③みんなの覚悟
「俺がベッサーに行けなかったのは……、教皇聖下にこの機械を最後まで完成させるよう、依頼されたからだ……」
マルクは項垂れながらそう言った。
巨大な機械は尚も、大きな音を立てながら稼働している。
「これは……何を……しているのよ」
ナーデルも機械から目を背けながら尋ねる。
どうして教皇の血を水に流しているのか、バルーは何となく、その理由を察し始めていた。
「……ダンピールになられたんですね? 教皇聖下」
マルクが彼の代わりに頷く。
教皇もレオも、ヘルター・アウザーヴェルテの子孫だ。
バルーの血液由来のワクチンを打った際に、ダンピールになってしまったのだろう。
公爵の動きを見ていた教皇は、すぐにでも上位種が攻めてくることを察した。
故に、自身の血液を利用して、奴らを制圧する方法が無いか考えたのかもしれない。
いや、バルーの血が血清に使えると分かった時点で、準備までは進めていたのだろう。
教皇はダンピールの血を水道へと流し、噴水や飲水を介して触れさせることで、今後、人間が二度と血呪いに苦しめられないようにしたかった。
彼は身をもって、教区民たちを守ろうとしているのだ。
「でも……、あと数分が限界だ……。それに、一人の血液量じゃ……あの巨人を倒せない……」
マルクはそう言うなり、咄嗟に口を押さえた。
余計なことを言ってしまったと思ったようだ。
彼は焦った表情を浮かべながら、バルーの方を見ている。
愛息子は穏やかに、慈悲深く微笑んでいた。
「大丈夫だよ。そう言われる前に、その答えには行きついていたから」
バルーはしゃがんで、床に立っているナーデルを優しく抱きしめた。
「愛してるよ。今まで本当にありがとう」
少女人形は嫌な予感に支配されながら、恋人の顔を見上げた。
「何を……言っているの……?」
身体を震わせながら、聞きたくないのに尋ねてしまう。
バルーは決意を固めるように、彼女を抱きしめる腕に、少しだけ力を込めた。
「僕が吸血種を全員倒す。その為にあの機械の中に入るんだ」
それを聞いたナーデルは唖然とするように、口を開けたままガタガタと震えた。
身体が拘束されていなければ、ダンピールでさえも簡単に細切れにして、瞬殺出来るような恐ろしい殺人機械。
中に入れば、絶対に助からない。
「いや……、嫌よ! やめて!」
一生懸命頭を横に振って、最期のキスをしようとするバルーに、必死で抵抗した。
きっと唇を重ねてしまえば、彼は全ての理不尽に納得して、あの機械の中に入ってしまうだろう。
バルーは一旦キスするのを諦めて、隣に立っているマルクの方を見る。
「お義父さんも、僕のことを大切にしてくれてありがとう。すごく幸せだったよ」
「やめてくれ! そんなこと言わないでくれ!」
マルクはバルーの腕を掴んで、絶対に機械に入れないようにと必死にしがみついた。
しかし、バルーは人の形をしている怪物だ。
いつもよりほんの少し力を入れただけで、簡単にその拘束を解いてしまった。
成す術がないマルクは、離されてしまった自分の手を見ながら涙ぐんでいる。
「ナーデル……、最期にキスして。お願いだから」
それを聞いた彼女はまた暴れ始めた。
「嫌よ! おまえが死ぬならわたしも死ぬわ!」
「困らせないで。時間が無いんだ」
ナーデルは頭をぶんぶんと振って抵抗を続けている。
彼が死ぬくらいなら、一生キス出来ない方が何百倍もマシなのだろう。
バルーは仕方なく、彼女が落ち着くようにと、ぎゅっとその小さな身体を抱え込んだ。
厚い胸板に押し付けられた彼女は暴れられなくなり、ギュッとカソックを掴んで、少しでも彼が離れていかないようにとささやかな抵抗を継続する。
「人間が、おまえに何をしてくれたって言うの……。利用し尽くして、拷問みたいに拘束して! あげく、刃物で刺してきた! 助ける価値なんて無いわ!」
バルーは吠えるナーデルの頭を優しく撫でた。
手の火傷を気にする様子もなく、穏やかに微笑むその姿は、まるで全てを受け入れる神のようだった。
「お義父さんがいるよ」
少女人形はハッとした様子でバルーを見上げた。
彼は、明らかに疲れたような顔をしている。
出会った人のほとんどは、バルーに対して酷い扱いをしてきた。
しかし、マルクだけは違った。
一時期地下牢から逃げ出していた時期はあったけれど、それすらバルーへの深い愛情が原因だった。
ナーデルは、バルーがマルクの為だけに人間たちを救おうとしているのだと気づいた。
彼の心は既に疲弊しきっており、マルクを理由にしなければ、人間を素直な気持ちで助けられなくなっているのだと気づいてしまった。
「ああ……、バルー……」
そのあまりにも悲しい事実に気づいた時、彼が死ぬと分かっていても、この悲しいキスを拒むことが出来なくなってしまった。
ナーデルは血の涙を流しながら、父親の前だということも忘れて、愛する人の唇を、やや乱暴に奪った。
何度も角度を変え、舌を絡ませて、名残惜しく、離れたくないと、その舌に意思を込めても、バルーの気は変わらないだろう。
「おまえが入るなら、わたしも一緒に死なせて頂戴」
「……」
彼は、それを否定しなかった。
自分が彼女なら、同じように言っただろうから。
ナーデルはバルーの武器であり、相棒であり、処刑道具だ。
彼がこの世から消えれば、使い物にならなくなる、ただの人形だから。
そう割り切れるような感情を、父であるマルクは持ち合わせていない。
ナーデルが物だろうと何だろうと、マルクにとっては『実の娘』だ。
「ナーデル……」
マルクは若い頃、妻と娘の遺体を見た時のことを思い出していた。
こちらを見ているバルーとナーデルがその姿に重なって、全身から脂汗が出てきた。
愛する者たちを、自分が作った機械で、殺そうとしている。
「……」
嫌だった。
何もかもが。
バルーも、ナーデルも、自分も、これ程無いまでに、絶望している。
だが、教皇が痛みに耐え続けて、頑張ってくれているのを無駄にするわけにはいかない。
マルクは苦悶の表情を浮かべながらも、娘と息子の意を汲んで、自分の意思を殺して、頷こうとした。
「待ってくれないか。三人とも」
そう背後から声を掛けられて、全員振り向く。
研究室の入り口に、サプナの遺体を乗せたままのパンテルと、幽霊のようにふらふらしているレオが立っていた。
「レオ!」
マルクは彼に駆け寄り、サプナの遺体を見た。
その顔に触れ、頬を伝う涙を拭う。
「ああ……、傍に居てやれなくてごめんな……」
自分よりも随分若い親友の死。
戦場の最前線で数多の死を経験してきた熟練の猛者でも、仲間の死に慣れることは永遠に無い。
「サプナは、……死んでいるのだな」
それを聞いたマルクは、レオの状態を知らないせいか怪訝な表情を浮かべた。
何もないところを見て微笑む彼が、出会ったばかりの頃のバルーを想起させ、少し察する。
バルーはレオが見ている空間に視線を動かした。
何も見えない。
だが、そこでサプナが優しげに微笑んでいるような気がした。
「バルーオニイサン、その役目、自分にやらせてはもらえないだろうか」
レオはそう、真っ直ぐ提案した。
バルーはそれを全力で否定するように首を横に振る。
仲間にそんなことをさせるくらいなら、自分が犠牲になった方がいい。
「ダメだよ! 何を言っているの!」
足にすり寄るパンテルを見ながら、レオは穏やかに微笑んだ。
この世になんの悔いもないといった表情だ。
「君は、自分と違って戦うことが出来る」
「それは……」
「君が機械に入ってしまったら、誰が女王を直接叩くのかね?」
そう尋ねられたことで答えが出ず、言葉を失ってしまった。
あれとまともに交戦出来る可能性があるのは、自分しかいないと分かってしまった。
「サプナのところに行きたいんだ」
あまりにも切ない声に、胸が詰まる。
元々希死念慮に囚われていた彼だ。
愛する人を喪ったと自覚した今、亡霊のように生き続けることが苦痛なのだろう。
「もう、自分は百五十年も生きた。十分過ぎるほど、美しいものをたくさん見させてもらった。こんな時くらい、老人に格好を付けさせてくれないか」
「ダメだ!……こんな、危ない機械に……あなたを……」
「それを言うなら自分も、そんな危険な物にバルーオニイサンが入るのは嫌なのだが」
レオは機械の中に入っている、自身と同じ顔をした青年を見た。
ヘルターとジルヴァラインが、吸血種として産まれた我が子を殺せなかったからこそ始まったこの厄災。
子孫であるアウザーヴェルテの二人で、確実に終わらせる。
「我々の命をもって、このツケを払う時が来た。やらせてくれ」
教皇が少しずつ弱っているのが、目視でも分かる。
もう時間が無い。
この血を途切れさせることなく、リサとの戦闘に活用しなければ。
「レオくん……、すぐに戻る。僕は絶対に諦めないから」
「分かった」
レオは窓の外を見て、眉を顰めた。
「吸血種の軍勢が更に近づいてきている。それから、巨大な女王が噴水を壊して回っているようだ。思っていた以上に猶予は無さそうだな」
それを聞いたバルーは、レオにハグをした。
ナーデルもマルクも、彼のことを抱きしめた。
彼もまた、みんなにとって大切な人になっていた。
レオはパンテルからサプナの遺体を取り外し、機械の脇にそっと置く。
「愛している。最期まで、ずっと一緒にいよう」
そう言いながら、彼女の寝顔にキスをし、マルクを呼び寄せた。
「使い方が分からないのだが」
銀弾の父はやれやれと言った様子で、軽く機械の説明をする。
「ありがとう。パンテルのことを頼む」
灰色の豹は寂しそうな表情で主人を見上げた。
「短い間だったが、感謝している。みんなのことを助けてくれ」
そう言われたパンテルはマルクの足元に、躊躇いがちに立った。
バルーとナーデルとマルクとパンテルは、揃って全員その部屋を出た。
友人が刻まれて、悲鳴を上げる光景を、誰も見たくはなかった。
「……絶対に、早く倒して……戻ってこよう」
バルーは震える拳を抑えることもせず、呟いた。




