葬送 2
長らくイーリアスという小さな国を支えてきた老剣匠の弔いは、さほど大きなものとはならなかった。
彼を擁してきたのは歴代の王と、魔法障壁を守る血統。それに反する勢力があるのを理解したうえで、応えたのもユーリス・ベグシー自身でもある。先日の一件でかなりの勢力を削いだとはいえ、ユモレスクに従ってきた貴族たちが多いなかで、彼を良く見る者は自然と減っていた。
とはいえ、剣聖という称号が世界に与える力は、権力の中枢に属するがゆえに無視することはできず。国葬という扱いに異論を唱える者はいなかった。
棺はいったん城へと運ばれ、城内にある聖堂で葬儀を行い、しばらくはそこに安置されることが決まっていた。それは諸外国からやってくる、弔問客のためでもある。
居並ぶ使者の多くが、王公貴族たちからの勅使であることを意味している。
「つまるとこと、お前たちのお披露目だな」
参列者を見守るのは、現剣聖であるティラータ・レダ、隣国の王子でありながら剣聖の地位を秘匿してきたリューラ・ド・シンシア、そしてイーリアスを訪れていたデューク・デラ・デューン。
その後ろから声がかかる。
喪服に身を包んだティラータのそばに立つのは、屈強そうな体躯の背の高い男。空を突くように逆立った白い短髪、精悍な強い琥珀の瞳が印象的なその人物が、喪服に身を包んだティラータを認めると、一転して目尻を下げた。
「相変わらず、麗しいなティラータ」
遠慮なく近づいてティラータを包容しようとするその男は、葬儀にやってきたもう一人の剣聖、アルタイルのランド・ファサードである。生まれ故郷であるラプス大公領より、大公閣下の使者としてやってきたのだった。
その大男の腕を払い、ティラータは彼を見上げる。
「場所を考えろ、ランド。それに使者として振る舞え」
「いいの、いいの。俺がこんなんなのは、大公も承知の上だ」
腕を払い除けられつつも、ティラータの手を掴み取った男は、満足そうにその甲に唇を寄せる。
「会いたかった、ティラータ」
「……おまえも、変わらないな」
諦めたように小さくため息をついたティラータだったが、聖堂に来ていたそれ以外の者たちは、遠巻きに剣聖たちの様子をうかがっている。それは剣聖という存在が、これほどまでに一同に介することは滅多にないからだ。
「ところで、あんたが『シリウス』だってな、なんで秘密にしてたんだよ」
白鷲と呼ばれるアルタイルのランド・ファサードは、ティラータのそばに立っていた、銀髪のリューラを見て顔をしかめる。それもそのはず、シンシア王国の王子であるリューラは、ラプス公国と深い親交を持つシンシアへは、頻繁に訪れているのだ。そのときに何度も、顔を会わせている二人。
「色々と不都合がある、細かいことが苦手なおまえには特に言えるものか」
「……な、おまっ……」
ランドが言葉を失う理由について、ティラータは容易に察することができた。
見た目は極上の容姿、黙っていれば他を威圧するほどの強い気配。まさに王族の象徴のごとき男から出る、口の悪さ。不遜な態度。恐らく、ラプス公国を訪れた折には、猫でもかぶっていたのだろうとティラータは推測している。
シリウスである男と、ティラータの顔を見比べるランド。
「たちの悪い男に騙されたな、私もだ」
ため息混じりにそう慰めるしかない、ティラータ。
「それより、ラプス公はご健在か?」
「ああ、もちろん。あのお方がそうそうくたばるものか。おまえに会いたがっていた、いつ公国に来られるか、約束を取り付けてこいってさ」
「……はは、そう言ってもらえるのは、光栄だな」
「ところで、やっぱサムソンは来れなかったか」
「ああ、しかたがない」
ランドはティラータと同じ日に剣聖となったという、浅からぬ縁があった。同じ日、同じここイーリアスで、ベグシーの前で。そのとき彼らを剣聖と認め、立ち会ったのがフォマルハウトのサムソン・レチュギラだ。
「サムソンなら、そうするだろうな」
そう口を挟んだのは、シリウスのリューラだった。
彼の滞在する国は、ドーラ帝国。在位の長いサムソンがいるからこそ、帝国の無茶な拡大主義を押さえてこれたというところもあるが、ただ一人に背負えるものではない。だが、最後の良心として、老剣士の役割はまだ大きいと言われている。
今の皇帝は年老いて、ほどなく譲位が近いとされている。代変わりが行われれば、今よりもサムソンの影響力は衰えることは必至。
周辺の国々は、そのあたりも警戒している。もし内々の権力争いが決着し強い皇帝が現れれば、一気に大陸は戦乱期に入るのではないかと……。
そしてそのドーラ帝国をもっとも睨み押さえつけ、力のうえで拮抗しているのはシンシアである。その先鋒ともいえるのは、王太子であるリューラ。
「こっちは大変だったみたいだな、ティラータ」
「ああ……だがラプス公の協力もあり乗り切った。感謝している、もちろんおまえにもだランド……って、おい」
感極まったランドが、その巨体をティラータに覆い被さるようにして、抱擁する。
特別な感情、というより親愛なのだろうとティラータは納得しているが、たいてい再会する度にさながら雛鳥のようにすり寄ってくるランドに、毎回ながら困惑するのだった。
ふと、雛というよりも大熊そのものなランドの肩越しに、警護の見回りにきていたボルドと、ティラータは目が合う。
驚いた様子で二人を見ていたティラータが苦笑いを見せれば、そっけなく外された。どうしたのだろうか、なにか問題でも発生して急いでいるのだろうかと首を傾げながら眺めていたティラータだったが、彼の後ろ姿からは慌てている様子は読み取れなかった。
そんな騒ぎを聞きつけたのか、祭壇近くで使者と言葉を交わしていた新剣匠のグレカザルが、剣聖たちの間に合流する。
「相変わらず、みっともないぞランド」
「おお、つい嬉しくてな」
ランドは呆れ顔のグレカザルにわざとらしくそう言い返し、ティラータをようやく解放することにしたようだ。
ほっと息をつくティラータに、ランドは悪びれもせずに微笑む。
「すまねーな、ティラータ」
「……まったくそう思ってないだろ」
「ははは、ここなら蹴りが出てこないだろうと思ってな」
「後で、きっちり返すつもりだ」
ティラータの返答に、肩をすくめるランド。そんな彼をたしなめるのは、同郷のグレカザルである。
「こんな機会でもないかぎり、顔を会わせることのない面子だな。ランドに限らず問題をおこすな、せめて師の亡骸の前ではな」
グレカザルはティラータたちをぐるりと見回し、言葉とは裏腹にひどくほっとした表情を浮かべている。
普段は世界に散らばり干渉し合うことのない同胞を、引き寄せることになった師匠の死は、悲しみにくれるばかりではない。それは新たに剣聖たちを支える重責を担うグレカザルにとって、変えがたい救いだった。
「そうだな、積もる話もある。ベグシーの弔い酒に、よい肴がきた」
「……あんたも相変わらずの毒舌で、安心したぜデューク」
一転して静かに笑い合う一同だった。
イーリアス城で催される会食は、派手なものではなかったが、各国からの使者をもてなすために埋葬の行われる日まで続くことになっている。
国王や王女アシャナはその対応に追われ、ここぞとばかりにそこかしこで、外交の駆け引きが行われているところだ。そのため、国政に深入りしない信条である剣聖たちへの対応は、ティラータに任せられていた。
もちろん、一同に介した剣聖たちに取り入ろうとする輩もいる。
剣聖が属する国となるにはハードルは高いが、繋がりをもつことはできる。そうなれば今回のイーリアスが危機を乗り切ったように、己が国も万が一のときの保証を得たいと考えているのだろう。
だが剣聖たちそれぞれにとって、あしらいは慣れたもののようで、大抵の使者は挨拶を交わせればいいところなようだった。
「警護の手が足りず、いろいろと煩わせる。すまない」
ちょうど新たに加わったランドが、南方諸国のうち小さな国の使者を、適当にあしらったところだった。
その姿を見かけたティラータが、ランドのそばまで様子をうかがいに来れば、その使者は逃げるように去っていった後である。
「んー、まあ気にすんな。慣れてるから」
「それならいいが、あまりしつこい者がいたら、すぐに言ってくれ」
「ああ、分かってる。それより、おまえも一杯やるか?」
既にどこかで飲んできたのだろう、頬をほんのり上気させたランドは、ティラータに杯を煽る仕草で誘う。
「私を誘うな、酒は飲めぬ」
「……あ、そういやそうか。まだおまえ、十六だっけ」
「十七だ。……だが、月見ならば、喜んで」
苦笑いを浮かべたティラータは、熊のような体を寄せるランドを拳で押し返しながら、ともに魔法灯のともる廊下を歩く。
静まり返った城内は、喪に服す印である黒い旗がそこかしこに飾られているせいか、いつも以上に暗く感じられた。
「みなも、飲んでいるのか?」
「ああ、好きなようにな……いい月夜だ」
ランドが足を止めて、月を見上げた。
「なあ、いつかでいいからよ、俺の村も訪ねてくれティラータ。平和で、いいとこなんだ」
「……故郷か。普段は都にいるんだろう?」
「うん? そんなことないぜ、半分くらいは帰ってる。大公が早く嫁でももらって、都に落ち着けって口うるさいがな」
「ふふ、閣下に気に入られているんだな」
「まあ、ありがたいことに、大陸一の剣聖への理解者だからな」
再び歩きはじめるランドを追うティラータ。
「それでも、村に帰る理由はなんだランド?」
「……まあ、いろいろな」
ランド・ファサードという男が、天涯孤独であることを知っているティラータには、彼が言葉を詰まらせるほんのわずかな時間、遠い故郷に心があることを悟る。
「そうか、いつか……覚えていたら訪ねるよ」
「ああ、きっとだ」
それだけ言うと、ランドは満面の笑みをティラータに向けた。そして剣聖たちの滞在する部屋に入ると、窓辺で杯を煽るデュークの元へ行ってしまう。
ラプス公国の大公の元ではなく、己の故郷へ来いとティラータを誘う。彼らしい気遣いに、ティラータは笑みをこぼす。
おそらく、彼にもティラータがイーリアスを出られぬことを、既に悟られているのだ。
「……情けない」
ティラータは、一人テラスに出て、月を見上げてそう呟く。
仲間の配慮はありがたいが、それに甘えるしか手だてがない己を恥じる。
イーリアスを害する敵が、魔法障壁の外、それもすぐ近くにいる。だが封じられている身のティラータには、一切手が出せないのだ。ただ同盟を結ぶシンシアと、それに賛同を得てくれているラプス公国に任せる他ない。
そしてその事実を、知られるわけにはいかないのだ。
歯がゆさに、ティラータは紋を刻まれた己の腕を、体を、かき抱く。
降り注ぐ月光の下、そうしてしばらくの刻をそうしていると、背後の気配にティラータは固く結んだ指をほどく。
「おまえの居場所は、ダンスホールだろう」
ふっと笑う気配ののち、ティラータのそばの手すりに、色のよい葡萄酒が入った杯が置かれた。
漆喰の柱に身をもたれかけた影から、手が伸びてくる。
「酷い冗談だ」
ティラータの腕を取り覗き込むのは、王女とともに接待に駆り出されていたはずのリューラだった。
振りほどこうとして、それを許さないリューラに、ティラータは顔をしかめてみせる。
「酔っているのか?」
「……そうかもな」
リューラは自嘲してから、ティラータの腕を離した。
そうしてから杯を煽り、ティラータと同じように月を見上げた。
「……それは、いつからだ」
リューラの唐突な問いが、紋章についてであることは、ティラータには嫌でも自覚せざるを得なかった。既に彼も、イーリアスの国難に巻き込まれているのだから。
だからといって、なぜそれを問うのか。
「今さら、それを聞いてもどうにもならないだろう?」
「いつからだと聞いている」
強い語気に、ティラータは驚いてリューラに視線を向ける。
青灰色の瞳は、逃げることを許さないと暗に告げていた。
ティラータは、眼下の聖堂へと視線を移し、嘆息する。
いつからか。
その答えは、至極簡単なものだ。
「この城に連れて来られ、アーシャと出会ってすぐ……」
ティラータは己の記憶を揺り起こす。
──あれは、そう。
アレス公の別邸で、あの女に首を絞められて意識を失った、あの日からさほど経たない頃だった──
「人の暮らしを覚えるよりも、ずっと前……ただの獣だった頃のことだ」
ティラータは、呟くように言葉を紡ぎはじめる。
遠い過去の記憶を。