③
メルクール神学校、銀弾開発研究室。
『銀弾の父』、マルク・アンヒューラーは、バルーの装備品のひとつである丸眼鏡に様々な器具を差し、銀色の液体を流し込んでいる。
その液体は丸眼鏡に付いている特殊なチェーンの内部まで流れていき、なみなみと満たされていく。
「血から、……そうだな。脳が……」
マルクは一人でブツブツと話しながら、ひたすら眼鏡と向き合っている。
開発に没頭する姿は、教授として教壇に立っている時のそれとは違い、オールバックは崩れ、カソックの袖は捲られ、襟元も緩められている。
一見だらしないが、マルクにとってはこれが最も集中出来る姿だ。
新たに器具を取り付け、管の先にある機械にマッチで火を付ける。
蒸留された液体が、別の大きな機械まで流れていき、剥き出し状態の歯車を動かした。
カタカタカタカタ。
突然、マルクが整備している機械とは別の、壁際に設置されている――、ジルヴァ教内部で使用されている通信機器、『自動筆記タイプライター』が独りでに動き始めた。
白い紙に少しずつ文字をタイプし、スライドしていく。
マルクは少し面倒くさそうな表情でその光景を見てから、根を詰めすぎていたことに気がつき、流石に一休みするべきかもしれないと考えた。
タイプライターが動いている間、彼はコーヒーを淹れる機械に電源を淹れる。
自動で火がつき、湯を沸かす。
ローストされたコーヒー豆のいい匂いが辺りに広がり、少しだけいい気分になった。
タイプライターが、最後にチーンと高い音を立てて止まる。
マルクはカップに出来上がったコーヒーを注ぎ、片手に持ったままタイプライターがある壁際へと歩いていった。
文字が出力された紙を音を立てて千切り、壁に凭れながら内容を読む。
『ダンピールに次の任務命令が下された。』
コーヒーを飲みながら顔を顰め、先程まで向き合っていた眼鏡を見る。
「せっかちな奴らだ。もう少しで終わるってのに」
紙面に視線を戻しながら悪態をつく。
『先日ダンピールが交戦した吸血種が、被害者宅に引き取られる前に在籍していた民間運営の児童養護施設『ルクス園』にて、同時期に退所したとされる児童が後天性吸血種になっていたことが判明し、教会で保護した』
「まさか……。既に仲間を増やしていたのか……?」
カップを近くにあったテーブルに置き、軽く溜息をつく。
バルーたちが戦ったとされる吸血種リーベンは、まだ外見が子どものように見えたという。
成熟が早いとはいえ、まだまだ若い吸血種で、血呪いを使うにしても経験は浅いだろう。
だからこそ、人間のふりをして児童養護施設に潜り込み、仲間を増やす経験を経ていたのかもしれない。
『ルクス園のある第十一教区の教区長、エアシュレケン大司教より、他にも施設に後天性吸血種がいる可能性が高いとして、至急調査の要請が入った。何人被害に遭った者がいるか想定が出来ず、危険性が高いと判断し、直接ダンピールが現場に赴き、調査することとなった。』
「自分たちが危ないからって、他人に押し付けるわけか。随分とお偉いことで」
他人に聞かれていたら罰則ものの発言だが、皮肉を抑えられなくなるような報告内容だ。
『以上の任務内容を耳にして以降、ダンピールの精神がかなり不安定な状態に陥った。三日間経過し、本日になってやっと安定化したことで、出動可能な状態だと判断された』
マルクはハッと顔を上げた。
バルーはダンピールになる前、教会運営の児童養護施設で、子どもたちの世話をする一介の修道士だったらしい。
当時の彼がどんな人物だったかは知らない。
でも、初めて出会ったあの時……。
きっと彼は、児童養護施設に対して酷いトラウマを抱えているとマルクは察した。
そのせいで一時的に精神が不安定になっていたのだと。
『アンヒューラー教授が現在、ダンピールの装備の機能拡張を請け負っているとのことだが、今回の任務に間に合わせるのであれば、残りあと一時間で』
「ウッソだろ!」
マルクはジタバタと無駄な動きをしながら机に戻る。
あともう少し時間があれば、最低限実装したかった機能を付けられる。
バルーの出動に間に合わせるなら、今直ぐそれを終わらせなければいけない。
優雅にコーヒーを飲んでいる場合ではなかった。
「急げ急げ!」
マルクは焦りのあまり声を上げながら、丸眼鏡に別の器具を取り付けたり、使わなくなった部品をその辺に放り投げたりして、何とか時間までに仕上げようと、必死に手を動かすのだった。
ゴトゴトと揺れる馬車の中、大きなトランクを抱えながら俯く男が一人。
この小さな監獄は特別製で、勝手に出られないよう、扉も窓も鉄格子が付いている。
御者はいない。
付き人もいない。
この馬車は、ジルヴァ教の優秀な開発者たちが製作した、自動で馬を目的地まで誘導する機能が搭載されている。
馬を使うところだけは従来通りなのだが。
この馬車は最近開発が完了したもので、先日のフリーデル町長殺人事件の際には使用されていなかった。
リーベンとバルーの闘いが、民衆のエンタメとして消費されようとしている。
伝承の生物ヴァンパイアと、それを狩る吸血鬼のダンピール。
彼らが実際に存在し、戦ったと有名なオカルト雑誌が面白おかしく脚色した。
実際にその現場を目撃した者がいるということで、ヴァンパイアがただのオカルトではないのではと、世間で噂が流れている。
教会はこれまで、吸血種という生物が人間社会を脅かしている事実を秘匿してきた。
それは人間たちが必要以上に騒ぎ立てたり、恐れて何も出来なくなるのを避ける為である。
しかし、あの記事はその一線を越えた。
バルーの顔写真は教会からの圧力で掲載されなかったが、それでもダンピールが本当に存在しているのか、その生き物は本当に人間の味方なのか?敵なのか?
そんな風に討論を楽しむオカルト好きな人間が現れ始めたのだ。
教会はこれを重く受け止めた。
聖職者たちもダンピールを恐れて、近づきたがらない。
誰もバルーがどんな人間で、何を考えているのかなんて、気にかけることはない。
バルーは獣なのか?
それとも人なのか?
はたまた教会の家畜なのか?
本人ですら、自分のことがよく分からない。
だからこそ彼はたった一人で、自分専用の処刑道具であるナーデルを持参して現場に向かっている。
以前であれば、彼を監視する修道士が近くにいる必要があった。
しかし、出発五分前に完成したばかりの、マルクが製作した丸眼鏡型装備によって、それが省略出来るようになったと知った途端、みんな何かと理由を付けて任務を降りた。
誰も好き好んで傍に居てやろうなんて思わないのだ。
「ナーデル、……どこに行っちゃったのかな」
自分が所持しているトランクの中身が時々分からなくなってしまう彼は、ぼんやりとそう呟きながら上を見上げた。
孤独だった。
とりあえず、マルクから直接手渡された眼鏡を掛ける。
暇を潰す方法も分からず、彼の緑色の瞳は現場に到着するまで伏せられた。
『……聞こえているか?』
『ええ。もちろんよ』
『ん?暗いな。早速不調か?』
『いいえ。お父さまが整備した眼鏡に問題はないわ。それはバルーが見ている景色よ。……今は目を閉じているみたいね』
『……そうか。お前もトランクの中にいる間はバルーの視界を借りている状態だから、同じものを見ているわけだな?』
『ええ、そうね。ところで、わたしにこうして遠隔で話せる機能を付けていたなんて知らなかったわ。どうして今まで使わなかったの?』
『……そりゃあ、お前たちに関わりたくなかったからだよ』
『……折角だからバルーの眼鏡にもこの機能を付けてあげれば良かったのに』
『もう少し時間があれば出来たかもしれないが、重くなって扱いにくくなるしな。今後どうするか考えるよ』
『それで……、バルーの視界を見ることで、わたしに足りないものを分析するのね?』
『ああ。ついでだから戦闘のサポートでもしてやるよ』
『はいはい』
現地に到着し、小さな監獄の扉が開かれる。
「僕を一般人の居るところに送りつけるのって、随分と無責任だと思うんだけどな」
そう呟きながらバルーは目を開き、トランクの取っ手をギュッと握り直してから馬車を降りた。
目の前に広がるのは一階建ての、横方向に広い黄色い建物。
庭で走り回る子どもたち。
ルクス園に到着した。
バルーは胸に手を当てて大きく息を吸った。
その額には脂汗が滲んでいたが、深呼吸を繰り返すことで落ち着きを取り戻していく。
「大丈夫。もう大丈夫だ」
一歩を踏み出す。
「ねえ!誰か来たよ!」
オリーブ色の髪を三つ編みにした少女が、バルーを指差して言った。
「人を指差しちゃいけないでしょ」
「ごめんなさーい」
六人の子どもたちが、バルーの周りに集まってくる。
その時、葡萄の香りを仄かに感じたバルーは、一瞬だけ眉を顰めた。
「お兄さん誰?」
「誰かに用?」
好奇心に染まり、見るからにワクワクしている様子の子どもたちを見て、バルーは匂いに耐えながらも嬉しそうに微笑んだ。
やはり子どもは愛らしい。
彼らと視線を合わせるように、バルーは少しだけ屈んだ。
「こんにちは。僕はバルー・ディートバルトといいます。大人の人たちはいるかな?」
振り返ろうとした子どもに対し、長い黒髪の美人な女の子が抱きつきながら、口を開いた。
「今日はみんな出かけてて、ちょっと寂しかったの」
「あらっ、そうだったんだ」
バルーはこの葡萄の匂いが、本物のフルーツのものだと気づき始めていた。
「みんな、もしかして何か食べていたのかな?」
「え?変な匂いする?もしかしたらさっきまでブドウジュース作ってたからかな?」
「ブドウの皮で染め物も作れるんだって!お兄さんも一緒にやろ!」
無邪気な誘いだが、このタイミングでわざわざ吸血種の血の匂いと同じ、葡萄を使って加工品を作っているなんて、あまりにも怪しい。
いつも抜けているバルーでも、さすがに警戒した。
この中に、本当に後天性吸血種が混ざっているのかもしれない。
青年はゴクリと唾を飲んだ。
「誰だ?」
建物から現れたのは、杖をつきヨタヨタと歩く、髪が真っ白な少年だった。
その視線は、どこか鋭利だった。




