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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第一章 忍び寄る影
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思い出と守りたいもの 6

 ──ティラータは夢を見ていた。

 それは七歳の誕生日を迎え、ティラータの居場所が剣術場そばにある、寄宿舎の一室となった時の記憶だった。


 剣術訓練兵となった私は、本来ならば大部屋の一角が割り当てられるのだが、他に女の子供がいなかったので仕方なく、小さいながらも個室が与えられた。

 そこでは何もかも一人で身の回りのことをこなさねばならない。

 身よりも無く毛色の違う役立たずは、厄介者以外何者でもない。

 私は毎日、必死に生きていた。

 やることといえば、剣術の鍛錬のための準備や片付け、場内の掃除や武具の手入れ。その隙に自分のこともこなさんければ、どんなに疲れていても食事にありつけないのだ。

 手は荒れささくれ立ち、あちこちに痣や擦り傷があり、髪もボサボサでいつも汚れた訓練着を着まわしていた。

 そんな慌ただしさのせいか、誰かと話すこともなく黙々と日々を過ごしていた頃、アーシャに取って代わったかのように気付けばあいつがいた。

 私は適当に「うん」とか「いや」とか答えるだけなのに、気付けばしょっちゅう話しかけられている。

 思い出すと胸が温かくなるのだが、この時の私は正直困惑していた。


「僕の名は、ランカス・ボルドだ。何度言えばいいんだよ、いい加減覚えろティラータ」


 相手の名を呼ばなくてもいいほどにしか会話しない私に、こいつは何度も懲りずにそう言ってくる。

 彼は私よりも四つ年上だが、この剣術場に通い始めたのが私と大差ないせいか、何かと一緒になることが多く、彼の持ついろいろな事情もあって、ここでは私同様浮いた存在だ。


 この国では男児は七~八歳頃になると、すべからく剣術を叩き込まれる。

 だがその中でも、城内の施設に寄宿する者のほとんどは、貧しかったり身寄りが無かったりする者が多い。

 街や村々にも剣道場のようなものがあり、城へ仕官できる十六歳になってから此処にやって来る者のほうが多いからだ。

 ランカス・ボルドは、ティラータと同じように──大部屋だが──寄宿生活をしている。

 だが、本来彼はそこにいるはずのない人間だと、聞いてもないのに聞かされた。それも腹の立つことに、彼ではなく他人に。


 彼の父親は侯爵で、ランカスはいずれその地位を継ぐ者だった。

 だが、彼の両親は事故で亡くなり、でもそれは事故なのではなかった。当主を奪おうと画策し、事故を装い殺した犯人は彼の叔父であり、親族もろとも牢へとつながれた。

 事件はそれで終わらない。彼の母は庶出なことから、後ろ盾となれるような親族を持たなかった。故にその地位を狙う者達はまだいて、子供でしかなかった彼から、無理やり爵位を返上することをを強制させた。

 そうして彼はここに来るしかなかったらしい。まったく貴族というのは、奸智に長けた生き物である。

 これらは公然の秘密というやつで、誰もが知っていて、嫌でも私の耳にも入ってくる。

 それが不快でならなかった……。

 どうして陛下はそれらの爵位返上を受け入れたのか。

 どうして幼い彼は誰にも守られないのだろう。

 イライラして仕方がなかった。

 だからあんな事を口走ったのだと思う。


「うるさい、私にかまわないでくれ。それに、私にかまえばいずれ得るはずの爵位にキズがつくぞ」


 そう言って彼を遠ざけるつもりだった。


「爵位はこれからもずっと、いただくつもりはない」

「なっ……」


 思いがけない返答に、つい彼の正面を見据えてしまった。

 まだこれから十一歳になろうかという幼い顔には、不釣合いな強い眼差しだった。どこか擦れてない育ちの良さを感じさせる少年だったが、少しの間付きまとわれただけで、私は理解していた。彼は温厚そうに見えてひどく頑固者だということを。

 だからこそ、発した言葉が本心だと分かり、尚更イラつく。

 私の苛立ちを察したのか、逆に問われる。


「侯爵にはならない。でも偉くはなってやる。そのためにここに来た。ティラータ、お前は?」


 真っ直ぐ……本当に真っ直ぐな問いに抗う術など、幼い私には無く……。


「私、私も強くなる。何からも……全てのものから守るために」


 すんなりと口にしていた。


 ──あいつらしい、と「今」のティラータは想う。

 変わっていない。馬鹿正直で真面目で真っ直ぐで……。それに人を巻き込む。

 あいつが居なければ、自分はすっかり曲がって卑屈になっていただろう。

 私の返答に満足したのか、うっかり本音を口にしてしまい憮然としている私を見て、ランカスは笑っていた。


 それから私とランカス・ボルドは、共に切磋琢磨しながら、着実に強くなっていった。

 目標があったから、ぶれることは無い。やるべきことはいっぱいある。

 実力をつければ、どんな噂話や蔑みも、私達には近づけなくなる。

 剣術を始めて三年もしたら、周りに敵うものがいなくなったので、私達は専ら近衛隊士たちに手ほどきを受けた。

 そしてさらに二年もたてば、ランカスは近衛上位の者を負かせるようになり、私は若干十二歳にしてカナン隊長──当時は彼が剣術師範長であった──しか相手にならなかった。

 自分でもこんな才能があったのかと驚いた。やはり蛮族の持つ身体能力のおかげなのだろう。

 そしてその年、十六歳を迎えたランカスは、有無を言わせぬ実力をもって近衛隊に迎えられる。

 入隊を控えたその頃、ランカスはカナン隊長から陛下への謁見を勧められた。


「僕はまだ陛下にお会いするほどの者ではありません、隊長」


 そう答えるランカスに、少し困った顔のカナン隊長。


「いや、そうではなくてな、陛下が直々に会いたいと仰っているのだ……もちろん陛下の私的なものだが……分かるな?」

「……」


 ランカスは考え込むが、カナン隊長の意図するところを理解したのか、うなずく。

 私的な謁見とはいえ、陛下からの言葉ならば否定は許されないのだろう。


「……分かりました」


 ようやくの同意に、隊長はホッとした顔だ。

 こんなところがこの人の好いところだ。決してその地位を振りかざさず、下々の者にも気を使ってくれる。たとえランカスが拒否しても、何とかしてくれたのかもしれないが、この人の負担になりそうで憚られる。


「良かった、自分の希望を伝えられるじゃないか、ランカス?」


 ランカスの爵位を放棄する意志は、まだ変わってはいなかった。その言葉に、ランカスはようやく微笑み、決心がついたようだった。

 だが、カナン隊長がこのとき複雑な気持ちで見ていたことに、私たちは気付かなかった。

 翌日、陛下のもとから戻ったランカスは、剣術場の詰め所で座り込み、ひどく意気消沈しているようだった。


「戻っていたのか、随分長かったがどうしたのだ?」


 あまりの辛そうな表情に、心配になって声をかけた。


「ティラータ」


 こちらに気付き、上げた眼が切なく揺れる。


「何か、あったのか?」


 ランカスは私の手を取り、半ば引きずるように歩き出す。


 剣術場を出て寄宿舎の方に向かった。

 彼はずっと前を向いていて、後手に引かれる私にはその表情を窺い知ることは出来ない。

 黙ってついて行けば、辿り着いたのは私が使っていた個室だった。

 躊躇せず中に入ると、ランカスは扉を閉めて立ち尽くす。


「……何か、聞かれたくない話があるんだ?」


 らしくない彼に、私はなんとなくそう感じたのだ。

 彼に椅子を出し、私は粗末なベッドに腰掛けた。

 俯くランカスはなかなか口を開こうとはせず、どうしたものかと私は思い巡らせていると、ようやく何かを結したらしく顔を上げた。


「陛下から、ティラータのことを聞かされた」


 剣術の腕前が上達しても、どんなに知識が増えようとも、私はまだたった十二歳の子供だった。

 陛下の思惑など、まるで考えも及ばなかったのだ。


「私? な、何を……」


 まさかここで私のことが話題になるとは露ほども思わず、当然、頭が真っ白だった。


「お前が、陛下の兄上である先代の王太子ルートヴィッヒ様の御子だということを」


 全身の血の気が引いてゆくのを感じた。

 たぶん、このとき私は顔面蒼白となっていただろう。

 自分でも認められないことだったし、誰にも知られたくなかった。


「陛下は僕に全てを話され、お前の……ティラータの後ろ盾となるべく近衛の地位を登りつめ、いずれは爵位を継ぎ、お前を守ってやって欲しいと……」

「……それはどういう意味? なんで」


 聞きたくない、だが聞かずにはおれなかった。


「たぶん、お前の考える通りの意味だと思う。」


 ──何故。

 その問いだけが頭を巡っていた。


「お前を……手放したくないと仰っておられた。ティラータを森に返した方が、お前にとって幸せなのを分かっているが、どうしても手放せないと──苦しんでおられた。それゆえ、過ちを犯したと」


 過ち──。

 己の胸倉を知らず内に掴んでいた。きっと、この胸に刻まれた紋章のことも話されてしまったのだと悟る。


「それがある限り、この国から出られないんだ。だからせめて、ティラータがイーリアスここで不自由せず生涯を送れるように、僕と──」


 身体が勝手に動いていた。

 立ち上がり、扉を目指し走り出そうとして、ランカスに腕を掴まれた。


「は、離せ、私は陛下にっ……そんな事私は望んでいないってちゃんと言わなきゃ!」


 暴れる私はランカスに引き寄せられ、そのまま背中から抱きしめられた。


「離せ!私のせいで……お前がそんな事で人生を決めつけられるなんて、駄目だ! 私はそんなんじゃないっ、私はあいつの子なんかじゃないっ、私は……」

「ティラータ!」


 諌めるような、でも落ち着いた声で名を呼ばれる。


「僕は、変わらない。何ひとつ変わる必要はないよ」

「でも!」


 逃げ出すのを諦めランカスを振り向くと、拘束が緩められた。


「陛下には“頼む”と言われたけれど、僕は最初から爵位を欲しいなんて思っていない。どちらにしても先ずは強くなって己の力で登りつめたい。その先どうするかは、僕が決める」


 ランカスがそう言っていつものように笑うので、私は力が抜けてベッドに腰を下ろして呆然としていた。


「何も……変わらない?」

「ああ、そうだ。お前はどうしたいティラータ?」


 私……? そうだ、私は。


「私も変わらない。誰にも文句をつけられないくらい強くなって、アシャナ姫を……アーシャを誰よりも側で守る」


 それが全てだ。そう言えば、ランカスが微笑む。


「なら、いい。何も変わる必要がないだろう? なればいいんだ。僕に守られる必要が無いくらいの、陛下の思惑すら超える存在に」


 詰め所ではあんなに思いつめていたのが嘘のように、すっきりとした笑顔だった。たったあれだけの時間で何を悩み、なにを吹っ切ったのか。私には及びもつかないところで、彼は彼なりに結論をだしたのだ。


「思惑を超える……?」

「ああ、きっとお前ならなれるよ、剣聖に!」


 まるで夢物語だと、この時は思った。

 けれどランカスが自信たっぷりで言うものだから、私にも出来るような気がしたんだ。

 たとえそれが気休めだとしても。

 私たちはまだ何の力もない子供だけれど、この先、強くなれれば道が開けるかもしれないのだ。

 強くなって成長して確固たる地位を得られれば、こんな私と共に在ってくれたランカスが、陛下の命令で人生を無駄に囚われずに済むかもしれない。

 アーシャを守りたい。しかしこの友の幸せもまた、私にとって守りたいもののひとつに、いつの間にかなっていたのだ。

 それなのに、爵位を戴く代償としてこんな蛮族がついてくるのでは、あまりにも哀れじゃないか。



 この時より、私たちはお互いの信念を貫くため、距離をとることに決めた。

 もう幼い子供ではない事を、他に認めさせるために敢えて名で呼び合うことを止める。子供らしい浅慮だったが、それはそれで良かったと今では思う。


 そしてこの四年後、私は本当に剣聖になり、ランカス・ボルドは近衛副隊長となったのだから。


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