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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
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秘密 5

「そこ、どいてくれるかしら」


 馬場の隣にある射的場の一角、早朝の弓置き場の前。道具の手入れをしていた同僚を追い払うと、赤毛の弓士レイチェル・リンドは一本の長弓を手に取る。その弓は他のものとは明らかに違い、黒く鈍い光沢をもち、一回り太い。

 レイチェルはその長久を持ち出し、慣れた手つきで弦を張る。そして愛用の矢が入った矢筒を抱え、射的の練習場に向かう。

 射的場の一番奥に入ったレイチェル。黙々と準備をする彼女を、他の訓練兵たちが興味深々とばかりに見守る。

 レイチェルは右手に弓を引くための皮製の手袋をはめ、外れぬようにしっかりと固定する。そして長弓の持ち手部分に巻かれた鹿皮の緩みを、念入りに確認してから矢を拾う。

 じっと見つめるのは、はるか先にある的。最奥のそこは、使い慣れた的ではなくそのさらに先、三倍は遠くに置かれた、遠的の練習場だった。

 遠的。レイチェル・リンドが、イーリアス随一の弓の使い手たらしめているのは、通常の近的用の弓ばかりでなく、遠的の名手であるがゆえだった。

 久しぶりにその練習場に立ち、レイチェルは小さく息を吐くと、矢筈を弦にかける。弓を構えてはるか遠くの的を睨み、そのまま弓を打ち起こし、弦をしならせながら左右に引き下ろす。キリキリと弓がしなると、一分の躊躇いもなく矢が放たれた。

 放物線を描きながら、矢は小さくなった先でトンと乾いた音と共に的に突き刺さる。固唾を飲んで見守っていた兵たちに、感嘆の声が漏れた。


「見せ物じゃないわよ」


 レイチェルはちらりとギャラリーを見て言い、さっさと次の矢をつがえる。

 久しぶりに手にする長弓に身体が慣れるのには、時間がかかる。常には数日間かけて、ゆっくり感覚を思い出させていく。初めの一射が命中するなど、ただの偶然にすぎない。

 次の二発目を外し、レイチェルは愚痴をこぼす。


「……簡単に言ってくれるんだから」


 だが、レイチェルは手を休めることはなかった。

 結局二十本射ち、最初の矢を含めても的に当たったのは三本のみだった。

 レイチェルは弓を置き、矢を回収に向かった。その彼女の耳には、鏡のように光るピアスが揺れている。

 的に刺さる矢を引き抜いているレイチェルに、そこにいるはずのない声がかかる。


『ど、どうでしょう、レイチェル殿、な何とかなりますか』

「何とかなりそうじゃなくて、何とかするしかないでしょ」


 既に口癖になった感のあるぼやきを落としつつも、レイチェルの心には不思議と迷いはなかった。

 的から矢を抜き終わると、レイチェルは親指の先ほどの小さな石を取り出す。そして的の後ろから的中の位置に差し込んだ。


「本当にこんな小さな石ころで、正確に誘導できるものなの、アレルヤ?」

『だ、大丈夫です。それは小さくても、術が施してありますし、見失うことはまずありえません。そ、それより問題は……その』

「あんたとあたしの同調、か」


 ただでさえ難易度の高い遠的を、見えない標的向けて狙い射つ。しかもオズマの探索魔術に同調した状態でだ。


「ほんと、簡単に言ってくれるわ」


 落ちた矢を拾いながら、レイチェルは昨夜のことを思い起こす。



『頼む、レイチェルにしか出来ないことだ』


 オズマを通じてそう話すのは、『敵』に囚われ身動きできないでいるティラータだった。

 レイチェルが、頼りない近衛新兵ベルナールに呼び出され、連れて行かれたのは城壁地下の独房だ。何があったのかと目を疑う程に、物が散乱したその一室で待っていたのは、ぐずぐずと半べそをかいたオズマだった。

 そして詳細を聞かされ、レイチェルは驚いている暇もなく、ティラータの言葉を告げられた。


『レイチェルなら、ボルドと違って魔道の素養があるらしい。魔法障壁を中和する魔術が発動すれば、オズマ殿がその元となる石板の位置が特定できる。レイチェルは障壁から離れた位置に待機していて、障壁に穴が開いたらオズマ殿と力を合わせて、石板を打ち抜け。石板が()に埋められてしまった以上、壊すチャンスはもう、穴が開いたときしかない』


 ティラータの懸念は、石板が魔術師の手を離れ量産されること。万が一その場で破壊できねば、イーリアスは何度でも同じような危機を迎えることになるだろう。


「……保障はできないわ。失敗したらどうする?」

『私か代わりに破壊する』

「だだ、駄目です、ティラータ殿!」


 オズマが口を挟む。

 少しでも障壁に触れようものなら、凄まじい魔力の揺らぎに弾かれ、生身の人間はただでは済まない。


『心配いらない、あちら側といえど石板は穴の下にあるはずだ。身体をこちら側に残したまま破壊できる。それに、シリウスがいる。万が一閉じることが叶わなくても、その場は何とかなるだろう』


 まるで失敗して己が果てても問題ないかのようにも受け取れる言葉に、レイチェルは怪訝な表情で聞いていた。


「信用しないとは言わないけれど……大丈夫なの? そのシリウスに任せたら、あたり一面屍累々なんて、やめて頂戴ね」

 その言葉にオズマは青ざめ、そのオズマの術の向こうでティラータが、くくと笑う。


『その場には、ボルドと近衛兵十五名もいる。さすがにそんなことにはならないさ』

「ところで……あんたは?」


 レイチェルの問いはもっともだった。

 オズマもまた、真剣な面持ちで頷く。


『もちろん、いつまでもここにいるつもりはないよ、何とかする』

「な、何とかってあんた」

『……ごめん、レイチェル。それはまた後にしてくれ……眠いんだ』

「えっ、あ、ティラータ殿?」


 後ろ手に縛られたまま身体を横たえ、ティラータは目を閉じた。そしてオズマの呼びかけに応えることなく、意識は深い眠りに落ちてゆく。


「やだ、ちょっとティラータ?」


 ティラータの様子を感じ取ったオズマが、首を振る。


「だ、駄目です、深く寝てしまわれました」

「大丈夫なの?」


 オズマは魔法陣を手で払い、ティラータと繋がっていた魔術を解く。


「だだ、大丈夫とは、とても言えない状況です。ティラータ殿は魔術師の毒を受け、一時は心配停止状態にまでおちいりました……い、今はまだ相当体がきついはずです。だから、これ以上は……」

「それって死にかけたってことじゃない! そんな状況で……って、アレルヤ?」


 普通に会話していたオズマが急に目を剥き、震える指で窓越しにレイチェルの服を掴む。


「何? どうしたのよ」

「ききき、来ますっ……魔王が」


 真っ青になりながらガタガタと震えるオズマ。

 レイチェルは状況が分からないが、とりあえず辺りを見回す。しかし特に気になることもなく、首をかしげる。


「何が来るってのよ? 誰もいないわよ」


 そうしているうちに、通路の奥から声をかけられ、レイチェルが振り向く。やって来たのは、ティラータの意識が回復したと知らせを受け、慌てて駆け付けたと思われるボルドだった。


「レイチェル、既に来ていたんですね」

「遅いわよ、もう話は済んだわ」


 話し始めた二人の側で、オズマが無言で後ずさった。


「……ちょっと、アレルヤ?」

「どうかしましたか?」


 レイチェルは挙動不審のオズマに呆れつつ振り返ると、ボルドとは違う、もう一人見知らぬ男が立っていたことに気づく。


「……誰? どっかで見た顔なんだけど」


 警戒するレイチェルに答えたのは、ボルドだった。


「彼は味方です、心配いりません」

「味方?」

「ええ、彼はシリウスです」

「うそっ……」


 レイチェルがじっと見つめるその先で、『シリウス』は黙ったままだ。

 言葉を失うレイチェルをそのままに、ボルドは部屋の最奥で身をすくませているオズマに声をかける。


「オズマ殿、レグルスの様子はどうですか。今、話せますか?」

「あああ、あのっ、それが」


 青ざめたままのオズマが、勢いよく首を振っている。


「まさか、彼女に何かあったんですか?!」


 窓越しに、ボルドはもどかしい思いで詰め寄るのだが、肝心のオズマはただ震えるばかりだ。


「ああ、違うのよ落ち着いて。ティラータは今のところは大丈夫。オズマの反応はそれとは別のようよ……あなたたちが来る前、急に変なこと言って怯えだしたの」

「変な事?」

「ええと、魔王とかなんとか」


 話が一向に見えず、ボルドがレイチェルを問いただそうとしていると、その横で今まで黙っていたシリウスが動いた。


「……っひい! こ、来ないで下さい!」

「相変わらずだな、アレルヤ・オズマ」


 彼が近づく分だけ、オズマは後ずさる。だが早々に背は壁にぴたりと付いてしまった。


「おお、お願いですリューラ殿下、そ、その魔術、やめて下さい!」

「ただの姿変えだぞ?」


 面倒だと、ありありと分かる態度ではあったが、姿変えの魔術を解くリューラ。

 すると、目に見えてオズマの体から力が抜けていくのが分かる。

 レイチェルの目の前には、輝くような銀髪。そしてオズマの口から出たその名が、彼女の中にすとんと落ち、妙に納得する自分がいた。


「で、ティラータ(あいつ)は?」


 ようやくその問いにオズマは正気に返る。


「さ、先程まではレイチェルと会話を。で、でも今は毒に侵された身体を回復させるため、寝てしまわれました」

「毒……?」


 ボルドに詰め寄られ、その後オズマとレイチェルは、ティラータとの会話を全て二人に説明することになった。



 レイチェルは射的場へ戻り、精神統一のために目を伏せ、静かに息を吐く。そして弓を置いたまま、白い布を手に取り、己の目に被せて頭の後ろできつく結わう。

 何が始まるのかと見守る同僚たちを追い払ってから、レイチェルは慎重に弓を構える。

 頼りはオズマの導く感覚のみ。

 ゆっくりと弦を引き絞りながら、布の下で目を閉じた。するとすぐ横にオズマの気配を感じ、レイチェルの前方を指し示すのが分かる。

 暗い視界の中に、ほのかに明りが灯る。その中に映るのは、先程魔石を仕込んだ的。その中央が赤く鈍く光り、鼓動のようにゆらゆらと点滅するのが見えた。


『あれが、魔石の魔力です』


 ──そうか、この子にはいつもあんな風に魔力がみえているのか。

 レイチェルはこんな時だが、感心する。あんな小さな石ころひとつで明りが灯るのなら、大きな魔術ならどんな景色を見せてくれるのだろうと。日頃のオズマの臆病さの理由を、悟ったような気がした。


『気を、散らさないで下さい、レイチェル殿』

「殿はいらないって言ってるでしょ! で、距離感はどうしたらいい?」

『あ、はいレイチェル。的を見たまま、そうですね……放った矢が真っ直ぐ戻ってくるようなイメージで、意識を自分の方に寄せてみてください』

「……難しいこと、言ってくれる」


 言われたとおりやるしかないと、レイチェルは腹をくくる。

 すると、まるで視界が開けたように、的と自分が一直線に繋がる。


『さ、さすがです』


 レイチェルはそのまま引き下ろした弦を離し、矢を放った。

 風切り羽根が空を裂きながら、はるか遠くで的を破る音が、レイチェルに届く。


「ま、初めてにしちゃ上出来かしら」


 覆った布をずらしながら、レイチェルは目を細める。


『す、すごいです、やりましたね、レイチェル』


 的の端に刺さった己の矢に、レイチェルは言葉ほどには満足していなかった。確かに『的』には当たった。だが明日、射抜かねばならないのはもっと小さな石板だ。まだまだ精度が足りない。


「的中するようになったら、次は的を寝かせてやるから。とことん付き合いなさいよね」

『え、……えええ?』


 生来の負けず嫌いに火がついた様子のレイチェル。オズマはこの後、とんでもなく長い時間付き合わされるだろう自分の不遇に気づき、不満をもらす。

 だが、一方でそんな強引なレイチェルの物言いに、ほっとしたのも事実だった。


『レイチェルが、久しぶりにレイチェルらしい(・・・)です』


 オズマの言葉に、レイチェルが顔をしかめる。


「……アレルヤのくせに、ナマイキ」


 いつも賑やかで自信に満ち溢れた強気のレイチェルが、ここ数日鳴りを潜めていたのは事実だった。だがそれを、よりによってオズマに指摘されるとは、本人も思っていはなかったようだ。


「確かにまあ、少々鬱々としてたわよ。でもしょうがないじゃないの。あたし(弓士隊)を、外回りの警護に出す、近衛が悪いの! これでも微妙なお年頃なんだから」

『……また、ですか』

「そうよ、街に下りたらすぐ、父親(あいつ)の手の者に見つかったのよ。また懲りずにしつこいったらないわ! 今回はしかも、相手まで連れてね、本当に何を考えてるんだか」


 レイチェルは商家の一人娘だ。手広く興した商売が成功した父親は、城の兵士となった娘に婿を取らせ、早々に家を継がせようと躍起になっている。レイチェルも既に結婚してもおかしくない年齢とあって、父親もあの手この手で娘をその気にしようと必死だ。城の宿舎に逃げ込んでいるレイチェルが、つかの間街へ仕事で下りようものなら、店の者にまで手を回し、飛んでやって来ては見合いを勧める。


『あ、相手が現れたんですか、そ、それは奇特な』

「アレルヤ、怒るよ?」


 意図せず始まった、ばつの悪い会話から逃げるように、レイチェルは再び目隠しをして矢をつがえる。

 脳裏に浮かぶ的めがけて、ありったけの集中力で矢を放つ。

 トン、と再び的を射抜く音が、いつもより気持ち良く感じるレイチェル。


「……いろいろあって、モヤモヤしてたんだけどね、やっぱりあたしの大事なものは決まってる」


 オズマは黙って先を促す。


「しのごの言わず、一番自分のやるべきことをやる。考えるのは、その後にする……それに」

『それに?』

「一人で突っ走るティラータ(おばか)がいるからね。だからその親友(おばか)のためにも、一肌脱ぐのが、女ってもんでしょ!」

『……親友、だったんですか』

「うるさいわね。そうよ、たとえ相手がそう思ってなくてもね、いーでしょ、絶対成功させてやるんだから!」


 意気込むレイチェルに、オズマは少しだけゲンナリしつつ、小さく分かりましたと呟いていた。

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