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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第一章 忍び寄る影
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黒真珠の姫 3

 金属が触れ合う甲高い音と、威勢のいい掛け声。そして切れる息遣いと、身体が激しくぶつかり合う音。

 人の闘争心を煽る空気が、そこには満ちていた。

 王城に設けられたその広い剣術場は、さまざまな立場の者が集う。所属部隊だけでなく、身分の上下も関係なくただ鍛錬を行う為の場所だ。

 ここでは実力のみが問われる。己の力を向上させたいのなら、出自に関係なく実力に見合った者と手合わせするのが、最も効率がいい。よってイーリアスでは昔からの慣例として、剣術場へは身分と地位を持ち込むことを禁じられている。

 ただそこにあるのは、純粋に剣術での優劣。

 そしてその頂点に立つのが、剣術師範長であるティラータ・レダだ。剣術場にいるかぎり、それは誰にも───国王にでさえ犯されることのない事実。

 彼女がそこに立てば、もうマントやフードなどでその身を隠すことなど必要なかった。


 今日ティラータが手ほどきする相手は、剣士としての腕前は上等な部類に入る、屈強な近衛兵たちだった。

 本来はあまり自ら剣を抜いて相手をすることはないティラータだったが、森での出来事もあり、今日は剣を持つ気になった。それを悟ってか、腕に自信のある者たちが、名乗りを上げてきた。ティラータと剣を交えることで、彼らにとっても得るものがある。


「……五人か」


 ティラータは愛剣ではなく、剣術場にある鍛錬用のものを肩に担ぎ、自分よりも一回りほど大きい男達を見回す。ふと近衛兵のみかと思えば、一人は警備兵配属の者が紛れていることに気付き、珍しいなと感心していた。


「ホントにその剣でいいんすか、師範長殿? 変えたくなったら、いつでも言ってくださいよ」


 近衛兵の一人がそう言って剣を構えると、他の四人もそれにならう。


「そう言って、いつも負けてるだろう。五人でも十人がかりでもいい、強がりは私から一本取ってからにしろ」


 ティラータもまた、担いだ剣を両手でしっかりと持ち直し、正面に構える。

 どれほど大勢の兵がここに来ていても、誰がどの程度のレベルに達しているのか、ティラータは隅々まで把握していた。それらを踏まえて剣の相手をするティラータの教え方には、定評がある。そのきめ細やかさが、実力があるとはいえ年若い彼女が、ここで仕事をするうえで非常に有益だった。

 就任して間もないとはいえ、そんな剣術師範長であるティラータ直々の訓練。野次の垣根があっという間に出来上がりつつあった。

 そんな人垣に囲まれながら、立ち合いが始まる。

 掛け声とともに、ティラータへ襲いかかる五人の挑戦者たち。速いのは近衛兵のひとりだ。俊敏さが己の特徴であることに自信があり、ティラータの先を取るつもりだろう。

 その太刀筋を見極めながらティラータは半歩後ろに下がりつつ、構えた剣で受け止める。それを好機と捉えた近衛の一番手は、素早く次の太刀を振りかざそうとする。だが合わせた剣が離れた次の瞬間に、近衛兵はわき腹にティラータからの攻撃を受け、崩れてしまう。最初にティラータが半歩退いたのは、速い攻撃を受け流したかのように見せかけ、右足の蹴りを用意していたのだった。

 だが、一番手が体勢を崩した隙をつくかのように、次の攻撃手がティラータを襲う。

 二番手も生真面目な近衛兵らしく、正面から剣を振り下ろしてくるのを、ティラータは左腕の手甲で受け止め、瞬時に踏み込む。続けて右手の剣の柄を、相手のみぞおちに打ち込み、空いた左手で胸倉を掴むと、ふらついた大男を一番手の男に向かって投げ飛ばす。

 派手にぶつかり合って、共に倒れこむのを見てティラータが一言。


「……二人終了」


 そしてティラータは踵を返し、残りの三人に剣を向ける。

 果敢にも向かってくるのは、警備兵の男だった。剣よりは体術を得意とする男は、剣で隙を作って蹴りや拳を繰り出してくる。体格で他の剣士たちに遅れを取る、かつてのティラータの戦法と共通するものがあった。下手をすると打撃を喰らいそうなティラータは、両手に剣を持ち直し応戦した。

 他の近衛兵二人も黙って見ているばかりではないと気付き、連携を取るようにティラータへ剣を仕掛けてくる。最初の二人とは違って、慎重にティラータの剣さばきを見極めながら、長い打ち合いに持ち込んでいた。

 いつしかその場に居合わせた者たちが、固唾を呑んで見守るなか、近衛兵の二人は馴れた連携で剣撃を繰り出す。だがティラータも、負けじと両手で握りしめた剣でその攻撃をかわしていく。

 だがその時、連携の間を、もう一人の男が割って入ってきた。

 不自然さを感じるのはティラータだけではなかった。共に挑む近衛兵の表情も、微かに曇る。

 思うようにティラータへ攻撃が届かないことを焦りはじめたのか、不審な動きを見せる警備兵の男は、更に露骨さを見せてきた。共闘している近衛二人の妨害ともとれる動きになり、対戦が一対三ではなくなっていく。

 それが勝ちを焦るがゆえのものではないと判断したのか、共闘していたはずの近衛たちが目配せをしあい、もう一人の男から離れて動き始めた。なんと、警備兵の男が近衛兵を盾にしようとしたところへ、わざと彼の正面を空けるようにして、ティラータの前に突き出したのだ。

 すると待ち構えたように、ティラータは男の剣を払い落して、切っ先を喉元に突き付けた。

 これで三人目、と目の前の警備兵から意識を逸らそうとした次の瞬間、ティラータのこめかみに拳がかすめる。

 剣を引き下げ、後方に飛び退いたティラータ。

 確実に決まった勝敗を無視した警備兵の行為に、立ち会いを囲む人垣の間から、どよめきが起こる。

 すると、ティラータは黙ったまま剣を地面に突き刺した。

 空いた両手を組み、ボキボキと指を鳴らしながら立つティラータの眼は、獲物を定めたかのように細く引き締まる。すると、何かを悟った二人の近衛兵が、苦笑いをしながらその場から身を引いた。


「いい度胸だ。覚悟はいいか」


 拳を構えたティラータに、警備兵の男が剣を振りかざす。が、次の瞬間大きく跳躍して攻撃をかわすと、そのままの勢いをもって踵を男の脳天に打ち落とす。

 一同が見守る中、男が白目をむいて倒れ、あっけなく勝敗は喫するのだった。


「……鍛錬を、しているつもりだったのだがな。興ざめだ」


 ティラータの言葉を、肩をすくめて聞いていた近衛兵の二人が、倒れた仲間を助け起こし、肩を貸す。中途半端な結果となってしまったが、興を削がれた野次馬たちも、次第に各々の鍛錬に戻っていった。

 救護室に連れて行かれる男を見送っていると、ティラータの背後からにゅっと白い腕が現れ、しがみついてきたのだ。

 と同時に、驚いて固まるティラータの鼻腔をくすぐる、花の甘い香り。


「お帰りなさい、ティラータ!」

「ア……アーシャ?」


 剣術場を訪れたアシャナ姫だ。人垣の向こうにティラータを発見し、嬉しくなってつい飛びついたのだという。


「アーシャ、危ないから突然入ってきたら駄目だって、何度も言っているだろう」

「ごめんなさい、つい嬉しくって」


 ティラータの小言に怯むことなく、更に首に回した腕に力をこめて抱きつくアシャナ姫。それを受け止めるティラータには、柔らかい微笑が浮かぶ。


「ただいま、アーシャ」


 肩越しの黒髪に手を添える。

 その姫君らしからぬ行動を苦笑まじりで見守る、女兵士と目が合った。


「レイチェルも一緒だったのか? 珍しいじゃないか」


 赤毛の印象的な女兵士が、片手を挙げてティラータに応じる。

 彼女は弓部隊一番の使い手、レイチェル・リンド。燃えるような赤い髪は、彼女の気性そのものだ。派手な顔立ちにソバカスが目立つのが少し残念、と言うと彼女は怒るだろうが、それでも美人には変わりない。


「大祭が近いからね、私が護衛を仰せつかったのよ」

「ここは剣術場で近衛隊ばかりなのにね。心配性なのよ、皆は」


 ティラータの首に回していた腕を解き、レイチェルの言葉にアシャナ姫が付け加えた。

 アシャナ姫は少しだけ眉を下げていたが、それは一瞬だけで、すぐに目の前のティラータへ眩しい笑顔を浮かべて見せる。


「それより、今日はティラータに良い報告があるの!」

「報告?」

「大祭中にリューラ王子が、国王陛下の名代でイーリアスを訪れることになったの」

「……そうか、それは良かったなアーシャ。ずいぶん久しぶりなのだろう?」


 桃色に頬を染めながら大きく頷き、アシャナは可愛らしくはにかむ。


 リューラ・ド・シンシア。隣国シンシアの王太子は、それは大層な美丈夫との噂だ。来訪の度に、アシャナ姫のみならず貴族の娘から城の侍女に至るまで、城中の若い女たちの頬を染め上げる。

 シンシア国の現王妃はイーリアス国王の姉であり、アシャナにとってリューラ王子は従兄にあたる人物。

 そして、アシャナ姫の初恋の君でもある。


「今度こそ必ずティラータに紹介するわ。きっとティラータも彼に会ったら気に入ると思うの」


 それを受けてティラータは言葉を詰まらせる。

 唯一イーリアスと外界をつなぐ窓口であるシンシアという国は、最も重要な友好国である。その為、王室間の交流は頻繁であった。

 ティラータは幼い頃アシャナ姫と共に育ったとはいえ、これら外国の要人との接触は故意に避けられてきた。

 王族ではないのだから当然といえば当然なのだが、剣聖の地位につくまでは、護衛の任につくどころか、他国の要人が滞在する期間は、隔離され出歩くことすら禁じられてきた。だからシンシアの王子など、遠目でも拝んだことすらない。

 とはいえアシャナが逐一報告しするので、その行動や人となりは王宮の女官並みに些細な事まで知っている。何でも美しい銀髪で長身の、絵に描いたような色男──女官の噂話なみの知識によると──であるらしいとのことだ。

 しかし、実際に会うとなると色々と腰が引けるティラータだった。

 それがまだ他の人間ならば全く違うのだが、とティラータは重くなっていく気持ちを誤魔化しきれない。


「ティラータ?」


 返事に窮したティラータだったが、王女の申し出を断るわけにはいかず、「時間が合えば」とだけ答えてその場をやりすごしてしまう。

 ティラータは気を取り直して、本来の目的を思い出す。


「早速、稽古を始めよう」


 ティラータはアシャナ姫を促し、剣術場に出る。

 王族の者がこうして護身術を身につけることは、よくあることだった。陛下は例外だが、王弟アレス公や若かりし頃の現シンシア王妃もここで剣を握ったようだ。

 この国では人の上に立つ者でも、剣術を収めることが慣例となっている。『イーリアス』には、古い言葉で「戦士を称える」という意味が込められているのだ。

 よって上流階級から末端の民まで、子供達の憧れは宮廷剣士だ。


「後で私が相手をしよう。アーシャ、基礎訓練から入って」

「よろしく、師範長殿」


 アシャナはおどけたように言うと、他の兵たちに混じって基礎の型の練習を始める。

 そしてティラータは彼女に気を配りつつ、他の兵士達にも厳しい視線を送るのだった。


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