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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
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白月の攻防戦 1

 ティラータを初めとする総勢十九名の武装した集団は、祭りで賑わう王都に背を向け、砂塵を巻き上げ疾走する。

 城下のどの民家の間口にも、女神に捧げる色とりどりの花が飾られていた。春の風に揺られ舞い散る花弁はそれだけで街を華やかに見せる。明るい音楽がそこかしこで奏でられ、それを引き立てるかのような人々の笑い声。

 その中を鈍色(にびいろ)の武具を身にまとった男たちの姿は、一人二人であったとしても人目を引いていたことは間違いないだろう。

 だが、祭りに浮き立つ人々の心にまでは、長くとどまることはなかったようで、ティラータたちは無事城下街を脱することに成功する。

 人目につくことを(はばか)るよう、数頭ずつ(うまや)に預けていたため、市街を抜けたあたりでようやく全員が揃った。

 ティラータはここでようやく、愛馬ブランシスの首を撫でて労わる。毎日の世話ですらティラータ以外の者の手を嫌う気難しい牝馬は、満足そうに鼻を鳴らし、その見事な俊足を発揮して応える。そしてあっという間に抜き出たティラータを先頭に、一路西を目指す。


 魔法障壁を護る西の森までには、小さな村が点在している。狭い街道とはいえ、王都に続くその道を中心に生活が成り立っているような村ばかりだ。ファラの大祭中はこういった小さな村でも花を飾り、女神へ供物を捧げ、露店が道に並ぶ。小さな神殿では舞いを奉納し、盃を傾けて一時の愉しみを味わっていることだろう。春の収穫に感謝し、恋人たちは愛をささやき、子供たちはふるまわれる甘い菓子と旅の曲芸師に目を輝かせる。

 小さなその村にも、陽気な音楽と人々の笑い声が満ちていた。

 だが、ふいに誰かから発せられた声で、一気に静まり返る。

 間をおかず次に聞こえた声は、緊張を帯びたものだった。


「衛兵が来るぞ!」


 村人たちが一斉に王都の方角を振り向く。

 街道の向こうには、砂塵を巻き上げながら迫り来る一団。

 人々はざわめきながら、急いで街道から逃げ出す。そしてただ見守るしかなかった。祭の空気を引き裂きながら、武装した集団が駆け抜けてゆくのを。

 村人たちは、数日前に繰り返された負傷した騎兵隊員たちを思い出したのだろう。不吉な予感に顔をしかめて見守るしかなかった。



 神殿から響く短い鐘の音に、ティラータは小さく霞むイーリアス城を振り返る。

 昼でも薄暗い森の入り口を前に、正午前の最後の鐘を聞く。太陽はいまだ東に傾き、その先に白い月が浮かぶ。


「予定通りの時刻ですね」


 ティラータの隣にボルドが馬をつけた。

 森の奥の気配に耳をすますティラータの様子から、ボルドは異変に気付く。


「……レグルス」

「分かっている」


 森に到着してすぐから、一行は獣の気配に取り囲まれている。


「狼たちだ……迎えか」


 ティラータが気づくのと同時に馬たちが急に落ち着きを失くす。足踏みを繰り返し、鼻息を荒くして耳を緊張させている。

 馬たちの嫌がる方、木々の間の闇に、二つの金の瞳が光っている。

 ティラータがじっと見つめる。それがあの黒い狼のものだと分かるのだが、なぜか違和感を覚えたからだ。

 すると、闇の中からくぐもった声が聞こえてきた。


「主が待っている、ついて来い」


 低い男の声がそう言い終わると同時に、金の瞳がまぶたを伏せる。だが、次に開けたときには感情の読めないものに変化していた。

 ────人狼。

 分かっていたつもりのティラータも、驚きを隠せない。姿は見せないが、彼は確かに人から狼へと変化してみせたのだろう。

 葉擦れの音を立てて、狼は気の幹の上へ移動していた。

 ティラータが見上げると、そこには見知った姿の黒い大きな狼の姿。ティラータにつられるように、ボルドたち近衛兵も仰ぎ見る。

 右側の頬に傷のある、黒い狼が金の瞳で見下ろしていた。


「ヴラド」


 ティラータの声に反応し、羽でも生えているかのような軽やかさで、黒い狼が降り立つ。


「行こうか」


 ティラータはボルドを促し、近衛兵たちを引き連れ森へと踏み出した。

 シリウスの分身でもあるヴラドは、時折振り返りながら、付かず離れずティラータたちの先を行く。

 森の木々は先へ行くほどに、深く生い茂っている。ティラータが毎日通って踏みならした道から一歩でも逸れると、馬では到底先へは進むことはできまいと、ボルドたちは手綱を握る手に力がこもるのだった。


◇ ◇ ◇ ◇


 人々が埋め尽くす礼拝堂を見下ろせるように、せり出すバルコニーに立ち、アシャナは国王夫妻と共に民衆に手を振っていた。

 女神ファラを祀る祭壇を囲むように、舞台が設けられている。そこで楽師の演奏に合わせて、奉納の舞が行われたところだった。

 父王ミヒャエルが臣下を労い、それに倣って王妃とアシャナ姫がにこやかに微笑む。

 舞台のすぐ傍は貴族たちの席があり、それを警護の騎兵隊が囲む。その外側に、特別に入場が許可された一般市民がひしめき合う。彼らは一目、国王一家を目にしようと上段のバルコニーを仰いで手を振る。

 騎兵隊とは別に、一般市民が押し合わぬよう衛兵が入ってはいるのだが、いつ混乱が起きてもおかしくない状況だった。

 この大祭の良き日に事故が起こらぬよう、カナンを初めとする近衛兵たちは、念入りに警備計画を立ててきた。だが、それでもそろそろ頃合いかと、カナンはそっと王に合図を送る。

 国王はそれを受けて、王妃を伴い場を辞する。アシャナもまた、民のいつにない晴れやかな面立ちに後ろ髪をひかれつつ、その後に続く。


「姫、この後私は陛下の正午のお勤めに、お供いたします。姫はこのまま近衛兵とともにお戻り下さい。そこでデューク殿がお待ちしている手筈となっております。それと……」


 当初と変わりない予定を告げるカナンの様子が、少々いつもと違うことに気づくアシャナ。手にしていた扇を侍女に渡しながら、先を促す。


「ユモレスク伯が、姫に面会を希望しておいでです」


 アシャナの手が止まる。


「……そう、分かりました」

「姫、決しておー人にならないで下さい」


 アシャナは頷く。予想していなかった訳ではない。


「こちらは大丈夫です、カナン。あなたは早くお父様の元へ。何かあればベルナールを使いに」


 アシャナの指示通り、近衛隊長カナンは国王の元、城の最上階へ向かった。

  鐘が鳴り響く。

 城下の神殿全てが、午前最後の鐘を鳴らしている。あと一時間で正午となる。

 ──大丈夫。きっと、全て上手くいくから。ティラータ。

 アシャナは西の空へ思いを馳せる。大切な友とその部下である兵たちを信じ、せめて心だけでも共にあるようにと、女神に祈らずにはおれなかった。


◇ ◇ ◇ ◇


 ティラータと近衛兵たちは、シリウスの遣わした狼の先導で、森の泉まで馬を乗りつけていた。

 この泉まで来るのは皆初めてなせいか、その美しさに緊張を忘れ、しばし見とれる者が多かった。

 ティラータは水辺に人影を見て、声をかける。


「シリウス」


 その声が合図であったかのように、案内役をしていたヴラドが彼の足元に降り立つ。

 茶色い長髪を揺らし、振り向いた男にティラータは近づく。

 シリウスは愛用の長剣を挿し、それだけでなく、皮でできた長い鞭を下げていた。そんなものを使う気かと、ティラータは驚きはするものの、彼が意外と器用であったことを思い出す。両利きの彼ならば、使いこなす機会もあるのだろうと、勝手に納得する。


「シリウス、今回は協力に感謝す──」

「謝辞はいらん、こちらにも利害がある。そんなことより」


 ティラータは言葉を遮られ、少々むっとしながらも、シリウスに先を促す。


「どこまで殺っていい?」

「っおまえ」


 言葉を詰まらせるティラータを、シリウスは愉快そうに見ている。

 ティラータは言いたいことをぐっと飲み込み、ひとつため息をつく。さほど気にしてはいなかったが、こうしてみると肩に力が入っていたのが分かった。

 相変わらずふざけた口調の男が、そんなつもりでからかって見せた訳ではないだろうが。ティラータは目の前の男を、いつの間にか信頼していることに気づく。何を言っていても、この男はティラータの意に沿わないことはしていない。だからこそ、この場にいることを許しているのだから。


「任せる」


 ティラータの返答が意外だったような顔のシリウス。


「一人残らず逃がさなければ、どちらでも構わん。だが、頭はこちらでやる。お前は手出しするな。それだけだ」


 ティラータが見上げた先で、シリウスが強かに笑う。


「了解した」

「準備はいいか、レイチェル?」


 ティラータは長弓を肩にかけたレイチェルを振り返る。


「いつでも」


 赤い髪を束ねているせいか、耳元のガラスのピアスが泉の光を映して揺れていた。

 ティラータはレイチェルの護衛役として、ヒューをつけることにした。


「えー、俺も暴れられると思ったんすけど?」


 不服そうな男。


「レイチェルの役目が終われば戻れ。あくまでも引き入れてから叩く。お前の手も数に入っているから心配するな」


 ティラータの言葉に「ならいーっすよ」と納得したようだ。レイチェルを伴って、すぐに森の中へ消えた。

 その間にも、当初の予定通りにボルドが近衛を三つに分けて、それぞれ当たりをつけていた地点に出発させる。その内最も可能性の高い地点にティラータとシリウス。次に考えられる場所にボルドが、残りの地点は場所が手狭なことから、数人の近衛兵があたる。


 ティラータの目の前には、木々が途切れ日が差し込む草原。樹海の中に現れた浮島のような空間だ。恐らく、魔法障壁のゆらぎが多いせいなのだろう。日々ぶれる障壁の影響で、木々が根付かない。

 近衛兵たちは、障壁から十分に離れた位置に身をひそめて、正午を待つ。


『あ、あの、レイチェルも、準備できましたティラータ殿』


 ティラータのピアスに、オズマの声が届く。

 真上から落ちる木漏れ日を仰ぎ、ティラータは側の太い幹に足をかけ、素早く登りはじめた。

 枝の向こうに、澄んだ青空と虹色に光る障壁が目に入る。振り返るとひときわ高い樹の上に、レイチェルらしき影を確認する。

 その時、正午の鐘が鳴る。

 樹上からのぞむ王都は、イーリアス城が白い満月を背負っているかのように見えた。

 木々の葉に乱反射する、虹色の光。


「…………きたか」


 空を覆う魔法障壁が、大きくゆらいで光る。

 ぽっかりと開かれた森の大地と障壁が接する一点が、激しく点滅していた。すると次の瞬間、その一点が膨れ上がる。まるでシャボンを作るように、丸い玉が大きくなって、弾けた。

 ティラータは、未だ鳴り響く鐘の音を聞きながら、大地に降り立つ。

 そして弾けても消えることのない穴を凝視しながら、剣に手を添えて身構えた。

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