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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第二章 女神ファラの豊穣祭
20/63

老人と憂い 2

「はぁあああっ!」


 ティラータは渾身の力を込めた手刀を受け止められ、その勢いを身体の軸に伝えて左足を蹴り上げる。

 避けきれぬと判断したのか、シリウスは蹴りを右腕で受け止めつつ、体勢を崩して後方へ飛ばされた。だが、ダメージはさほど受けずに、そのまま難なく着地する。


「甘い」


 シリウスはそう呟くと、地を蹴って低い姿勢のままティラータに襲いかかる。

 攻撃に身を構えるティラータの虚を突いて、更に下の足元をすくわれた。バランスを崩したその身体を引き寄せるかのように腕を掴まれたと思ったら、咽元にはシリウスの指が当てられてる。

 足を取られて背中の衝撃に構えた隙に、咽を決められた。その上、無残に転ばぬよう腕を引かれる己の醜態に、赤面しそうなティラータだった。


「──参った」


 少しだけ上がった息を整えながら、ティラータは悔しそうな表情を隠さない。

 シリウスがいつもの悪戯そうな口元に笑みを浮かべて、掴んだ腕を離した。


「次は負けない」


 ティラータは、自分でも笑ってしまいたくなる程の負け惜しみを口にした。その居心地の悪さを、土埃を払う仕草で誤魔化す。

 組み手で負けるなど久しぶりだったが、多少の悔しさを除けばすっきりとした開放感で満たされていた。近頃は忙しくて、思う存分身体を動かすことができず、少々ストレスを溜めていたのだ。

 ベクシーへ挨拶を終えた後、シリウスの誘いに乗ったのはそんな事情ゆえだった。


「そういえば、丁度いい頃合いだったな……こっち来いよ」


 シリウスはそう言いながらも有無を言わさず腕を引いて、庭先の長椅子にティラータを座らせた。

 何のことかと首をかしげるティラータをよそに、シリウスは自分の荷から道具を出していた。


「ほら腕を出せ。抜糸してやる」

「抜糸? そういえばそんな事言ってたな」


 傷の手当はジャージャービーンに任せていたので、きちんと毎日消毒と薬の交換がされている。

 シリウスは慣れた手つきで包帯を外すと、消毒した細いナイフで傷を合わせるように縫った糸口を切り、その糸を引き抜く。


「っつ」


 少々引きつれた痛みがした。傷の治りは良く、しっかりと塞がりつつある。


「1日遅かったな。思ったより治りが早かった」


 全ての処置を終え、解いた包帯を元に巻き戻しつつ、シリウスは言う。

 剣を握る彼の指は硬そうでタコができているのに、器用なものだとティラータは眺める。だがふと男の左手にも同じような位置に人より多いタコを見つけ、苦笑する。


「……なにが可笑しい?」

「なるほどな、と思って。さっき組み手で違和感があった理由が分かった。お前、両利きか」


 ああ──と男は思い出したかのように、自分の手を見て笑う。


「別に隠しているわけではないけどな、両利きってより、利き手が無いというのが正直なところだな」


 ティラータはふうん、と呟きながら包帯が上腕に巻かれてゆくのを眺め、器用だなと感心する。

 よく戦いを有利にしたり、怪我を補う為に訓練で利き手でない方を鍛える者もいるが、おそらくこの男は生まれ持ったものなのだろう。そう思わせる自然な仕草だった。

 色々と考えを巡らせてシリウスを見上げると、伏せた睫毛が春の風に揺れているように見えた。

 ブラウンの髪と同じそれは、日を浴びると不思議な色で透け、違う色にも見える。

 整った……いや、整いすぎた造形に輝く髪が揺れて落ち、長く束ねられた後ろ髪がふいに風に煽られ、差し出したティラータの左手をかすめ、くすぐってゆく。


「もういいぞ」


 包帯を止めて、こちらを向いた灰色の瞳と目が合った。


「ああ、すまん。ありがとう」


 軽く礼を言い慌てて手を引っ込めると、照れた顔を庭先に背ける。

 ふと見ると、先程まで誰もいなかった庭に、大きくて威厳のある黒い狼が佇んでいた。


「あれは確か、ヴラドといったか?」


 ゆっくりと歩く姿に見とれていると、狼はティラータの膝元までやってきて鼻先を向けた。

 ティラータがその首筋に手を這わせると、柔らかい毛に指が埋もれる。気持ちよくなって何度も撫でていると、狼も気に入ったのかティラータの膝に顔をすり寄せ、金色の眼を細めている。


「可愛いな」


 ティラータの呟きに、隣で道具を片付けていたシリウスが噴き出す。

 何が可笑しいのかと、ティラータが睨む。シリウスは微妙に顔を歪ませて、困った素振りだ。


「……なんだよ」

「前にも言ったが、それ(・・)人狼だからな、()の」


 きょとんとした顔で首をかしげ、膝もとで甘えるヴラドに視線を落とす。


「そういや、そうだっけ。お前、人にもなれるのか? だとしたら凄いな」

「いやだから、可愛いという分類じゃなくてだな……」


 シリウスの云いたい趣旨がつかめず、両手を広げ狼の首に抱きついて頬ずりするティラータ。

 すると黙って様子をうかがっていたヴラドが、黙らせるかのように主人にひと吠えした。

 余計な事はするな、とでも言っているのだろう。しかし相変わらずぐりぐりとティラータに頭を撫で回され、微かに揺れる尻尾はいつになく滑稽で、シリウスは肩をすくめる。

 ずい分とティラータのことが気に入った様子の相棒に、シリウスは内心では驚いていた。主人であるシリウス以外の人間を嫌う為、滅多なことでは森を出たがらない狼が、他人に尻尾を振るなど俄かには信じ難い。だがシリウスは同時に、森の蛮族たちを獣たちが恐れないという噂を思い出す。恐らくそれは彼女にも通用するのだろう、とシリウスはひとりごちた。


「そういえば、お前はもう聞いたか、シリウス? グレカザルとカペラのデュークが近々来るらしい」


 ティラータはひとしきり狼の毛並みを堪能し、満足げな顔を上げてシリウスに話を振る。


「知ってる」


 なぜか渋い表情になり、素っ気無い返答をしたシリウス。


「なんだ、その顔」

「俺、あいつ苦手。できれば会いたくない」


 はあ? 子供かオマエと呆れつつ、どんな奴かますます気になるとティラータが告げる。するとふて腐れた顔をされ、本心から嫌っているのだと悟るティラータ。


「おまえにも苦手な相手がいたのか」


 金星カペラの剣聖デューク・デラ・デューン。二つ名は『金の欠月』で、大陸の最西端フィンディアの第三王子である。出自もそうだが、気高く己を律することを最上とし、礼節を重んじ人にも己にも厳しい、貴公子という言葉を体現したような男だという。

 目的の為には、多少ならずとも手段は厭わず楽しむ。そんな主義のシリウスという男にとって、対極に位置する存在かもしれない。

 シリウスは苦手な男の顔を思い浮かべながら、先々の煩わしさを思い口をつぐむのだ。


「まあ、会えばわかるよ」


 そうだな、とティラータは応える。


「ベクシーは思ってたよりも悪かったみたいだな。グレカザルが来るということは、すぐにでも彼がベクシーの後を継ぐ必要があるって事なんだよな……」


 ティラータはベクシーの元で様々なことを学んだ。ある意味彼を師と称しても過言ではない。剣術に関して彼から教えを受けたことはないが、それ以外の知識──世界の成り立ちや常識、医術や経済、様々なことをアシャナと共に学んだ。

 その師を、近い将来永遠に失うかもしれないのだ。分かっていたつもりでも、この時まで実感していなかったのかもしれないとティラータは気づく。


「グレカザルでは、不満か?」


 シリウスの問いに首を振った。


「彼なら安心して任せられる。私に異存はないよ。そうじゃなくて……私はこういうの、初めてなんだ。近くにいる者を失うのは、経験したことない」


 母のときは、そういう感じじゃなかった。何も分からず突然ひとりになっただけで、悲しむ余裕すらなかったから、と続ける。

 ふいに、ティラータは頭の上に温かな重みを感じた。

 ポンポンと大きな手が頭を撫でているのに気付き、驚いて眼を丸くしながら手の主を見る。

 そこには、優しく微笑む男がいて。


「こ……子供扱いするな」


 とっさにシリウスの手を払いのけ、顔を逸らしながらティラータは立ち上がる。


「用は済んだから、私は帰る!」


 どんな捨て台詞だ、と自分自身呆れながら、ひとりと一匹を置き去りにしてその場を離れたのだった。


「あの男は不得手だ。何ひとつ自分の手の内を明かさないくせに、ひとの懐には勝手に入り込もうとする……」


 ベクシー以外の同じ剣聖の位を持つ者に、ティラータはこんなに多く顔を合わせたことはない。そのせいか、扱いに戸惑う。

 常に不穏な空気をまとっているクセに、ふざけてそれを誤魔化そうとする男。

 本来は個々が独自の判断で動く剣聖に、横の繋がりは必要ない。掟で拘束されることがあるとすれば、それは今回のように代替わりや新たな剣聖の認定に立ち会う要請を受けたときのみ。

 それをまるで無視して自分とこの国に関わろうとする男の行動に、ティラータの警戒は未だ解かれることはなかった。



 寝台の上に座り、いくらか顔色の良くなったベクシーは、目の前にふてぶてしく踏ん反り返って座る男に目をやる。


「何故、名乗らなかった?」

「ただでさえ、まだ警戒されているのに名乗ったら、猫みたいに毛を逆立てて逃げられそうだろ」


 不敵、と表現するのが最もな顔でシリウスは笑う。


「ああ、そうかもしれん。あれは見ての通り、野生の猫そのものだからな」

「猫なのかよ。そんなことより、だ。ベクシー」


 先ほどもでのふざけた調子が消え、シリウスの顔が険しくなる。


「ティラータの身体に刻まれた刻印(アレ)はいったいなんだ」

「見たのか、あれを……」


 老人のシワが、いっそう深くなる。


「あれはのう……罪よ。ミヒャエルのな」


 ベクシーは傾きかけた窓の日差しに目を向け、黙り込む。

 微かに揺れる日差しは、空を覆う虹色のゆらぎを反射して輝く。シリウスもその老人の視線を追って、外を見る。


「忌々しいものだ。まるで『檻』だな」


 低く呟くその声は、淡々としつつもそれだけで他を跪かせるかのような、威厳を放つ。


「その檻も、永遠ではない。ワシは障壁(アレ)の崩壊を見ずして去ることになりそうだ」


 老人のシワに濃い影が落ちるのを、シリウスはまるで断罪者のように黙って見ている。


「お前がワシらを甘いと言うのは分かっておる。しかし、そんなお前にだからこそ、ティラータと王女の行く末を頼みたい」


 ベクシーの搾り出すような願いに、男はただ「勝手だな」と吐き捨てる。

 既に関わっている。だが真に己が関わることで与える、計り知れない多大な影響について、シリウスは考えを巡らせる。

 それが吉とでるか凶とでるか。シリウスにも未だ読みかねていた。

 

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