思い出と守りたいもの 3
ティラータとオズマはそう時間もかからず魔法障壁まで出ると、それを伝って捕らえた男達のところへ辿り着いた。
すると捕虜たちが一斉にティラータたちへすがるように顔を上げる。
その顔はまあ、想像通り情けない状態だった。
ティラータの顔を見るや否やヘナヘナと脱力する様は、それまでの男達の状況を容易に窺い知れる。
「一、二、三……十三。うん、欠けていないな。よしよし、それじゃオズマ殿、頼む」
「お、おいっ、今度は何だよ。そいつ魔術師じゃないか、この森から連れ出してくれるんじゃなかったのかよ?!」
待っている間に、捕虜として牢に入るか、れとも森を抜けて逃げ出すか。相反する天秤は、すっかり捕虜のほうに傾ききっている様子の男達。
ティラータはそんな捕虜の声は無視して、辺りを見回していた。
「オズマ殿、広さは足りるか?」
「え、あ、はい。……ちょっとあの木が邪魔、でしょうか……」
そうか、とティラータが呟くと、木の前まで歩み出る。
楕円形に広がるその場所に、一本だけ取り残された木は、大の大人ひとり分はありそうな幹の太さだ。
この森ではまだ小さい方なのだが。
ティラータは木の前に立つと、そっと幹に触れる。
──済まないな、許してくれ。
誰にも聞こえないほどの呟きのあと、ティラータは数歩退がり剣の柄に手をかけ、腰を低く構える。
騒いでいた男達もその気迫に、何が起きるのかと息を呑む。
次の瞬間、素早く剣を抜き払うかたちで一閃したかと思うと、そのまま流れるような一連の動作で剣は鞘に収められた。 何が起こったのだろうと呆然としている捕虜たちの前で、木はメキメキと軋む音とともに倒れていった。
「……」
捕虜たちの顔は、再び青ざめる。
「これでいいかオズマ殿。根元が少し邪魔かな?」
鋭い切り口の株を指して、ティラータが息ひとつ乱さず振り返ると、オズマは嬉々として頷く。
「だだ、大丈夫です。多少の凹凸はへ、へっちゃらです」
捕虜たちは互いに目を見合わせる。
多勢でも勝てなかった相手、ティラータの実力を本当の意味で理解した後である。既に抵抗すれ気は失せた様子だった。
ティラータはずかずかと男達に歩み寄り、見下ろす。
「これからお前達を、魔術を使って城へ転移させる」
「な……魔術??」
再びざわめく。
まあ当然か、とティラータは思う。
本当ならわざわざ魔術など使わない。これだけの人数を転移させるなど、並みの魔術師には不可能なのだから。
「おい、あのちっこいのが一人でやるんじゃないだろうな?!」
一応、それくらいの魔術に対しての知識はあるようだ。
「ちっこくても、我が国の宮廷魔術師だが……つくづくお前達は見た目に騙されるのが好きだな」
ティラータは笑う。
小娘と侮って捕らえられたのは男達の方なので、口を噤むしかなかった。
ようやく静かになったところでオズマは皮袋を取り出し、中に入っていた白い砂を地面に全てばら撒いた。
小さな白い小山となった砂に、オズマが手をかざすとフワリと風が巻き起こる。
「我が魔力、我が手足となりて、描け道しるべ」
日ごろのドモリなど微塵も感じさせず、なめらかな詠唱だった。
その声に応えて白い砂がサラサラと動き出し、地を這い、男達の周りを流れてゆく。
そしてあっという間に、男達を囲んで砂の魔法陣が出来上がった。
オズマが一歩その中に入る。
「そ、それではティラータ殿。わ、私は一緒に戻りますので」
「ああ、後は頼む。私もすぐに戻るから」
オズマが頷く。
「──我を導け、光となりて道の果てまで──」
光と共に、ティラータの目の前から、オズマと十三人の男達が消える。
巻き起こる風に髪をとられ、ティラータは目を瞑る。
「相変わらず、鮮やかなものだな」
魔方陣すらきれいさっぱり消えた森に、ひとり取り残されたティラータもまた、長居は無用とばかりに踵を返すのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
王城の奥の院、王女の部屋にアシャナ・ル・イーリアスは居た。
昨夜の襲撃からますます行動に制限がかかり、大人しく自室に閉じこもるしかない状況だった。
居間のソファーに腰掛け、侍女が茶を用意し終わると、入れ替わりに外に待機していたボルドを招き入れる。
「私にも、きちんと報告してね、ボルド? ティラータは今どうしているのかしら」
人払いされ二人きりになったのをいい事に、アシャナは気安い口調でボルドを見上げる。
「残念ながら、未だ報告できるほど犯人に目星はたっていません。レグルスは、只今西の森へ行っています。帰り次第、陛下への報告へ行かれると思います」
じっと次の言葉を待ち見つめていたアシャナに、ボルドは付け加える。
「彼女のケガならば、大丈夫ですよ。特に後遺症もないようですから」
ボルドは安心させる為にか、目を細めて笑顔を見せる。
「……いつ会えるのかしら?」
ボルドは逡巡する。
「陛下への謁見後、ですかね」
ボルドの複雑そうな表情を見て、アシャナは彼も同じ事を考えていたことを悟る。
「捕まえる……つもり?」
「ええ、そうですね」
悪戯っぽく言うアシャナに、にっこりと笑って答えたボルド。アシャナがそれに乾いた声で笑った。
「ちょっ……待てボルド」
ティラータは抵抗するのだが、有無を言わさぬボルドの腕が腰に回され、小脇に抱えて運ばれていた。
「言い訳は聞きません」
毅然とした口調のボルドは、前を見据えたまま力任せにティラータを抱え、城の廊下をずんずんと歩く。
そこは女官もまばらで兵の出入りもほとんど無い、王城の奥の、アシャナ姫の自室からさほど離れていない場所。
「放せボルド、自分で歩くから」
イーリアス一の剣士とはいえ女の身である。こうもすっかり抱え込まれた後では、さすがのティラータも、自分の腕力ではボルドの体躯に抵抗しても、無駄なことは分かっている。
ジタバタした手足を引っ込め、言葉で解放を求めた。
「嫌です」
ボルドの無碍もない、短い返事だった。
一体自分は何をしでかしてこの男を怒らせたのだろう、とティラータはようやく真剣に考え始める。
この男、ランカス・ボルドは常に穏やかな口調と人の良さそうな笑みをしているが、その実とても頑固者だ。……特に幼馴染のティラータに対しては、その穏やかな仮面がよく剥がれることがある。
ティラータが認識している彼の性格は、『心配性で、意外と短気』である。
ティラータは、ふう、と溜息をつく。
「おや、溜息ですか、良いご身分ですね」
こちらをちらりとも見ず、低い声で言うボルド。
──あ、まずい。
ティラータは己の失態に気付いた。
最初は、彼がそんなに不機嫌だとは全く気付いてなかったティラータだった。
発端はアシャナ姫の顔を見に、訪れたことだった。
森から帰り、無事オズマの転移が成功して捕虜たちを牢に入れたことを確認し、ミヒャエル王へ報告も済ませた。
既にあらかたカナン隊長から報告が上がっていたため、さほど言うべきこともなく退出しようとしていたとき、陛下に呼び止められた。
──姫が心配している、会っておきなさい。
そんな内容だった。
ティラータとしても、昨夜心配をかけたまま不安そうにしていたアーシャをそのままに置いてきたことは、ずいぶん心に引っかかっていたのだ。
だから、特に何も考えずにアーシャの元へと直行した。
「無事で良かった、ティラータ」
心底ホッとしたようなアーシャの笑みに、ティラータは心癒される。と同時に、こんなに不安にさせた自分が不甲斐なく感じる。
「心配させて済まなかった、アーシャ。でもアーシャが何ともなくて良かった。しばらくは警護が厳重で煩わしい思いをさせるが、どうか自重して欲しい」
ティラータはアシャナの前に跪き、そう訴える。
「ティラータ……」
「アーシャに危険が及ぶかもしれないと考えただけで、私は自由に動けなくなるよ」
ティラータは微笑む。
「うん……ティラータも無理はしないでね? 怪我をしているのだから、ちゃんと休まなくてはダメよ」
ティラータを心配するアシャナ姫に、ティラータは大きく頷く。
「大丈夫、大した傷ではないから」
ティラータが安心させるようにそう言うと、アシャナは少し困ったような顔をし、おずおずと手を差し出した。
「約束して、私にはちゃんと本当のこと話して?」
「ああ、誓うよ」
ティラータはアシャナの手を取って誓う。
しかしアシャナがその手をぎゅっと握り返したかと思えば、真顔でその後ろに立つボルドへ視線で合図を送る。
「ボルド! やっぱりあなたの言った通りよ、回収して頂戴!」
「は、御意」
唖然とするティラータをボルドが引き寄せると、抱えるようにして持ち上げたのだ。
「わ、なんで、ボルド?」
なぜ自分がボルドに抱えられているのかが理解できず、ティラータは大きく目を瞬かせアーシャを見下ろす。
「……熱、あるじゃない」
アシャナは姫らしからぬ笑みを浮かべ、命令を下す。
「ボルド、ティラータを回収、自室に閉じ込めて頂戴、朝までよ」
「御意」
ボルドは短く答えると、ティラータをまるで荷物のように脇に抱え込んだ。
「は、放せボルド」
ジタバタと暴れるティラータを他所に、ボルドは姫に向き直り一礼する。
「では姫、失礼致します。警護は増員しておきますが、信用のおける侍女以外は、今夜はもう通さないで下さい」
「分かったわ。じゃ、よろしくね、ボルド」
そうしてボルドに抱えられたまま、ティラータは手を振るアシャナの元を離れ、城内を連れていかれたのだった。
そして先程のくだりに戻るのである。