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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
42/63

秘密 1

 ボルドは逸る気持ちを何とか抑え、丁寧な仕草で地下道への木戸をそっと閉じる。彼はアレス公の屋敷から城下へ続く、暗い地下道にいた。この道を使った痕跡を残さぬよう、細心の注意を払い、出口を目指す。万が一この道を魔術師以外が使ったことが知られれば、ティラータの脱出する手立てが絶たれるからだ。

 ボルドがアレス公の屋敷からの脱出を決めたのは、ティラータが単身塔の中へ入ってから、一時間が過ぎようとしていた頃だった。

 倒した見張りを塔の入口そばに座らせ、いかにもサボって寝ているかのように装った。ボルドは茂みの中から周囲を警戒して、ティラータの帰りを待っていた。しかし結局、ティラータは戻ってこなかった。

そして見張り交替の時間が来た。他の警備兵が塔に近づくのを確認し、ボルドはティラータと合流することを諦めた。

 恐らくティラータに何かあったのだと、推察する。手助けに行きたいのはやまやまだったが、当初から何かあれば別行動する手はずであった。ここは早々に城に戻り、詳細はオズマ魔術師次官に聞くしかない。

 ボルドは来た道を辿り、焼けこげた廃墟の地下から這い出し、城へと急いだ。


 城門に馬を乗りつけ馬を預けていると、城の方から近衛兵が二人、ボルドの元へ駆け寄って来た。血相を変えた二人のうち一人は、近衛隊長の伝令を受け持つ、新人近衛兵のベルナールだった。


「副隊長、至急来ていただきたいのですが」


 今この時にか、とボルドは焦る気持ちを抑える。


「こちらも取り込み中なのだが……何があった?」


 もう一人の近衛兵が、門番に背を向けてボルドに耳打ちする。


「魔術師次官のオズマ殿が、暴れだしたらしいのです。今から様子を見にいくところですが」


 どうやらボルドの目的地は、変える必要がなくなったようだ。


「ベルナール、隊長からは何と?」

「はい、ボルド副隊長を見つけ次第、一緒に向かうようにと」


 わかった、と頷くボルド。そしてもう一人の近衛に指示を出す。


「……隊長に、伝令を。()があちらに渡った。詳細はオズマ次官が知っているはず、と」


 その言葉に、近衛兵はハッとして青ざめ、すぐさま城へと走り去る。

 ──猫。隊長が時折り冗談まじりに使う、ティラータを指す隠語だ。

 近衛兵なら、それが誰を意味するのかすぐに分かる。

「お前は私と来い、ベルナール」

 ボルドはぽかんとしていたベルナールを促し、自分はオズマの収監されている独房へ急ぐ。


「た、大変だ……師範長が?」


 そしてようやく事の重大性に気づいた、ベルナール。足をもつれさせながら、遅れまいと走り出す。


「黙って付いて来い!」


 ボルドの一喝に、ベルナールもようやく口元を引き締めた。

 イーリアス城、城壁の地下に、オズマの収監されている監獄がある。その最奥の独房から、太い男の悲鳴が上がる。行き交う看守たちの足音と、石壁をなにかが擦れ合う音が響いていた。その異様な空気を割くように、ぽつりと唄が聞こえてくる。

 次の瞬間には、何かを叩きつける音と、悲鳴がつんざく。

 逃まどう看守たちを下がらせ、ボルドはようやく最奥へたどり着く。


「……なんだ、これは?!」


 独房の鉄格子の前に看守の男が二人、腰を抜かして座りこんでいる。その足元には、生き物のようにうねる、緑の蔦が無数に絡みついていた。

 屈強な牢番が泣きそうになりながら、その蔦を解こうとしているのだが、びくともしない。

 蔦はどうやらオズマの独房の窓から出ているようだ。中の様子を窺おうと、ボルドが近づく。


「オズマ殿いますか、私です、近衛副隊長ボルドです!」


 ボルドから見える範囲全てが、緑の蔦に覆われていた。窓、扉もうっそうとした蔦とその葉で埋まり、まるで森の中をのぞいているようだ。

 しかし、突然うごめく蔦が、ぴたりと静止する。


「オズマ殿?」


 叫ぶボルドの声が届いていたのか、今度は返事があった。


「……ふ、副隊長殿?」


 微かに届くのは、確かにオズマのものであり、ボルドは胸をなで下ろす。


「そうです、私です。戻って来ました。あれから何があったんですか、これはいったいどうしたんです、オズマ殿?」


 すると突然、ボルドの見ている前で再び蔦が動き出す。


「うわあああっ」


 叫び声に後ろを振り返ると、看守たちが絡まる蔦から解放され、床を這って逃げ出そうとしていた。


「副隊長、下!」


 ベルナールの声に足元を見ると、凄まじい勢いでボルドの足元を、蔦が流れていく。しかしそれはボルドに絡まることなく、独房の一室に吸い込まれるように入っていった。元の体積を考えると、蔦はいったいどこに消えているのかと、不思議な思いでボルドが見守る。次第に溢れかえっていた蔦は小さく縮こまり、独房の床一面に収まって収縮を止めたようだ。

 見渡せるようになった独房の中央に、ぽつんとオズマが佇んでいた。


「オズマ殿、大丈夫ですか?」


 ボルドの声に小さな肩を震わせ、オズマが振り向く。姿を確認してほっとしたのもつかの間、オズマの顔を見て、ボルドは眉を寄せる。


「だ、大丈夫じゃないんです……大丈夫なんかじゃ」


 そばかすの散る頬に、幾すじもの涙が伝っていた。眼鏡の奥で真っ赤に腫らした両目が、己がここに来るまでの長い間、そうして泣き続けていたことを、ボルドに知らしめる。

 ボルドはベルナールに目配せをして、解放されぐったりとしている看守たちを連れて行かせる。

 人気のなくなったことを確認し、オズマに向き合う。


「……話して、もらえますね」


 オズマがゆっくり頷く。


「ティラータ殿は、捕まりました」


 立ち尽くすオズマの足元には、小さくなった蔦が、未だ脈打つように蠢いている。オズマはまるで迷子の子供のように、草原で佇み泣いている。


「誰が、彼女を捕らえたのですか」


 ビクリと身体を揺らすオズマ。


「あ、あいつです。あの女と、ジン・マクガイアの二人です」


 珍しいな、とボルドが驚く。荒げる言葉と丸眼鏡の向こうの瞳の中に、暗い感情がこもっている。


「例の女魔術師だけでなく、ジン・マクガイアも塔に居合わせたのですね。それで、今も彼女はあの塔に?」


 オズマは頷く。鉄枠のある狭い窓を隔てた先の、ボルドに手を伸ばす。灰色のローブの下の足が一歩一歩出るごとに、蔦がうねってその場を避けてゆく。その様子に、ボルドはどうしてか嫌悪を禁じえない。およそオズマらしからぬ、見たことのない術だからなのか。

 ボルドの印象では、オズマはもっと大胆で分かりやすい、攻撃的な魔術を得意としていたはずだった。


「それで、今はどのような状況ですか? 彼女と話はできますか?」


 鉄格子に、オズマがか細く小さい拳を打ち付ける。冷たい音が、石の廊下に響いた。


「オズマ殿」

「助けて、下さい……お願いです、あいつが……このままじゃティラータ殿が!」

「落ち着いてください、必ず助けますから、まずは状況を」

「呼びかけに、応じないんです! このままでは、あいつに刻まれる……あいつが刻印に気づいたら何もしない訳がない、早くしないと」


 ボルドの顔色も変わる。


「ちょっと待って下さい、なぜ刻印のことを? いえ、それよりあいつとは、あの女魔術師のことですか? オズマ殿はあの者の素性を知っているのですか?」


 その時、二人の会話を割るかのように、ひとつ杖が打ち鳴らされた。


「アレルヤ」


 ボルドが振り返ると、そこには魔術師団長官ヨーゼル師が、杖を片手に立っていた。その後ろには、ベルナールが申し訳なさそうに、控えている。ベルナールごときでは、この老人の行く手を阻むなど、出来ようはずもない。


「お、お師匠様……」


 ヨーゼル師が、彼特有の重そうな眉を持ち上げる。そして普段窺うことのない瞳を晒して、弟子であるオズマを威圧した。


「その術は禁忌であると、言っておいた筈じゃが、違うか養い子よ」


 杖の先で、蔦を一房持ち上げて見せる。

 突然のヨーゼル師の出現に、ボルドは頭を悩ませる。彼がアレルヤ・オズマの養い親であることは知っている。だからと云って、こちらに与するとは限らず、その立ち位置が未だに知れないからだ。

 そんなボルドの困惑を知ってか、ヨーゼルはいつものようにフォッフォと笑う。


「心配するでない。どちら(・・・)の邪魔もせんわい」


 それはどちらの味方もしない、という事なのだろう。苦笑するしかないボルド。


「お、お師匠様、あ、あいつです。ここから、で出てもいいですか?」


 オズマは蔦を動かし、ヨーゼルに懇願する。


「アレルヤ!」


 師の一喝に、オズマは狼狽する。何を叱責されたのか理解しているのか、小さく頷くと、足元にあった緑の蔦が萎んでゆく。緑から茶へ、そしていつしか砂のように崩れ、跡形もなく消え失せた。

 ヨーゼルは大きく溜息をつき、憂いのある声だった。


「……母親じゃったか」


 俯いたまま、オズマは肯定する。


「あいつは私にしたように、ティラータ殿も切り刻むかもしれません。あいつは、生かしておいてはいけません。この前の子供のように、また禁忌を犯すかも……あのとき気づいていればこ、こんなことには」


 オズマは再びボルドに縋り寄る。


「まだ、あいつはティラータ殿を隠しています。ジンという男も何を考えているのか、それに手を貸しています。塔のさらに地下へ、ティラータ殿を移したようです。きっとそのまま、大祭が過ぎるまで隠すのでしょう……でも、あの女なら、何もせずにいるだなんて、考えられません。あいつは残酷で、人を人とも思わない狂人です、お願いします、早く助け出してください、私、何でもしますからっ」


 再び淡い水色の瞳から、涙が溢れる。そしてオズマは繰り返す。


 ──あいつを、母親(あいつ)を、殺してください、と──

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