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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
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結集 3

 アレス公の屋敷を無事に抜け出し、地下道を出たところでティラータは一息つく。

 相変わらず焼け焦げた家屋の跡は立ち入り禁止として、近衛隊の監視下にある。焼けて崩れた壁の一角に腰を下ろし、ティラータは近衛兵たちがボルドの指示で動き出すのを、ただ眺めていた。


「さすがに、お疲れっすか?」

「少々。だが、問題ない」


 飄々として傍に立つ男の呑気な言葉に、ティラータは短く答えた。

 もう用はないとばかりにアレス公の屋敷を脱出してきたのは、ティラータとボルド、そして屋敷に潜入していたこの男の三人。シリウスは別ルートで帰ると、塔で別れたきりだった。

 森にいようとアレス公の屋敷に忍び込んでいようと、変わらぬ態度のシリウスに呆れつつも、ティラータは詮索することを止めた。この後の森での戦いに備え、湧き上がる疑念を押さえたかったというのが理由だ。そして恐らく、考えてもろくな答えしか導けない予感があったせいもある。


 そうこうしているうちに馬の用意が整い、三人は再び移動を始める。向かったのは街はずれにある、一軒の古い酒場兼宿屋の二階。ひなびた宿という表現がぴったりな外観で、地元の飲んだくれ以外に客はいるのかと心配になる安普請な造りだ。

 ティラータが初めて訪れたそこは、近衛兵たちが秘密裏に使う集合場所だ。カナン隊長がまだ隊長でなかった時代から、時おり使われているらしいというのは、ボルドの談。

 そんな手狭な宿屋の一室でティラータを待ち構えていたのは薬師と、弓士のレイチェルだった。

 とりあえず用意されていた湯で体を清め、着替えを済ませたティラータを待っていたのは、薬師のお小言だった。


「このあたしに心配かけるなんて、十年早いわよ」


 もじゃもじゃ頭から覗く太い眉を寄せて、薬師ジャージャービーンはため息まじりで、ティラータの傷に薬を塗っている。

 ぶっきらぼうな言葉の割に、その丁寧な手つきから、労りを感じるティラータ。

 薬師はぶつぶつと呟くように、傷が多いだの、無茶をするのだのと続ける。だが心底ほっとしたような、だけど笑顔を見せまいとしかめたような顔だった。

 薬師にそんな複雑な表情をさせたのは、ずいぶんと久しぶりだと、ティラータは自嘲する。


「すまない、ジャージャービーン。心配をかけた」


 そして振り返って、レイチェルとボルドに向かって、同じようにありがとうと伝える。すると、二人は分かっていると言わんばかりに、頷く。


「まだ他にも、心配させた人がいるでしょう?」


 レイチェルが仕方ないわねと苦笑し、ティラータに見覚えのあるものを差し出す。


「新しいのを、持たされたわよ」


 ティラータの掌には、ガラス製のピアスが一つ。

 手早く左耳に付けると、待ち構えていたかのように、ティラータの名を呼ぶ声が聞こえてきた。


「オズマ殿の大切な魔具を、勝手に破壊した。すまない」

『そ、そんなことは、どっどうだっていいんです!』


 いつになく強い口調のオズマに、ティラータは驚く。


『心配、したんです。あ、あいつに、何かされたんじゃないかって……』

「……ありがとう、オズマ殿。私は何ともないよ。でも、オズマ殿。私はあなたに詫びねばならない事が」

『分かってます! ……い、いいんです、あれで』


 ティラータを遮るように、オズマが言葉を重ねる。

 魔術師の位置を正確に感知できたオズマが、その魔道の力が消えたのが分からないとは思えない。ティラータが言わずとも、動かなくなった魔術師がどうなったのかなど、オズマには分かり切っていることだ。

 だが、ティラータはそれでも、きちんと伝えねばならないと思っていた。

 ティラータはそばに見守る、薬師とレイチェルに視線を移す。二人とも、事情は知っていると頷いていた。


「オズマ殿、あれがどんな女であれ、私があなたの母親を殺したのは事実。だがそれが最良の選択だったと思っている。恨んでくれてもいい」


 この言葉をオズマがどう受け取ろうとも、ティラータにとって譲れない事実だ。

 オズマの返答を、ティラータのみならずその場に居合わせる皆が、神妙な面持ちで待つ。


『恨みません……いえ、むしろお礼が言いたいです。あの人は、あれで良かったんです。わ、わたしも。……ありがとうございました』

「そうか」


 母親という呪縛から解放され、良かったという言葉は本心ではあろうが、そればかりではないはずだ。ティラータはオズマの複雑な心の内を察し、それ以上は何も言うことはなかった。

 オズマとの会話を終え、ティラータは治療道具を片づけている薬師に、魔術師の遺品を渡す。僅かばかりのそれらを、薬師は受け取りはしたものの、じっとティラータを見返す。


「届けてやってくれ、ジャージャービーン。事件に関係のないものだけ、持ってきた。これらをどうするかは、オズマ殿に任せる」

「……預かっておくわ。でもこれ、あんたがアレルヤに直接渡してあげなさいよ、きっとその方がいい」


 薬師の言葉に少し戸惑ったものの、ティラータは頷く。

 するとそれに満足した様子で、よろしいと微笑む薬師。

 この薬師ジャージャービーンは、見た目こそ人を退かせるものがあるが、ティラータにとってその存在は大きい。幼い頃より戦うことにしか心を割いてこなかったティラータを、きめ細やかな女性的な気配りをもって支えている。常に身体を労り、周囲に心を配ることを教えてくれたと、ティラータは感謝していた。実際、この宿に湯と着替えを用意してくれたのも、薬師だった。

 ちょうど会話を終えたところで、タイミング良く男が入ってきた。


「いい頃合いっすね、師範長、食事」


 盆に食事を載せて立っているのは、アレス公の屋敷をともに脱出してきた男。ティラータのそばに盆を置く男に、ボルドが確認する。


「下の様子は?」

「あー、ほぼ集まってると思いますよ。店の親父が、狭いってぼやいてたんで」


 いい加減な答えではあったが、ボルドは納得する。

 そのやり取りを見ていて、ティラータに疑問がもたげる。


「まさか、お前も行くのか?」


 それに、心外とばかりに男は驚いてみせる。


「酷いっすね? 俺も一応、近衛隊員なんですけど」

「隊長が許可したようですよ」


 ふざけた口調の男を無視して、ボルドが代わりに答えた。


「珍しい、な」


 男は密偵に向いている。目立たない平凡な容姿に、要領のいい身のこなし。極度の緊張状態にも強い彼は、常にはカナン隊長の命で秘密裏に動くことがほとんどだ。

 先日までユモレスク伯爵を中心に、貴族議員たちの調査に動きまわっていたことを、ティラータも承知していた。


「では、あちらは十分に準備が整ったということか」

「そうっすねぇ」


 ティラータの問いに、満面の笑みで応える男。だが、言うほど簡単な仕事ではないだろうに、とティラータは感心する。

 ならば、とティラータもまた不敵に笑ってみせる。


「存分に働いてもらおうか、ヒュー?」


 ティラータが名を呼ぶと、男は珍しく眉を寄せて顔を歪ませる。そして頭を掻きながら、逃げるようにして部屋を出て行こうとする。


「では私も、打ち合わせがありますので」


 ボルドは苦笑しながら、照れ隠しに逃げようとする男とともに、階下の食堂に向かった。

 残されたティラータは、レイチェルと顔を見合わせて笑いあう。


「レイチェル、頼んでおいた首尾はどうだ?」


 楽しそうにしていたレイチェルの表情が、一気に恨めしそうに変わる。


「何とかするわよ、しなきゃいけないでしょうよ!」


 そばかすの浮く頬を膨らませるその表情は、とても婚期を逃しつつある女性のそれではない。


「だが、レイチェルなら……いや、レイチェルにしか出来ないだろう? 懸念があるとするなら、オズマ殿との同調のみ」


 だがそれも、オズマ本人から事前に確認した。


「アレルヤとはどうにかね……それより、あの子から特製の矢を持たされたわ。あのごたごたの中で、いつの間に準備したのかしらね」


 たった一本ではあるが、魔法呪の描かれた石板を破壊するための呪文の刻まれた矢尻。万が一魔法障壁の魔力が、石板の破壊を阻害するようなら、その魔法を引き裂いて届くように。オズマの魔力を込めた一本だった。

 ティラータもまた、用意周到の魔術師次官に感心し、感謝を述べる。

 そしてピアス越しにオズマを交え、三人でレイチェルの待機位置の確認を始める。簡素な地図を広げ、オズマからの情報を元に、いくつか石板の埋められそうな場所をあげていった。

 魔法障壁は、とてつもなく巨大だ。北はシンシアとの国境を示すレーヌ川から、南ははるか彼方蛮族の森を突き抜け海まで達している。王都から近いのは、そのほんの一部にすぎない。

 だがユモレスク大臣たちの目的が王都の混乱であるなら、さほど離れた場所に穴を開ける理由がない。そうなれば、場所は絞られる。綻びを起こしやすい場所は、三つ。オズマの魔力探知能力と、ティラータが実地で調査を続けてきた場所は、ほぼ一致する。

 レイチェルは、それらの場所が射程に収まる位置に、すぐさま向かえる場所に待機が決まった。


「話は終わった? じゃあこれ飲んでいきなさい」


 ジャージャービーンがティラータに差し出したのは、薬湯だった。

 手にすると、湯気が鼻にツンと刺激を運んでくる。その強い香りに、ティラータは眉を寄せる。

 五感が敏感な、蛮族のティラータには少々きつい。


「……これは?」


 珍しく薬師の出した薬湯を渋るティラータ。

 拳を腰にあて、ジャージャービーンが迫力満点で、ティラータに迫る。


「飲みなさい。あんたまだ、手足が痺れてるでしょう?」


 ティラータは思わずビクリと反応してしまう。

 その姿に、薬師がもじゃもじゃの頭を揺らしながら、更に迫る。


「やっぱりね。アレルヤから解毒の処方を聞き出してきたの、正解だったようね。それから、滋養強壮も入れておいたから、しのごの言わず飲みなさい」


 ティラータはドスの利いた男らしい声に促され、仕方なく薬を仰いだ。


「…………ありがとう」


 ティラータはなんとかそれだけ言って器を押し戻した。

 薬師を残し、ティラータはレイチェルを伴って階下へ向かう。


「ねえ、痺れが残ってるって、本当なの?」


 レイチェルに首を振るティラータ。


「微かに。だが薬も飲んだし、心配ないよ」


 薬という言葉に先ほどの味を思い出したのか、顔をしかめるティラータ。

 二人が降りる階段の先には、宿の食堂兼酒場だ。

 今はまだ昼にも遠い時間だというのにもかかわらず、さびれた酒場に似つかわしくないほどに、体格の良い男たちで溢れている。おのおの席につき、がやがやと賑やかな様子は、酒場の空気には違いない。だが、彼らのつくテーブルの上に酒は一滴も置かれてはいない。

 古い楢の木を敷いた床を踏み鳴らしながら、ティラータが食堂に足を踏み入れると、騒がしかった空気がぴたりと鎮まる。

 食堂の隅っこで、困った顔をする店主に、ティラータは声をかける。

 かなり年をとった白髪の痩せた老人だ。ティラータとは初めて顔を合わせる。


「主、すまないが席を外してくれ。その方があなたの為だ」


 店主は盆を抱え、黙って退出していった。


「さて」


 ティラータは食堂を見渡す。

 ティラータ自身が剣術場で鍛錬させている若い者から、古参の者まで、総勢十五名の近衛兵たち。長年カナン隊長が、鍛えに鍛えた男たちだ。

 それぞれの瞳には、今日この時を迎えて、揺るがぬ闘志が宿っている。


「詳細は?」


 ボルドがティラータの声に応え頷く。


「既に、準備は整っています」


 そうか、とティラータは再び自分に向けられた視線に顔を向ける。

 数の上では分が悪いが、地理の利はある。だが、ここで血を流すのが彼らの仕事ではない。これから、このイーリアスを守り抜くのが彼ら近衛の仕事だ。

 だから──とティラータは気を引き締める。


「不埒者を森の外には出すな。民の命は我々の腕にかかっている」


 男たちの士気が一気に上がっていく。誰からともなく鼓舞する声が叫びとなる。

 高まろうとする雄叫びを裂いて、ティラータが床に鞘を打ち下ろす。

 鎮まりかえった男たちの目に、闘志の炎は消えることはない。


「私からの命令は一つ」


 たとえ獅子が侵入者を阻もうと、隙はいくらでもある。そして不測の事態は起きるものだ。そのための最後の護りが、彼ら近衛兵たち。

 ティラータの言葉を待っている。


「誰一人、欠けることは許さない」


 ティラータは剣を腰に戻す。


「行くぞ」


 今度こそ、安宿を揺らすほどの雄叫びをあげて、男たちが動き出す。


 ──帰るんだ。全てを終えてアーシャの元へ。


 

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