秘密 4
イーリアス城では賓客をもてなすための宴が、つつがなく執り行われていた。翌日にファラの大祭の前夜祭が予定されているので、派手に衣装を着飾ることはせず控えるようにと、貴族たちには通達がなされていた。にもかかわらず会場となった大広間は、着飾った女性で溢れかえっている。
その貴族の娘たちの視線の先には、今日の主賓ともいえる隣国シンシアの王太子、リューラ・ド・シンシア。そして先日から城に滞在しているカペラの剣聖、デューク・デラ・デューン。その二人に守られるかのように立つのは、アシャナ王女。常にこの三人の姿があった。
金と銀に挟まれ、一際艶やかに輝く長い黒髪。白を基調に金糸と赤の組紐が飾られている、ふわりとしたドレスを身に纏うアシャナの姿は、まさに今日一番の華であった。
広間の貴人たちは、三人が談笑している様子を遠巻きにしながらも、近づく機を窺っている。しかし互いにけん制し合っているのと、金と銀の冷たい視線を受けているせいか、なかなか近づくことが出来ずにいた。
「デューク、お前に用がありそうな面々が揃っているぞ。行ってきたらどうだ?」
リューラのからかうような物言いに、デュークの眉間が僅かに揺れる。
「貴様が行けばいい。我はティラータより、アシャナ姫の守護をを託されている。貴様には任せられぬからとな」
笑顔を貼り付けたまま、男二人の小声でのやりとりに、間のアシャナは嘆息する。
「二人とも、私を虫除けか何かのつもりでいるのね?」
アシャナの言葉にデュークは短く否定するが、それを制してアシャナもまた同じような微笑みを貼り付ける。
「慣れているわ、いつものことよ」
アシャナの視線に気づいたリューラは、デュークに向けていたのとは全く違う、柔らかい笑みを浮かべて従妹の姫を見下ろす。
そしてアシャナの黒いひと房を手に取る。
「虫除けを口実に、こうして従妹の姫を愛でられる」
そして長く艶やかな黒髪を、自らの唇に触れさせた。
アシャナの頬が赤く染まるのと同時に、周囲の人混みから悲鳴にも似た溜息が漏れた。
「それが、貴様の仮面か、化けたものだ」
デュークの言葉には、呆れのような色がにじむ。あくまでも依頼されたアシャナの守護以外、傍観すると決め込んでいたが、茶番とも言えるリューラの行いに鉄面皮がはがれつつある。そもそもデュークの知る剣聖シリウスという男は、冷徹で他に無関心であり、例え国王の前であろうと傍若無人に振舞う男だったはずだ。
気味の悪いものでも見たと言いたげなデュークに、心外とばかりに肩をすくめるリューラ。すると突然リューラの後方が、ざわめきに包まれた。
アシャナとデュークの視線で、振り返らずとも何があったのか悟る。
「ようやくの登場か」
人垣の向こう、広間の入口で侍従が貴人の登場を告げる。
ゆっくりと振り返れば、リューラの視線にも目的の色が映る。
燃えるような赤銅色。人垣を越えてもその色を見せる背の高い人物は、フォレス・ライ・アレス公。
しかしその横に、金の長い髪を下ろした女性が寄り添っていることに気づくと、アシャナとリューラの表情はにわかに険しくなる。
「アレス……おじさま」
こと、アシャナの落胆は大きい。
「誰だ?」
デュークの問いに答えたのは、リューラだった。
「……ヴィヴィアン・ユモレスク。アレス公の妻であり、イーリアス貴族議会議長ガウレス・ユモレスクの娘」
そして、と言葉を繋げる。
「前王太子であった王兄ルートヴィッヒ・ダラス・イーリアスの婚約者だった女」
王妃になれなかった女。そしてティラータを、最も憎む女──。
リューラとてこの場では、さすがにその言葉ばかりは飲み込むしかない。
一転して静まりかえる広間の中央を、アレス公とその妻は、国王夫妻の待つ最奥の玉座へと進む。するといつのまにか玉座から程近い位置に、義父であるユモレスク伯が立ち控えていた。
国王への挨拶をするアレス公の後ろで、伯爵はまるで身内然とした態度だ。それにアシャナは苛立ちを覚えつつも、王女としての威厳を保ったまま公の近くに歩み寄る。
「アレス公」
その声にアレス公は振り返り、並び立つアシャナとリューラを眺め、目を細めた。
「……やあリューラ、ずいぶんと久しぶりだ。よく来たね」
綻ぶ笑みは穏やかだった。
「まあ、アレス様、わたくしもご挨拶してよろしいかしら?」
無邪気にアレス公にしなだれかかるのは、妻のヴィヴィアン。歳を感じさせぬその仕草と表情はまるで少女のようで、胸元の大きく開いた臙脂のドレスが、いやにそぐわない。
そんな妻の腕にそっと手を添え、アレス公は諭すように語りかける。
「もちろんだよ、ヴィヴィ。だけど失礼のないようにね?」
その言葉に目を輝かせ、ヴィヴィアン・ユモレスクはリューラへと向き直る。そしてドレスの裾を掴むと、優雅な仕草で淑女の礼をとった。
「ごきげんよう、リューラ殿下。ヴィヴィアンですわ」
「リューラ・ド・シンシアだ。伯父上も隅におけないな、このような美しい女性を隠していたとは」
その言葉に、まあ、とヴィヴィアンが口を押さえ、大げさに驚いて見せた。
「お上手ですのね、嬉しいですがお世辞としても、アシャナ様の前ではいけませんわ」
リューラの側で成り行きを見守っていたアシャナが、首を振る。
「お気遣いなく」
「そう? あなた方とってもお似合いよ。まるでわたくしとあの方のよう……そうね、王家の姫が二代続いて嫁ぐのは、難しいのかしら?」
「ヴィヴィ、君が心配することではないよ」
妻の言葉を制し、アレス公が微笑んでみせる。落ち着かせようとした公にヴィヴィアンは首をかしげた。自分が何を失言したのか、まるで分からない子供のように。
「そう、ね。きっとあの方がちゃんととりなして下さるわね。わたくしったらお恥ずかしいわ」
頬を赤らめるヴィヴィアンは、夢心地で続ける。
「あの方が言っていたわ。わたくしたちは決して可愛い姪を、政治のために利用したりはしないでいようって。だから安心してね、アシャナ……」
「ヴィヴィアン」
硬い声でそう呼んだのは、一歩外に控えていたユモレスク伯爵だった。リューラとアシャナに軽く一礼して、娘に近づく。
「申し訳ありません、お話のお邪魔をいたします」
「お父様、失礼よ」
大事な話を邪魔され、さも不愉快と言いたげな表情で父親を見るヴィヴィアンに、否を唱えるのはアシャナだった。
「よろしいのですよ。丁度あなた方に紹介したい方がいらしたのよ。アレス叔父様、彼女をお借りしていいかしら? どうぞユモレスク伯もご一緒に」
「まあ、誰かしら?」
打って変わって晴れやかな顔に戻ったヴィヴィアンに、アレス公が頷く。
「私は彼と久しぶりに話しているから、君は行っておいで。頼むよユモレスク伯」
ユモレスクは渋々了承すると、娘ヴィヴィアンを連れ、アシャナと共に場を後にした。
「さて、少々場所を変えようかリューラ」
二人は広間から続くテラスへと出た。戸を閉め切り近衛兵を一人立たせて、ようやく喧騒から解放される。
手すりに身をもたれ、ひんやりとした夜風にあたりながら、リューラが口火を切る。
「公は、このまま打たれるつもりか」
あまりの飾りない物言いに苦笑いしつつ、アレス公は首を横に振る。
「ひとつ、頼まれてくれ、リューラ」
リューラの深い溜息がテラスに落ちた。
「嫌だね。最近、年寄りどもが顔を合わす度に、同じ言葉を言ってくれて辟易している」
アレス公が、声もなく笑う。
「あんたが守りたいのは何だ、伯父上? まさか、あの女じゃないだろう」
リューラの射抜くような視線の先には、相変わらず捉えどころのない笑みをたたえたアレス公。
「私は、ヴィヴィアンを裏切ることはない」
「アレス公!」
──なぜだ。
問いたい言葉を飲み込む。
「ティラータを、頼む」
「……あいつが、人に頼るようなタマか」
一瞬、驚いたような表情をし、笑みを深めるアレス公。リューラはその意味を探る。
「待てと言っても振り返るような奴じゃないだろう、見た目は小娘だがな。あれはそんな可愛らしいモノどころか、曲がりなりにも剣聖だ」
「分かっている。だが、お前にしか頼めない。ティラータを、解放してくれ」
──解放。その言葉に、公が既にティラータが囚われていることを知っているのだと、リューラは判断した。
「俺がか? わざわざ迷い込んだ猫は飼い主が回収しに行くはずだ。解放しろとは、こちらが言いたい」
「そうじゃない、リューラ……あの子を、このイーリアスから解放してやって欲しい」
「……どういう、ことだ?」
イーリアス、ティラータ、解放。それらが何を指し示すのか。ふいにリューラの脳裏に浮かぶのは、泉で見た、ティラータの胸に鮮やかに刻まれた紋章。
リューラがアレス公の言葉の意味を掴めずにいると、アレス公を呼ぶ声がして広間を振り返る。
「リューラ殿下、お邪魔して申し訳ありません。旦那様、奥様が」
公の執事らしき男が、慌てた様子で指し示すのは、広間の奥だった。人だかりに目をこらせば、どうやらアレス公の妻が取り乱し、一人何かを叫んでいる。それを父であるユモレスク伯がなだめているようだった。
アレス公の顔に緊張が走る。
「いつもの沈静薬を用意してくれ」
「はい、既にお持ちしております」
アレス公が執事に指示を出す。
「すまない、リューラ。もっと話したいことがあったが……」
リューラが、執事を引き連れて広間に戻ろうとするアレス公を呼びとめた。
「公、改めて時間をいただきたい。祭前に」
「分かった……後ほど招待状を送らせよう」
リューラが頷くのを確認して、アレス公は妻の下へと走り去った。
入れ替わりに、アシャナとデュークがリューラのいるテラスへ合流したところへ、こちらも慌てた様子でボルドが駆けつけた。
「今、ベルナールから知らせが。レグルスの意識が回復したようです」
「本当? 無事なのね?」
荒い息を整えているボルドに、アシャナが詰め寄る。
「それが詳しいことは何も。とりあえず、本人がレイチェルを呼んでいるらしいので、手配はしましたが」
「レイチェル? わざわざ、今?」
「ええ、どうしてもということで。姫、私も今からオズマ殿の元に行こうと思いますが」
ボルドの説明は全く分からないことだらけだったが、ティラータの様子を知りたいのはアシャナも同じこと。すぐさま様子を伺いに行かせることに、何の異議もない。
「わかったわ、ここはいいから、行ってちょうだいボルド」
「はい、ではデューク殿、申し訳ありませんが宴の間もうしばらくは、姫をお願い致します」
頭を下げるボルドに、デュークは黙って頷く。
広間を抜けて、オズマの居る地下牢へ急ぐボルドを、テラス下の階下に見送りながら、リューラが言う。
「俺も、抜けさせてもらう」
「え? リューラ」
驚くアシャナの目の前で、ふわりと手すりを飛び越えるリューラ。
銀の束ねた長い髪が、落ちてゆく彼の距離と比例して暗くくすんでいく。アシャナが手すりから身を乗り出して見ると、いつかのティラータのように軽々と着地していた。
「あれって、もしかして……」
姿変えの魔術。従兄が魔術を使用するところを、アシャナは初めて目にしたのだった。
「憎らしいほど、自由気ままな奴」
デュークの呆れ声に、アシャナはただただ、大きく頷くしかなかった。