結集 2
早朝の市街地を、ランカス・ボルドは馬を走らせていた。
街には早くも市が立ち、祭りで久しぶりに賑わう王都で少しでも稼ごうと、店では呼び込みの声があちこちで上がる。
活気が衰えはじめていた都への不安が、少なからず拭われたとしたのなら、国王や議会の政は成功といえよう。だが、とボルドは気を引き締める。ファラの大祭はまだこれからだ。万事つつがなく収めてこそだ。そのためにも、ティラータの救出は必至だった。
ボルドは旧市街地に入り、近衛によって封鎖されたままの、黒こげた廃墟に馬を乗りつける。
「変わりは?」
一般の警備兵を装ったような軽装の部下に声をかけ、馬を預けた。
「こちらは変化ありません」
「薬師殿は?」
「レイチェルと共に、宿で待機中です。それと副隊長……先ほど例のあいつからも連絡が」
「……成功したのか」
「そのようで」
『あいつ』というのは、近衛兵でありながら密偵を得意とする男のことだ。救出するティラータのの見張りを交代させるよう、画策してみたのだが、それは賭けでもあった。
報告を聞いてボルドは頷き、足早に地下道に向かった。
じめじめとした岩肌の地下道の先、崩したままになっている秘密の入り口を、ボルドはくぐる。カンテラを持つ手を高く掲げ、慎重に気配を消しつつ進むと、ほどなくアレス邸の離れの部屋にたどり着いた。
「さて、想定通り警備が手薄になっていればよいが」
窓の外をそっと眺めながら、ボルドはひとりごちた。
ボルドが地下から侵入を始めるよりも、少し前。アレス公の屋敷の門を、シンシアの王太子一行が通り過ぎていく。
「ようこそ、お越しくださいました」
昨夜の夜会のおりに顔を見せた公の家臣が、リューラに向かって恭しくこうべを垂れた。
「朝はやくにすまない」
リューラは従者を一人だけ連れ、馬を降りる。そして案内されるままに屋敷へと入ろうとしたところで、ふと庭園を振り返る。
「ここは、変わらないな」
何ひとつとして感慨は湧かないリューラだったが、彼もまた幼い頃は幾度も訪れた場所だ。まるで時が止まったかのようなその景色に、胸によぎるのはただ虚しさのみ。
「こちらです」
老家臣が促すと、リューラは表情ひとつ崩すことなく踵を返して歩きだした。
「よく来てくれた、歓迎するよリューラ」
リューラが応接室に通されると、さほど間を置かずにアレス公がやって来た。城で会った時より覇気のない様子に気づきつつも、リューラは淡々と型通りの挨拶を述べた。
「奥方の加減はどうですか、伯父上」
城で醜態を晒して以来、病状が安定しないのだろうとは、想像に難くない。リューラは連れていた従者に、小さな包みを開けさせる。
「シンシアの薬効茶ですアレス公。心を落ち着かせる効能がある。これが効けば従来の薬も多少は減らせよう」
アレス公が苦笑する。
「…………これは誰に勧められた?」
「あのふざけた薬師だ」
ああ、とアレス公も思い浮かべるのは、もじゃもじゃ頭に腰をくねらせる気の良い薬師だ。
アレス公も、リューラの言おうとしていることも察したようだと判断し、リューラは続ける。
「ティラータを傷つけた毒の出先が、城内だと分かった時点で、すぐ察したようだ。あの使用に注意が必要な薬を、常時使っているのは、公の奥方くらいなものだと。屋敷で保管されているものが極端に減れば、再び城から取り寄せられることになる。そうすれば、自然と嫌疑がこの屋敷に向けられる。ならばと、事後にわざわざ城の薬を盗ませたのは、伯父上か?」
鋭い視線を送るリューラの問いには答えず。
「ティラータは、このことを知って……?」
「伏せてあるそうだが、あいつも馬鹿ではない。薄々気づいているだろう」
──あの子、あたしに聞かなくなったのよ、その件に関してね。
リューラは、薬師の言葉を思い出していた。
「あのような事を、させるつもりはなかった……いや、言い訳だな」
つぶやくアレス公の重い空気を、リューラが断ち切る。
「いろいろと聞きたいこともあるが伯父上、今日は迷い猫を引き取りに来た。長い話をしている暇はない。悪いが協力してもらう。どうやら公の義父殿は、抜かりのない人物のようだ。ここに来て僅かだが監視もついている。よほど公がシンシアと通じるのが、嬉しくないと見えるな」
リューラは従者をそばへ呼び寄せる。その男に姿変えの魔術を施し、自らもまたいつものブラウンの髪に銀糸を染め上げる。
そのやり取りを、アレス公が目を見開いて驚いていた。
「……いつから魔術を、リューラ?」
「そうか、伯父上には言っていなかったか。物心ついた頃からだ」
悪びれずそう言うリューラに、アレス公は複雑な面持ちだ。
「お前もイーリアスの血を、魔術の素養を、引き継いだのだな」
アレス公は苦い思いで、続ける。しかし言葉にはしない。
──お前は『兄上』とよく似ている、と。
リューラは伯父の言いたいことなど承知の上だった。
「これ以上継承権などいらん、他言は無用だ叔父上」
リューラはそう言い捨てると、テラスを越えて出ていく。
アレス公は黙って、それを見送るしかなかった。
広い敷地の中央に建つ、古い塔を目指し、ボルドは慎重に近づこうとしていた。
オズマから得ていた情報通り、以前来たときよりも屋敷の警備が手薄だ。恐らくその手薄になった人員ですらも、今は訪れているはずのリューラ王子への警護に向けられている。
しかし全く使用人を見かけないことはなく、ボルドは息をひそめてやり過ごしながら、目的の場所まで辿りついた。
塔の入り口を覗ける位置に、身を隠して様子をうかがう。
入り口の前に立つのは一人。見知った顔にほっとしていると、そこに近づいていく背の高い男の存在に気づく。
「…………っ」
思わずボルドは茂みの影から飛び出していた。
見張りに立つ男の前に現れたのは、髪こそブラウンに染められているが、ここで落ち合うはずのリューラ王子だった。
だとしたら不味いと、ボルドは焦る。
ボルドが辿りつくほんの僅かな間に、男たちは対峙した状態から、動きを見せた。見張りをしていた男の隙をついて、リューラが剣を抜き取った。まさか自分の剣をすんなり奪われるとは思っていなかったようで、男の注意が逸れる。次の瞬間には、リューラが剣を振り下ろそうとしていた。
『あの男は、たやすく命を狩ってしまうのではないかと思わせる』
ティラータの言葉を思い起こすボルド。
────金属のぶつかる高い音とともに、シリウスの剣閃を受け止めたのは見張りの男ではなく、それを庇うボルドの剣だった。
「……ボルド?」
自分が近づいていたことを、この男が気づかぬはずはない、剣聖であるならば。ボルドはそう思いつつも、眉ひとつ動かすことなく剣を振り下ろしたリューラに、彼の本質を見た気がした。
「この男は、近衛の密偵です、リューラ王子」
リューラは剣を下げると、興味はないという様子で、ボルドに庇われた男を見る。
「大丈夫か?」
ボルドも振り返ると、男は大きくため息をついて見せる。
「いや、何とも…………肝は冷えたっすけど」
男はそう言いながらも、動じた様子もなくリューラから剣を受け取る。さすが密偵をこなすだけはあるというところか。
「中の様子は?」
「……あー、俺も少し前に交代できたんで、副隊長待ちっすよ。物音もひとつしないんで、さっぱり」
「鍵は?」
リューラ王子の問いに、男はジャラリと束を取り出して見せる。
「そんじゃ、行きますか?」
ボルドがそれに頷く。
地下への階段を下り、扉に掛けられた錠前の鍵を外す。金属が触れる音は、石壁に妙に響く。ボルドとリューラが伺い知れ気配に注意する中、男はそのまま扉に手をかける。
扉に隠れるようにして、男の横にボルドが立ち、剣を構える。シリウスであるリューラは、警戒しつつも傍観の構えを崩さない。
「いいぞ」
ボルドの声を合図に、ゆっくり扉が開かれる。
するとその僅かな隙間から、白い手がぬっと現れる。そして扉の正面にいた男が、その手に引きずり込まれた。
「うっわ!」
つんのめったところに、男は左腕を後ろに取られ、勢いよく背中を踏まれる。
「…………なんだ、お前か」
背中から聞こえるその声に、男は憤慨する。
「ちょっ、分かったんならどいて下さいよ! 助けに来たのこれはないでしょ、師範長殿」
ようやく解放されるが、ぶつぶつと不満をもらす男。
見知った男の放置をきめ込んでいると、ティラータは続けて入ってきた意外な人物に驚く。
「……ボルド、なんでそれがそこに居る?」
ボルドはちらりと後ろのリューラを見やり、ティラータが彼の正体を未だ知らないことを、思い出す。
「レグルス、それは後で説明します」
その言葉に訝しむティラータに気づかぬふりをして、ティラータの奥、薄暗い室内を見渡すボルド。
「それより、魔術師が一緒では?」
「……こちらだ」
ティラータはボルドを隠し部屋へ通じる入り口を案内し、その奥から更に地下へと続く穴を見下ろす。そこには、既に息絶えた女の、冷たい身体が横たわっている。
「私が殺した」
そうですか、とボルドが短く答える。ティラータがオズマから託された、魔道具の鏡を壊した理由を悟った。
「オズマ殿へは、このことを伝えるのですか?」
「私が言う。少ないが、遺品を届けてやろうと思う」
足元に広がる穴を見つめながら、ティラータが言う。
「おい、長居は無用だぞレグルス」
リューラが声をかけるが、ティラータは首を横に振る。
「もうひとつ、やらねばならない事がある」
ティラータは、魔術師の残した禁忌の研究の証拠を、滅しておきたかった。
魔術師が使っていた部屋まで戻り、床に積まれた魔術書やメモの山を四人が見下ろす。
「出来るなら、すべて燃やしたいところなのだが」
なるべく自分に出来ることをしようと、ティラータが破り千切ってみたものの、限界がある。小さな小山となったそれらは、焼却する術がないのだ。
「燃やせばいいのか?」
リューラは簡単に言うが、この塔の部屋には暖炉もなく、床で燃やせば火事を引き起こしかねない。そうなれば人目を引くし、それは避けたいところだった。
だがそんなティラータの苦悩を他所に、シリウスのリューラが動く。
「おい、そこのお前。倒れたくなければ、扉を少し開けておけ」
見張りもかねて扉のそばに移動していた男に指示を出すと、リューラは紙くずの上に片手をかざす。
手の平から、小さな玉が白く発光しながか、ふわりと紙の上に舞い落ちた。
光が紙に触れた瞬間、凄まじい光が広がり、床の小山が青い炎に包まれる。
眩しいと三人が目を細めたすぐあとには、もうその光は収まり、そこにあったはずの物が白い灰と化していた。
「……なんだ、今のは? 一瞬だが、息苦しい気がしたが」
ティラータはそう思いつつも、すでに息苦しさは消えてしまい、首をかしげる。
「炎は大量に空気を消費する。しかもここは地下だしな」
リューラの説明に、なるほどとティラータは納得するのだが、ボルドはそうではなかった。それは見張りをしていた男も同様のようで。
「無詠唱、だったっすよね、あの人」
ボルドはひきつり笑いを浮かべながら、彼を『魔王』と称したオズマの言葉を思い出す。赤い炎の魔術ならボルドとて見たことはある。しかしあの凄まじい光を伴った、青い炎は初めてだった。
「とりあえず、これで憂いは無くなったわけですし、早々にここを出ましょう」
それに異を唱える理由もない。
「あー、師範長。お忘れですよ」
男がティラータの剣を差し出す。剣は鎖でぐるぐるに巻かれ、持ち出せないように鍵をかけられ、室内に置かれてあった。
「ありがとう、世話をかけたな」
ティラータがそう言うと、男は肩をすくめて見せただけだった。
「脱出路は確保してありますが……走れますか?」
ボルドのその言葉に、ティラータはムッとした顔になる。
「当然、何ともない」
ボルドが呆れ顔で、ティラータの様子を改めて観察する。
拘束された時にできただろう擦り傷が、至る所に見える。それだけでなく、抵抗して殴られでもしたとしか思えない、頬の腫れ。手首には縄の跡と、指先には血の流れた名残り。それから目立つのは、唇の裂傷か。
「殴られでもしましたか、ずいぶん切れて」
相変わらずの、ボルドの言葉の少なさに、心配を悟るティラータ。正直、ばつが悪い。
「大丈夫だ、ちょっと噛みつかれただけだから」
その言葉に、ボルドの目が見開く。
「…………?」
なぜそこでボルドが驚くのか分からないティラータが、他の二人を窺うと、同じような反応だった。
「噛まれたって……誰に?」
なぜそんなことを聴くのだと、問いたげなティラータ。
「ジンに」
答え終わらぬうちに、なぜか近づくボルドに気を取られた。
自分の唇の傷が、柔らかく湿ったものに包まれたことに、ティラータが気づいたのは暫くしてからだった。
「……な、なにをするっ」
キスをされたのだと思った途端、離れていった。ティラータは眉を寄せて、抗議する。
「消毒です」
ボルドの答えは短かった。
有無を言わせぬ強い口調に、ティラータもつい傷をぺろりと舐めてみる。
「……そうか、消毒か」
舐めると傷が早く治るとか、そういえば誰かが言っていたか? とそんな考えで、ティラータはボルドの言葉をうのみにした。
その納得に納得がいかないのは、他の二人だ。
リューラが近衛だという男を捕まえる。
「アレは、素、なのか?」
「あー、俺もあそこまでは初めて見たっすけど、たぶんそうかと」
リューラはそれを聞いて、改めて哀れなものを見る目つきだ。
「それで、なぜあの男も満足そうにしている?」
その問いに、男はクックと笑う。
「さあ、俺にきかれても。まあ、副隊長っすから」
そうなのか、と唸るリューラに当のティラータが振り返る。
「おい、そこの二人。置いていくぞ」
「今いきますよ、師範長殿」
誰を助けに来たのか分からなくなるようなティラータの言葉に、男は呆れ顔で鍵を元通りに戻し、侵入した痕跡を消しながら、一行の最後に続く。
再び重い木戸が閉ざされるのを見て、ティラータは冷たくなって横たわる魔術師であったものを思う。
後悔はない。だが一つしか残されていなかった道に、虚しさを感じずにはおれなかった。