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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第三章 別れ道
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葬送 1

 ティラータの知識の多くは、目の前の老人から受け取ったものだった。

 白い髪、褐色の肌、反して淡い水色の瞳が、どんなことでも見抜いているかのようで、幼い頃は彼が越えられない壁であった。だがそんな偉大な刀匠ユーリス=ベグシーも、最後の時を迎えようとしている。

 そろそろ迎えるであろう永遠の別れを、ティラータはどう向き合えばよいのか、困惑を抑えることができずにいた。


「……そんな顔をするな、ティラータ」


 寝台に寄り添うティラータに向けて、ベグシーは微笑みに掠れた声をのせた。

 質素な寝室には、今はベグシーとティラータの二人きりだ。もちろん、国王が遣わした医師やカペラのデューク、次代のアルクトゥルスである弟子のグレカザルたちは屋敷にいた。

 そんな部屋の外の気配を気にしたようにしてから、ティラータは口許を引き結ぶ。どんなにか情けない顔をしていたのか自覚があるだけに、最後くらいはと思い直したのが、ベグシーにはお見通しではあったが。


「……リューラに、紋を見られたようだな」


 ティラータは頷く。


「ベグシーからあいつに、話したのか?」

「いいや、聞かれはしたが」

「知ってあいつにはなにもできない。それなら知らない方がいい」

「……だがあの男ならば、すぐに答えにたどり着くとワシは思うがな」


 ティラータの表情が厳しくなる。


「それにな、ティラータ。ラプス公国が黙ってはおるまい、大公は剣聖の最大の理解者でもある。まだ日が浅いとはいえ、その剣聖のうち一人が、その封印の呪いを背負わされておるのを知ればな。元来剣聖の役目は、各国の思惑を越えて正義を貫くために働くことだ。この国……いや、魔法障壁を越えたら死ぬとあっては、そのつとめは果たせない」

「称号の剥奪ならば、覚悟はしている。私にとっては今、アーシャを守ることが何よりも大切だと思っている。それは私情からではない、この国の民をより多く生き残らせるためだ。そのせいで立場を利用していると外から言われるのならば、その通りなのだろう仕方がない。全てが終わってから、責任をとる。そもそも、アーシャの手によって障壁が取り払われても、私はそこで終わるかもしれないし」


 それはティラータの偽らざる本音であった。非難されても仕方がない、だが代償のために散らすなら、己の命など些細なものだとすら考えていた。

 しかしベグシーはそんなティラータの決意に、深いため息とともに首を横に振る。


「そうではない」


 ベグシーの言葉の意味が分からないティラータは、続く言葉を待つ。


「大公にとって、はかりにかけて傾くのは、必ずしも小国イーリアスの存亡ではない」

「ばかな……私一人と、国をどうやって比べられる?」


 失笑するのも仕方がないことだと、ティラータは当然のことながら思った。だがベグシーは刻まれた眉間のシワを深くしたまま、決して笑うことはなかった。


「ベグシー……悪い冗談だ」

「恐らく、早急な魔法障壁の破壊を、要求してくるはずだ。もちろん、ティラータの無事を保証させたうえで」

「そんなことっ……出来たら陛下だって苦労なされていない。それが可能なら、あのとき消滅の危機を迎えてはいなかったことくらい、お前にも分かっていることだろうベグシー!」


 己の身を礎にすることで、崩壊の危機を迎えた魔法障壁の寿命を伸ばすことができたのは、国の命を救ったと同義。その慰めがティラータにとっての矜持でもあり、これまでの原動力でもあった。それなのに、再びの危機を迎えた今……それとは違う要因から、アシャナの足を引っ張ることになりかねないなど、ティラータには耐えがたいことだった。


「おそらく近いうちに、イーリアス王あてになにがしかの書簡が届くだろう。お前の立場はアルタイルのランド・ファサードから伝わっておるだろうからな」

「……そんな」


 ティラータの反応に、老人は深いため息をついてから続けた。


「リューラを頼れ、ティラータ」

「あれは、シンシアの王太子だ、今のところ利害を共有できはするが、最終的に国を背負っている」


 ティラータのなかでシリウスの立場は微妙なままだった。実際、彼の立場はアシャナと同じ、優先させるべきものがある。それは例え剣聖という地位を持とうとも。だからこそ、極力その正体を明かさずにいたのだろうと、ティラータは読んでいる。


「だからこそだ。イーリアスが不安定なまま障壁が外されれば、シンシアは南にも気を配らねばならなくなる。ただでさえ北では常に小競り合いを繰り返している今、それは避けたいはずだ」

「そうしてイーリアスをシンシアの属国にせよと言うのではないだろうな、ベグシー?」

「それはない、今のシンシア国王ならば」

「なぜ、言いきれる」

「……ルートヴィッヒとは、親友だった」


 その名に、ティラータの表情が固まる。

 幼く、なんの後ろ楯もない彼女に、生き残るための知を与えたのはベグシー。そして秘されていた彼女の父親の名を教えたのもまたベグシーだった。


「まるで呪いだな……死してなお、この国に凶兆をもたらすあの男のために、シンシア王が何をしてくれると?」

「ティラータ、それは違う。ルートヴィッヒがかつてもたらした友好が、今この国を救う助けにもなっておる」

「いいや違わない、ユモレスクは先代王太子が廃されたために失った地位を取り戻そうと、あのような愚かな真似をした。その娘も、幻影に取りつかれて正気を失っているではないか! この私も、アレス公も……どんなにそれに苦しめられてきたか!」


 頑ななティラータに、老人はかける言葉を失う。

 しばらく押し黙っていたティラータだったが、深くため息をひとつついた後、椅子に座り直した。


「このようなことを言い合いにきたのではなかった。ベグシーの容態を、陛下がお気になされていた……すまない、無理をさせるつもりではなかったんだ」


 その言葉に、老人はすっかり小さくなった目を細める。頑ななところもあるが、気を許した相手への気遣いを忘れないティラータを、いつだって孫娘のように可愛がってきたのも、この偏屈と名高い老人なのだ。


「おまえと口論したくらいで縮む命なら、すでに果てていようが。ここのところ調子がいい、最後に旧知と別れでもしろと、どこにいるかも知れぬ神のおぼしめしかもな」

「減らず口は、最後まで減らないからそう言うんだな」

「そうだな、覚えておけおまえも最後には言われる」


 ティラータとベグシーは静かに笑い合う。


「ティラータ」

「うん」

「ワシの全てはグレカザルが引き継ぐ」

「……ああ」

「剣聖であれ、最後まで」

「善処する」


 それが、ティラータにとって祖父のようでもあり師匠でもある、剣匠ベグシーとの最後に交わした言葉となった。

 この日から三日後。

 眠るようにして、剣聖アルクトゥルスのユーリス・ベグシーはこの世を去った。



 葬儀は、イーリアスの国葬扱いとなった。

 ユーリス・ベグシーが、先代国王の時代よりイーリアスに根を下ろし、王家を支えてきたその功績を汲んでのことだった。現国王はもとより、アシャナにも多様な知識を与えてきた。

 偏屈で頑固、人嫌いと名高い老人ではあったが、多くの人々に畏れ敬られ、彼という剣聖の要が存在していたからこそイーリアスという小国が、一目おかれていたのも確かだった。

 葬儀が行われるその前日、イーリアスに集結していた剣聖たちが、老人の亡骸を前に集う。

 次代を担う、グレカザルとその弟子、それから在イーリアス剣聖として見守り人を務めるレグルスのティラータ、同じく立会人となるシリウスのリューラと、カペラのデューク。

 ティラータが亡骸の手から剣聖の証である銅板を外し、グレカザルに手渡す。

 儀式としての動作にすぎないが、ずっしりと重量のある銅板は、グレカザルの身に重くのしかかる。しばらく無言で銅板を見つめていたグレカザルだったが、顔を上げ周囲の若い剣聖たちを見回す。

「確かに受け取った。師の心、歴代の剣匠たちの意志を継ぎ、この命あるかぎり正義を貫くと誓う。リューラ、デューク、ティラータ、私が道を誤るときは、その刃で容赦なく斬れ」

 三者の剣聖が、同時に頷く。

 この日、この瞬間をもって、剣聖の要であるアルクトゥルスはレディオス・グレカザルへと移る。以降、剣を極める者たちが目指すのは、ここイーリアスではなくラプス大公国となるのである。


 儀式といえど、他の剣聖の承認を受けるというだけのもの。しかもアルクトゥルスだけは、それすらも代替わり前に決められていることである。早々に棺には蓋が閉じられ、その上にはグレカザルの若い弟子が用意させたのか、可憐な薔薇が添えられたのみ。

 それぞれが去るなか、ティラータのみがしばらくは思い出に更けるかのように、寄り添っていた。


「我儘を貫いた人生だったと、本人が言っていた。悲しまれるのは、本意ではないだろうな」


 ティラータが振り向けば、そこにいたのはシリウスのリューラだった。

 訃報を聞きつけてイーリアスに再び戻ってくるまでの二日ほど、魔法障壁の外にいたのだと、告げていた。


「悲しいのかは、よく分からない。こうして身近な者が病で衰弱し最後を看取るのは、あまり経験がない。大抵は突然死ぬか、最初からいないかだ」

「……荒んでんな」


 呆れた様子のリューラに、ティラータはいつも通りに反応することはなかった。

 大国の王太子という男が、呆れるほど荒んだ状況で育ったことに、反論はない。気づいたときには親はすでに亡く、常に命の危険を伴いながら育った。なかには良くしてくれた者がいたが、それらは大抵、いなくなるか殺されたのだ。そうでなくなったのは、ここ三年ほどだ。ティラータが強さを手に入れた頃から。


「そんなことより『外』はどういう状況だ?」

「ああ、残党はまだ見つけていない。ラプス大公の協力もあり、今はラプス、シンシア合同軍で奴等の逃げ道を封鎖している。まあ色々と準備していたようだからな、一月二月は持ちこたえるかもしれないが、いずれにせよ打って出るだろうな。聞けばじっとしていられる性質ではなさそうだな、その新しい首領とやらは」

「ジンは、顕示欲が強い。だが同時に狡猾でもありながら、どこか……」


 ティラータはふと考える。あいつの目的は、何なのかと。

 最初は兄とやらの言うことを従順に聞いていた。それはギルディザードとしての仕事、つまり帝国のイーリアス侵略のための手引きをしていたはず。だがそれも成功しないうちに、首領を陥れるのは組織を潰すにも等しい。

 ティラータには、狡猾でありながら、脆さがあるように感じられた。


「無謀すぎる……まるでどうなってもいい、自ら破滅でも望んでいるかのようだった」


 リューラはそう言うティラータをまっすぐ見下ろした。


「だがそれに付き合う義理はない。破滅したいのなら、勝手に独りでのたれ死ねばいい。そうだろう? それとも、投影しているのか、あいつに自分を」

「そんなことは、ない……次に会うときには、私が引導を渡す」

「アシャナは、覚悟をもってシンシアとラプスを巻き込んだ。後はないぞ」

「……見られているということか」

「そうだ、二国だけではない。東方諸国が『楽園』の行く末を、次の王の技量を、見守っているだろうな」


 イーリアスが二国の助けを得て、帝国の干渉を退け、再び無事国際社会へと復帰できればよし。反対に内乱を抱えたまま障壁が破壊され、それを手引きした帝国が万が一にも入り込めば、障壁を隔てて隣接するハシェスなどの東方小国たちは、夜も眠れなくなったろう。

 それを防ぐためにも、外の無法地帯を放置したまま、障壁の消滅は避けたい。まずは、一大勢力であるギルディザードを潰す。すべてはそこから。それがアシャナ王女とティラータの出した、最善の策である。


「外は引き受けるが、内なる虫は己で刈れ。そろそろあの男の傷も癒える頃だろう」

「……ああ」


 その言葉に、ティラータの表情が嫌そうに歪む。

 面倒なのは、どれほどにも罰が課せられなかった、白百合を戴く騎兵隊長の存在。隊の存在は名ばかりにすることは出来たが、フェイゼル自身の地位はさして変わらないままだ。

 それというのも、リューラが傷を負わせたせいで、隔離されていたために責任を逃れることができたからだった。


「ジャージャービーンが言うには、まだ元通りになるには相当訓練が必要ではあるらしいが……かいがいしく薬を届けてるからな、あいつ」

「めんどくせえな、殺っちまえばよかったか?」

「……いいなバカは、思ったまま口に出せて」


 嫌みすら通じないのか、肩をすくめさせるリューラに、ティラータは八つ当たりでもしたい心境だった。

 

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