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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
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二色の剣

  夜明けも迎えていないイーリアス城門をくぐる、二頭の馬。騎乗するのは、ティラータとデューク。

 城下町へと差し掛かると、夜も明けきらぬ内から市が立ち、まだ人手こそまばらだったが、商いをする者たちが仕入れにと店を行き交う。


「想像していたよりは、賑やかな街だな」


 デュークの感想にティラータは浮かない顔で頷く。


「祭を控えているからな。だがそれがなければ、もう少し寂しい。これを機に真の賑わいを取り戻せれば良いのだが」


 デュークは市場を見渡していたその眼をティラータへと向ける。


「仕掛けもなくただ待っているだけでは何も変わるまい。とはいえ、要となる政に憂いがあったのでは、それも徒労に終わろう……正念場だなティラータ」

「ああ……」


 権力の中枢に虫が巣食うから国が退廃するのか、はたまた国の退廃が虫を住まわせるのか。ティラータは己の行く先にある険しい道を(おもんばか)り、気持ちを引き締める。祭まであと五日余りなのだから。

 街を抜けきる頃、二人は馬の歩を速める。


「ベクシーの元へ行くのなら、私が森から戻ってからでも充分だったと思うが、こんな早朝からつき合わせて申し訳ない」


 昨夜国王から許可を得て、再び西の森の見回りに行くティラータに、ついでにベクシーの館への案内を頼んできたのはデューク本人だった。旅の疲れもあるだろうからと皆が気遣いを見せても、淡々と断りを述べていた。


「気にすることはない。だが、こうでもせねば二人きりでは話すこともままならぬとは、思わなかったが」


 その言葉通り、昨夜のアシャナ姫のサロンでの会話だけが、全てだった。


「一応、謹慎中なので、すまない」


 何を考えているのか分からぬ無表情のまま、デュークは静かに話し始める。


「本来、我らは何者にも縛られぬ存在だ。それはどこの国に属さぬもよし、反対にどこかの国に住みつき特定の国や地域に肩入れしてもよし……ティラータ、お前のように」


 それは剣聖の称号を得たときに教えられたことだ。分かっている、と応えるティラータを、デュークがじっと見つめ返す。


「剣聖には自由が与えられている。だがそれ相応の責任も生まれる。肩入れするのと与するのは意味が全く違うことを、忘れてはならない。肩入れしているだけなら、道を正せば済むこと。だが与してしまえば簡単には外れることもままならず、思うようにいかないだろう。もしその国が罪を犯しても、我らが与しているというだけで、その罪は正義となる。その責、どちらが重く罪深いか、分からぬ筈あるまい?」

「アシャナ姫は、道を誤るような人ではない」

「それでも、だ。人の行く末など、誰にも予測できない」


 ティラータは返答に窮する。


「……この先何があってもアーシャなら、良き姫良き治世者になってくれると信じたい……いや、信じている。アーシャがもし道を誤るのなら、その前に私が正す。その為にも側にいる」


 ──だが万が一、それも叶わなかったなら、私はどうするのだろう。

 今まで考えてもみなかった可能性に気付くティラータ。それを察してデュークが続ける。


「もしこの国を覆う障壁が誰かの思惑で消滅し、王位を簒奪された時。かの王女は今とは全く異なる地位、存在となる。そしてもし、王女の最も近しい者を失い後ろ盾もなく、あのか弱い身ひとつとなった時。はたしてお前(レグルス)という存在(ちから)を、彼女がどう捉えるか」


 ティラータは手綱を持つ手に力が入る。


「我ら剣聖は、味方する存在に正当性を与え、守るだけの力を持つが、一度失われたものを取り戻すことなどできない。ましてや一個人の復讐の道具に成り下がりでもすれば、我々同胞の手で、その者を消すことにもなるだろう」


 デュークの言いたい事はティラータにもよく分かっていた。

 もしもアシャナ個人が道を誤り、取り返しつかなくなった時、ティラータに彼女を斬る覚悟があるかと、そう言いたいのだろう。

 アシャナを刃にかける己の姿を想像し、ティラータの身体に寒気が走る。


「分からない、私は……」


 建て前でも何か言えればよいものを、と自嘲するティラータに、デュークは柔らかい表情を見せた。


「元来、剣聖になる者に少なからず国を背負う立場の者が出る。だが結局は王になった者はいない。難しい問題だ、急ぐ必要はない。答えが出たら、いつか聞かせてくれ」

「……ああ」


 歴代の剣聖たちが根なし草となることが多いのは、ティラータとイーリアスの関係と同じような問題を抱えていたからだろう。ふとティラータは、自分を心配してみせた目の前の男の出自を思い起こした。

 確か、フィンディアの王族だったはずだ。


「デュークは国に根を下ろすことはないのか?」


 ふいにこの男ならどうするのか知りたくなった。


「我は生まれた国には与することはない。生涯、それは変わらぬだろう」

「それで良いのか?」

「別段不満があって出奔したわけではないが、私には狭かったのだよ、ひとつの国の一人の王弟として生きるなど。たとえそれがもし、王位が与えらる地位にいたとしても、変わらなかったろう……それは(シリウス)も同じだろうが……」

「……あいつが?」


 一瞬、デュークは驚いたような表情の後、首を振る。


「いや、何でもない」


 何の事かと問いただす暇もなく、二人はベクシーの館に到着していた。共に馬を降りようとしたティラータを制して礼を述べるデューク。


「ここまででいい。……(シリウス)にも協力を頼んだのか?」

「いや、私からは何も」


 ティラータは眉をしかめる。

 昨夜デュークに協力を仰いだのはティラータだ。その返答はまだもらっていない。


「何故だ? 私とはまだ会ったばかりのはず。お前の一番大事な姫の護衛だ、私でよかったのか?」

「あいつは胡散臭いから、アーシャの側には置きたくない……それにそんな仕事はあいつに向かないだろう」


 驚いたような表情のデューク。


「それにあなたは信用に足る。そう感じた」

「……そうか」


 ふっと金の髪が揺れ、その眼が細まり優雅に微笑む。


「ならば、お前の願い聞き入れよう。祭の間のみ黒真珠の姫の護衛はまかせよ、ティラータ」

「ありがとう、デューク」

「礼は無事祭が終わってからでよい。ところで障壁のある森へ行くのだろう、そこで奴にも会うのか?」


 馬上のティラータが頷く。


「まだ居るのかどうかも分からぬが、何を考えているのか問い詰めるつもりだ」

「……奴の肩を持つわけではないが、理由くらいは聞いてやれ、ティラータ。愚か者ではあるが、気まぐれに動くような者でもない」

「わかった」


 短く答えてティラータは手綱を引いて踵を返す。そしてデュークが見送る中、西の森へ向けて愛馬を走らせた。

 昇り始めた朝日を背に受け、来た道を戻り西の森へと入った。

 すると直ぐに異変に気付く。森へ入ってすぐに、相当数の馬の蹄の跡と、狼たちの踏み荒らした跡。それをたどって奥へ進むと、少しだけ開けた場所に出る。

 そこには既に何もないが、ここでひと悶着あったことくらい、容易く伺える。

 しかしそれより先へは蹄跡は途切れている。ということは、ここでフェイゼルたちが足止めされたということか。

 ティラータは数歩戻る。

 地面に黒い染みが広がっていた。しゃがみ込みその落ち葉と木の根についた黒を、指ですくい取る。べっとりとした血が絡み付くのは、狼らしき獣の毛。

 ──まさか、ヴラド?

 ティラータは素早くブランシスの背に乗ると、森の泉へと急いだ。


 泉に朝日が反射し、囲うように迫る木々の枝葉の向こうまで、キラキラと光が差し明るくなっていく。幹にはリスが伝い、その上を鳥たちが羽ばたき、泉に集まって水浴びを始めていた。

 そんな朝の日課を、森の主のごとくそびえる楠の樹上に寝そべり、ぼんやり眺めているのはシリウスとその僕、ヴラド。

 ふいにシリウスが起き上がり、樹の上から森を覗き込む。近づいてきる蹄の音を確認すると、主人に倣って上げたヴラドの頭をぐりぐりと撫で回し、再び樹上に寝そべる。

 楠の根元までやって来たティラータは、樹上を仰ぎ見て大声を張り上げた。


「降りてこいシリウス!」


 茂った若葉の間から、シリウスが顔を出す。そして渋々と飛び降りてきたシリウスに、ティラータが一喝する。


「何を考えてる! お前が傷を負わせた相手が何者か分かっているのか?」


 目の前で気だるそうにしているシリウスに、ティラータは更にまくし立てる。


「相手はイーリアス騎兵隊隊長フェイゼル伯爵だ。彼は国王陛下の正式な許可のもと、この森に入ったのだ。狼たちならいざ知らず、お前は……」

「ああ、あいつが誰なのかは、理解している」

「ならなぜ姿を現し、わざわざ奴に傷を負わせたのだ? そんなことをすれば、お前も無関係ではいられなくなるぞ!」


 そう言い、正面きって憤慨するティラータに、シリウスは唖然とする。

 そして笑った。


「何がおかしい!」

「まさか、俺の心配までしてくれるとは思わなかった」

「なっ……そんなんじゃない!」

 ティラータは慌てて否定するが、シリウスの笑いは止まらず。

「わ、笑い事で済むか! 既にお前は私の協力者とみなされているだろう」


 ティラータはますます眉間にシワを寄せるが、当の男はあっけらかんとした態度を崩さない。


「心配はいらねえよ。奴らは俺に手出しできない」

「……だから、お前はいったい……」


 何様なのだ、という問いを、ティラータは口にすることができなかった。

 急に黙り込んだティラータを、不思議そうに伺うシリウスから顔を背ける。

 今なら問えば、すんなり答えが返ってくる気がした。だからティラータは聞けなかった、知りたくないと咄嗟に思ったのだ。

 そんな自分に戸惑い、もやもやしたものを振り払うかのように頭を振り、思考を切り替えた。


「そんなことより、ヴラドは? 彼は無事なのか?」

「……? ああ」


 シリウスが上を指し示すと、樹の上から狼が顔を覗かせていた。のそりと幹を蹴り、二人に割って入るように着地する。


「見ての通りだが」


 シリウスの言葉を確かめるようにヴラドの毛に指を沈ませた。口元の傷を認め、ティラータは首をかしげる。


「少し怪我をしている、大丈夫か?」


 ヴラドは金の目を細め、細いその手に首を擦り寄せ甘える。


「かすり傷だ、甘やかすな?」


 シリウスが二人を呆れ顔で見ていた。

 ではあの大量の血痕は? と疑問に思っているティラータを、手元のヴラドが何か言いたげにじっと見つめている。


「来いよ」


 シリウスが促し、三人は森へ入る。そしてティラータは全てを悟った。

 シリウスがフェイゼルを傷つけた訳。デュークが問えといった理由が、そこにあった。

 木漏れ日すら届かぬ低木の根元、藪に隠されるようにして横たわる一匹の狼。その腹には致命傷となったであろう深い傷がひとつ。

 ティラータは膝をつき、屍となった狼の頬に触れる。


「……すまなかった」


 静かに語りかけるティラータに寄り添うヴラド。


「私が至らぬせいで、おまえたちの手を煩わせ……罪のない命を失わせた」


 苦しげに目を伏せるティラータ。


「それで、どうするつもりだ?」


 シリウスに問われ、ティラータは強い決意をもって立ち上がる。


「完膚なきまでに叩き潰す」


 シリウスが意外そうな顔をしているが、かまわずティラータは空に揺らめく虹色を睨み付けた。


「二百、あの向こうにいる。ならば引き入れて一網打尽とする」


 それを聞いてシリウスがニヤリと笑む。


「一人でやるつもりか?」


 いくら剣聖とて、武装した二百人もの相手を一人で相手にするなど、無謀だろう。だが、限られた入り口から限られた狭い場所での戦闘ならば、いくつか手がない訳ではない。

 懸案だったアシャナ姫の護衛に関して対策ができた今、ティラータが躊躇する理由もない。


「俺も一口乗ろう、それで二百対二だ。悪くないだろう」


 護りと攻撃、二色(ふたいろ)の剣を味方につけたティラータ。

 しかし男の言葉が期待していたものであったにもかかわらず、あまりにもその顔が楽しそうだったせいか、ティラータは頷くのをしばし躊躇うのだった。


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