白月の攻防戦 6
アシャナ姫の自室を訪れ、はからずもその場で罪を暴かれることとなり、取り押さえられたユモレスク大臣。その拘束までを見守ったアシャナは、ゆっくりと椅子に沈む。既に控えていた近衛兵たちの手で、連れ出されるところだ。
諸々の緊張から解放され、大きな荷を下ろしてホッとしたのだ。
だがそんなアシャナを、まだ休ませるものかというかのように、伝令役のベルナールがアシャナの元へと飛び込んできた。
「姫、大変です。アレス公が、陛下のいる祈りの塔へと向かっています」
「なんですって?」
まさか叔父アレスが自ら動くとは思ってもいなかったアシャナ。それに監視も手配していたはずだ。
残っていた近衛兵たちも、その知らせに騒然とする。
「は、はははっ……さすが我がアレス殿下。天は我らをまだ見捨ててはおられぬようだ」
後ろ手に縛られながら連れていかれようとしていたユモレスク大臣は、肩をゆらして笑い出した。当面のユモレスクたちの狙いは、姫から王位継承を剥奪することではあったが、そもそも、邪魔なのは国王も同じ。だがあくまでもアレス公の行動は予想外だと、存外に語っているようなものだった。
アシャナは、もはや悪態をつくことでしか抵抗できないユモレスクは無視する。傍らにいたデュークへと向き合った。
「お父さまのところへ向かいます。デューク様、ご一緒願えますか」
「それはかまわないが……いいのか。祈りの間というと、この国の最も重要な秘密がそこにあるのではないのか」
「はい。ですがそれも父が守られねば意味はなくなるのです」
アシャナは凛として答える。
「では、ベルナールは私たちとともに。残りはユモレスクの移送と、近衛隊への伝達を任せます」
アシャナはそうして自室を飛び出したのだった。
王の祈りの間は、イーリアス城の最も高い塔の最上階にあった。そこに行き着くだけでも、幾重もの扉を通過せねばならない。アシャナは逸る気持ちを抑えながら、廊下を急ぐ。
叔父アレス公が、父王をどうかしようなどとは思っていなかった。いや、考えたくなかったのかもしれない。ある程度の監視を分かりやすく配しておけば、無茶をするような人ではないと。アシャナは自らの考えの甘さを痛感した。
魔法障壁が割られ、外からの驚異に晒されている今現在、どのような些細なことにさえ、対処を間違えれば取り返しがきかない。アシャナは気を引き締めるのだった。
アシャナたちは自室があった別棟から中央棟へ入る。次の式典のため多くの使用人が行き交う廊下を抜けると、謁見の間へ。そこの控え室に通じる扉を抜け、階段を上がると中層階の居住区がある。その最奥からさらに、細い螺旋階段を上がりきれば、最後の扉が待っているのだ。
「ひとつだけ確認をしたい」
急いでかけ上がる螺旋の途中、デュークがアシャナへ問う。
「そのアレス公という人物を、どう扱うつもりか」
「……それは」
アシャナは言いよどみ、一瞬だったが視線を泳がせるのを、カペラの剣聖は見逃すことはなかった。
だが、それもほんの僅かな時間。
「話をします。その結果いかんではありますが、今回の騒動について父が処断することになります。必要であれば公には謹慎をしていただくことも……いえ、おそらくそれが最も可能性としては高いでしょう」
アシャナは正面を見据えながらそう言いきる。
ティラータにとってだけでなく、アシャナ自身にとっても大切な叔父だった。幼い頃の記憶は、切ないほどにいまだ暖かく、そしてどうしようもなく愛しいことこそが、アシャナの哀しみを募らせる。
だが、アシャナはアレス公の姪というよりもまず、王女であり、国を継ぐ者なのだ。それだけは譲れないと誓ったのも、追憶の中にあること。
「ですが、万が一国王陛下を傷つけるようなことがあれば……デューク様」
「承知した」
みなまで言わずとも、デュークは了承する。
そして程なく階段を登りきり、最後の扉の前に立つ、アシャナ。扉の前で並ぶ近衛兵がアシャナを認めると、その場を譲る。隊長のカナンがいないとなれば、中で何事かが起こっていることは明らかだった。
ベルナールが扉に手をかけ、デュークはアシャナのすぐ隣に立ち、背にある双剣の柄に手をかけていた。
「お父様、アシャナです」
アシャナはベルナールに目配せする。
古く重厚な扉をベルナールが押し開けると、現れたのは円形の広間。その中央には大きな水晶が祭壇に飾られている。ちょうど入り口に立つアシャナの正面に、背を向けた赤銅色の男──アレス公が立っていた。そしてその奥、祭壇を背にして立つミヒャエル王と、守るように剣を抜いた近衛隊長カナンがいた。
突然の来訪者に振り向くアレス公は、とても穏やかな表情をしていて、アシャナは困惑する。
「やあ、早かったねアシャナ」
「……ここで、何をなさっているのかお聞かせください、アレス公」
「そうだね……少しだけ兄上と昔話を」
「アレス公!」
アシャナはたまらなくなり、叫ぶ。
「ユモレスクはどうした?」
「拘束しました……なぜ、かれらと袂を別ってくださらなかったんですか、アレス公」
ただ穏やかに問いかけるアレスに、アシャナは叔父がユモレスクと運命を共にするつもりであることを知る。いや、ユモレスクではない……
「私は、ヴィヴィを裏切れない」
「……どうして」
「そう、決めてしまってね。本当にすまない。だからせめてもの償いに、全部まとめて連れていくよ。それぐらいなら、魔力のない王族の私にもできた。兄上への詫びだ」
「……おじさま」
アシャナの頬に、一筋の涙が伝う。
微笑みながら、そんな姪を見るアレス。
「ああ、そう呼ばれるのは悪くない。だが、これで最後にしよう。なにしろ、私はここに押し入り、国王を廃してこのイーリアスを我が物とせんとする、簒奪者なのだから」
アシャナはそこでようやく、アレスの手に短刀が握られているのに気づく。
皆の目の前で、アレスは人を殺めるにはとてもじゃないが頼りないその武器を、固い床に放り投げた。カランと響く音は、彼の被る罪とは反比例してあまりにも軽く、アシャナに虚無感を与える。
総てを悟り、なにもかも背負い、破滅を選んだ叔父に、アシャナはかける言葉を見つけられなかった。
アレスが放った短刀を、剣を納めたカナン隊長が、拾い上げる。
「私の負けです、この身はどんな罰も受けます。ですがどうか、ヴィヴィだけは……」
息をのみ、アシャナはそんな叔父から視線を反らす。
アレスはそれまで厳しい表情をしたまま、黙していた国王の前に跪き、頭を垂れた。
王の後ろには虹色に光る、水晶の祭壇。
イーリアスを守る絶対の檻を守る王が、感情を圧し殺すように低い声で告げた。
「フォレス・ライ・アレスの公爵の地位を剥奪。今後一切の登城を禁ずる。監視のもとに謹慎せよ、ヴィヴィアンとともに」
少しだけ上げたアレスの頭が、再び下がる。しわがれた声を受け、深く、深く。
アシャナはアレスの震える肩を、見ていられなかった。
叔父が最後まで選んだのは、国なのか、それとも……。アシャナにその真意は分からない。
近衛隊長のカナンが、膝をついたアレスの腕を取り立ち上がらせる。そして拘束してアシャナとデュークの前を通り、祈りの間から連れ出す。
抵抗することなく顔をあげるアレスは、穏やかなまま。
もうアシャナを振り返ることはなかった。そのまま広間の外で固唾を飲み、見守っていた近衛兵たちに囲まれ、螺旋を降りていくのだった。
アシャナは、黙って見守る父王の元へ。年を重ね痩せ細った手を取り、あまりにも固く握りしめていたがために、白くなった節をそっとさする。
「すまぬ、アシャナ」
「なにをおっしゃいますか、お父さまの悲しみに比べれば……」
「おまえたちには、苦労をかける。父がふがいないばかりに。そなたデューク殿にも、娘たちと臣下の助けになってくれたこと、礼を言う」
それを受けても、デュークは頷くのみ。
ふいに、国王とアシャナが同時に変調に気づく。
顔を上げ、キョロキョロと見回すアシャナ。だが国王は背後の水晶を振り返る。
「お父さま、今のは」
「障壁が、戻ったな。どうやらティラータは務めを果たしたようだ」
アシャナが小窓に近づき、控えの間の天井から延びる、障壁の魔法をたぐって西の森を見る。距離がありすぎて異変は目には見えない。だが、ティラータたちが命をかけて戦っているのを知るアシャナは、じっとしてはいられない。
多くの命が失われたことだろう。その中に、己が命じたゆえに散らせた命もあるかもしれない。アシャナにとっては重すぎる試練だ。受け止めると決めたこととはいえ、皆の無事を見るまでは、胃にかかる鉛のような重みは消えはしないだろう。
「お父さま、私は強くなれるでしょうか」
「アシャナ……」
障壁が守られれば、当面は鼠が入ることはない。
だがアシャナにとって、これからが本当の始まりだった。いずれ訪れる障壁の消滅に耐えられるだけの、国作りをせねばならない。それはアシャナにしかできない戦い。
今日、ここからなのだと改めてアシャナは決意を固くするのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
血と、土が混じりあい、酷い有り様の森で、ティラータは空をあおぐ。
虹色の魔法障壁は、その圧倒的なまでの存在感をもって、イーリアスを包みこむ。……日常が帰ってきたのだ、空しいまでの、閉塞感とともに。だが、今はそれがなにより守られねばならないこの国の現状。
ティラータは血に濡れた愛剣を、かろうじて汚れの少ないマントの端で拭き取ると、ようやく鞘へ戻す。
死体の山をよけ、おのおの座り込む近衛兵たちの様子を見て回る。
疲労と怪我、それから極度の緊張から解放された近衛兵たちをねぎらい、ティラータは合流したボルドから詳細について報告を受けた。奇跡的に命を失ったものはいなかったことに、胸をなでおろす。だが、かなりの重症を負った者も多い。早く帰還せねばと段取りをして、合流したヒューに伝令役を託した。
そうしてからようやくティラータはボルドとともに、シリウスと毛繕いするヴラドの元へ足を向ける。ボルドたちの報告から、シリウスが遣わしてくれたヴラドの助けが大きかったことを知ったのだ。それだけではない、ティラータの横でジンに対峙する彼女を守り、いったい幾人の剣を阻んでいたか、気づかぬはずはない。
「怪我はないか、シリウス」
「ああ、こっちは何ともない。そっちはどうだ?」
ティラータの後ろに視線を向けたシリウス。
「重傷者は出たが、一人も失うことはなかった。礼を言う、シリウス」
「……言ったはずだ。こちらもそれなりに利益があるから協力すると」
相変わらずそっけない素振りに、ティラータは初めて譲歩してやったというのに、肩透かしをくらったような気がしてボルドを振り返る。だがそのボルドもまた、苦笑いで聞いているだけだ。
そんな主とは反対に、黒い狼がのそりとティラータの足元に歩みより、その大きな頭をよせてくる。活躍したヴラドの顔を手で包み、ティラータは日向の臭いのする頭に、頬擦りする。
「おまえも、よく助けてくれた。ありがとうヴラド」
「だから、それはオスだと……」
呆れたようなシリウスだったが、ふと何かに気を取られたように空を見上げた。
「……来たな、待っていた」
シリウスが片手を上げると、その指先にどこから飛んできたのか、突然現れたかのように青く小さな鳥が停まった。
そしてその足についた手紙を外し、鳥を再び空に放つ。だがティラータが目で追っていると、鳥は突如として光になって消えてしまったのだ。跡形もなく。
「今のは……魔法か」
「ああ、魔法で作ったものだ。国境を越えて、向こう側にいる部下からの伝達だ」
手紙を広げて目を通したシリウスが、ニヤリと嗤う。
「障壁の向こう側を、シンシア軍が押さえた。事実上、ギルディザードは壊滅に近い。これで当面の懸案は減るな、レグルス」
「……シンシア軍」
大岩を背にしていたシリウスが、ゆっくりティラータへ近づく。
まっすぐティラータを見据えながら、左手を軽く目の前で振ると、ゆっくりとその風になびく長髪の色が抜けていく。淡い茶色から、光を集めたかのような銀へ……。
ティラータは目を見開き、だがすぐにその意味を飲み込む。いや、飲み込もうとした。
「おまえは、誰だ」
奇しくも、問うたその言葉は、最初の出会いと同じだった。違うのは、ブルーグレイの瞳はどこまでも澄み、人を小馬鹿にしたような笑みから、上に立つ者の凛としたものへ。そして右手をティラータへと差し出した。
「俺の名は、リューラ・ド・シンシア。同胞だ」
命をかけた戦場をともにした男を見つめたまま、ティラータは動こうとしなかった。
だがシリウス……いやリューラは、そのままティラータの反応を待つ。
「レグルス……、あの、時間がなくて説明しませんでしたが、あなたが囚われている間に……レグルス?」
やはりシリウスの正体を知らないまま、なし崩しに共闘してしまったティラータが、ショックを受けたのだと察したボルド。ティラータへと助け舟を出そうとしたのだが。
ティラータはリューラの手を取るどころか、手にしていた剣を放り投げ、拳を握り襲いかかったのだった。
「そう、来るかよやっぱり!」
予想していたのか、リューラは笑いながらもティラータからの拳をかわす。だが引いたところで、次に蹴りが襲う。
「な、なにやってるんですか、レグルス!」
「うるさい! この馬鹿に、一発入れないと気がすまん!」
止めるボルドにそう叫びながら、ティラータはリューラと組手を始めてしまう。
反対にリューラはというと、驚いた様子ではあるが楽しそうに応戦しているのを見て、ボルドはあきれるばかりだ。みな疲れはて、立つのもやっとだ。剣聖とはいえ最前線で戦ったはずの二人も、同じく疲れ果てているはずなのにと。
ボルドはため息をおとす。
「楽しそうだから放っておきましょ、ティラータが脳筋なの知ってるじゃない」
「……レイチェルまで」
騒ぎを聞き付けてやってきたレイチェルが、声をあげて笑う。
「最初から、からかってたんだな! だから嫌だったんだおまえなんか!」
シリウスがただ者ではないことは薄々察してはいたティラータだったが、シンシアの者だということは考えのうちから無意識に除外していたのだった。それは関わってはならないという思いもあったのだ。
それなのに、当人が飄々として現れてしまっては、どうしようもないではないか。そんなことはシリウスにとってはどうでもいいことなのかもしれないが、だからこそティラータは腹が立ったのだ。
それでも、認めねばならない。そうティラータは決めた。決めてはいるが、虫が収まらないとはこのこと。
そうして渾身の一撃を落とした。
ティラータの気力が僅かに勝っていたのか、はたまたリューラが引いたのかは当人にしか分からないことだったが。最終的には追い詰められたリューラはティラータからの拳を受け流し損ね、脳天に一撃をくらって終わったのだった。
不満を言いながら頭をさするリューラに、ティラータが近づく。
「……ティラータ・レダだ」
「ああ、よく知っている」
今度こそ差し出されたティラータの手に、二回りは大きな手が、しっかりと重なった。