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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
32/63

獣の王 2

 ぽかりと空いた木々の間から暖かな日差しが差し込み、泉に反射してあたり一面を照らして光輝く。そして寄り添うようにそびえ立つ楠の枝葉からも、穏やかな木漏れ日が重なる。

 森の入口での喧騒とはうってかわって、西の森の中はいつもの穏やかさが保たれ、鳥達も機嫌よくさえずり、空を行き交っている。

 そんな泉のほとり、楠の太い幹にもたれかかり、午睡をむさぼる男がひとり。

 ふと慣れた気配に片目を開ける。


「……どうした?」

 

近づく気配は音もなく近寄り、その黒い巨体を横たえ、組んだ両前足の上に顎をのせた。


「退屈してきたか。そろそろ本隊が来るころだろう、それを追っ払うまでだからな、辛抱しろよ」


 シリウスは相棒を慰める。

 耳をぴくぴくと動かすだけで、そっぽを向いたまま動かない。

 二人──いや、一人と一匹は再び目を伏せ、しばし退屈を紛らわす。

 そよ風が頬をくすぐり、適度な暖かさで木漏れ日がゆれる。すんなりと夢の中に入れそうな、昼寝にはうってつけの日だ、とシリウスはしみじみと思う。


「あぁ、いっそのこと、ここに住みつくかな」


 あまりにも久しいのんびりとした空気に、思わずそんな呟きがもれるのも仕方のないことだとひとりごちる。

 隣でも同意するかのように、機嫌よく狼が咽をならしている。


「おまえは半分本気だろう、シャレにならん」


 相棒の目的がのどかな森と泉ではなく、泉の主である金の髪の娘とすぐにわかり、笑いがこみ上げる。


「おまえが尻尾を振ってるの初めて見た……そんなに懐くなんてな」


 くくっと笑うと、不満なのかヴラドもひと吠え。

 シリウスは相棒の狼が何を考えているのか、手に取るようにわかり呆れる。

 しかしもうひと吠えして、再びそっぽを向いてしまったヴラド。

 いったい誰の半身だおまえは、と心の中でつっこむシリウスだった。


「だがまあ、それも悪くないか……むしろ気楽な放蕩生活のほうが俺の性分だ。そうだろう、ラスフォン?」


 シリウスが視線を森の奥へと投げると、茂みをかき分けて、壮年の体格の良い男が現れた。


「ご冗談はやめてください。私の心臓を潰すおつもりですか」

「おまえの心臓がそんなにか弱いとは知らなかった。で、いったいこんな所まで何の用だ」


 己よりかなり年上の男に対して、シリウスは不遜な態度だった。それでも相手の男もそれが当然であるといった風に、気にする素振りもない。


「客人をお連れしました」


 その言葉にシリウスは慌てて起き上がり、振り返る。

 気配を全く感じていなかったことに、自然と表情が厳しくなる。

 大柄の男の後ろには、思ってもいなかった人物が立っていた。


「久しいなシリウスの。相も変わらず不遜で不真面目。まったくもって不愉快だ」

「おまえに言われたくない……しかし、ずい分と早いお出ましじゃないか?」


 シリウスの前に現れたのは、同じ剣聖の金の欠月(カペラ)のデューク・デラ・デューンだった。

 森の木漏れ日を浴びた髪は金に輝き、細く整った顔は綺麗としか言いようもない。だが瞳は鋭くシリウスを見据え、出自の王族という立場を忘れさせない気品が漂う。腰の両脇には、見覚えのある細身の剣が二振り。

 シリウスの表情が常になく引き締まるのを、側のラスフォンが驚きをもって見守る。

 デュークの来訪は剣匠ベクシーの退位と、次代のグレカザルとの引継ぎの立ち会いが目的だ。だが師でもあるベクシーの容態を心配したグレカザルの依頼で、デュークは予定より早めにイーリアスを訪れたのだった。


「そもそも、なぜここにいるのが貴様なのだシリウス? いつから貴様は他国に干渉するようになった? レグルスはどうした、説明してもらおうか」


 デュークの疑問はもっともだろう。だがシリウスとて本位ではないことを、責められるいわれはない。


「仕方ないだろ、どいつもこいつも任せるだの頼むだのと、いちいち俺に面倒事を押しつけて……?」


 シリウスが言葉を止め、何かを探るように森へと視線を泳がせる。

 その脇を黒い塊が音もなく駆け抜け、あっという間に森の中へ消えた。


「何があったシリウス?」


 デュークの問いかけに、ようやく意識をこちらに戻したらしいシリウスの顔には、黒い笑み。


「来た。本隊だ……これでしばらく退屈しない」

「何を、するつもりだ貴様」

「教えてやるんだよ。この森に手を出すことの愚かさを、な」


 不遜な発言に表情をこわばらせる二人を無視し、シリウスはヴラドが走り去った先を見すえる。


 密集した木々とその間を埋めつくす倒木。狭く平たんでない森の中を、黒い狼が疾走する。障害物をものともせず全力で走りぬけるその様は、まるで草原でも走っているかのように迷いがない。

 この森を時おり訪れていたヴラドにとって、ここは庭のようなものである。しかもこの一週間で知らぬ場所もなくなった。

 走るヴラドの耳に、馬の蹄の音といななき、そして仲間たちの咆哮と息遣いが届いてきた。

 この森に馬を連れて来るような軽率な人間を引き止めることなど、狼にとっては朝飯前だ。この地で馬を自由に駆れるのは、我が主と森の女神のようなあの女性(ヒト)だけだろう、と考えながらヴラドは湿った空気の中に、生臭い人間の臭いを嗅ぎ分ける。

 十人か。ぞろぞろと大勢で神聖な森を踏み荒らすことはどうやら止めたらしい、と鼻で笑う。

 数十頭にも及ぶ狼たちに取り囲まれ、騒然とした騎兵隊の前にヴラドは躍り出て、地の底から響くような低い咆哮を上げる。

 黒い巨大な身体に金の瞳。その金に映るのは、声もなく驚愕する男たち。

 そしてその光景は、そのまま泉に残った半身であり、主でもあるシリウスにも共有される。


『気をつけろヴラド。中央の男がフェイゼルだ。殺さず殺されず、完膚なきまでに追っ払え』


 ヴラドは小さく唸る。

 ──いつものことだが、無茶を言う主だと。

 仕方ない、とヴラドは群れに遠吠えで指示を出す。

 ──狩りをしよう。

 ヴラドの声に反応し、狼たちが動き出す。黒や茶色の波が、寄せては返す波のようにうごめき、騎兵隊員の屈強な精神を苛む。

 血気盛んな年若い雄たちが馬を挑発するように近づく。

 いくら調教されているとはいえ、狼を本能で恐れる馬の興奮を、簡単に収めるのは難しい。中には振り落とされる者まで出てくる。

 しかし中央のフェイゼルはさすが、己の馬をしっかり収めつつも周囲の状況へ冷静に目を配っているようだった。


「慌てるな、固まれ」


 フェイゼルは部下を諌めつつ、不自然さを感じていた。

 周囲をぐるりと囲むこれだけの数の狼が、統制されているとしか思えない動きを見せている。頭は目の前の顔に傷を持つ黒い狼。あれを押さえられれば所詮獣の集まり。群れは霧散するだろうとフェイゼルは考えた。


「隊長、囲まれました……このままでは」


 副官の情けない言葉を打ち消すように、フェイゼルが吠える。


「あの黒い狼の先に、目的地がある! 臆するな!」


 フェイゼルの眼が、すっと冷める。


「槍をかせ!」


 後方の部下から受け取ると、狙いをヴラドに定め突進する。

 ヴラドはそれを軽々と避け、隣の岩場に飛び乗る。

 フェイゼルが柄を回転させヴラドの足元をなぎ払うと、それもまた飛び退けると地面を蹴って逆に襲いかかる。

 激しく響く唸り声。

 激しい音を立てて槍が柄の部分で折れ、ヴラドがその穂先を咥えて降り立った。

 フェイゼルは表情を変えず槍を捨てると、剣を抜きはらってヴラドに斬りかかる。馬上からの打ち払うような剣筋も、素早い跳躍でかわされる。


「すばしこい奴め」


 思いのほか苦戦したフェイゼルは、次の手に知恵を巡らす。


『ヴラド、フェイゼルには手出しをするな』


 遠くにいる主の指示に、ヴラドは反発を覚えつつも従って数歩下がる。


『俺が行くまでもたせろ、狼たちも少し下がらせるんだ』


 グルルル、とヴラドが呻く。

 気が猛りきった狼たちを鎮めるのは至難の業だ。

 ヴラドはひときわ大きな声で遠吠えをする。

 すると応えるように、群れのそこかしこから遠吠えが返ってくる。

 次の瞬間、ヒュッと何かが空気を切り裂く。


「ギャン!」


 鈍い、何かが地面に叩きつけられる音。

 金の瞳が振り返ったときには、既に長い槍の柄を腹から生やして横たわる哀れな仲間が映る。

 ヴラドはフェイゼルを振り返る。

 振り切られた腕は、この男から槍が放たれた証。

 ヴラドの全身の毛が逆立つ。

 身体が怒りで震える。

 咆哮のせいで咽が焼け付く。

 爪が大地をかきむしり血が滲む。


『まてっヴラド……』


 主の言葉は届くことなく、ヴラドは牙をむき出し、大地を蹴ってフェイゼルに襲いかかった。



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