたなアーシャ。もう少し上達したら、ベルナールに引けを取らなくなるだろう」


 その言葉にアシャナは、大きな眼を輝かせてそうだったらいいな、と喜んだ。

 そしてアシャナはふと、ティラータの横に立つボルドに気付いた。


「……来てたのね、ボルド」


 アシャナの言葉に、近衛副隊長は握った右手を胸に置き、頭を下げて世継ぎの姫に最敬礼をする。


「姫、失礼ながら拝見させていただきました」

「ボルド、ここでは敬礼は不要よ。ところで、まだお迎えでは……ないわよね? この後ティラータが直接手ほどきをしてくれる事になっているのよ」


 心配そうに伺うアシャナ。女官長の差し金でここに来たのではないかと勘ぐっているようだ。


「いえ、私はそこの雑用係を拾いに来ただけです。ご心配には及びません」


 微笑んで答えたボルドの言葉を受け、ベルナールが姫の背後で、蛇に睨まれた蛙のごとく固まって青くなった。

 ボルドは慌てるベルナールの首根っこを、むんずと掴み、にこやかにアシャナへ挨拶をする。そして雑用係りを容赦なく引きずって行った。

 それを見て、アシャナが「まあ」と眼を丸くしていたかと思えば、ころころと鈴が転がるように笑い声を立てた。


「少しだけ、同情するわ」


 二人をを見送っていたレイチェルも、小さくこぼしたのだった。



「さあ、少し休憩したら、次は私とだアーシャ」


 そう言ったら思いのほか嬉しそうなアシャナ姫を見て、ティラータの心が温かくなる。

 久しぶりの休息に、アシャナとレイチェルの華ふたつ。

 むさ苦しい日常の男所帯を思い出し、やはり女性がいるだけで場が華やいでいいものだなと、ティラータは達観せずにはおれなかった。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ