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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
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白月の攻防戦 4

「ティラータの行動については、陛下から許しを得ています」


 アシャナはユモレスクの前に、一枚の書状を差し出す。

 そこにはイーリアス国王の署名と印が押されてあった。西の森有事につき、その対処のため近衛兵の出動とその兵の指揮官として、ティラータを任命するものだった。西の森は国王直轄地。そこに対してはどのような権限をもってしても、国王以外には覆すことはできないのだ。

 ユモレスクはその書状を見て、眉をひそめる。


「これはどういう事ですかな、王女殿下。西の森の有事とは……しかも近衛兵まで。いや、そもそもあの者(ティラータ)は確かに西の森へ行っているのですか」

「貴殿のおっしゃりたい事こそ、分かりかねます。ティラータがなぜ西の森に行っているかどうか疑うのですか?」

「…………いや、そういう訳では」


 明らかに失言したことを悟り、言葉を濁すユモレスクだったが、アシャナそれだけでこの件については十分であった。ティラータの足止めされるに至った理由を問われれば、アシャナ側としてもその理由は言えない。だがそれ以上に、ユモレスクがティラータの不在を知っているのは、彼の立場を決定的に不味くさせるはずだ。


「しかし、西の森の有事とは? 我々は何も聞き及んでおりません。この祭りの最中、万が一のことがあってはなりません、ぜひとも我らの騎兵隊を向かわせては」

「不要です」


 きっぱりと言い切ったアシャナ姫だった。


「ですが……」

「あなたには、私からも話があると言ったはずです。そこにお座りなさい」


 浮足立ち、いつの間にか許しもなく立ち上がったユモレスクに言い放つアシャナ。

 黒耀の瞳に見据えられ、孫にも近い年の小娘と侮ったはずが、いつしか反対に気を呑まれたのはユモレスクの方だった。王女の居室の一画には、執務室のごとく重厚な机が置かれていた。その見た目は可憐などという言葉からはほど遠い。アシャナはソファーからその執務机に移動すると、白く細いその腕をのせ、積み上げられた書類の束を見下ろす。


「話は簡潔にいたしましょう。私の調べでは貴殿の領地で得た利益を、こともあろうに障壁の向こうに流してますわね」

「……は、何のことでしょうか、アシャナ王女」

「貴殿が何をしているのか、私は把握していると言っているのです」


 アシャナは薄く笑みをうかべたまましらを切るユモレスクに、毅然とした態度を崩すことはなかった。そしてユモレスクの足元に、数枚の書類をばらまいたのだった。

 それは沢山の数字、そして多くの項目にわたる不正帳簿の証拠の数々だった。


「……これは」

「ある者の進言で、秘密裏に調べさせました。全て貴殿と貴殿に与する議員たちに関する不正帳簿です。ああ、もちろん陛下の許可をいただいてましてよ」


 ユモレスクは苦い表情で、椅子に座ったまま足元に散乱した数字に目を走らせる。僅かにだが、額に滲む汗を見つけ、強かな貴族たちの間を長年泳ぎきってきた老人の出方を、アシャナは注視する。

 ユモレスクは暫くそうしていた後、静かに笑いながら言った。


「で、この私をこれらの数字でどうするのですかな、いや、どうにも出来ようがないことはご存知のはずでしょう」

「……そうね。じゃあこちらはどうかしら」


 そして王女は一枚の羊皮紙を取り出して、散りばめた書類とは違い、丁寧に開いて掲げて見せる。


「貴殿が私を侮っている間に準備を進めるのは、容易いことでした。ここにあるサインが誰のものか分かりますか」

「……レイモンド・サルサ・シンシア……シンシア国王!」

「他にもありましてよ」


 連なる署名を目にして、ユモレスクがわななく。


「ラプスブルグ・ラプス……ラプス大公? それから、ファサード、誰ですかこれは」

「ラプス公お抱えの七剣聖が一人です。大公閣下は大陸いちの剣聖擁護者です、ご存じですわね」


 ユモレスクが何か口を挟む隙を与えることなく、アシャナはたたみかける。


「今イーリアスがならず者に蹂躙されることを望まぬのは、私たち王族のみではないということです。有事の際は、盟友であるシンシアのみならず、ラプス大公国も協力を惜しまないと確約をいただいてます。それはお父様にだけではなく、次代を受け継ぐ私との約束でもあるのです。それがどういう事か、理解できぬ貴殿ではないでしょう」

「…………いつの間に」

「だから、貴殿が言うところの小娘(ティラータ)の尻を追いかけて回っている間に」


 ぐっとユモレスクが息を呑む。だがそれで怯むほど、貴族の中で権力を誇示し続けてきた年月は、決して短くはない。


「ですが、それと私とどう関係があるとおっしゃられるのか」

「敵の敵は味方ということですわ。貴殿が流した金が、ならず者どもに力を与える。それを後ろで手を引く者がいるのですよ。その後ろが問題なのです」


 アシャナの表情から笑みが消える。


「ドーラ帝国」


 ユモレスクは王女の眼差しから逃げるように視線を反らし、背後に控えたまま一言も発しない金の青年を見る。そこにもあるのは冷たい眼差しのみ。

 ことあるごとに家臣を煩わせ、我を通すわがままな姫。それがアシャナへの評価でしかなかった。


「かの帝国は、さぞ野心家に儚くも甘い夢を見せるようですね。王政を廃しその時実力を持つ者が、全ての実権を握る。まあ聞こえは良いでしょう。しかしあの侵略主義は、いただけないと思いませんか、ユモレスク」

「……は」

「今、このイーリアスがドーラの侵攻から逃れられているのは、何故だと考えているのですか。あの巨大な帝国を、東はシンシアが、そして南はラプスと巨大なフェルナンディー山脈が、残る西はフィンディアが盾となっているおかげでしょう。我らイーリアスだけではなく、南方諸国は皆、その恩恵を預かるためにラプス等と同盟を結んでいるのです。そのなかで、我が国土をドーラに明け渡したとしたら……世界はあっという間に混乱に陥るでしょう」

「ばかな、そんな事が、大袈裟に危機を煽って、貴女に従う愚かな者がいると思っていると?」

「そうかしら?」


 ユモレスクは大袈裟に腕を広げておどけて見せた。そして彼は得意の論説を披露する。


「それなら帝国と同盟を結べば良いのです。いずれ消えて無くなる魔法障壁の代わりに! 侵攻を狙っているのがドーラだけとは限りますまい。いやむしろ、シンシアは我らを属国扱いなのでは? ならば、周辺国への牽制として、選ぶべき伴侶はどこなのか。各国が恐れるドーラとの同盟を我が国が結べば、それこそ一目を置かれるとはお思いになられないのですかな」

「……では貴殿には、ドーラと交渉し我が国に有利となる同盟を結ばせるだけの力があると?」

「勿論、宛もなく虚言は吐きませぬ。どなたかとは違い」


 アシャナは一つ間をおいて問う。


「代償に差し出すのは、陛下の……いえ、王政そのものですか」

「姫には申し訳ないと思いますが、そもそも『王』とは力のある者が就くべき地位。ミヒャエル様の血にそれが移ったことが、そもそもの間違いなのですよ」

第一王太子ルートヴィッヒはもういないのです」

「だからこそ、この国の王政は失くすべきなのです。我が殿下の思想は未だ息づいているのですよ、姫。そのための布石、そのための犠牲」

「それで障壁をこじ開けようと?」

「新しい時代のためには多少の血は流れる、どうせなら早い方が傷は浅いというもの……」

「国土と民の命をなんとする!」


 アシャナは鋭い声とその表情には怒りが含まれていた。それは、遠く西の森で戦うティラータの思いとも重なる。


「近衛兵! ユモレスク伯爵を国家反逆罪で拘束せよ」


 その声とともに、控えの間で待機していた近衛兵がアシャナの私室へ押し寄せた。そして驚く老伯爵を問答無用で拘束し、その埃ひとつない衣装をまとった膝を折り、床へ跪かせたのだった。


「いったい、何を! こんな事をして議会が黙っていると思うのか」

「貴殿の資産が外のならず者に流れていても、それを取り締まる法がない。ならばその本質を問うたのです。その資金を与えることにより、ならず者を魔法障壁から引き入れ、その裏でドーラ帝国と手を組み国家転覆をはかった。その証拠として今までの貴殿の言葉は記録されています」


 アシャナは続ける。


「議員の三分の二は既に掌握できるでしょう。次の議題は、領地経営における利益の収支報告の申告義務化。それから資産の隠匿を罰する法律の制定。早めに捕まったのは……良かったではないかしら? 残念なことに制定前の罪は問えないと、そうね、三年前にあなたが決めたのでしたわね」


 ユモレスクは愕然とその言葉を聞いていたが、わなわなと首を振り否定する。


「ばかな、どうやって議会を? 三分の二だと?」

「……教えると思っているの?」

「ばかな……そんなこと、いや」


 青い顔をしてブツブツと呟くユモレスク。だがそれでも諦めの悪さで食い下がる。


「記録などいくらでも改ざん出来る、覚えておれよ小娘が」

「口を慎め」


 近衛兵が老人の拘束を更に強くする。すると他愛もなく悲鳴をもらすユモレスクに、アシャナは眉をひそめて告げる。


「魔法具で記録したのです、不正防止にちょうど良いものを、オズマに開発させたのです。さあ、連れて行って」


 近衛兵がアシャナの指示に従い、ユモレスク伯爵の両脇をを抱えるようにして引きずって行く。だがそれでも醜くあがく老伯爵だった。


「正当なる王位は、現王にあらず! ましてやお前になど引き継がせてなるものか、覚えておれよ。せいぜいその地位にしがみつき、あの蛮族もろとも破滅するがいい」


 悪態の限りをつくしながら連れ去られるユモレスクに、アシャナは苦笑いを浮かべて窓辺に立つ。未だ揺れ乱れる魔法障壁を目にその細い身を両腕で抱える。

 ユモレスクの言葉の通り、ふって湧いた王位継承だったのだろう。ティラータの父であるルートヴィッヒが病に倒れたのが、全ての始まりだったのかもしれない。優秀すぎた王太子を失い、ただでさえ傾きはじめたこの小さな国は、指針を失った。それを懸命に立て直そうと奮闘する父を、アシャナは常に傍で見続けてきたのだ。位を継ぐ者として。 

 だがいつだって亡霊(ルートヴィッヒ)の存在は大きすぎたのだ。


「……亡霊は、私が消す。赦してください、伯父様」


 アシャナの小さな呟きは、静かになったその部屋にそっと落ちて消えた。

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