⑦さいごの色事
地下牢に到着し、監視されながらも檻の中に閉じ込められた。
牢番たちは最終チェックを済ませ、他の聖職者たちに向かって落ち込んだ様子で頷いた。
「朝まで監視を怠るな」
男たちは数人だけ部屋の外にある廊下の先に残りつつ、この場を去っていった。
牢番はバルーとナーデルに近寄り、耳打ちした。
「俺たちは部屋の外にいます。中のことには関与しませんから」
そう言って扉を閉めた。
ナーデルは自分の腕の拘束を即座に解く。
「……やったわ。あの二人、わざと拘束を緩くしたわね」
彼女はバルーの拘束もあっさり解いてしまうと、嬉しそうにハグをした。
「さあ、逃げるわよ。窓が無いから正面突破するしか無いけれど……」
檻の鍵に髪を刺し、ピッキングの要領で開ける。
「これからどうするかおまえも何か考えて……」
ナーデルは、椅子に座っているバルーを見た。
様子がおかしい。
虚ろに視線を彷徨わせながら、拘束を解いたというのに、力なく、猫背状態のまま俯いている。
「バルー……?」
何も感じていないような、廃人同然の彼を見て、ナーデルは口に手を当て、その場に座り込んでしまった。
バルーの心は、完全に壊れてしまった。
信じてきたもの、愛する者たちを失って、彼は心を失った人形のようになってしまった。
「そんな……、そんな……!」
ナーデルは彼を抱き寄せ、血の涙を流す。
気持ちが分かる。
人間のことを憎みきれない彼は、ここから逃げ出したとしても、復讐するでもなく、かといって奉仕するでもなく、人生の目的を失って、何も残らないだろう。
それが分かるから、ここから逃げようと言えなくなってしまった。
「バルー……? わたしのことが分かる?」
焦点の合わない目が、彼女の顔を捉えた。
「分かるよ」
相変わらず、ナーデルのことだけは盲目的に愛しているのだろう。
バルーは力なく微笑んだ。
「もう最期なのよ。わたしたち」
少女人形は必死にそう言いながら、バルーの首に、縋り付くように噛みついた。
舌で肌をなぞると、それに合わせて息が上がる。
「あ……、ハッ……」
バルーの瞳に、獣にも似た熱が戻ってくる。
ナーデルはそのまま彼のカソックを引き千切り、身体中に噛みついて、吸い付いた。
艶めかしく舌を動かしながら愛する人の顔を見上げると、視線がかち合った。
バルーは顔を真っ赤にしている。
やっと意思が戻ってきたことに気づいた少女人形は、その場所に思い切り吸い付いて、すぐに消えてしまう痕を残した。
「っあ……、ナーデル……、うっ……、やめ……」
全く止めようとしない彼女の頭に片手で触れる。
ナーデルは悲しそうな顔で、バルーの足にすり寄った。
「わたしを……壊して」
「……!」
劣情に染められた声を聞いて、バルーは口をわなわなと動かした。
彼は、過去に自分が女性たちにされそうだったことを思い出し、震えた。
しかし、ナーデルはそんな暗い記憶を吹き飛ばすように、ちゅっちゅと音を立てて、彼の肌に吸い付いた。
身体を啄まれることで、本能的に反応してしまう。
このままでは、理性が崩壊しそうだ。
「おまえに、穢されたいの」
その願望を聞いたバルーの喉仏が動いた。
「二人で、何もかも、分からなくなりたい」
そう彼女が言い終わるかいなや、バルーは身体を起こし、愛する人の小さな身体を優しく、硬い床の上に押し倒した。
「どうすればいい?」
「え?」
「ナーデルは、どうされたら、嬉しい?」
相手は武器として生まれた少女人形だ。
普通の人間のように触れても意味はないだろう。
ナーデルは何も言わず、口を大きく開けた。
バルーは躊躇いがちに、指を突っ込む。
少女人形は恍惚の表情で、それをしゃぶり始めた。
そのあまりにもいやらしい光景に興奮しきって、彼は軽く笑った。
「それは、僕たち、噛み合うわけだ」
指を外し、代わりに舌を入れる。
熱情が絡み合い、少しずつ、現実を忘れていく。
水音が頭の中に響き渡り、どうにかなっていくのが分かる。
「すき、すきだよ」
この目も、肌も、髪も、何もかもが自分をおかしくさせる。
好きだ。愛してる。何度言っても足りないくらい、愛している。
時々舌を噛みながら、ナーデルは嬉しそうに微笑んで、同時に絶望の涙を流した。
この睦み合いが終われば、二人はこの世から消えなければならない。
ダンピールだったから。
ただの武器だったから。
もしも二人とも人間として産まれて、普通に出会っていたら、一緒に散歩をしたり、デートをしたり、抱き合ったりして過ごせただろうか。
普通の人間と同じように、ただ愛し合っているだけなのに、そこには計り知れぬ悲しみがあった。
最期だと分かっているからこそ、こんなにも互いを求め合っている。
それがこんなにも胸を締め付けるだなんて、思ってもみなかった。
「生まれ変わったら……、一緒にカフェに行きましょう」
「うん」
「そこでコーヒーを飲んで、ケーキを分け合って、笑うの」
「うん……」
「それでね。普通に買い物をして、家に帰って、一緒にご飯を作って、一緒にお風呂に入って、同じベッドで寝ましょう」
「うん。僕も、そうしたい」
ナーデルは彼の手を取り、自身の服へと導く。
「おまえのこと、死んでも絶対に忘れないから。絶対に……会いに行くから」
「あ……」
「だから、刻みつけて。全身に、おまえを」
それを聞いたバルーは、彼女のドレスを思い切り破った。
人形であるナーデルに肌感覚があるかは分からないが、その身体に舌を滑らせていく。
「あ……」
上がる嬌声を聞いて、理性を失った男は獣に成り果てた。
彼女に食らいつくように、本能をぶつけるように。
相手が人間だったなら、十回以上死んでいたかもしれないような激しさで。
ナーデルは血呪いを使いながら、彼が求めていることを全て受け止めた。
彼が自分のせいでおかしくなっているのが、不思議と嬉しかった。
こんなバルーは見たことがなかったから、こんなにも自分を求めてくれていたことも、今まで我慢してくれていたことも分かって、幸せだった。
「もう、耐えなくていいのよ。わたしは大丈夫だから」
そんな風に言っても、激しくても、力の加減が出来ないだけで、暴力的なことは一切してこない彼が、愛おしいと同時に、どうして死ななければならないのかと思った。
彼ほど優しくはないナーデルは自身の中に、人間に対する憎悪が沸いてくるのを感じていた。
ずっと、この時間が終わらなければいいのに。
そんな願いを叶えるように、バルーは何度も何度も、彼女を追い求め続けた。
朝になり、地下牢に入ってきた牢番二人は、室内の惨状に顔を顰めた。
部屋中至るところに置いてあるものが粉々に壊れ、服の残骸が落ちている。
あちこちに血呪いの使用痕も残っており、血も飛び散っている。
そんな中、バルーは意思を喪ったかのように、壁に凭れ掛かりながら座っていた。
その腕の中に、ひび割れだらけの愛する女性を抱えている。
「……どうして、逃げてくれなかったんですか」
そう言いながら震えている牢番に、ダンピールはその暗い瞳を向ける。
牢番はビクッと身体を震わせた。
檻は開いている。
拘束も解かれている。
服を着ていないということは、彼を縛るものが何もないということだ。
彼らは二人とも、ガタガタと震えている。
「あなたたちだって、そんなにバルーお兄さんのことを怖がっているくせに」
牢番は泣いていた。
バルーとナーデルが死ぬことが、悲しくて仕方ないといった様子で。
それを見たダンピールは、少しだけ笑顔を浮かべる。
「そうっすけど……、今も怖いっすけど……、でも、あんたはずっと、人間の為に戦ってくれてたじゃないっすか……」
ほんの少しだけ、胸が温かくなる。
腕の中で、一糸纏わぬ姿のナーデルが泣いているのを見て、彼も何だか泣けてきてしまった。
「そう、言ってほしかっただけなのにな……」
高望みなんてしていなかった。
ただなんとなく、頭の隅でいいから、命を削って戦った人たちがいることを知って、ほんの少しだけ感謝してくれれば十分だったのに。
「予備の服、持ってきますね」
牢番は気を使ったのか、二人とも部屋を出ていった。
バルーもナーデルも耐えきれず、子どものように泣きじゃくった。
昨日の光景が嘘みたいだった。
美しい晴天の下、用意された台の上、銀で出来た断頭台が用意されている。
拘束されたまま歩いていくと、生き残った人間たちが、どこか困惑するような表情を浮かべながら、バルーとナーデルに視線を注いだ。
町中に放たれていた炎は、もう鎮火している。
あんなに攻めて来ていた吸血種の匂いもない。
後天性吸血種も、全員治療されている。
バルーは自分のことを諦めたからこそ、人々の生活に平穏が戻ってきたことを確信して、心の底から安堵していた。
何度裏切られても、何度恐れられようと、これからみんなが幸福に生きるための礎にはなれたんだ。
ああ、綺麗な空だな。
昨日亡くなってしまった人たちが、見ることの出来なかった、何処までも透き通るような青い空。
それを最期に見せてくれるなんて、これ以上ないご褒美じゃないか。
死ぬ前に、仲間たちの最期を見届けることが出来たし、愛するナーデルと夜を共に出来た。
あの腐った父親の所に居たら、得られることのなかった人生だ。
やっと、自分の人生を肯定出来る。
みんなのことを、愛している。
恨み言のひとつでも出るかと思ったのに、バルーお兄さんは馬鹿だから、やっぱり、みんなのことが大好きで、幸せになってほしいって思うんだ。
「ダンピールは最後の、人類の脅威である」
昨日バルーに処刑を言い渡した聖職者が、民衆に向け、大きな声でそう言い放った。
ナーデルはそれを聞いて、彼に怒りの表情を向けたが、バルーの心は凪のように落ち着いている。
「故に、今後はこの怪物の手を借りることなく、純粋に、ジルヴァ教の力のみで、退災を完遂する」
男はそう言いながら、慈愛の笑みを浮かべるバルーの方を見た。
「その証として、この場でダンピール――、バルー・ディートバルトの断罪を行う」
民衆たちはざわざわと何かを話し始めたが、台の上に立つ者たちには、何も聞こえなかった。




