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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
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秘密 3

 ──誰かが、泣いている。

 寄せては返す波のように、虚ろな意識の中でティラータは、すすり泣く声を聞いていた。いつまでたっても泣き止まないその声に、胸が締め付けられる。

 この云うことを聞かない身体を、この手を差し出し、憂いを払ってやりたくても叶わず。そんなティラータの気持ちすらも、浮き沈みする意識が邪魔をする。

 ──泣くな。

 唇は何も紡ぐことは出来ないが、それでも強く願わずにはおれない。

 ──泣くな、オズマ。大丈夫だから。

 ──泣くな、きと護ってやるから。オズマがいつも怖がっていたのを知っているから。オズマが怖いものから、護るから。

 だからもう、泣かないでくれ。


 再び大きな波がやってきて、ティラータの意識は深い深い水底へ沈んでゆく。


 ティラータが魔術師の操る蔦に拘束され、連れていかれたのは塔の地下深く。一度は調べたはずの隠し部屋の、更に地下に掘られた小部屋だった。入口はごく単純で、簡易ベッドの下に隠されていたのだ。

 その小部屋は狭く、じめじめとした荒削りの、いわば岩の穴ぐらだった。

 ティラータは相変わらず蔦のような植物に巻き取られ、拘束されたままだ。意識がなく、ぐったりと立ったままの姿勢で項垂れていた。

 そのティラータの前に降り立ったのは、ジン・マクガイア。


「おい、大丈夫なのかこいつ?」


 ジンが狭い入口を見上げると、そこから女魔術師が覗き込んでいた。


「その蔦からは毒が出ている。後腐れはないが、筋肉を一時的に弛緩させ、意識を混濁させる」

「……相変わらず、えげつないなあんた」


 ジンは手にした灯りをティラータに近づけてみる。

 そして眉間に皺を寄せると、再び天井を仰ぎ見る。


「おい、この蔦を外せ」


 ジンの命令が思いがけないものだったのか、女は躊躇する。


「早くしろ、テメエも殺すぞ!」


 ジンの剣幕に、女は渋々ながらも蔦を解く。魔術師の唄に合わせて、気味の悪い蔦がうねり、次々と細くしわがれティラータから離れてゆく。

 青々とした蔦が茶色く変色し、波のように退いてゆくと、ティラータの剣が現れた。ジンはまずティラータの指から剣を外して部屋の片隅へ投げつける。そして蔦から解放され、意識の無いまま崩れ落ちるティラータの身体を、受け止めた。

 いったい何をするつもりなのかと、女魔術師が見守る中、ジンはティラータを床に横たえる。ティラータの血の気の失せた青白い顔が灯りに照らされ、唇が紫に染まっているのが見えた。


「くそっ、毒の量が多すぎたんじゃねえのか? 脈が弱ってやがる」


 ジンはそう言うや、ティラータの頬を強く叩いた。


「おい、レグルス! おい!」


 反応が無いことに舌打ちし、ジンは乱暴な仕草でティラータの胸に手をかけ、皮製の硬い防具を外していく。


「いい気味だね、死んだのかい?」


 呑気な調子で、女魔術師が笑う。

 ジンは女を無視して、ティラータの胸元の布を開き、そこに耳を当て心音に耳を澄ませる。やはり弱々しい拍動に、慌てて口元にも手を当てる。


「くそ、面倒かけやがって」


 ジンはティラータの襟元に手をかけ、大きく肌蹴る。血色の悪さが更に白い肌を際立たせ、そこに浮かび上がる剣を模した紋章の赤。

 ジンは紋章を目にした一瞬だけ目を細めたが、すぐにそれを隠すように両手を添えると、体重をかけて押し始めた。何度か胸骨が上下するほど押しつけると、ティラータの顎を上げ、己の息を吹き込んだ。

 何度かそれらを繰り返すうち、ティラータが呻き声をあげ、大きく咳き込んだ。苦しさに顔を歪め身体を二つに折り、激しく咳き込みながらも、肩で荒い息をしている。


「……ジン、マクガイ、ア?」


 目蓋は開いていたが、目がかすむのか、瞳はジンを捕らえきれずに泳いでいた。

 しかし次の瞬間、ティラータは髪を鷲掴みにされ、横たえていた顔を持ち上げられる。目の前には、ジン。


「ザマねえな、レグルス」


 ようやく意識がはっきりとしたティラータは、周囲に目を配り、決して宜しくない状況を見て取る。加えて、だらりと床に垂れるばかりの己の手足に、何らかの毒を受けたことを悟る。


「あー、イライラする。何なんだよオマエ」


 蔑み、苛立ち、嫌悪。それらを合わせたような表情で見下ろすジンを、ティラータは真っ直ぐ見返す。


「剣聖なんだろ? 易々と掴まって死にかけてんじゃねえ!」


 ティラータはその言葉に自嘲しつつも、ジンの腕を振りほどくべく、もがいてみる。


「勝手な理想を押し付けるな。剣聖とて一人の剣士にすぎぬ。ましてや私は未熟者だ、出来ることなど限られる……お前と同じようにな」


 鈍い音とともにジンの拳がティラータの頬を打ち、その勢いでぐったりとしたティラータは、床へと投げ出された。


「……っく」

「自分の状況が分かってねえだろ、いつでも殺れるぜ?」

「……矛盾している、助けたのはお前だろう」


 ──それも二度。

 打ち付けられた腕をさすりながら、ティラータがどうにか起き上がると、苛立ちに歪ませたジンの顔が、目の前にあった。

 そのままジンはティラータの胸ぐらを掴み引き寄せると、噛みつくかのようにその唇を奪っていた。

 驚きに新緑の瞳を見開き、予期せぬジンの行動にティラータは反応できない。

 唖然とするティラータをよそに、ジンが更にティラータを引き寄せる。


「……っつ!」


 唇に走る痛みに我に返る。

 ティラータは咄嗟に両腕で、ジンの胸を押し返すと、ジンはすんなりとティラータを放した。

 見ると先程までの苛立ちとは打って変わって、愉快そうに口元を上げる顔がそこにあった。そして口の端に残る、鮮やかな赤をそっと舌で舐め取る。

 ティラータは困惑しながら、自分の下唇から流れ出る血を、無造作に手の甲で拭き取った。


「なんで、私が噛み付かれねばならんのだ」


 眉間に皺を寄せるティラータに、ジンは更に満足げに微笑む。


「お前がどれだけここで寝ていたのか、教えてやろうか?」


 ティラータはその言葉に息を呑む。


「今この屋敷は、もぬけの殻だ」


 それが何を意味するのか、ティラータに分からぬ筈がない。屋敷の主とその警護の者たちが出払っているということは、城では予定通りシンシア王太子を歓迎する夜会が始まっているということだ。


「お前には、明後日の正午まではここに居てもらう。自分で言った通り、何も出来ず未熟な己を悔いていろ」


 ジンは手早くティラータの手足を鎖で拘束すると、何か言いたげな女魔術師を伴い、地下の穴ぐらを出て行こうとした。しかしティラータがそれを引き止める。


「待て、ジン。石板は埋めたのか?」


 ジンは僅かに振り返った。それだけでティラータは答えを汲む。


「フェイゼルですら近づけなかった森に、どうやって入った? その傷をつけた(ヴラド)が、お前に気づかない筈がない」


 右頬に残る生々しい傷跡を指でなぞりながら、ジンはティラータに向き直る。


「お前が言った通り、あのクソ狼がシリウスの手先なら、最初(はな)からあの森に入るわけねえだろ」

「ならば、どうやって埋めた! 私が謹慎から戻った後からこっち、どこを見回っても、埋められた形跡はなかった」

「ほう、その目で確認してもなお、石板は埋められていると、お前は考えるのか」


 ひとつ、間をおいてティラータが言う。


「ギルディザード、と云うのだそうだな」


 その名に、ジンの表情が一変し、その細い目に何かが光る。


イーリアス(ここ)から出たことがないにしちゃ、物知りだなレグルス」


 それはカペラのデュークからもたらされた情報のひとつだった。

 盗賊の巣(ギルディザード)と呼ばれる者たちによって、二百の兵が集められたのだと。

 イーリアスの西の森、魔法障壁の外には、まだ森が続いている。そこは未だ未開の地であるらしく、どこの領地にも属してはいない。国を追われた者、犯罪者、貧しくて国を持たない流れ者がいつしか住み着いたのだという。しかし次第にそれら無法者を纏める者が現れる。そして今や組織として機能し、周辺国や旅人を悩ます存在となっていた。その集団を盗賊の巣(ギルディザード)と呼ぶ。正確な規模や頭となる人物など、実態は分かっていないが、近年その動きは派手になっているようだ。


「知っているか、レグルス? お前らが言う、西の森の向こうの世界を」

「……?」

「あっちも森だ。だが少しだけ違う。あちらは更に西にある砂漠の風を受けて、こっちほど密林じゃねえんだわ。簡単に魔法障壁にたどり着ける……とはいえ、危険は一緒だから障壁にわざわざ近づこうって輩はいねえがな」


 分かるだろう? そう言いたげに言葉を切るジン。

 ティラータの表情が険しくなる。


「……あちら側なのか、埋めたのは」

「ご明察」


 嘲笑うジンを、ティラータは何も言わず睨みつける。

 ()に石板を埋められたのでは、事前に穴が開くのを阻止するのは絶望的だ。事が起こらずにすめば、それにこしたことはない。ティラータはそう思っていた。

 だが、もう後戻りはできない。魔法障壁に穴が開くことは変えられない、ならばやはり考えていた通り、引き入れて一網打尽にするしか手はない。

 ティラータの無言を絶望ととらえたのか、ジンは愉快そうに笑う。


「依頼はきっちりこなすのが身上だと、うるさく言われててね、悪く思うな。めんどくせえが、付き合ってもらうぜレグルス? お前は祭が終わるまで、ここでイイコにしてろ」


 ジンはそう言って、今度こそ薄暗い穴ぐらにティラータを残し、去っていった。


 天井に蓋をされ、薄暗い穴の中、ティラータは両手首を縛られた格好だった。仕方なくそばの壁にもたれ、疲労の激しい身体を休めて、ひと息つく。


「……聞いてたな、オズマ殿?」

『は、ははい! よく、よくご無事で、ティラータ殿』


 鼻にかかった声で、また泣いているのか? とティラータは苦笑する。


「私は大丈夫だ。それより、オズマ殿に至急頼みがある」


 魔道具のピアスの向こうから、オズマの緊張が伝わってくる。


『な、なんでしょうか』

「レイチェルと話がしたい、今すぐに」


 天井から伝わる外の気配に注意しながら、ティラータは低く囁く。

 ティラータは今出来る最善の策を、この穴ぐらで練ることにした。

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