執着 2
──執着
ティラータは呆れたようにジンを見る。
「お前も、あの魔術師と同じか」
子供にただただ執着し、本人の心もおかまいなしに人形のように弄ぶ、『母』としての執着。
──ならば、この男は私の何に執着する?
ティラータはジンの言葉を思い起こし、考える。剣聖となり得る能力か? いや、羨望ならじきに憎悪にとって代わる。ならばいったい何に?
「なあ。お前は俺を倒せるのか? なぜ丸腰でここに来た。素手で俺を殺せるのか?」
ジンはゆらりと立ち、もどかしそうに顔半分を覆う包帯を解く。そこには生々しい三本線の傷が見え、いまだ塞がっていないようだ。赤く腫れ、まぶたを重くさせてはいたが、眼はどうやら見えているようだ。
ティラータの観察をよそに、ジンはうわ言を繰り返す。
「俺は見ていたんだぜ? あの城でお前を。なのに、お前はちっともその剣聖たる片鱗も見せやしねぇ」
ティラータは黙ってにらんだまま、目の前の剣先を指でつまんで逸らし、ジンの懐にすっと入り込む。そして全体重を両手に込めた。
次の瞬間、ジンの身体が鈍い音とともに、石の床めがけて吹っ飛ぶ。
「剣聖たる片鱗? ……お前は馬鹿か」
ティラータは倒れた男を無視して周囲を窺い、側に落ちていた、剣の長さにすら足りぬ棒切れを拾いあげる。
「はは、いいね面白い、馬鹿で結構!」
さほどダメージを受けていないのか、ジンはのんびりと起き上がる。
「この広い世界、たった五人しかいない剣聖のうち一人が目の前にいるんだ。殺し合わずしてどうする」
「二人、会ってるじゃないか。珍しくもなんともないだろう」
その言葉に、ジンは首をかしげる。
「アルクトゥルスを入れてどうする。老いぼれが役にたつか?」
拾った棒を構えるティラータ。
「……その傷。それをおまえにつけたのが、もう一人の剣聖シリウスだ」
ティラータの夜目がきく目には、はっきりと見えている。
そしてジンの目が、大きく見開かれる。
「あの狼……? どういうことだ、あの時誰か居たのか?」
思いもかけないことを知らされ、ジンにできたほんの一瞬の隙をついて、ティラータは棒切れの剣で正確に咽元を突きを繰り出していた。
しかし、咄嗟にかわしたジンに、冷や汗が伝う。たとえ棒切れでも刺されば死ぬ。ほんの少しかすめただけで、薄い皮膚は赤く腫れあがった。
「なんだ、あいつ姿は現さなかったのか?」
「剣を持ってこない理由を聞いていたな……邪魔だからだ」
ティラータは反撃してくる剣を難なくかわす。
「邪魔、とはな」
「剣聖の地位は、あの剣に与えられたわけではない、ということだ」
ティラータが構えているのはただの棒切れであるが、そこには隙など一切無く、ジンは一歩も近寄れない。だがそのことに悔しさは感じてない様子で、それどころか気味が悪いほど上機嫌だ。
剣を持たなくても、身体能力、知識、状況判断、それらをどんなときにも発揮できるティラータ自身が、剣聖そのものだ。
「なるほど、こうして一対一なら、俺などどうとでも出来るということか」
「いや、私は万能ではない。お前がつけた傷が証明している。だが、私には優位にできる手が幾つかあるだけ」
淡々とした物言いのティラータ。こういった手合いは興奮させると面倒くさいことを知っている。
子供のころ、しつこいくらいに虐めようとちょっかいを出してきた、馬鹿な男がいたからだ。
「教えてやる。私はこの地下でもさほど苦なく物を見分けられる。そしてどうやら体術でも私の実力は上だ。時間を稼げば、必ずここには兵が集まってくる。あと……出口はどうやら一箇所らしいな」
ティラータは手の内を全てさらけ出す。それは暗にこのままティラータと一戦交えても、勝ち目がないことを理解させるということ。
だがジンは焦ることなく、また笑う。
「どうして出口がひとつと分かる?」
「空気の流れが、常に一定方向だ」
ふっと力を抜き、ジンが剣を収める。
それに合わせて構えを解くティラータを、ジンが不思議そうな顔で見る。
「どうした、お前はこれまで王と姫を害するものを、容赦なく葬ってきただろうが?」
「私からも問う。なぜそちら側に与した? お前は騎兵隊にいたのだろう」
真っ直ぐ睨むティラータに、ジンは笑いを堪えられない。
「そりゃ、あそこにいたのは都合がいいからに決まってんだろ。俺は最初から忠誠なんぞ誓っちゃいない」
「それでもだ。今私にとって重要なのは、あの逃げた魔術師を悪用されないよう消すこと。お前じゃない」
「だから俺を逃がすのか?」
「逃がさない」
「……なんだそりゃ?」
「お前が言った。王が憎いのも、国を呪っているのも他のやつだと。なら、こっちに来い、ジン」
初めて名を呼ばれ、男が柄にもなくたじろぐのに気付いた。
「私と殺り合うのに、そこにいる必要はない。すぐ側で命でも何でも狙えばいい」
一瞬の沈黙の後、ジンが大笑いする。
ヒイヒイ言って腹を抱えるのを、ティラータは呆れて見る。
「本当に、お前面白いな。くく、だがやっぱりダメだ。俺はお前を心の底から、酷い目にあわせて殺したくなった」
目を細めて言うその顔は、獰猛な肉食獣に戻っていた。
「そうか、次もそちら側で私の前に立てば、その時は容赦しない」
「へえ、やっぱり逃がすのか?」
「違う。一度だけチャンスをやると言っている。まだお前は……」
殺すに値しない、という言葉を飲み込む。
それに、瓦礫に埋まったティラータを、そのまま殺さずに置いておいた男の真意を量りたかった。まあ単に、起きている状態で殺したかっただけなのかもしれないが。
「無駄なことだ」
さて、と男はランプを片手に飄々と、天井の向こう──地上を見上げる。
「そろそろ外が騒がしくなってきやがった……んじゃ、首洗って待っとけよレグルス」
男が手を上げて地下道へと去ってゆくのを、ティラータは黙って見送った。
──どうかしている。それは自分でも思う。
放っておけばアレは、罪を罪と思わぬことを平気でしでかすような輩だ。かなり危険ではあるが、勝負を挑めば仕留められないこともなかったはずだ。だがティラータは逃した。
ティラータが短い溜息を漏らしていると、天井からパラパラと小石が落ちてくる。見上げると、蓋の役目をしていた崩れた壁が持ち上がり、地下室に光が差す。
咄嗟に振り返ったが、ジンが去った方向には、ランプの揺れる明かりも人の気配も既に消えていた。
「あああの~、誰かそこに、いますかぁ?」
ああ、とティラータはその拍子抜けした声に笑う。思っていた通り、迎えに来てくれたのはオズマだった。
彼女と決めてここに偵察に来たのだ。
「オズマ殿、こっちだ!」
ティラータが空いた天井に向かって、手を振る。
「ティラータ殿! ご、ご無事でしたか?」
淡いたんぽぽ色を垂らし、穴からそばかす顔がぴょこんとのぞき込む。
「ああ、あの、いまそこに助けに……ぎゃああ!」
顔からずり落ちた眼鏡を取ろうと、オズマは手を離す。
当然そのままバランスを崩しふわりと落ちてくる魔術師を、ティラータは慌てて駆け寄って受け止めた。ドサッという音とともに勢いで尻餅をつくと、腕の中でオズマが「ヒイイ」と叫ぶ。
マントにからまったせいで、ひっくり返ったまま落ちてきたので、頭を打ったようだ。
「大丈夫か、オズマ殿?」
相変わらず冗談のようなオズマの動きに、ティラータは笑いを堪えつつ様子をうかがう。
当のオズマ次官は、慌てて身を起こし、辺りを手探りで眼鏡をたぐりよせる。
「だ、だ大丈夫です……スミマセン」
しゅん、とする宮廷魔術師団次官。
手を貸して立ち上がらせると、天井ではオズマの部下である魔術師たちが、またかという顔で心配そうに覗き込んでいた。
「今、他の者もこちらに……」
オズマをティラータが制す。
「まだ、ここでやる事がある。オズマ殿、人払いを頼む。それと、剣を一振り借りて欲しい」
ティラータの苦い表情に、オズマは頷いて天井──一階なのだが、その者たちに伝えてくれた。
そして地下室の一角に、迷うことなく歩み寄ったティラータは、足元の哀れな塊の側に膝をつく。
もう何も言わぬそれは、ただ息をして、拍動を刻むだけ。歩くことも食べることも、笑うことも、憎むこともなく、このまま衰弱してゆくだろう。
「ティラータ殿……これは」
傍らに来たオズマは、一見してそれが何か理解した。
そのオズマから剣を受け取る。
「ティラータ殿、こ、これは本来私達がやるべきで……」
痛ましい少女であった成れの果てを、処分するのは魔術師の仕事だ。だが、ティラータは首を振る。
「いい、私がやる。オズマ殿は下がっていてくれ」
ティラータは、少女のものであった金髪をひと房手に取る。美しく手入れされたそれは、柔らかく、少女の面影を思い起こさせる最後の欠片。
ティラータは目を伏せ、祈る。
何に祈ればいいのか分からないが、これ以上少女が苦しむことがないよう、願った。
そして剣を払い、振り下ろす。
足元に伝う赤い流れが、彼女が生きていたという唯一の証に見えた。
もう、拍動は刻まれない。
「……すまない」
その呟きは小さく、そして震えていたのを、オズマだけが聞いていた。