初夜に「貴方を抱くつもりはない」と言われましたが、絶対にわたくしを抱かせてみせますわ!
「貴方を抱くつもりはない」
結婚式を挙げた日の夜、旦那様にそう言われた花嫁は何と言えば良いのでしょうか?
何処に居るべきなのかと、部屋の中をそわそわと歩き回り、お手を煩わせるのは申し訳ないとベッドの上に腰かけていたわたくしは、部屋に入っていらしてから扉の前を動かない旦那様を、じっと見つめることしかできませんでした。
ベッドから扉は遠く、灯りは最小限に抑えられているので、表情は良く見えません。
「……どなたか、お相手の女性がいらっしゃるのですか?」
この結婚は、とても分かりやすい結婚なのです。
由緒ある貴族ではありますがお金がないエヴァンス伯爵家と、お金はあるので爵位が欲しい、というアーレン・ウッズ様との利害が一致した為の結婚なのです。
利害の一致と言いましても、こちらは持参金も用意できず、嫁ぎ遅れて家のお荷物となっていた娘のわたくしを押し付けるのですから、申し訳ないとしか思えません。
二十歳での結婚も遅いと言われるこのご時世、二十三歳のわたくしは世間から奇特な視線を向けられている現実です。旦那様はわたくしよりも八歳年上だと伺っておりますが、貴族ではない男性ならばそんなものなのだそうです。
なので、わたくしには何も言う権利はないのです。
「いや、そんな相手はいない」
旦那様は、心なしかきっぱりと答えられました。いえ、わたくしの希望が混じっているのかもしれませんが。
「俺は君を金で買っただけだ」
わたくしは何も言えませんでした。
わたくしには、買ってもらえるような価値は何もありません。旦那様が買った『エヴァンス伯爵』という爵位に付着している染みのようなものなのです。
「……ええ、おっしゃる通りです」
旦那様が欲しいのは爵位だけなのに、わたくしの両親によって半ば強引にこの話は進められてしまいました。娘のシャーロットと結婚すること、というのを絶対の条件としたのです。
結婚という形をとることによって、旦那様は婿入りということになり、あわよくば爵位を譲らずにお金だけを引き出そうとする両親の魂胆なのです。くれぐれも逆らうな、気に入られろ、とお父様とお継母様にきつく言い聞かせられました。
「ですから、わたくしは、貴方様のものです。どうぞ、なんなりとおっしゃってください」
旦那様に愛する人が居らっしゃるのならば、わたくしはお飾りの妻でいる心構えでありますし、顔も見たくないと言われるのならば、一生部屋に閉じこもることも覚悟の上で嫁いで参りました。
「…………はっ。ははははは! 凄いな! 金の力というのは本当に凄い!」
旦那様は突然声高く嗤い、ドンッと扉を強く叩きました。
突然の大きな音に、ビクリと身体を竦めてしまいましたら、旦那様は舌打ちをして、ゆっくりとわたくしの方へと歩いてきました。
ベッドの脇にいくつか置かれている灯りで、旦那様のお顔が見えました。
今日は長い髪を一つに纏めていらっしゃいましたが、お風呂に入られたのか、しっとりと濡れた黒髪はおろされたままで、雫がまだぽたぽたと垂れております。わたくしを見下ろす深い緑色の目は苛立たし気にこちらを睨んでいるように見えました。
肉厚な唇の口角が上がり、嘲笑の形にに歪みます。
「由緒ある貴族のお姫様が、平民の俺の為になんでもしてくれるというのか?」
「ええ、そうです」
わたくしは、姫などではありません。実家では離れに追いやられ、食べる物にも衣服にも事欠いておりました。こんな育ちのわたくしは、とてもお姫様とは言えないでしょう。
なので、「姫ではない」と首を振るべきかと思いましたが、わたくしは旦那様の言葉に頷きました。
だって本当に、わたくしは彼の為になんでもしよう、と思っていたのですから。
だけど、旦那様は一瞬、瞬きの間程、眉根を寄せて唇を引き結びました。
わたくしには、旦那様が傷ついたような表情に見えました。
「なんでも? なんでも! お姫様はその言葉の意味を知らないのか? 理解していないから言えるのだろう!」
「分かっているつもりです」
わたくしは不思議でした。
どうして、旦那様はわたくしの言葉を否定するのでしょう?
首を傾げると零れ落ちた白銀の髪が、さらさらとした肌触りの寝間着の上を滑っていきます。
だけど、わたくしの髪にはこの今着ている布のような光沢はありません。旦那様の視線が、わたくしの髪に移ったのが分かり、恥ずかしくなって視線を伏せました。
幼い頃は「綺麗な白銀の髪」と褒められていましたが、今では老婆の白髪のようなぱさぱさの髪なのです。
「なんでも、おっしゃってください。わたくしの顔も見たくないのなら、何処かに閉じ込めていただいても結構です。もし他に愛する方がいるのなら、お飾りの妻を完璧に演じて見せましょう」
自分の醜い姿が恥ずかしくて、わたくしは顔を伏せたまま言いました。
「そんなに、俺の顔を見たくないのか! 傍に居るのも嫌なのか!」
どうしてそのように受け取られてしまうのでしょう? わたくしの話し方が悪いのでしょうか?
わたくしが生まれてまもなく母は寝込むことが多くなり、母と離れでひっそりと暮らしておりましたので、人と会話が不得手な自覚はあります。それに、表情が乏しいらしく、お父様やお継母様、異母妹からも「睨んでくる」「お高くとまっている」「可愛げのない」と言われてきました。
こんなことになるのなら、話し方や笑顔の練習をしておけば良かった、と今さながらに後悔しました。
「そのようなことはございません。わたくしは、旦那様のお顔はずっと見ていたいですわ」
旦那様は、本当に格好良い。
教会で並んだ時に、わたくしの頭は旦那様の肩ほどまでしかないのだと気が付きました。商会を経営して貿易をしていると聞きましたけれども、身体つきもしっかりとしていらっしゃいます。
何かのおまじないなのか、色あせた鼠色の紐で編まれた腕輪のようなものを手首に巻き付けていて、腕を動かした時に見えたその下の肌の色は白く、日焼けしてらっしゃるのだなと知りました。
左目の下にある傷が、唯一の欠点でしょうか。整った顔立ちなのに、その傷があることによって、優美とは言えなくなってしまっております。
けれども、何も知らず、名前と職業だけを聴かされ、媚びを売れと言い聞かされて今日の結婚を迎えたのですが、わたくしは旦那様を一目見て、胸が震えるほどに嬉しかったのです。
「……俺に媚びる必要はない」
旦那様は顔を背けられましたが、耳が赤くなっています。耳はあまり日焼けしていないようですね。ということは、普段は髪をくくらずに下ろしているのでしょうか?
「媚びてはおりません。親には媚びろと言われましたが、媚びる必要などなく、わたくしは、わたくしの出来ることならなんでもさせていただくつもりです」
なので、これだけは言わねばなりません。
「旦那様、エヴァンス伯爵家の継承権はわたくしが持っているのです。お父様は入り婿で、エヴァンス家の直系血筋ではありません。ですから、次の継承権はわたくしの子供になります。つまり」
恥ずかしいですが、思い切って口にしました。
「えっと、その、わたくしと旦那様の子供に伯爵家の継承権が移りますので、わたくしを捨てるなら子供を作ってからの方が良いと思います」
「……いや、待て。顔を赤らめて言う台詞じゃないだろう」
そうですか? 旦那様と子供を作る、なんて台詞は考えただけでも顔が真っ赤になってしまいます。
旦那様は何故か大きく息を吐き、その場の絨毯の上に座られました。わたくしの方が上から見下ろすことになってしまうので慌てて同じようにベッドの下に腰を下ろせば、「腰を冷やすな」と軽々とベッドの上に戻されました。
絨毯はふかふかなので冷えるとは思いませんでしたが、旦那様に腰を掴まれた衝撃で、そのまま固まってしまいました。男の人の手は、こんなに大きくなるものなのですね。
「……細いな」
「申し訳ございません」
「いや、謝ることじゃない」
旦那様は、わたくしの細い枝のような手首に指を回し、顔を顰められました。
「……俺は、貴方を金で買った男だ。金で買うことしか、出来なかった男だ」
わたくしの手首から指をほどき、壊れ物を扱うようにわたくしの指先を、そっとご自身の指の上に乗せてくださいました。
「貴方は、自由だ」
まるで詫びるように、俯き、頭を下げられました。
「ええ、やっと、あの家から、あの家族から、自由になれました」
ようやく、です。
感謝の言葉を伝えようとするわたくしの言葉を遮るように、「違う」と言って旦那様は首を横に振りました。
「俺に、この結婚に、縛られる必要はないんだ。貴方は、何処に行くのも、何をするのも、貴方のやりたいようにやればいい」
わたくしの、やりたいこと……?
わたくしは困惑して、俯いたままの旦那様の頭を見下ろしました。
「……どうして、そんなに良くしてくれるのですか?」
わたくしは再び絨毯の上に腰を下ろし、俯いている彼の左目の下の傷に指を伸ばした。
「この傷だって、わたくしを庇って怪我をしたものなのに」
旦那様は驚いたように、顔を上げました。
「憶えて……」
「憶えているに決まっていますわ」
離れで暮らす母とわたくしを、古くから仕えてくれている歳取った数人の使用人だけが気にかけてくれておりました。庭師の孫である彼が唯一若く、わたくしと遊んでくれるお兄さんでした。
けれども何かの気まぐれで離れに来た父がその様子を見て、子供のくせに男を誑し込んでいると怒り狂い、折った枝をわたくしに振り下ろしたところを、彼が庇ってくれたのです。
わたくしが六歳の時でした。綺麗な顔から流れ出た血は今も忘れられません。
それからは、申し訳なくて申し訳なくて。彼から隠れて避けているうちに、いつの間にかお兄さんは居なくなってしまいました。
「だって、わたくしの初恋の人ですもの」
いつも優しく遊んでくれて、父の暴力から庇ってくれて、好きにならない訳がないじゃないですか。
旦那様は驚いたように、目を丸くされました。その表情は、昔の、少年の頃と同じだわと思ったのですが、日差しを遮るように片腕を顔の前に出し、俯きました。
「……もう、あの頃の俺じゃない」
「教会で旦那様と初めて会って、一目で分かりましたわ。左目の下の傷を見て確信しました」
本当に。自分でも不思議なのですが、何故か、分かったのです。
旦那様はどこか自嘲するような表情で、自分の傷を触られました。
「……わたくしのせいで、申し訳ございません」
「いや、この傷のお陰で助かった部分もありますから、お気になさらずに」
「助かる……?」
意味が分からなくて、首を傾げました。
「あれから暫くして、俺と爺さんは伯爵家をクビになりました。いや、あの件のせいではなくて、単に伯爵家に金がなくなっていたからです。それから色々な仕事をしてきたけれども、顔に傷がある方が箔が付いて助かりました」
苦笑を浮かべた表情に、わたくしは何と言ってよいか分かりませんでした。気にしないように、と言ってくれているのでしょうが、きっと苦労はあったでしょう。
「……わたくしの結婚相手のアーレン・ウッズ様は、成り上がりで、裏社会にも通じていて、直ぐに暴力をふるう粗野な人格だと父に言われておりました」
「あのクソッタレに言われたくはないですね」
「クソ……タレ、ですか?」
初めて聞く言葉だわと思わず繰り返したら、大きく咳ばらいをされました。
「まあ、当たらずとも遠からず、ですかね。綺麗な仕事だけでは、お嬢様を助けるだけの金を貯めることが出来ませんでしたから」
お嬢様、と呼ばれて、わたくしの胸は痛みました。言葉遣いも、丁寧になってしまっています。
ああ、本当にこの方は、わたくしを妻とは思ってくれていないのですね。
「どうして、そうまでして……わたくしを助けてくれたのですか?」
幼いわたくしは、何も出来なかった。彼を助けることも、庇うことも何も出来ずにただただ守られていただけでした。
「あの離れの閉ざされた空間の中で、小さくて可愛らしいお嬢様の笑顔は、俺だけではなく、皆の幸福だったのです。今では、あの頃の思い出は、俺のたった一つの寄す処です」
そう言って、優しくわたくしを見つめる目は、あの幼い頃の周囲の視線と同じく優しい色でした。
あの頃は、まだ母が生きていた頃は、食事も、衣服も困ることはなく、小さな狭い世界は、わたくしにとっての世界の全てでした。
世界は、とても、優しさに満ち溢れていました。
庭師のジョンがいて、孫である彼が居て、母の侍女のメアリーがいて、贅沢は出来ないながらも、母の身体の調子のよい日は笑い声も響いておりました。
「……いいえ。何の力もない母とわたくしの為に残ってくれていたあなたたちこそが、わたくしたち母子の幸福でした」
今なら分かります。
きっと、彼らはほとんど給金を渡されていなかったでしょう。それでも、わたくしたち母子の為に残ってくれていたのでしょう。
母が亡くなり、お父様がわたくしを孤立させるために皆を無理矢理辞めさせるまでは、わたくしは間違いなく幸福だったのです。
その日々だけを糧にして、わたくしは生きることができました。
「お独りになったお嬢様のことは、ずっと気にしておりましたが、なかなか情報が窺えず助け出すことができませんでした」
そうして、「はっ!」と息を吐き捨てるように、嗤いました。
「金ですよ。金があれば、直ぐにでもお嬢様を助け出せたのに──」
無力だ、と力なく呟く旦那様の顔は、長い黒髪に隠れてよく分かりませんでした。
絨毯の上でぐっと握りしめている浅黒い、ごつごつとした傷だらけの手をじっと見つめておりました。
わたくしに何が言えましょう? この手を見ただけでも、生きてきた彼の苦労が分かります。
「助け出すのが遅くなって、本当に申し訳ございませんでした。長い間辛かったでしょう? こんなに痩せて……っ」
そう言って言葉に詰まり、わたくしの両手をご自分の両手で包んでくださいました。
それはとても優しい力で、暖かさで、何だか自分が硝子細工になったような、お姫様になったような気分になりました。
「……まさか、歩けなくなっているほどに弱られているとは思いませんでした」
教会では歩くのもふらふらとしており、旦那様の隣に立った途端に倒れてしまったわたくしを、旦那様は直ぐにお医者様を呼んでくれました。診察された結果、極度の栄養失調で絶対安静と言われてしまい、自分でも驚いたのですが。
わたくし自身としては、旦那様が初恋の人だった、という驚きが大きかったので倒れたのではないかと思います。
「もっと早くに助け出せなかった無能な俺をお許しください。……いや、許さないでください。どうぞ、俺の財産は好きに使い、貴方の自由に生きてください」
涙ぐみ、包んだわたくしの両手を、神から与えられた神聖な物であるように自分の額に押し当てられました。
とてもありがたい申し出です。ですが、そう思われていることが悲しくもありました。
「……もしも、わたくしの家にお金があれば、わたくしは初恋の人と結婚することは出来なかった、と思うのです。だからわたくしは、無能な父と浪費家の継母と異母妹に初めて感謝しています」
もしもわたくしが普通の伯爵家の令嬢であれば、庭師の孫と遊んだり話したりすることもなく、普通に何処かの貴族と結婚をしていたでしょう。
彼の優しさも、暖かさも知ることもない人生を想像すると、わたくしはとても恐ろしくなります。
旦那様は驚いたように顔を上げて、わたくしを呆然とした顔で見つめていました。
「初恋の人と結婚できたのですから、嬉しいに決まっていますわ。なのに、『貴方を抱くつもりはない』と初夜で言われるなんて……」
「いや、その、つまり、こんな細くて、歩くこともままならない人となんて、無理です! 死んでしまいますよ!」
「まあ! では、わたくしが健康になれば、抱いてくださるのですね?」
わたくしがそう言うと、何故か旦那様の顔が真っ赤になりました。
「淑女がそういうことを言うのはどうかと……」
「淑女ではなく、妻ですわ」
そう言いながら、『妻』という言葉の響きにうっとりとしてしまいました。
良い響きですわね。
「でも、あの、俺は平民ですし」
「伯爵家よりもお金のある平民ですわよね? お金は大事だと先ほども仰っておられましたよね?」
「歳も八歳も上ですし」
「わたくし、七十七歳の侯爵との結婚話が出ておりましたの」
だから八歳差くらいなんて、と分かって頂きたくて話したのですが、旦那様の顔から表情がなくなり、何だか寒気がしてまいりました。
「旦那様?」
「……間に合って良かった」
ええ、本当に。
「だけど、もっと外に出て、まずは色んな男性と出会って」
「旦那様」
わたくしは、失礼ながら旦那様の話を遮りました。
「わたくしは、父や継母から『あの男は暴力を好むから、お前のような女は媚びを売ったところで、すぐに殴り殺されてしまうだろう。そうなったら、慰謝料を搾り取ってやるから安心して死ぬがいい』と言われて参りました」
ずっと閉じ込められていたわたくしは、社会の噂というものを知りませんが、恐らくきっと、旦那様にはそういう噂があるのでしょう。
「わたくしは世間知らずではありますが、それでも、旦那様が並大抵の苦労では足りない程に苦労をされて、汚れることも厭わずにお金を稼いだのであろうことは想像できます」
わたくしは、旦那様の手の中から自分の手を引き抜き、旦那様の両手を包みました。
「旦那様の手が汚れていると言うのなら、わたくしの手も汚れているのです。旦那様が罪を犯したと言うのなら、わたくしも罪を犯しているのです。だって、わたくしの為にどんなことをしても死に物狂いでお金を稼いでくれたことが、わたくしはとても嬉しいのですから」
いえ、寧ろ、罪を犯させた原因のわたくしの方がより罪は重いでしょう。
旦那様はじっとわたくしの顔を見つめた後に、大きく息を吐きました。
「……直接、殺したことはまだないから安心してください」
「そうなのですね。では、間接的にはある、ということですか?」
旦那様はにっこりと笑うだけで、返事をされませんでした。
けれどもそんなことよりも、旦那様の笑顔を今日初めて見ましたわ! とわたくしは見惚れてしまいました。
「……助け出せればそれで良い、と思っていたんですけれどね。徹底的に伯爵家に報復しても良いですか?」
「ええ、どうぞ」
わたくしは、直ぐに頷きました。
エヴァンス伯爵家の継承権を持っているのはわたくしで、父はあくまでもわたくしが成人するまでの後見人、でありましたが、自分が伯爵家の当主になったかのように振舞った結果、見事に伯爵家は没落しました。
ある意味、凄い才能ですわよね。
わたくしが結婚すれば、継承権はいずれ生まれる子供へと移り、次はわたくしとわたくしの旦那様が後見人となり、自分たちが追い出されてしまうからこそ、父はわたくしを結婚させずに家に監禁しておりました。
そうして、わたくしが世間的にも奇特な目で見られる年齢となったので、自分に継承権を譲ると署名させようとしましたが、それだけは頑なに拒み続けたわたくしに食事も与えず、部屋に閉じ込めて衰弱させました。そこで、殺して何の儲けも無いよりも、少しでもわたくしの命でお金を稼ごうと、いまさらながらに結婚をさせたのです。
「ですから、どうぞお好きになさってください」
わたくしは簡単に今までにされた仕打ちを説明しましたが、「どうぞお好きに」という言い方ははしたなかったでしょうか? 旦那様に呆れられたらどうしましょう?
ですがさすがに、あの人たちを庇う感情など少しも湧いてきません。
「何かやり返したいことがあるのなら、遠慮なく言ってください」
旦那様はにっこりと笑って、そうおっしゃいました。そう言っていただけるのなら、大丈夫でしょうか?
「……父は、とにかく爵位を、継承権を欲しがっておりましたので、わたくしはあの男の目の前で旦那様とわたくしの子供に爵位を譲り渡したいですわ!」
それはとても良い案だと思ったのですけれども、旦那様は困ったように眉根を寄せて、口元を手で隠されていました。
「……それは良い案だと思いますが、その子供は別に俺の子供でなくても良いのではないかと」
「わたくしが旦那様とわたくしの子供にしか継承権を渡したくないのですわ」
旦那様は、無意識なのかご自分の長い黒髪を弄りながら考え込んでいらっしゃいます。
今度わたくしも是非、髪を弄らせてもらおうと眺めていると、自分の艶のない殆ど白髪のような髪が目につきました。
「……旦那様、わたくし健康になりたいですわ」
「ああ、それは勿論です。何よりも優先事項でしょう」
旦那様は真剣な表情で、何度も頷いていらっしゃいます。
今日は、教会で倒れてそのまま旦那様が部屋に来る少し前まで寝ていたのですけれども、この話し合いは思ったよりも体力を使ったようです。
「……わたくし、健康になって、美しくなりたい」
もう限界ですわ。
この体力の無さも何とかしたいですわね。健康になれば、体力もつくのでしょうか。
「お嬢様!」
お嬢様じゃなくて、名前で呼ばれたいですのに。
床に座っていたお陰で、後ろのベッドに倒れこみながら、それでも最後の力を振り絞って、旦那様に手を伸ばしました。
絶対に。
「わたくし……を、抱かせて、みせ、ます……わ」
そうして、意識を手放したわたくしは、旦那様が真っ赤になって「参った……」と呟いていることを知ることは出来ませんでした。
旦那様、髪が長いのと腕のミサンガは、絶対にお嬢様を助け出すという願掛けです。
他者に対してはオラオラな口調なのに、お嬢様(妻)に対してだけ丁寧な言葉で傅いている綺麗な顔なのに体格の良い男の人良いな! と思ったのですが、そこまで書けませんでした。




