閑話2 ある魔術師の非日常的、日常その2
イーリアス宮廷魔術師団、次官アレルヤ・オズマの収監から三日。
普段は何も目立った仕事らしい仕事をしないという、実質引きこもり状態の魔術師団トップのオズマだったが、いざ居なくなると困るようだ。オズマを支えていた自負をもつ魔術師たちだったが、三日もすれば何をしたらよいのかと右往左往する者が出始めた。
オズマが自室でもある魔術師団の実験室からいなくなって以来、部下である魔術師たちはやる事がない。主のいなくなった埃と妖しげな道具や薬、本が積み重なった足の踏み場もない部屋は静まり返っている。
何をするでもなく、途方にくれた下っ端魔術師たちが呆けている。
普段の仕事といえば、食べることも忘れ研究と実験に没頭するとっぽい上司の食事の世話から、失敗した実験の後片付け、そのついでに頼まれる調べものなどなど。
がちゃがちゃと落ち着きのないオズマからひっきりなしに用事が発生していた。そしてそれが日常となり、気がつけば彼らの仕事になっていたのだった。
そんな情けない状態の魔術師たちを見かねて、半ば隠居状態だったヨーゼル師が姿を現した。
「あきれた状態じゃな……オズマが指示した事は進んでおるのか?」
思い思いに休憩していた魔術師たちが、突然の魔術師団長官のヨーゼルの登場に驚き固まっている。
ここしばらくは魔術師団だけでなく、貴族議会や宮廷行事にすら顔を見せなかったのだから、当然の反応だろう。
「ヨーゼル様、次官には特に何も指示は受けておりません」
傍らにいた若い魔術師が、控えめに答えた。
それを受けて少々考えた様子の老人だったが、すぐに何かを思い返して指示を出す。
「遣いを頼む」
ヨーゼルの言葉に、若い魔術師は素早く部屋を飛び出していった。
ヨーゼルは散らかった実験室にひとり足を踏み入れ、杖の先で床に散乱した魔道書をずらす。
埃と落ちた薬品の色で変色した石の床には、かすかだが白い筋が見てとれた。
白い老人は目を覆うほどの垂れ下がった眉を片側だけ持ち上げ、歯の抜けた声で笑う。
「いらぬところは似るものよの、保身にだけはよく知恵が回りよる」
もはや見る影はないが、かつては自分の仕事部屋だった実験室。
ヨーゼル師は、よくもまあ汚してくれたものよと嘆く。
何が落ちてるのか分からないオズマの自室は危険だからと、終いには下っ端魔術師たちに連れ出されたのだった。
オズマと同時に謹慎を余儀なくされて、ようやく三日。ティラータはアシャナ姫の護衛と称して、一日のほとんどをここ姫の自室で過ごしていた。
アシャナ姫はといえば議会で承認されたのを良いことに、日頃会うのを制限されていたティラータとの時間を満喫しているようだった。それはもうご機嫌で、あれこれとティラータに世話を焼こうと茶を自ら入れたり、ティラータに新たな服を作らせたりと忙しそうだ。
そんな二人の姿に、そろそろお付の女官たちの堪忍袋の緒が切れそうなのはご愛嬌。
今日もティラータの日課となりつつあったお茶の時間。アーシャを前に慣れない華奢な装飾の椅子に座らされ、ティラータは苦笑いを浮かべつつカップに口をつけていた。
「ねえ、今日は面白い噂話を仕入れたのよ」
アシャナ姫はのご機嫌は、ここ三日うなぎ登りである。
噂話ってどこで仕入れるのだろう、と疑問に思っていると既に話は始まっている。
「それでね、ポワーてなってガタンてしたら、獣がフーッってなったからギャーってなったみたい!」
──ポワーでガタンでフーがギャー?
「ア、アーシャ? ……意味わからないんだけど?」
目を瞬き首をかしげていると、アーシャが頬をふくらます。
「もうっ聞いてなかったの、ティラータ? あのね、魔術師団の部屋の前でね、怪奇現象が起こっているみたいなのっ!」
テーブルに身を乗り出して言うその目は、好奇心で輝いている。
それはもう、全開に。
「ええと……そうか」
「なぁに、その薄い反応! 信じてないのね? もう何人も目撃してるのよ、しかも深夜よ?」
どうしてこの面白さが分からないの、と責められるティラータ。
「それ、近衛に言った方が早いのでは?」
怪奇現象ではなく、不審者事件では? と言っても聞く耳を持たないアシャナ。
「きっと謂れのない罪をきせられて、命を絶ったという女官の霊が……」
そんな馬鹿なとティラータの嘆きにも屈しないアシャナの様子に、まだ続くのだろうかこれはと内心あきらめかけた時、ティラータに救いの手が差し伸べられた。
「魔術師団ヨーゼル師からの遣いが来ておりますが」
近衛に伴われた女官が、アシャナにそう告げる。
「わかったわ、通してちょうだい」
女官と入れ替わりで入ってきたのは、何度か出会ったことのあるオズマがよく使い走りにする若い魔術師だった。
「王女殿下に、わが魔術師団長官のヨーゼル師から伝言にございます。あの……剣術師範長殿をお貸し頂きたいのですが」
その言葉に、ティラータとアシャナは顔を見合わせた。
いったいあのご老人はどういった裏技をもっているのかと、ティラータは少々頭を悩ませる。
謹慎は解かれていないが、いとも簡単に外出許可が下りたのだ。どう考えても議会側にとっては、自分と彼女を会わせるのは好ましいと思えないのだが。
牢番はいかなる部署とも接点がないよう、隔離された人間が就いている。たとえそれが剣術師範長という剣の師であっても、魔術を統括する魔術師団長官であってもだ。
──の、はずなのだが。
ティラータは今、牢番に導かれてオズマのいる独房の前に立っていた。
「では何かありましたら、お呼びくだい」
初老のやる気の無い牢番は、そう言って鍵を開けると元の道を戻っていく。
ここは捕虜などの重犯罪者が入る牢とは異なり、多少小ぎれいにしてある。廊下との間は鉄格子ではなく壁で個室となっていた。
オズマは罪に問われたとはいえ、謹慎に近いものがありさほど酷い扱いを受けるわけではなさそうだった。
「オズマ殿、私だ入るぞ?」
ノックをして重い木の扉を押し開けると、石造りではあるが床にはラグが敷かれて簡素ながらも木枠のベッドも用意されていた。
「オズマ殿……?」
どういう訳か、中には誰もいなかった。
ティラータは入る部屋を間違えたのかと思い、慌てて外に出ようとして思い直す。
室内には木の机があり、そこには魔術書らしき分厚い本。その脇のベッドには人が寝起きした後のシーツの皺。そして床には、どこかで見たような白い砂がかすかに落ちていた。
──どういうことだ?
ティラータが頭を悩ませていると、ふいに石の壁の一面が揺らぐ。かと思えば次の瞬間には光って壁が飴のようにぐにゃりとめくれ落ちた。
真っ黒い不気味な穴が開いたかと思えば、生成りのローブに包まれた尻がそこからひよっこり飛び出す。
次に貧相な骨ばった足が一本、後ろ向きのまま恐々出てきた。
すると次の瞬間。
「あ、ひゃああっ!」
ドスンという鈍い音と共に、穴から落ちてひっくり返ったのは、この牢の住人アレルヤ・オズマその人だった。
「あ、あああのティラータ殿……どうして、ここに?」
床に後頭部をつけたまま、相変わらずの気の抜けるような声を出すオズマに、ティラータは盛大に溜め息を吐く。
「オズマ殿こそ、いったい何をしているのだ?」
「み、みみ見たんですか?」
慌てるオズマに、ティラータは頷く。
「ひあぁっ、おおお願いです、なナイショにして下さい~……ちょっと忘れものを取りに」
ティラータは再び項垂れ溜息をつく。
「で、つまり忘れ物を取りに、自室の魔術師団の部屋に取りに戻っていたと?」
ようやくかいつまんで話を聞きだしたティラータは、呆れながら確認する。
当の本人はようやく起き上がって髪を整え、ばつが悪そうに薄ら笑いをうかべながら頷く。
「だが確か牢には魔術を封じる細工がしてあるのではなかったのか? いったいどうやって……」
「ああ、ソレは、私が作ったモノですから……あの、解除するのは簡単です」
ティラータはこめかみに手を当て、苦悩の表情を隠しきれない。
「だだ大丈夫です、誰にも見つからないようにいつもは深夜に、い移動してますので」
丸眼鏡をずりあげ、いつになく自信満々だ。
「……」
──なるほど、コレが噂の『ポワーでガタンでフーがギャー』の元凶か!
ティラータの額に薄っすらと青筋が浮かぶ。
「……オズマ殿!」
「え、えええ? なな何かマズイ事でもっ?」
素早く椅子の後ろに隠れる姿は、小動物のようだ。
「……いや、頼むからほどほどにな」
がっくりと敗北感たっぷりのティラータを見て、オズマは意味が分からぬといったように首をかしげている。心配して損した気分なのはどうしてだろうと、ティラータは自問する。
結局オズマを拘束することなど、誰にもできないということだ。
詳しく聞けば、移動できるのは自室に準備された魔方陣との間だけでなく、城のいたる所にオズマの魔法の痕跡があり、多少の難しさはあるがほぼ何処にでも出られるらしい。
なんて非常識なひとなんだ。それがティラータの素直な感想である。
三食昼寝つきで綺麗な部屋をあてがわれたようなもので、何の不足どころか煩い部下が来ないだけ上等と言い切るオズマに、ティラータは半ば呆れつつ牢を後にした。
魔法障壁を中和した魔術の解析は、続けて行ってくれているのだ。文句は言うまい。
ティラータは何をしにオズマ殿への面会に行ったのか分からぬまま、どっと疲労感を抱えてアシャナの元へ帰っていった。