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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第一章 忍び寄る影
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黒真珠の姫 2

 ティラータは城下街を南側から入り、城を迂回するように馬を曳きながら、西にしばらく進んでいた。

 彼女の目に映る景色は、再び古い街並みへと次第に変わっていく。

 旧市街は、先ほどまでの市が立つ所とは違って整備されておらず、路地が入り組んでいて、まるで迷路のようだった。

 新しい市街の中にも、忘れられたかのような旧市街が、浮島のごとくぽつりぽつりと取り残されている。。そこはいくらかの事情を抱える者が隠れ住むのに、かっこうの場所だ。

 ティラータは振り返り、城が東にそびえ立つのを見上げる。

 通りから少し入ったところ、古びた建物の残る路地まで来て、ティラータは周囲に目配せする。すると背にしたレンガ造りの壁の影から、低い声がティラータの耳に届く。


「今日も、目立った動きはナシです」

「そうか、分かった。他には?」

「城へ戻って下さい。今日はあなたの担当ですよ、レグルス」

「……ああ、そうだったな」


 ティラータの気の抜けた応答に、影の向こうから苦笑いが返ってくる。


「そろそろ、姫と女官長殿の攻防が始まる頃合いでしょう」


 落ち着いた声の主の名は、ランカス・ボルド。近衛副隊長にして王宮剣術師範の立場にある。

 つまり彼は、剣術師範長の名をいただくティラータの部下にあたる──ただし剣術場においてのみ、ではあったが。

 年はティラータより四つ年上の二十一歳。二人は幼馴染のような存在でもあり、最も信頼をおく。なぜなら彼はティラータ同様、天賦の才で異例の出世を遂げ、誉ある王室の近衛隊副隊長に就く手練れだからだ。

 そんなボルドがどうして市井の、しかも旧市街地でティラータと落ち合っているかといえば。

 最近旧市街に潜む者たちの中で徒党を組むものが増え、きな臭い噂が伝わってきていた。それらを警戒して、近衛たちが密かに交替で見回りをしている。本来ならば街を警らする兵の仕事なのだが、残念ながら末端の兵士にまで汚職や賄賂が横行していて、ティラータたちの求めるような結果が望めないのが現状だった。

 街の治安にまで気を配らねばならない、切実な理由も抱えていた。それは彼らが守る姫の存在だ。

 ティラータはふと、何か言い足りないのか立ち去る様子のないボルドに気づき振り返る。


「どうした、何か他にも?」


 訊ねられ、ためらいがちに年下の上官へ、その淡いブルーの瞳を向ける。


「いえその、先程の様子を見ていたものですから」


 街での母娘とのやり取りをこの男に見られていたのだと悟り、ティラータはクスリ、と笑う。


「別にいつものことだから気にしてない……相変わらずだなアーシャといい、おまえといい」

「あなたはそう言いますが、そもそも謂れのない差別です。むしろ……」


 納得しかねるのは当の本人ではないようで、優しげな顔立ちのランカス・ボルドではあったが、その目には微かだが憤りが見て取れる。


「ボルド、余計なことは言うな」


 ティラータの鋭い声が、続きを口にすることを許さなかった。


「……すみません、つい」


 男は我にかえり、くしゃりと己の栗毛を掻きあげる。

 そのまま空を仰ぎ見て目線だけで、ちらりと頭ひとつ分小さいティラータを窺う。声の割には不機嫌そうには見えず、何かを考えているようにボルドには見えていた。


「今日は、森で何かあったんですか?」

「……ん?」

「何か、良いことでもありましたか」


 ティラータは問われた意味が掴めないのか、新緑の瞳を不思議そうにボルドに向けた。

 久しぶりに見る憂いのないティラータの表情に、ボルドは問わずにおれなかったのだ。


「……ああ、あったといえば……会ったな。西の森でシリウスに」


 ランカス・ボルドは反応できずに固まっている。シリウスといえば、それが何かであるか一剣士である彼に分からないはずはない。

 そんな予想通りの反応に、ティラータは苦笑いを浮かべていた。


「シリウス……ですか。掴みどころのない噂ばかりが流れていますが、いったい」

「さあな、喰えぬ奴ということだけは分かったが」

「よりによって、今、西の森ですか」


 在位していることのみ、彼も噂で耳にしたことのある剣聖の称号。とはいえ未知の存在は二人にとって厄介であることは間違いなかった。ボルドの顔にも、困惑の色が浮かぶ。


「奴が何者だろうと、我らの邪魔をするのなら容赦するつもりは無い。が……」


 言葉を途切らせたのは、先程のやり取りを思い出したせいだ。と、森での苛立ちを思い出す。同胞ということは疑いようのない事実なのだが、人を食ったような態度には腹が立つのに、あの男自身にはどうしてか警戒心が湧ききらないティラータだった。とはいえ、信用に足るとは言い切れないのも事実だ。


「あの馬鹿者は、あまり気にしなくてもいいだろう。だが、この話は口外するな」

「陛下と隊長へは?」

「それは勿論、私から上げておく。それ以外の者には、指示があるまで内密に」


 ボルドはそれを受けて頷いた。

 近衛たちにどうにかできる相手でないし、あの男に関しては自分が警戒しておけばいいとティラータは結論づける。


「しかし、珍しいですね、あなたがそんな風に言うとは。興味が沸きますね、その『馬鹿』とやらに」


 やめておけ、とティラータは笑いながら手綱を引き寄せる。そして二人は分かれ、その場を立ち去っていった。



◇ ◇ ◇ ◇


「なりませぬ、姫様!」


 神経質な甲高い声が、石造りの長い廊下に響く。

『姫』と呼ばれた娘は、腰まで届く豊かな黒髪を二つに束ね、美しく揺らしながら歩いている。

 すぐ後ろに付き従う初老の女官は、眉間にシワをくっきり寄せながら尚も悲鳴にも近い声で、黒髪の姫を呼び止めるのに必死だ。

 だがようやく女官の方へ振り向くも、『姫』は歩みを止めようとせず、老女官に華やかな笑みを向ける。


「あーん、もう我慢できないっ。ねえ、走っちゃおうか、マイヤ?」


 嬉しくて堪らない風の浮き足立った姿に、すぐ後に従っていたマーヤこと、姫付の女官長が青い顔で固まる。その後をさらに追っていた護衛の女兵士と若い女官も、つんのめるようにして立ち止まるのだった。


「あ、ア……アシャナ様!」


 ヒステリックな悲鳴とも呼べる叫びが廊下に響き渡る。それとは対照的に、アシャナ姫は再びふわりと微笑んだ。


「やあね、冗談よ」


 この国では珍しい黒髪の姫の名は、アシャナ・ル・イーリアス。イーリアスの第一位にして唯一の王位継承者だ。

 抜けるような白い肌に、真っ直ぐで艶のある腰まで届きそうな黒髪。(すみれ)色をした瞳を持つ王女は、コロコロと変わる愛くるしい表情のせいか、十六という年齢よりも幼く見える。

 美しく整った容姿に加えて、社交的で気取らない性格が人々に愛され、「黒真珠の姫」と称されていた。

 そのアシャナ姫は今、ふわりとした緩めのズボンに革のブーツを履き、動きやすい半袖のブラウスにベストといういで立ちだ。長い髪を根元で二つにまとめ、両手には似つかわしくない長剣を大事そうに抱えている。


「あ、いけない遅刻しちゃうわ」


 慌てて歩を速めるアシャナ姫。


「お待ち下さい姫様。危うございます、何もあなた様が剣術をお習いにならなくとも、近衛に任せておけば良いのです。しかも、あの汚らわしい者に手ほどきを受けるなど、なぜ陛下はお許しになられるのでしょうか!」


 最後は嘆くような女官の言葉を、歩を緩めることなくアシャナは聞いていた。だがその形の良い口角が、ほんの少し歪み、小さなため息を漏らしたことには誰も気付かない。


「危険なんてあるわけ無くてよ。ティラータ・レダは黄金の獅子(レグルス)の位を持つ、この世界の最高位の剣士なのだから」


 アシャナは思い出す。

 珍しい片刃で細身の剣を持ち、舞うように相手をなぎ倒す、華麗なティラータの姿を。


「そ、それは……そうかもしれませんが」


 老女官は目線を泳がせ、神経質そうな薄い唇を噛むしかない。反論の余地がないのは、今に始まった事ではないのだ。

 

 女官たちを置き去りにして剣術場へと去った姫を、女官長マイヤはため息まじりに見送る。───どうしてあの蛮族を傍に置きたがるのか、と。

 それは幾度となく巡らせた思いだった。

 マイヤは苦しい胸のうちを、声に出さずにはおれなかった。傍らの若い女官には、聞こえてもかまうものかという様子で。


「幼き頃よりこの手でお育てしてきた筈の姫が、どうして……」

 

 もっとも理解し難いところであった。

 誰にでも分け隔ての無い、優しく立派な姫。それが人々の評価にちがいない。だが近くで過ごすマイヤにとって、ティラータ・レダに対しての姫の態度は、臣下という意味で度を超えているとしか思えなかったのだった。

 女官長マイヤは、もういく度目になろうかという深いため息を漏らす。

 姫とティラータが並び立つ姿にも、マイヤにとって苛立ちの原因を占める。可憐な容姿に似つかわしくない闇色の髪と、目も覚めるような黄金の輝き。


「なぜ……なぜ我が姫が黒髪であるというのに、よりにもよって忌々しい獣の血を持つあの女が、王家を象徴する黄金をもつなど……」


 マイヤは腹立たしさでいっぱいだという風に、呟く。


「忌々しい対比をわざわざ晒すかのように、なぜ並び育てたのですか陛下……不憫でお可哀想な姫様」


 姫の不運を(おもんばか)り、女官長は自らの記憶にすら目を逸らしたい気分だったのだろう。

 始終ご機嫌だったアシャナ姫を思い出し、苦みばしった女官長マイヤ。そして姫の去った後、苦悩のあまり少々立場を忘れて毒づく上司のマイヤを気遣って、ただその呟きに同意する若い女官たち。


 そんな女官たちの芝居がかった──しかし本人達はいたって真剣なのだろう──やり取りを、護衛の女兵士は冷ややかな目で振り返る。

 しかしすぐに興味を失ったように振り返ると、姫の護衛の一人として居合わせた赤髪の女兵士は、姫を追って剣術場へと消えていったのだった。

 

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