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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
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悔恨 4

 薄汚れたマントを羽織り、袖から出る骨ばった手は、青白くしわがれていた。小刻みに指が震えるのは老いたせいか、それとも女特有の病的なものなのか、見るものにひどく不安を抱かせる。ぶつぶつとしきりに呟きながら、ボサボサの髪を机に垂らし、本を横目に何かを書きなぐっている。

 尋常ならざる女魔術師の姿に、見張りをしていた男の眉が不快に歪む。あからさまな態度をとりつつも黙ってはいたが、監視兵が時折り唯一の出入り口である木戸をチラチラみるのは、仕方の無いことだろう。早くこの仕事から解放されたいと、交替を待ちわびているからに、他ならない。

 しかし男が無意識に踵をゆする僅かな音にさえ、女魔術師は落ち窪んだ目をむいて怒鳴り散らす。


「静かにしておくれ、今が大事なところなんだ」


 声音こそかすれてはいたが、しっかりとしたその口調には、以前のような危うい狂気は孕んでいなかった。

 記憶していたよりもしっかりとしたやり取りに、ティラータは魔術師の印象を改める。

 身を隠す作業台の影から、ティラータは慎重に様子を伺う。確認できるのはフードを被ったままの魔術師と、警備兵らしき男の二人のみだ。少なくとも、いるはずのもう一人が見当たらない。

 ティラータが部屋を見回すと、不自然に位置がずれている書棚が目に入る。

 ──そういうことか、ならばさっさと始めるか。問いただしたいことも増えたことだしな。

 ティラータが動く。

 不意なそれに、魔道具の中からまたしてもオズマが短い悲鳴を上げた。


『えっ、ちょっ……まっ、ひぃ』


 情けない悲鳴を無視し、ティラータは男の背後から口元を塞ぎ、そのまま引き倒す。息つく間もなく剣の柄を男のみぞおちに打ち込み、自分より一回り大きい男を、難なく昏倒させていた。

 ドサリと男を放り出し、剣を持ちかえる。物騒な物音に振り返った魔術師に向かって、大きく振りかぶる。

 息を呑む女魔術師。

 凄まじい音をたてながら、壁の支柱と書棚を結ぶように剣が突き刺さる。

 女は剣と壁に挟まれ、一歩も動けない。机に尻をのしかける形でのけ反り、背を壁に押し付け、剣は首にあてられている。つま先立ちを余儀なくされた足は、カタカタと小刻みに震え、まるで首を吊るかのような姿だ。女の首は刃によって薄皮一枚引き裂かれ、僅かながら血をにじませていた。ほんの少しでも身じろぎすれば、肉が簡単に割れるだろう。

 ティラータは剣を突き刺したままその手を離し、本棚の隠し扉へと近づく。

 すると騒ぎを聞きつけたのだろう、扉を押し開け男が一人飛び出してきた。


「どうした、何の音だ……」


 ティラータは出てきた男の胸倉を掴み、手前に勢いよく引きずり倒す。そしてそのまま男の後頭部に手刀を喰らわせた。

 あまりの呆気なさに、女魔術師は声も出せずに固まっていたが、ティラータが振り返ると、その身をビクリと震わせた。


獅子の爪(わたしの剣)は切れ味が自慢だ。頭と胴を繋げておきたくば、動かぬことだ」


 それだけ告げて、ティラータは隠し扉の中の気配をさぐる。

 足元に横たわる男から剣を抜き取り、ティラータは扉をくぐる。

 中は更に薄暗く、大の大人が二人、両手を広げれば壁に手が着いてしまうほどの広さだった。明かりはごく小さな魔道灯が壁付けに一つのみ。

 人の気配をさぐりながら、ぐるりと見回す。乱雑に置かれた木箱や壁掛けの棚の上には、またしても本や魔道具の類が散乱していた。

 奥の一角には、人がようやく身体を横たえられる程度の長椅子が一つ。おそらく仮眠室として使用しているのだろう。

 誰も居ないことを確認し、ティラータは元の部屋に戻った。

 剣と壁に挟まれ拘束されている魔術師の女を尻目に、ティラータは最初に昏倒させた男の剣も取り上げる。二人の監視兵の手足を、その辺に落ちていたボロ布で縛り上げた。


「さて、時間は有限だ」


 ティラータは魔術師の前に立つ。尻は机に押し付けただけ、爪先立ちした足では身体を支えきれず、がくがくと膝を震えさせる女を見上げた。


「魔法障壁を中和させる石板を作ったのは、お前だな?」

「……うぅ」


 震える唇を開き、声を発しようとして女は瞳を揺らして声を止める。喉に力を入れたところで、刃が喰いこんだのだった。


「眼の動きで返事をしろ……お前が作ったんだな?」


 女はゆっくりと視線を下げた。


「ここで、再び作ったのか、改良型を?」


 魔術師の薄いまぶたが見開く。


「答えろ」


 感情の伴わないティラータの問いに、再び女は視線で肯定を示す。


『……やはり完成させていましたか』


 ティラータの左耳に、オズマの嘆きが小さく届いた。


「既に埋め込まれていたとしたら、その魔術の発動を止める方法はあるのか?」


 女魔術師とオズマ、両方への問いかけともとれる言葉に、女は目線を泳がせる。


『お、おそらく石板の破壊、以外に手はないかと……』


 二人の魔術師共に、同じ答えと理解したティラータは、女の机に散らばったいくつもの魔法術式の書かれた紙に目をやる。

 いくつかある紙のうち一つを手に取り、ティラータはさり気なくオズマに見せるように持ち上げる。それは見覚えのあるものだ。回収した割れた石板のものと、酷似している。


『なるほど、ま、まさに改良型です。効率良く月光の魔力を集める仕組みになっているようです』

「やはり、破壊するしかないのか……埋められた場所の特定はできるのか?」


 女魔術師の眼球が左右に揺れる。

 代りに答えるかのように、オズマが言う。


『発動までは、私でも探知は無理です……で、ですが発動すれば、これほどの大掛かりなものですから、すぐにでも突き止められますよ』


 ティラータは暫し考える。いくつか、手立てを考え付いて頷く。


『ティラータ殿、私からもその……質問していいですか?』

「そうだな、他にも色々と聞きたいことはある……おかしな術を仕掛けていないだろうな?」


 ティラータは首に触れさせていた剣に、手をかけた。

 ほんの僅かでも押されたら首は真っ二つである。その恐怖に、女魔術師は目を上下に振って見せる。


『……話をさせるのは少々危険です。こ、こういうタイプは用心深く、いくつも手を隠し持っているものです』


 オズマの言葉に、ティラータはどこかで聞いたような人物像だと苦笑する。まるで鏡のようによく似た二人の魔術師。方や童顔だが悪癖を持った、この国最高の魔術次官と、目の前の年老いて寄る瀬もなく利用されている、だが腕は上等な場末の魔術師。


「……似ている?」


 ふとティラータの眼が、女の前で止まる。

 被ったフードの隙間からは、手入れされていないボサボサの淡い金髪。半分しか見えないがその顔とマントの下のボロから伸びる細い腕は、シミこそ多いが色白で、背は決して高くはない。クマの奥にある目は精細を欠いていたが、淡い水色の虹彩はよくあるものなのだろうか。たしか、とティラータは思い出す。この手で最後を見届け少女も、淡い金とまではいかなくとも、淡い栗毛で水色の眼をしていた。

 名はたしか──アーリア。目の前の老いた女には、少々幼すぎる娘。

 ティラータは良く知る、タンポポ色の頭と水色の瞳の魔術次官を思い浮かべて、まさかと否定する。


『ティラータ殿、先程の紋章について、聞いていただけますか?』


 ティラータは女から眼を離すことなく後ずさり、問題の紙切れを拾い上げる。


「……お前が描いたのか?」


 突きつけられた紋章を見て、女は明らかに動揺している。しかし左右に視線を動かして否定する。


『改良型に利用したのかどうかも……』

「これを、石板にも使ったというのか?!」


 思いもかけない可能性に、ティラータの声がかすれる。

 ピアスの向こうでオズマが言葉を呑む。ティラータの変化に驚いているようだ。


「これがなんなのか、知っているのか?」


 ティラータが鼠色したマントの胸ぐらを掴む。


「……うぅっ」


 女が涙目で顔を歪ませた。血の一筋が首元から服を伝い、ティラータの拳を赤く染める。


『ティラータ殿? どど、どうなさったんですか?』

「答えろ!」


 女を掴んで壁に押し付け、ティラータは剣の柄に手をかける。


『……だ、だめですティラータ殿!』


 オズマの制止を無視して、ティラータは女の首に突きつけられた剣を引き抜く。

 解放された瞬間、女魔術師は大きく空気を吸い込み、安心からか崩れ落ちる。しかしそうはさせまいと、ティラータは掴んだままの胸ぐらを片手で引き上げ、再び壁に押し付ける。


「言え。これは誰から与えられた?」


 女は一度ごくりと喉を鳴らしてから、口を開く。


「ここに、来てから見つけた……ぐ、偶然なんだ。魔道書の中に挟まれてて……」

「魔道書? この屋敷の本か?」


 頷く魔術師。

 この屋敷には確かに、アレス公の蔵書が大量に収められた書庫があったことを、ティラータは記憶していた。だがこの女がその書庫に入ったという事実が、ティラータには信じがたいことだった。


「いったい誰が、どこでお前にそれを見せた?」

『ティラータ殿……?』

「しょ、書庫に」


 ティラータは左拳に力を入れ、思い切り女を壁に押し付ける。息ができず苦しさで顔を歪ませるのは、女魔術師だけでない。

 まさか、とティラータによぎるのは、彼の人だ。


「それは誰だ?」


 苦しくてもがく女は、びくともしないティラータの左腕を掻きむしる。剣で脅されていることも忘れるほどの苦しさに、暴れる爪がティラータの手甲をかすめ、腕に巻かれた布を引き裂いていた。

 そのほんの僅かな隙間から、紋章の一部が露になる。

 それを見とめた魔術師の目が、驚きに見開かれる。


「誰がお前をそこに連れていったのかと、聞いている!」


「俺だよ」


 突如聞こえたその声に、ティラータは後ろを振り返る。

 いつの間にか隠し扉を背に立っていた男が、もう一度言う。


「俺がその女を、書庫に入れたんだよ、レグルス」


 斜にかまえて薄笑いを浮かべる男。


「……ジン」


 ティラータはジンを睨みつける。

 失態を犯したという後悔と、邪魔をされたという苛立ちが、ティラータの中でない交ぜになる。


「取り込み中だ、邪魔をするな」


 ジンは軽く口笛を吹き鳴らし、大げさにおどけて見せた。


「相変わらず、ぶっ飛んだ女だな」


 ティラータは自分の前に魔術師を引き寄せ、ジンに見せ付けるように剣をあてがう。


「そこをどけ、ジン・マクガイア」


 ジンは肩をすくめ、やれやれといった体で己の剣に手をかける。


「無駄だって分かってんだろう? そいつが殺られようが、こっちはもう痛くもかゆくもねえよ」


 ジンは鍔を鳴らして剣を引き抜く。


 ──はる かな そら そよ だこら なよーと

 ──まき よ はり はら ほろり


 突然謳いだす女魔術師。

 呪文とは少し異な印象のそれに、ティラータが気をとられていると、左耳にオズマの悲鳴がつんざく。


『……だ、め、離れ、て……!!』


 咄嗟にティラータは女を突き飛ばす。

 つんのめながらも、謳い続ける。


 ──ふろ よ ただ だこら なよーと

 ──まき よ はり はら


『……ほろり、だこら なよー、と?』


 オズマが震える声で、女の唄に声を重ねる。


「なに、を言っている、オズマ?」


 オズマが再び悲鳴を上げる。

 次の瞬間、ティラータに向かって女の手元から何かが伸びてきた。

 咄嗟に剣でそれをなぎ払うティラータだったが、払っても払っても、それは次から次へと襲い掛かってくる。

 剣で断ち切られ、足元にばさりと落ちるのは、どう見ても葉であり、枝であり、蔦でできた緑の縄だ。尋常でないその勢いに、ついにティラータは片手を絡め取られる。


 ──まき よ はり はら ほろり

 ──ふろ よ ただ だこら なよーと

 唄が呪文となっているのか、鼠色の袖から無数の蔦が這い出してくる。

 ティラータは払う剣にありったけの力をこめ、狂ったように謳いつづける女魔術師に襲い掛かった。

 しかしその剣閃は、あと一寸のところでジンに弾かれてしまう。

 するとその一瞬の隙をつかれ、ティラータの足元から蔦が巻き上がり、膝、腰、腕と縛り上げられてしまった。


「くっ」


 両腕に力を込め、ティラータは植物の縄を引きちぎろうとするのだが、青く瑞々しい枝にもかかわらず、びくともしない。そればかりか、更に肉をぎりぎりと締め付けられていく。


『ティ、ティラータ殿!』

「だまって、いろ……大丈夫だから」

『っでも、だって、アレは……あの唄は!』


 ピアスの魔具の向こうで、オズマがパニックを起こしている。ティラータは彼女が無茶をせぬよう、低くささやくしかなかった。脱出の機を狙うには、オズマの存在を知られるべきではないのだから。

 すっかりと拘束されたティラータは、必死に握りしめていた剣ももろともに簀巻きにされ、身じろぎひとつ出来ない。

 目の前には、女魔術師とジン。

 最悪の組み合わせだ、とティラータは毒づくしか成すすべはなかった。

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