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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
31/63

獣の王 1

 猟を生業とする者でさえ決して深く立ち入らぬ西の森で、無数の蹄の音と幾人もの悲鳴が響きわたる。

 常には不気味なほど静かな森が、明らかにいつもとは違う顔を見せる。

 イーリアス城から西の森入口まで、馬を走らせれば一時間ほどだ。その森の手前には豊かな森からの恩恵ともいえる川が横たわり、周辺にはいくつか小さい集落がある。

 細々としたものだったが村人は森からきのこや薬草、わずかばかりの動物などを得て、主には畑に麦を植えて暮らしていた。

 そんなのどかな村々を、ここ数日ものものしい集団がひっきりなしに早馬で駆け抜けていく。

 尋常ではないその荒々しさに、細々と暮らす村人たちが息をひそめて見守る。


「邪魔だ、どけどけ!」


 集落の中央を土煙上げながら駆る、馬上の鎧の胸には白い百合と交わる剣。

 村人たちがそこにいても手綱を弛めようとはしない。その様子に恐れをなしてほとんどの村人たちは家の中にこもり、畑仕事どころではなかった。

 いったい西の森で何が起きているのだ。

 時折城へ戻る者のなかには怪我を負った者や、恐怖に引きつる顔をした者がいた。

 それがさらに不安をかきたてるのだろう。


「なぜだ、既に一週間になろうというのになぜ障壁に辿り着けぬ」


 表にこそ現れないが、内の苛つきは頂点に達していた。

 ひときわ煌びやかな白い鎧をまとう、騎兵隊長アレク・フェイゼルは馬上から部下を見下ろす。

 無表情に加えてそのグレイの瞳がいっそう冷たさを強調させる。


「申し訳ありません。障壁どころか中間地点にあるとされる泉にすら、いまだ誰ひとり辿り着けません」

「原因は?」

「……狼の群れに阻まれております。少しずつですが調べましたところ、どうやら個体数は二百を超え……いくつかの群れが集まってきているようです」

 フェイゼルの冷たい表情に変わりはないが、部下たちには場の空気が凍ってゆくように感じられた。

「地元の猟師を連れて来させろ」

「は、只今」


 フェイゼルは側に控える副官にも指示を出す。


「腕の立つものを集めろ、私が行く。それから議会に報告を。この状況ではあの女がきちんと守護の任についていたのかも怪しい。その上で魔術師の派遣を要請する」


 フェイゼルは部下が指示通りに動きだすのを馬上から確認し、巨大な塊となって横たわる西の森へと目を移す。

 感情を表に出すことの少ないフェイゼルの苛立ちが伝わるのか、馬が怯えたようにいななく。

 西の森は常に誰も入らせぬよう立ち入り禁止となってはいるが、森に入ること自体不可能ではないはずだ。

 フェイゼルは考えられうる可能性全てに頭をめぐらせ答えを導こうとするが、思うような成果は得られそうもない。だが、この状況をただ指をくわえて眺めているわけにはいかない。これを最大限に利用し、己の思惑を成す材料とすればよいのだ。

 フェイゼルは気を引き締める。

 ほどなくして近くの集落から猟師が連れて来られた。

 年老いた男とその孫くらい若い男の二人だった。身なりはたいそうみすぼらしく、使い古しところどころ継ぎはぎしたズボンに擦り切れた革の靴。元は白だったのか判断のつかない厚手のシャツに綿の入ったベストを着ていた。二人共にほぼ変わらぬ姿で、髪は痛み汚れていて、伸ばされたヒゲがかろうじて痩せこけた頬をごまかしている。

 滅多に崩さない顔をしかめ、フェイゼルが二人の前に降り立った。


「そのほうらは、この森で猟をしておったのか?」


 その質問に猟師の二人はおずおずと答える。


「はい、入口付近のみですが兎や猪などを……歩いて十分、森の外が目視できるところまでと言われておりましたので」

「誰にそのような事を?」

「は、はい。この森に毎日来られる『森の民』の血を持つお方に……」


 ──ティラータ・レダか。

 フェイゼルは悟り、その表情がすっと冷える。

 年老いたほうの猟師が、何か悪いことを言ったのかと青ざめた。


「もうひとつ聞くが、猟で狼と遭遇した経験はあるか?」


 二人の猟師が揃って首を横に振る。


「本当なのだろうな?」


 念を押す言葉に、若い方の猟師が慌てて肯定する。


「本当でございます。いつも罠をしかけてかかっていれば捕るだけの簡単な猟です。それに狼は森の奥ふかくにいて、めったに森から出ることはありません」

「では、この一週間我らが行く手を阻まれるほどに狼が出没するなど、これまでなかったと?」


 フェイゼルの言葉の意味すら分かってないのか、不思議そうにしながらも猟師たちはしっかりと頷いた。


「そうか、分かった。もうよい」


 そのフェイゼルの言葉にほっとした様子の猟師たち。てっきりこれでお役御免とばかりにその場を辞そうとして、呼び止められる。

 そして青ざめることとなる。


「そなたらも知っておろうが、西の森は今も昔もなんぴとたりとも入ることを禁ず、と法で決まっておる。唯一、陛下の許可をいただいた者だけが入ることを許されるのだ。あの不埒者(ティラータ)がお前たちに何と言ったかは知らぬが、今後いっさい森へ侵入すること罷りならん、よいな?」


 老人のほうは半ば諦め顔だったが、若い猟師のほうは愕然としつつも悔しさを滲ませていた。


「……そんな、それじゃ俺たちはどうやって生きてけって……」


 凍るような眼差しが青年に向けられる。


「おい、やめろって! すみません、まだ若くて世間知らずなのです、どうかお許しを」


 老猟師が慌てて若者を制止し、抱え込んで共に跪く。目の前のいたく身分の高そうな貴族の男に、土に擦り付けながら頭を下げる。

 フェイゼルが名乗らずとも、彼が自分のような者と本来ならば口をきくような人物ではないことを、老人はただ長く生きているという経験で悟っていた。


「本来なら罪に問われるところ、本日の協力に免じて不問にいたす。以後気をつけることだ」


 フェイゼルはそれだけ言うと、猟師たちに目もくれず立ち去ろうとした。

 しかし跪く二人の前を通り過ぎようとして、ふとフェイゼルが足を止める。


「黒い巨大な狼を見たことがあるか?」


 年老いた猟師の肩が揺れる。


「いえ……まだ一度も見たことはございません」

「まだ?(それ)が何か知っているのか」

「く、黒い大きな狼は、女神ファラの従者として、猟師には伝説として言い伝えられております。地を這う獣の王だから、決して狩ってはならないと……」

「くだらぬ」


 それだけ吐き捨てるように言うと、今度こそフェイゼルは去っていった。


 フェイゼル隊長は重装備の鎧を外しながら、副官を呼びつける。


「人選が済んだら鎧を外させろ。馬で入るゆえ、鞍もなるべく装飾を外し軽くする」


 その言葉に、副官が一瞬言葉を失う。


「は、しかし……。危険なのではございませんか? 相手は狼です、牙を防ぐには鎧のほうがよろしいかと」

「馬に負担が大きすぎる。道なき道をゆかせる上に、狼に襲われれば機敏に動けまい。逃げ遅れればお前たちとて容赦なく置いてゆく」

「……は、分かりました」


 青ざめながら指示にむかう副官を見て苛立つ己に、フェイゼルは自嘲する。そして同時に近衛副隊長として、カナンの片腕となったボルドの顔を思い出していた。

 本来ならば、平民同様の爵位しかない、名ばかりの貴族であるカナンの下につくような立場ではない。こちら側にいたはずの男──。

 今となってはどうにもならない『ばかげたことを』を、と思い直し身支度を終える。

 最小限の防具に減らし剣を腰に収めると、居並ぶ騎兵隊の精鋭十名の前に立つ。

 軽装に変わって直立する部下をながめて頷く。


「では隊列を組み、これから森への突入を開始する。邪魔するものは排除することを許す」


 フェイゼルの号令を元に、騎兵隊が動き出した。


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