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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
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剣と百合と、すみれと茨 2

 王城の長い廊下を黙々と進む一行の中央に、ティラータはいた。

 ふと気付くと、議事堂に近づくようで少し逸れた。


「どこへ行く?」


 ティラータは一人飛び越え前方を歩く、長身の騎士へ声をかける。

 だが、そのフェイゼルはティラータの問いには見向きもせず、歩を緩めることすらしない。

 やれやれと心のなかで嘆息し、ティラータが辺りを見回すと、どうやら議員用の控室の一室へと向かっているようだった。

 先頭のフェイゼルが止まり、扉を開けて中に待機していた侍女に声をかける。すると、ティラータは背中を押され、部屋へと押しやられた。

 どうしたものかと振り返れば、冷たい表情の騎兵隊長フェイゼル伯爵がティラータを見下ろしていた。


「高貴なる貴族議員の方々を前に、そのなりではあまりにも不敬にあたる。時間をやる、身なりを整えろ」


 そう言うと。それ以上見るのもはばかられると言いたげに、フェイゼルの視線が外れ、目の前で扉が閉められた。

 そうしてティラータは改めて、自分の格好を省みる。

 先程の戦闘でススを被り、いたる所に黒い汚れがついている。それに咄嗟だったとはいえ、瓦礫に埋もれたせいで服の裾が、ほつれ擦り切れていた。


「こちらへどうぞ」


 ティラータがその声に振り返ると、そこには小さな控室とはいえ湯浴みができる、簡素な水場が設けられていた。


「こちらが着替えです……手伝いますか?」


 見知らぬ侍女だったが、ティラータを無表情で見るその顔の下には、戸惑いが見てとれる。


「いや、自分でやる。すまないが退出を。無理ならあちらを向いていてくれ」


 侍女は一瞬考えたように目を泳がせたが、素直に部屋の隅に移動し、背を向ける。

 それを確認して、ようやくティラータはススだらけの剣士服を脱ぐ。

 大きめのタライには湯が張ってあり、中に入り手足についた汚れを落とす。

 その白く若々しい手足、そして幼さの残る胸には赤いイーリアス紋。

 ちらりと侍女を見るが、先程から動かず背を向けたままであるのを確認し、ほっと息をつく。

 手早く洗い、そばにあった布で身体を丁寧に拭く。そして用意された服を手に取り、ティラータは苦笑いを浮かべる。

 そこにあったのは、簡素なワンピースのドレスだった。スカートなどの女性ものの服に袖を通すのは、いつ以来だろうかと、ティラータは首を捻る。

 スカートの丈は幸いにして足首まであるようで、ひとまず安心する。ススまみれのブーツで紋章を隠さなくて済む。だが、肘から下の紋章を隠れるような長い袖ではない。

 とりあえず仕方なしに着てみると、何とか胸の印は隠せるものだった。ならば、とキョロキョロと周りを見回したが、他には何も用意されていないようだ。先程着けていた甲当てもススだらけで使いまわしは無理そうだ。何より、ワンピースにはあまりにも似合わない。

 さて、どうしたものか。ティラータは考えた挙句、侍女に声をかける。


「侍女殿、申し訳ないが長い手袋があればお借りしたい。無ければ裂いてもよいような布を頼む」


 話しかけられるとは思っていなかったのだろうか、侍女は肩を震わせ、そっと振り向く。

 そして少し考えた後、部屋にある箪笥の中を探しはじめる。


「手袋はありませんでしたが、スカーフでしたら」


 侍女が持ってきたのは、白地に刺繍があしらわれた大きめのスカーフが二枚。

 ティラータがホッとして受け取ると、侍女の目がその隠されていない腕をとらえてビクリと固まる。そして眉を寄せしかめた目を、すぐに背ける。

 差し出された腕に刺青のようにくっきりと浮かぶイーリアス紋。

 常には隠されているそれは、滅多に人目に晒されることはない。

 だが、ティラータにとって侍女の反応はとりたてて珍しいものではなかった。隠しているとはいえそれは絶対ではなく、激しい訓練中に外れて人目につくこともある。

 この国イーリアスでは刺青の習慣はなく、この印を見た大概のものたちは奇異な目を向けられる。そしてやはり蛮族の風習は野蛮なものだ、と蔑まれるのだ。

 ──実際には蛮族と呼ばれる民にも刺青の習慣などなかったが、誰も聞く耳をもたない。

 そういえばただ一人、この印を見てまた違った反応を見せた男、シリウスを思い出すティラータ。なにか言いたげな男は、躊躇無く印に触れてきた。

 考え事をしながらも、ティラータは借りたスカーフを腕に巻きつけ、先程まで着けていた手甲のベルトで留め体裁を整えた。そしてスカートの上から腰ベルトを巻き、愛剣も下げる。


「待たせたな」


 準備が整ったことを告げると、侍女は黙って頷き、廊下で待つフェイゼル伯爵に声をかけた。

 ティラータは促されるまま、再び囚人のように騎兵隊に連行される。フェイゼルは相変わらず無表情に確認すると、再び歩き始める。


「分かっていると思うが、貴様には許可無く発言する権利はない。卑しい身分であることを肝に銘じ、せいぜい尊き方々に失礼のないよう、伏しておれ」


 前を見据えたまま、冷たい声が降ってくる。

 まるでティラータをあざ笑うかのように。

 議会からの招集は、今回が初めてではない。以前にもティラータは議会に連れてこられたことがあった。

 それはティラータが剣聖の地位を得て、剣術師範長の任を陛下から賜ったとき。

 反吐が出るような空気だった。

 貴族議会とはいえ、陛下の勅命を破棄できるほどの力は持っていない。結論としたら陛下の決定を承認するしかない。

 だが、よほどティラータの剣術師範長就任が気に食わなかったのだろうか。

 強引に議員の前に連れてこられ、ただ蔑み冒涜されるのをティラータは黙って聞いた。

 だが、今回は違う。黙っていれば彼ら議会は、ティラータに罪をきせて城から追いたてるだろう。

 ティラータは握る拳に汗を滲ませる。

 まだ彼らにしてやられる訳にはいかない。守りたい、守らなければならないひとがいるのだから。

 ティラータはじっと前を向いて歩き続ける。

 ほどなくして議事堂のとなり、待機室に通された。

 小ぢんまりとした部屋の中央に小さな椅子があり、そこに座らされる。両脇には騎兵隊員がひとりづつ立ち、ティラータが逃げないよう見張る。そして残りは二つある入口を固め、万全の体制になったところでフェイゼルが会議室に入っていった。

 彼、騎兵隊隊長フェイゼルもまた、名だたる貴族の一員として議員のひとりに名を連ねている筈だ。

 ティラータはこれから臨む戦場へと意識を向ける。

 負けられない。闘って力と技で打ち負かすのは得意だが、今回ばかりはそれは役立ちそうにない。

 だが、勝たねばアシャナ姫の傍にはいられなくなるだろう。

 それだけは阻止したい。

 ティラータは硬く唇を結ぶ。


「ティラータ・レダ、入れ」


 扉が開き、名を呼ばれる。

 ティラータはひとつ、大きく息を吸ってから立ち上がった。



◇ ◇ ◇ ◇

 

「なんですって、何故ティラータが疑われなくちゃならないのよ!」


 近衛隊詰め所の一室で、怒声をあげたのはレイチェル・リンドだった。

 その髪と同様に、燃えるような気性を隠さず、レイチェルはボルドの胸倉を掴む。


「レ、レイチェル殿、や、やめて下さい~」


 赤毛の戦士を止めようとしているのは、頼りなげなオズマ魔術師次官。


「アレルヤは黙ってて。ねえボルド、なんでいつもあの娘なのよ! なぜいつも目の敵にされるの。あの姿だって、そんなに目立つものじゃないわよ! あいつらだって私達だって、蛮族の何を知っているというのよ? 森の民は西の森(あそこ)から一歩だって出てきやしないのに、なんで忌まわしいものだなんて決め付けるのよ、なんでワザワザ民にまで流布しなくちゃなんないのよ、教えて!」


 レイチェルは一気にまくし立て、ボルドに詰め寄る。

 彼女自身、そんなことをボルドが答えられるとは思っていないのだが、日頃の積もり積もった感情を押さえ切れなかったのだ。


「あんたたち剣士どもが、一番分かっているんじゃないの? ティラータに……ティラータの剣に野心も偽りも何にもないって。正しいと思ったことを行動している。それがこの国の為になることじゃない! なのに何故あの貴族様とやらは、ティラータを排除しようとするの?」


 ボルドに問うというより、もはや自問に近かった。

 一部の貴族──とくに上位の者たちがティラータを厭う意味。

 それは彼女の持つ半分の血──レイチェルの言ったのとは真逆の方だが──に起因していることを、ボルドは知っている。ティラータを憎く思っているその者たちは、むしろ真実を隠したまま葬りたいというのが本音だろう。だから口外することはなく、広く知られることもないまま今日まできた。レイチェルが知らないのも仕方がないことだ。

 それをレイチェルなど親しい者にも知らせないのは、更にティラータ自身を追い詰めることにしかならないからだ。

 ボルドの一瞬の揺らぎに、レイチェルが気付く。


「……あんた、何か知っているの?」


 その言葉に、ボルドは己の失態に気付く。

 ボルドは乱れた心を咄嗟に押し隠し、胸倉を掴むレイチェルの手に自分の手を重ね、諭すように言う。


「いえ、私は何も知りません。レイチェル、放して下さい。今は、私たちに出来ることはありません」


 それが更にレイチェルの感情に火をつけた。


「出来ることが無い? あなたそれ、本気で言ってるの?」


 レイチェルの高い声に、問い詰められるボルドではなく、オズマがビクリと肩を震わせる。

 一触即発かと思える状況の中、静かに詰め所の扉が開いた。

 苦い表情のボルドとオドオドと見守るオズマ、そして燃え盛る感情の波を爆発させようとしていたレイチェルまでも振り返る。

 そこには。


「放してあげて、彼が悪いわけではないのよ、レイチェル?」


 ──苦笑いを浮かべた、王女アシャナだった。


「姫……!」


 三人が口を揃える中、アシャナはドレスの裾を持ち上げ、詰め所に入る。

 その後ろには、ばつの悪そうな近衛隊員二人がつき従っている。


「ご免なさいね、彼らを叱らないでやってボルド? 私が無理やり来させたのよ」


 にっこりと微笑むアシャナにも、ボルドは苦い表情のままだ。


「マーヤ女官長がよく許し……いえ、また黙っていらしたんですね?」


 アシャナは否定せず、笑ったままだ。


「ティラータが議会に招かれたと聞きました。カナン隊長はお父様と共に、既に議会に向かいました。今ここで待っているだけでは何もならないでしょう。ボルド、私も議会へ向かいます。ですがその前に、詳しい報告をして頂戴」


 アシャナは笑みを消し、らしくない真剣な目を向ける。

 ボルドとオズマは互いに目を合わせ、頷く。

 そうだ。議会に対して詳しい情報は武器となるだろう。そしてそれを使えるのは王族たるアシャナ姫しか今はいない。

 ボルドは、ティラータから聞かされた一連の事件、そして爆発の経緯を話し始めた。


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