表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
39/63

悔恨 2

 ──私が私としての自我が芽生えたのとほとんど同時期、霞がかったかのような記憶の中にそれはあった。


 赤い煉瓦を積み重ねた物見櫓はとても古く、城下町の外れだったここに、自衛のために建てられたそうだ。拡大していった街に埋もれた今となっては、子供の遊び場になるくらいしか役目がない。

 レンガと同じ色をしたとんがり屋根の先には、風見鶏を模した鋼の装飾があり、黒髪の少女『アーシャ』は、いつも「鳥の塔まで競争よ」と笑って走った。

 塔の前には芝生の広場があり、そこに群生する野花や花壇の花を拝借して、私とアーシャは毎日のように花冠を作った。


 そもそも母を失い、死にかけた末に森から連れ出された幼い私は、衰弱により何日も寝込んでいたようだ。

 手厚い看病を受け、起き上がれるようになってからの数ヶ月間、私は『おじさま』の屋敷で過ごした。屋敷の敷地はとても広く、塔を含めいくつもの建物があった。森で母と二人、隠れるように暮らしていた私にとって、そこはまるで迷宮のようだった。迷子になる以前に、一人ではどこにも辿り着けない気がした。事実、常に誰かに手を引かれて過ごした記憶がある。

 屋敷にいる間は、毎日アーシャとおじさまが相手をしてくれて、いろんな事を教えてくれた。それこそ花冠の作り方から、あいさつの言葉、スプーンの上手な使い方に至るまで。


 ある日、塔の見える広場でアーシャと二人、いつものように花を摘んでいた。

 アーシャに贈る花冠を作ろうと、夢中になっていた私の上に、影が落ちた。

 見上げると人が立っていて、逆光で顔は見えなかったせいか、私はぼんやりその人を眺めていた。おじさま以外は数人の使用人しか見たことがなかった私は、見知らぬ人とそうでない人との区別がつかなかったのだと、思う。

 ふいに影からとても白くて細い腕が伸びてきて、その人が女の人だと気付く。

 かがんで近寄ってきたその顔立ちはとても美しく、しかし儚げで、さらさらと長い金髪ととても澄んだ青い眼が印象的だった。

 その時、側にいたアーシャが驚いたような小さな悲鳴をもらした。

 

 視線を逸らした次の瞬間、私は膝の上に白い花を散らした。芝の緑と、目に鮮やかな赤いスカート。それらを汚すように、花冠が崩れて舞う。


 息が、できなかった。

 幼い私には、いったい何が起きているのかさえ、分からなかった。

 抵抗すら出来ない強い力で締め上げられ、首を動かすこともままならず。驚きとともに、視線だけを女性に戻す。するとそこには天使のように微笑をたたえた女性がいた。

 アーシャのつんざくような悲鳴が、ひどく遠くに感じられる。

 少女の悲痛な叫びより、はるかに小さいはずの女性の呟きが、締め付ける首を通して、いやに大きく耳に響いた。


「かえして……かえして、わたくしのあの人を。あの人の金を」


 シロツメクサの群生に沈みながら、かすむ視界。きつく締め付ける激情とは裏腹に、小さく呟く声が繰り返す。

 あの人を返せ、と。

 あの人と結ばれるのは、わたくし。あの人の金を産んでさしあげるのは、わたくし。

 これ(・・)が消えてしまえば、きっとまたあの人が、かえってくる。


 失われゆく意識の代わりに、女性の射抜くような激しい感情が、身体に入ってくる。

 この人は、私が憎いんだと悟った。どうしてなのか知らないけれど、私が邪魔なんだ。


 ふいに圧迫から解放され、突然戻った呼吸に、私は激しく咳き込んだ。永遠に感じられた苦しさは、実際はさほどの間ではなかったのだろう。

 私を掻き抱き、泣きつくアーシャ。その肩越しに、おじさまに羽交い絞めされ、虚ろに宙を見る女性が見えた。

 その両腕はいまだ前に差し出され、何かを求めているようだった。首を絞められて、空気を求めもがいた時よりも、その姿は私に恐怖を感じさせた。

 おじさまはその人に、一生懸命声をかけてなだめている。


「ヴィヴィ、もうやめるんだ」

「ああ、ルートヴィッヒ様、ヴィヴィは今、穢れをはらうところでしたのよ」


 虚ろな表情から一変して、微笑をうかべて振り返るる女性の言葉に、おじさまの方が泣きそうな顔だ。


「ヴィヴィ、だめだ」

「ルートヴィッヒ様を穢したあの恐ろしい獣が、ここに」


 口元は笑んだまま、狂気に満ちた目がティラータを見下ろす。


「やめろ、ヴィヴィアン!」


 おじさまの制止をきかず、女の人は続ける。


「ルートヴィッヒ様の金の髪を簒奪するなんて、卑しいにもほどがあるわ。わたくしが消してさしあげますの。そうすればほら、もうあの汚らわしい雌も、わたくしとルートヴィッヒ様の邪魔をできませんわ……もういちどルートヴィッヒ様が王となり、わたくしが妃としてお支えしましょう」


 羽交い絞めにされながらも尚、私に伸ばされる白く細い指。そのうごめく指を見ながら、今度こそ私の意識は闇に沈んでいった。



「ス……レグルス!」


 ティラータはボルドの呼びかけに、ハッとして意識を現実へ引き戻す。

 そしてひとつ大きく息をついたところで、心配そうに覗きこむボルドと目が合った。


「大丈夫ですか、真っ青ですよ」

「大丈夫、だ」


 久しぶりに見た景色に触発されたのか。ティラータにとって既に思い出すことも少なくなった記憶が、まるで白昼の夢のごとく溢れ出したのだ。

 ティラータは壁に身を預け、暴れて波打つ鼓動を必死に押さえ込む。


「……すまなかった、何でもない」

「……本当に? 無理をせず、引き返しますか」


 大丈夫という言葉をはなから信用していないかのようなボルドに、ティラータは首を振る。


「いい。それよりも、アレス公のここ最近の動向を把握しているか?」


 ボルドはその言葉に頷く。


「二週間ほど前からは、奥方様のご容態が芳しくなく、公務もそこそこにこの屋敷に戻られることが多いようです。今日はまだ城に残られていたはずですが……」


 ボルドの報告に、ティラータはようやく落ち着けた心臓を鷲掴みにされた気がした。

 ──あの人が、ここに居るのか。

 ヴィヴィアン・ユモレスク、アレス公の妻である人。王妃であることを周囲に望まれ、しかし叶わなかったが故に心が壊れた、哀れな女性。


「件の魔術師は、アレス公の屋敷に匿われているということに、なりますね」


 ボルドの言葉が、ティラータの胸に重たく響く。

 そこへ、暫く静かだったオズマが声をかけてきた。


『あの、ようやく、大体ですが突き止めました』

「魔術師の居場所か?」


 ティラータの驚いた様子に、オズマはいつも以上にどもりながらも肯定する。


『そそ、それでどうしますか?』

「もちろん、誘導を頼む」


 ティラータとボルドは頷き合って、埃の舞う倉庫部屋を出ることにした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ