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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
33/63

獣の王 3

 それはフェイゼルの想像をはるかに上回るスピードだった。牙をむいて襲い掛かる獣を剣で斬りつけようとかまえるが、容易く懐に入られる。

 寸でのところで牙を受け止めたが、押し返すだけの力が足りず振り切った柄を持ち上げ、払いのけるのが精一杯だった。


「隊長!」


 騎兵隊員の叫びと共に地面に降り立った黒狼、ヴラドの口元には赤い血が滴っていた。

 ──グルルル

 低く響く声がまだ攻撃がやまないことを知らせる。


「隊長、お怪我を?」


 フェイゼルは目線を獲物であるヴラドから離さず、剣をかまえる。


「私ではなく、奴の血だ」


 フェイゼルの咄嗟の判断で刃を引き上げたことで、ヴラドにわずかとはいえ傷を負わせていたのだった。

 ヴラドの血の臭いに、周囲の狼の群れの様子に変化が現れた。

 どの狼も姿勢を低く保ち、眼光鋭く人間たちを睨みつけにじり寄ってくる。

 獣たちの主であるヴラドを傷つけた人間を許さぬと言わんばかりだ。もはや騎兵隊たちと狼の前面衝突は避けようもない、一触即発な雰囲気だ。

 騎兵隊員は円陣を組み、互いに背中合わせとなるようにして、襲いかかろうとする狼たちを警戒して武器をかまえる。

 唯一ヴラドと対峙するフェイゼルは陣を外れ、馬を捨てヴラドに襲い掛かる。


「隊長、危険です!」


 副官の叫びに、フェイゼルは眉を寄せる。

 この状況で、目の前の狼を倒さず活路を見出せるとでも思っているのか、と部下の場違いな声に毒づく。

 フェイゼルの剣はヴラドの速さを捉えきれず、次々と空を切る。

 ヴラドの金の眼はまったく覇気を失っておらず、反撃の様子をうかがっているのが分かる。それが分かっているからこそ、フェイゼルは次々と攻撃の手を休めず剣を繰り出し、反撃の隙を与えない。

 しかし、一瞬だがフェイゼルの足が木の根にとらわれ、一歩遅れる。

 しかし千載一隅のチャンスとばかりに、ヴラドが牙をむき飛びかかる。


「……くっ!」


 フェイゼルは再び剣の腹で攻撃を受け止めたが、勢いまでは流しきれず、ヴラドに押し倒される形で背をつける。

 咽元に牙が食い込もうとした次の瞬間、呻いたのはヴラドの方だった。

 フェイゼルの蹴りがヴラドの腹に入っていた。

 ヴラドの巨体が軽々と、その威力で転がされる。

 期を逃さんとフェイゼルは体制を建て直し、剣を振り下ろす。


「死ね、獣」


 ヴラドの胴と頭が一刀両断とされようとした、その時──。

 高い金属音を響かせて、フェイゼルの剣はヴラドの真上で止まる。


「──!」


 フェイゼルは剣先をたどり目線を上げる。

 黒い狼をかばうように受け止めているのは、色とりどりの星を散りばめたかのような美しい刀身を持つ一振りの剣。柄には相反するような禍々しい蜥蜴のごとく爪と鱗の生えた翼を模した意匠。それを持つ腕は確かに鍛えられた男のもの。顔は目深に被ったフード付きマントのせいで分からないが、垣間見える口元には不敵な笑み。

 はっとしてフェイゼルは身構える。

 だがそれも空しく男が剣を軽く振り上げただけで、その剣威によってフェイゼルは吹き飛ばされた。


「がっ……は!」


 背を木の根に叩きつけられ、フェイゼルが呻く。

 倒れて悶絶するフェイゼルの剣を持つ腕を、男は容赦なく踏みつけた。


「ぐっ……貴様!」


 ギリリと軋む肩を押さえ仰ぎ見るフードの中には、凍るほどの怒気に満ち、グレイに光る男の眼があった。フェイゼルの背に、感じたことのない悪寒が走る。


「代償は払ってもらう。命ひとつ分、決して軽いと思うな」


 男は剣を鞘に納めると、その鞘ごとフェイゼルの(すね)に振り下ろす。


「ぐああぁっ!」


 骨を砕く鈍い音と、フェイゼルの叫びが森にこだまする。


「隊長!」


 苦痛に顔を歪めるフェイゼル。突然の男の出現と圧倒的な展開にも、ようやく正気を戻したのか騎兵隊員たちが慌てて武器をかまえ直す。

 得体の知れない狼たちより、人間が相手となれば自分たちでも何とかできると考えたのだろうが──相手が悪かった。

 フードの男は再び剣を抜き、馬上の男たちに切っ先をつきつけた。


「死にたいのか?」


 唯そのひと言で、騎兵隊の精鋭たちは青ざめる。


「ま……て、貴様が、シリ、ウスか?」


 地に伏したままのフェイゼルが、やっとのことで声を発した。

 フードの男──シリウスが踏みつけたままのフェイゼルへ顔をを向ける。


「やめろ……ここは、退く」


 フェイゼルは周囲を見回す。自分を屈服させている男とその脇に静かに立つ黒狼、そして先程まで猛りきっていたはずが今は王にかしずく臣下のように伏せた狼たち。

 この状況を見れば黒い狼ではなく、この男こそが本当の獣たちの王であると、フェイゼルにも理解できた。

 フードの下で、シリウスの口元には笑みが浮かぶ。そして切っ先は騎兵隊に向けたままではあったが、一歩退いてみせた。

 その様子を受け、副官がフェイゼルに駆け寄り助け起こす。


「おまえ……」


 シリウスの声に、フェイゼルが肩を借りたまま振り返る。


「不用意な言葉は身を滅ぼすぞ……俺の名、どこ(・・)から得た?」


 そのささやきに、再びフェイゼルの背筋が冷える。

 ──誰に?

 その問いは事実、フェイゼルの立場を危うくするものだった。

 そう、誰から聞いたのかが問題だ。

 シリウスと呼ばれる七剣聖が、西の森(ここ)で暗躍しているということを──。

 もちろんティラータ・レダから彼らフェイゼルに漏れることなどありえない。そしてティラータが報告したミヒャエル王とその腹心カナンでもなく、その片腕であるボルドでもない。

 とすれば、残るは西の森(ここ)でヴラドに傷を付けられた本人──ジン・マクガイア以外にありえないのだ。

 そのことに気づき、フェイゼルは口を歪める。

 肩を貸す部下にはそれが傷の痛みに耐えているせいなのか、シリウスの追求に窮してのことなのかは知るところではないだろう。

 笑みをもって見送る男を、フェイゼルはただ畏れをもって振り返る。格の違いを見せ付けられて。

「行け……そして二度と来るな」

 ここはお前たちのような者が、土足で踏み荒らしていい土地ではない。シリウスの言葉には、そんな意味を感じさせるに足る、怒気が含まれていた。


 大きな黒狼と無数の群を引き連れて、フードの男が立つ。

 その姿に見送られ、騎兵隊員たちは苦々しい思いで西の森を後にした。

 今回ばかりは退かざるを得ないだろう。隊長であるフェイゼルが負った傷は決して浅いものではない。こんな森ひとつに、貴族たる我ら騎兵隊員の尊い命をかけるに値するものがあると、副官の男には到底思えなかった。


「大丈夫ですか、フェイゼル隊長?」


 恐らく砕かれたであろう足を庇い、支えられながら同乗するフェイゼルを気遣う。


「隊長、あれは本当にシリウスなのですか? なぜ、王の許しを得た我々があのような得体の知れない輩に……っ?」


 副官のわき腹には、鋭く光る短剣が当てられていた。あまりのことに言葉を失い、こめかみからは汗が噴き出る。


「た、隊長?」

「そのような者はいなかった」

「……は?」


 副官は自分に向けられた、フェイゼルの凍るような眼差しに何も言えず、ただ頷く。

 フェイゼルもまた、黙ったまま短剣を収め再び前を向く。

 そのやり取りを見咎めるものは、どこにもいない。だがこの出来事が、騎兵隊の隊長と副官の間に亀裂が入るひとつのきっかけとなった事は、間違いなかった。


 一方森に残ったシリウスは、厳しい表情のまま立ち尽くす。

 足元には無残に横たわる一頭の狼。

 シリウスの脇にいたヴラドが、歩み寄ってそっと遺体に鼻先を寄せると、二人の前に一頭の雄が近寄ってきた。


「おまえの、つがいか」

 

 シリウスはそうつぶやくと、膝をつく。

 死んだ仲間に寄り添う狼の首に手をおき、そっと撫でる。


「すまなかった」


 間に合わなかった。

 シリウスがそう告げると、狼は鼻を鳴らして身をすり寄せてきた。

 決して彼らを駒として使うつもりはなかった。それは言い訳でしかないかもしれないが、傷つけるつもりはシリウスにもヴラドにもなかった。

 シリウスは横たわる若い狼の下に手を入れ、力ないその身体を持ち上げる。


「ここは騒がしい……せめて静かな場所へ移そう」


 そう言うと、死んだ狼の群のボスらしき一頭が案内を買って出た。

 森に、狼たちの悲しい遠吠えがこだまする。

 

 そして狼たちの悲しみの葬歌が止むころには、西の森はいつもの穏やかな獣たちの楽園に、その姿を戻していったのだった。



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