顛末~ある日の女子会~
魔法障壁前での攻防を乗り越え、無事に侵入者を撃退した日から、はやくも三日が過ぎた昼下がり。
イーリアス城の中程にある薬師の部屋から続く、小さな中庭でのひとときだ。
ガラス瓶の中で、薬草茶が踊る音を聞きながら、魔術師の少女はとっておきの焼き菓子を広げた。そして薬師ジャンジャック=ビーン=ゲイブルスは、ご機嫌に客たちへと淹れたての茶を並べて座る。一つは赤毛の美人弓士レイチェルへ、そしてもう一つは菓子を並べていた、タンポポ色の髪と丸眼鏡の魔術師オズマに。丸いテーブルを囲む三人の間には一つ席が空いていたがそれについては触れず、自分のカップに口をつけた後に、話を切り出す薬師。
「ようやく、一段落といったところね……アシャナ姫は相変わらずお忙しい様子だけれど」
「仕方ないわ、今朝からまた貴族議会が召集されているし……ようやく議場に席を得たと思えば、連日のことですもの。それに事後処理だけでなく、アルクトゥルスの剣聖の容態が良くないようだし、しばらくはそちらも忙しそうよ。カペラのデューク様とべクシーの後を継ぐグレカザル殿は、べクシーの屋敷に移動されたけれどシンシアの王太子はさすがに、城にいてもらわないとね」
「正直、はりきってるわよね、姫」
薬師は笑う。
アシャナ姫の初恋が幼馴染みの君であるのは、姫の側に使える者にとっては、公然の秘密なのである。一方シンシア王子であるリューラもまた、まんざらでもない程度には、従姉妹の姫をかわいがっているように見受けられる。
「で、でもそのせいで、ボ、ボルド副隊長は警備が、たた、たいへんそうです」
「警護の対象が増えるからね。でも一応、王子は剣聖だったんだから、警護なんていらないじゃない」
一応。その言葉をつけた薬師に、レイチェルは乾いた笑いを堪えきれない様子だった。
それは魔術次官のオズマも同じようで、薬師が問いただす。
「なあに、何かあったの? 教えなさいよレイチェル」
「それがね、王子らしからぬ様子が、アシャナ姫と同じというか……まあ自由人。どうやら剣術場なんかにしょっちゅう出入りして遊んでるらしくてね、その度にティラータに叱られてるっていうか……そういう意味で、ボルドも頭が痛いみたいなのよ」
「……ふーん」
薬師は何かを考え込んでいる。だがそれもすぐ気を取り直したように、菓子を頬張りながら、空席へ目を移した。
「で、ティラータはどこよ。帰ったらここに来るように言っておいたはずだけど」
「……し、師範長殿は、ま、まだ森です」
一瞬、遠い目をしてティラータの魔力探査をしたのだろう、オズマが答える。
「もう遺体は全て回収して埋め終えたんじゃないの?」
「そうなんだけどね、ティラータらしいっていうか……あれから毎日花を手向けてるらしいの。ほんと律儀ね」
「ならず者相手に? ……ああ、うん。あの子らしいわね。ホント馬鹿」
三人はしばし黙りこみ、冷めてきた茶を飲み干す。
ティラータが命を刈ると決めれば、一切躊躇をしないことは、誰もが知るところだ。だがそれは主であるアシャナ姫を守るため。剣聖であるティラータにとって、命とは物理的な意味でいとも簡単に絶てるものである。だが、常にはそれに奢ることはない。奪った命に彼女が花を手向け、その安寧を祈るのは、なにも今回ばかりのことではないのだ。こういう時に、彼女のその有り様を、薬師たちは思い知る。
薬師は再びティーポットに湯を入れ、空いたカップに茶をそそぐ。立ち上がる新しい香りとともに、話題を変えた。
「それでね、ヒューから聞いた話なんだけど」
薬師が変えようと切り出した名前に、レイチェルは悪い予感のようなものがして、カップを持つ手を止めた。
「ほら、あいつアレス公のお屋敷へ忍び込んで、ランカスちゃんと一緒にあの子連れ帰ったじゃない。その時にね……って、レイチェル聞いてるの?」
「あ、ああ。聞いてるよジャージャービーン。続けてよ」
自分の話題でないことに、ほっと胸を撫で下ろすレイチェル。
「聞いてるならいいけど……そうそう、何かあったみたいなのよね、あの二人。あんたは聞いてるかしらレイチェル?」
「二人って……誰と誰が」
「誰って、ランカスちゃんとティラータにきまってるじゃない。カマトトぶって嫌ね、あんたはどうなの何か知ってるんじゃなぁい、アレルヤ?」
急に話を振られ、茶を咳き込むオズマ。
「え、えええ……何かって、なにがですか。あ、あの、私の連絡手段は途切れ、ましたから……どのことを言っているのか」
「あーもう、つまんない子たちね。ほら、アレス公の別邸から抜け出してきた後、ヒューがちょとそれっぽいことを吐いたの、あの副隊長もやきもち焼くことがあるんだなって」
「ヒューがそんなこと言ったの? あいつが言うなって台詞よね、呆れた」
レイチェルがそう言うのも仕方ないことだった。
そもそも幼い頃、寄宿部屋預かりで剣術場へ通い始めた頃の二人に、ヒューという男はとことんちょっかい出しつづけ、いじめ倒したのだ。執着しつづけたティラータにこてんぱんに打ちのめされ、今やその下で従順に働き、誰よりも彼らの信頼が厚いというのが、彼の現状である。つまり虐めは好きの裏返し。迷惑千晩な男がヒューだ。まさにどの口が言う、としか言いようがない。
ティラータも、今回の作戦前にレイチェルにもらしたことがあった。苦笑いを浮かべながら、『なんかジンの言動が、あいつに似てて懐かしかった』と。
「焼きもちって何したのかしらね。どうせランカスちゃんが頑張った程度じゃ、例えば包容してキスしたって、あの子には通じないかもしれないわよ」
「キ、キキキス? ……なんか、ひ、酷いですね。」
オズマにまで同情されるのかと、レイチェルはここにいない友を哀れむ。
薬師は幼い頃の二人をよく知っているせいか、ことあるごとに幼馴染みである二人の仲を、取り持とうとやきもきしている。だがレイチェルやオズマ、他の者たちからすれば、それは余計な世話でしかない気がしていた。そのような次元で、二人の関係に触れてはいけないような……ある種の危うさを感じていたからだ。
「あの二人はさ、あんたが何かしたって、どうにかなるもんじゃないと思うよジャージャービーン」
「あら、そうかしら……まあ、そうね。じゃああんたのことは、どうにかしないとね」
「な、なに?!」
にまり、と薬師がしなを作り微笑む。
しまったとレイチェルが悟ったのは、既にお膳立てが出来た後だ。薬師はあらかじめヒューから情報を得ていて、レイチェルの反応を見て楽しむつもりだったのだと悟る。
「正直に話しちゃいなさいな、どうなってるの見合い。相手はこの国の男じゃないんでしょ?」
「何をしているんですか?」
たじろぐレイチェルに助け船を出すかのように現れたのは、ランカス・ボルドだった。
「あら、ランカスちゃんじゃない。ちょうどいいわ、あんたにも聞きたいことがあったのよ」
「……え?」
どうやら用事で訪れたボルド。助け船というより、いいカモといったところが正解のようだった。だがこれ幸いに、レイチェルは友人を薬師への供物にする。
「あ、ほら、ジャージャービーンが気になってるみたいよ、あんたたちに何か親密な進展かあったんじゃないかって」
「……親密? 何ですかそれは?」
「そうよ、白状しちゃいなさいよ! ティラータを助けに入ったとき、あんたたち何かあったんじゃないの?」
「い、いえ、別になにも……離してくださいジャージャービーン」
微笑みながらくねくねと体をしなだれ、ボルドへと身を寄せる薬師。
あまりの迫力にたじろぐボルド。
しかし普段の冗談の一つも言わない朴念仁が狼狽する様子に、レイチェルとオズマが顔を見合わせる。
どうやら薬師のおせっかいも、そう的はずれでもないのかと、二人は驚いていた。
「そんなことより、詳細な報告をしろと言ってきたのは、あなたじゃありませんかジャージャービーン。ふざけるのでしたら、私は帰ります。これでも忙しい身ですので」
「やっだ、それはそれ、これはこれよ」
相変わらず掴んだ腕を離さない薬師。しかしボルドは気にすることもなく、三人を見回す。いつもは最後には締める役目をするはめのティラータがこの中にいないことに、一抹の不安を感じつつも、報告を始めた。
「今回の首謀者は、ユモレスク伯爵と議会でも認定されたようです。正式な告知は明日以降となるはずですが、伯爵は無期限謹慎、アレス公につきましては継承権剥奪とまではなりませんが、城下の屋敷への軟禁。ともに登城を禁じられました。それから騎兵隊についてですが、当面は活動を停止させるそうです。まあ、隊長であるフェイゼルの怪我も、しばらくは完治の見込みが立っておりませんので、当然でしょう。あの集団は、ユモレスク伯爵の権力と、フェイゼル隊長の手腕のみで成り立っていたと言っても過言ではありませんから」
一通り聞き終えた薬師は、ただ「そうね」とだけ答え、深く思慮の淵に沈んでしまっていた。
だがそれもまた、致し方ないことだと、ボルドを始めその場の誰もが感じていることだ。このイーリアス城での勤めが長い薬師にとって、アレス公やその妻、そしてフェイゼルなどとは古くから親交があったのだから。それこそ、先の王太子であるルートヴィッヒが、王を継ぐと誰もが疑いもしなかった、そんな時代を知っている。このような国の存亡をかけて争う未来が待っていようなどと、当時は思いもしなかったろう。
「あ、あああの、それから、近衛隊やティラータ殿についての待遇は、ど、どうでしたか?」
「そうね、少なくとも謹慎を解かれていないティラータは、責める者くらいはいたんじゃないの?」
「いえ、それが……」
あくまでも議会での採択である。これまでユモレスクを始めとする、貴族議会の者たちが、忌み嫌ってきたのはなにも、ユモレスクただ一人の根回しがあってのことばかりではない。彼らは根っからの、階級主義者である、それはまぎれもない事実。いまだティラータへの反感は、無いはずがないのだ。
その心配に対し、庇ったのはオズマの師である、ヨーゼルであった。
ボルドの説明を聞き、薬師は呆れたように言う。
「へえ、あのお爺ちゃん、やっぱりボケてなんてなかったのね」
「ユモレスクに荷担していたとなれば、責任を問われることは免れません。その隙だらけの議会を、あっという間に掌握されたようです。さすがヨーゼル師ですね」
「た、狸ですから……」
ぼそっと悪態をつくオズマだったが、咄嗟に周囲を警戒するように見渡す。実力では師を越えたと言われるオズマだったが、親代わりであるイーリアス首魔席術師師に、まだまだ頭が上がらない証拠だ。
「それで近衛隊は誉められこそすれ、罰を受ける必要はないと決着しました。師範長もまた謹慎中とはいえ非常事態をカナン隊長から知らされ、近衛隊とともに行動し貢献したということで、咎は受けませんでした。おそらく姫とリューラ王子の口添えも効いたかと」
「そう、それなら良かったわ」
「ところで師範長はまだこちらには?」
「……あ、もう街道を走らせている、ようです」
「そうですか、ここの用事が済んでからでかまいませんので、私のところまで一度顔を出して欲しいと伝えてください」
そう告げるとボルド副隊長は、茶会の席を辞した。
その姿を見送って、薬師は再びお茶の葉を入れ代えることにしたのだった。
一方、街道をブランシスで駆け抜けるティラータ。
祭りが無事に終わり、片付けも一段落した街の様子を眺めつつ、城へと帰還する。先日の森での戦闘は、さすがに人の噂にはなったものの、魔法障壁への人々の信頼はゆるぎない。まさか破られるなどと思っていない人々は、森の中を伝ってシンシア方面から人が入り込んだのではないかと、言う者まで現れるしまつ。
民衆に危機を感じろとは思わぬティラータでさえ、その危うさを不安に思っていた。
祭りで多少なりとも賑わいを取り戻した街が、いったいいつまで続くものか。それもまた大きな課題ではあった。
だが──。とティラータは気を引き締める。
まだ真の危機は去ってなどいないのだからと。
城門をくぐり馬を降りると、ちょうどそこに見知った顔をみつけるティラータ。
「どこへ行くつもりだ、リューラ」
「ああ馬を借りてベグシーの元へ……お前は森からの帰りか?」
臣下の者すらつけることなく、ひらりと騎乗するシリウスの男。
その身分を明かした後は、むしろ王子としての態度を捨て、すっかりシリウスの面を出すことにしたらしいこの男に、ティラータは何度怒鳴り付けてやろうかと思ったかしれない。
「容態の変化でもあったのか?」
「いや、そうではない。少し、個人的に聞いておきたいことがあってな……」
「そうか」
すっかり隠すことをやめた銀髪をなびかせ、馬の腹を蹴り、走り去るシリウス。
それをしばし見送り、ティラータは反対方向へ歩き出す。
これからは、彼の力が必要なのだ。魔法障壁の外へ出られぬティラータの代わりに、盗賊の巣の根城を突き止めねばならないのだから。
全てはアシャナとこの小さな国を守るため。
ティラータ・レダの見据える未来は、まだ遠く、手の届かぬ先にあった。
今話にて、二章完となります。