背徳の魔術師 2
※残酷な描写が含まれます、ご注意下さい。
敵対する者同士が向き合ったまま、そこには異様な空気が満たされていた。
両者固唾を呑んで見守るなか、両脇を抱えられた幼い少女が声を発する。
「あ……ああ、マーマ……」
ギギギと骨が擦れる音と、筋がブチブチと切れる鈍い音をひびかせつつ、首が直角にひしゃげてゆく。
ほの暗い瞳には光を宿すことなく、口元はだらしなく開けたまま。何の苦痛の色のないその顔はかえって不気味で、見ている者に咽かえるほどの吐き気を与える。
ティラータは構えた長剣を降ろしてしまわぬよう必死であったし、その剣を咽元に向けられていた筈の男は別の意味で恐怖に顔をゆがめる。その脇でティラータを牽制していたはずの男たちは、口元に手をやり、こみ上げるものを必死に押さえているようだ。
「ああ、アーリア」
娘の異常が目に入らないのか、すがるように幼子に手を差し伸べる女の目は、恍惚としている。
「……狂ってやがる」
ジンと名乗った男が吐き捨てるように言い、汚らわしいものでも見るかのように母娘を一瞥する。
そしてだらりと伸びていた手足すらも、有り得ない方向にひしゃげてゆくのを見て、少女を抱えていた男にも限界が訪れた。真っ青な顔をして、少女──だったものと表現すべきだろうか──をついにドサリと床に投げ出す。
少女は更に身体を捻らせ歪み、のどからは悲鳴とも嗚咽ともとれる声が、空気を押し出すたびにヒュウヒュウと漏れる。ただでさえ小さかった身体は、更に縮みびくびくと震える。
目を背けたくなる惨状を前に皆凍りつく中、ティラータだけは長剣を下げ、女魔術師ににじり寄る。
「……何をしたのか、理解っているのか、おまえ!」
ティラータの怒りの形相に、女は咄嗟に這いつくばって幼子を背に庇う。
「あんたも魔術師の端くれなら、こうなることは判っていたはずだ、なのにっ……なんでこんなことをした!」
可愛らしい容姿が見る影もない、肉の塊となった娘を背に、女は顔を上げた。その眼には狂気の光が宿って見えた。
「死んでたんだ。あのままじゃ娘は……魔術で治してあげなけりゃ、ここまで流れつく前に死んでたんだ。あんたに何がわかるってんだ!」
震える唇で、母親の顔となって女は叫ぶ。確かに、薄汚れた格好の母親に似つかわしくないほど、娘は小ぎれいな格好で、手も荒させないほど大切にされていたのだろう。
だが、ティラータにはそれを受け入れられない。
「い、いいかい、治癒魔術が禁忌だなんてあたしは認めない。事実、アーリアは半年も生き延びたんだ!」
ひしゃげたモノとなりつつある我が子を愛しげに撫で、再びティラータを睨みつける。
「こんなのまた治せばいいんだ! ……そうさあたしがいくらでも治してやるんだから! 邪魔すんじゃな……」
キィン、と剣のぶつかり合う音で、女の言葉が遮られた。
ティラータの持つ長剣が女の首筋に向かって振り下ろされ、それを防ぐように横からジンと名乗る包帯の男が、剣で受け止めていた。
「殺らせるわけにはいかないね。こいつは相当イカレているが、まだ使い道がある」
そう言って、ジンは怒りに震えるティラータの眼光を受け流し、不敵に口元を歪ませた。
「どけ。その娘は殺さねばならない……このまま放っておけば、その女は更に罪を重ねる。それだけは許せない」
ティラータは憎悪と憐憫の眼で母娘を見る。これ以上、あの哀れな子供に苦しみを与えたくない。それがたとえ母であるあの女が望んでいたとしても。
魔術師の肩が震え、理性を失ったその眼はギョロギョロと揺れながらティラータを捕らえる。
「……そんなこと、させるものか」
その呟きに続いて、何かをボソボソと言葉を連ね続ける。
──何を言っている?
一瞬の静寂ののち、反応したのはティラータとジンの二人だけだった。
魔術師の懐が青黒く光ると同時に、ティラータは左右の男達を後方へ突き飛ばし、側にいた男に怒鳴りつける。
「あっちのを引きずってここから離れろ!」
ティラータと共に二階から落ちてきて伸びている男を指差し、自らもまた身を隠す場所を探して室内を見渡す。
ジンもまた脇にいた仲間の男の胸ぐらをつかみ、ひしゃげて蠢く元少女であった塊を引きずって、その場を離れようとしていた。
そんな周囲の動きをよそに、恍惚とした表情で呪文を唱え続ける女魔術師の姿は、まさに異様。
「……やめろ、そんな術を使えば……」
ティラータは焦りを隠せない。
魔術師が懐から出した小さな魔道具からは、禍々しい光が渦巻き、溢れだす。そこに集まる魔力のあまりの濃さに、魔術に詳しくないティラータでさえ、生み出されるであろう術の威力を想像し、背筋が凍る。
その場にいた人間、全てが同じ気持ちだった。
ティラータに突き飛ばされた男たちは、われ先に逃げようと唯一の扉に走り出す。
ふいに、長い詠唱がとぎれ、不自然なほどの静寂が訪れる。
視線を上げたティラータの眼に、ありえない光景が映る。
魔具と女を中心に、黒い炎が膨れ上がる。
足を止めていた男達を振り返り、ティラータが叫ぶ。
「お前ら、早く逃げ……」
黒炎はこの世のものとは思えぬ程に妖しく光り、だが確かに肌を焦がす圧倒的な熱気をもって、死の恐怖を煽る。
触手のようにうねりながら手を伸ばしてくる黒い炎は、次第に大きくなり狭い室内を埋め尽くす。
ジリジリと下がり、壁に背をつけたティラータの逃げ場は既にどこにもない。
──このままじゃまずい、どうしたら
焼け付く熱気と黒い炎の触手の間から、ジンが床を引き上げ、そこに仲間を押し込めるのが見える。
「……まさか」
足元に迫りくる、身を焼かれるような熱さに絶えながら、ティラータは一か八かの賭けに出る。手にした長剣を振り上げ、石の床を凝視する。
剣を振り下ろすその瞬間、爆発的に光が膨張した。
「……っ!」
──飲み込まれる
限界に達した魔術の炎が、一気に爆発する。
あたり一帯を衝撃波がつたい、ただでさえ崩れかけた家々が爆風でなぎ倒されてゆく。
地響きをともなった轟音は、人々の悲鳴とともに王都にいる全ての者の耳に届くほどだ。そしてその中心は、城下のどこからでも見えるほど、高々と黒煙を上げ続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇
王都の南西にある貧民街で起こった爆発の衝撃は、中心にそびえ立つイーリアス城へも伝わっていた。
「きゃ……何、今の?」
自室に閉じこもることを余儀なくされていた王女アシャナは、いままで感じたことのない音と地響きに、読みかけの頁をめくる手を止める。駆け寄った窓からは城下の南側が一望でき、音のした方角に眼をこらす。
西の方、はるか城下町の外れで黒煙がもうもうと上がっているのが見えた。
「姫、失礼します」
何事かと、室外に控えていたボルド近衛副隊長が、慌てて様子をみにきた。
「見てボルド、あれ……」
アシャナは黒煙を指差し、片手で胸を押さえる。
──ティラータ──
湧き上がる嫌な予感を押さえ込もうと、アシャナは胸に当てた手を握りしめる。
「……あれは貧民街ですね」
ボルドの表情も険しくなる。
「ひどい煙。怪我人が出ているかもしれないわ。すぐに人をやって頂戴」
アシャナはじっと遠くの煙から目を離せないでいる。
「はい、大至急。姫は部屋から決して離れないで下さい。人の手配を済ませたら、すぐに戻ります」
「いいえ、私は大丈夫よボルド」
アシャナの言葉に、退室しかけたボルドが振り返る。
「しかし、姫」
「いいのよ、お願い。早く行って頂戴」
ボルドはためらいつつも、一礼して部屋を出ていった。
「……ティラータ、あなたまさか、あそこに居ないわよね」
入れ替わりに入ってきた女官マイアに止められるまで、アシャナは身を乗り出し食い入るように見つめていた。
王城最上階の一室で、カタカタとチェス盤の上の駒が揺れ、閉められた窓越しにですら、ゴオンと音が入ってくる。
「いったい、何かしら?」
茶色のもじゃもじゃ頭がふわりと揺れ、窓を開ける。
「ちょっと、やだわなに、あれ……」
「薬師よ、なにが見える?」
窓に乗り出して見える城下からは、人々のざわめきも次第に大きくなる。
ジャージャービーンは執務室の一角、チェス盤の前に座る国王を振り返る。
「下町、いえそれより外側の貧民街から、黒煙がひとつ上がっております、陛下……」
それを聞いて厳しい顔で立ち上がるミヒャエル王を、ジャージャービーンが制す。
「危のうございます、陛下。どうか窓の手前までで」
「民の様子はどうだ、混乱はしておらぬか?」
そう言いながら薬師の言葉を手で制し、窓辺に身を寄せて城下を眺める。
そこに、激しくノックが聞こえ、返事を待たずして近衛隊長カナンが入って来た。
「陛下、ご無事で?」
「カナン、余は何ともない。あれはいったいどうしたことか」
カナンは少々顔色が悪い。
「たった今、オズマ次官が現場に向かいました。どうやら魔術の暴発の疑いがあるようです。城下に混乱を招かないよう、兵を出す許可を願います、陛下」
「分かった。直ちに現地に怪我人の救助と、原因究明に尽力せよ。それから、街の治安にも気を配ってくれ」
「は、御意」
一礼して退室しようとしたカナンを、ジャージャービーンが呼び止める。
「……アレルヤの対応が早すぎるわよ。何かまだあるんじゃないの?」
薬師の言葉に、カナンは苦い表情だ。
「ねえ、あの辺りって前から魔術師たちが調べてたとこよね。たしか、流れの魔術師たちの潜伏先らしいって」
「それは本当か?」
ミヒャエル王が問いただすが、カンンの表情が厳しくなる。
「何よ? どうしたってのよアンタらしくない」
「確かではありませんが、そこにティラータがいる可能性が高いかと」
そのカナンの言葉に、ミヒャエル王と薬師の表情が凍る。
「なんですって? あの……馬鹿娘は、何やってんのよ!」
その時王の執務室の扉が、大きな音を立てて無造作に開く。
「失礼します陛下、私に行かせてください」
アシャナ姫のもとからかけつけたボルドだった。
「ボルド、聞いていたのか。しかしお前は姫様のもとを離れるわけには……」
渋るカナンを制したのは、国王だった。
「ボルドに行かせよう。万が一、先だっての事件の者が引き起こした犯行ならば、オズマたち魔術師団では手に負えぬであろう。ティラータに何かあれば、尚更の」
「ありがとうございます陛下」
ボルドは国王に一礼すると、カナンの指示も待たずに踵を返し退出していった。
王の執務室には、ジャージャービーンの長い溜息が響く。
「しょうがないわね、怪我人が多数でるかもしれないから、あたしも失礼するわ、陛下」
「おお、よしなにな。今日の勝負は、またの機会にの」
ミヒャエルが微笑む。
「……えーえぇ、そうですわね。あと少しで今日こそあたしの勝ちだったのに、もう!」
ぶつぶつと不平を漏らしながら、薬師も退出していく。どこにいても規格外の薬師を、ミヒャエル王が笑って許すのはいつものことだ。
そしてカナンもいつも通り、相変わらず不躾な薬師と己の部下を、困った顔で見送る。
「さて、私も兵の移動と警護の建て直しを致しましょう。」
なにかあればいつでもお呼びください、と告げて執務室を退出するカナンの顔は、いつになく厳しいものに変わっていたのだった。