②人間の狂気
困惑しながら立ち尽くしているバルーの横に、ナーデルが近づいてきて、その背中をぽんと叩く。
「あの液体は何かしら?」
「人間の血の匂いを感じたけど……」
「……」
噴水から血が出るなんてことが、偶然起こるはずがない。
これは誰かが意図して作った機能だ。
そして、こんな大規模な機械を作るなら、『銀弾の父』と呼ばれている天才――、マルクも関与しているだろう。
「お父さまと通信が繋がらないの……」
ナーデルが焦り声を出す。
噴水から出てきた人間の血。
何故それで吸血種を撃退出来たのかは分からないが、それでも、娘達の不安を掻き立てるには十分だった。
幻覚に囚われ続けているレオは、サプナの遺体を乗せたままのパンテルを引き連れて、こちらのことなど気に留める様子もなく歩き始める。
「待って!」
二人は焦ってその背中を追う。
不安定な状態の彼をこんな危険な場所で、一人にしてはおけない。
「血だ。こちらにある……。サプナもそう言っているじゃないか」
レオは二人がサプナを無視しているように見えているのか、怒った口調でそう言った。
バルーとナーデルは顔を見合わせつつも、手掛かりを得るため、彼についていくことにした。
町中、阿鼻叫喚の渦に呑まれている。
人間たちが吸血種や後天性吸血種に噛み殺されて、息絶えているのが見える。
炎から立ち昇る煙を吸ってしまった人たちも多く。
聖職者たちはそちらの救助で手一杯のようだ。
道中に点在している噴水の全てから、例の林檎の匂いを感じ、やはりその周りでは吸血種たちが死んでいた。
たった一日で様変わりした第一教区を見て、バルーはダンピールとしての責任を感じ始めていた。
「あれは……何……?」
この位置から噴水が二つ見える。
その隣に、噴水よりも大きな身体をした影が立っている。
リサだ。
巨大なリサが二人、噴水を壊そうとしている。
「な……」
彼女が複数体存在しているのも不気味だが、身体の大きさが人間のそれではないにも関わらず、二人とも全く同じ服装で、掛けている眼鏡も同じように巨大だ。
「ぐっ……、あの身体は……!」
レオは彼女の姿を見ながら、口を押さえて呻いた。
「噴水が破壊されたらまずいんじゃないの……?」
「いや、それはそうなんだが、自分が言ったのはそのことではなくてだな……」
震える手で近い方のリサを指さしながら、レオは小さな声で言った。
「あれは……『上位種の肉の塊』ではないか?」
「えっ」
リサの動きをよく観察する。
振り上げた手に水が掛かり、一部分だけ溶けたように見える。
その溶けた部分は、上位種の肉と同じ白い塊となり、蛆虫そっくりに身体をくねらせてから、やがて動かなくなる。
肌、服、眼鏡、髪。
よく見ると彼女の肉体も、装飾品の一部も、表面が忙しなく蠢いている。
巨大な虫の集合体。
それが表現として最も近いだろう。
「き、気持ち悪い!」
バルーはゾワッと全身に鳥肌が立つのを感じた。
ナーデルも頷いて賛同する。
「わたしが人間だったら嘔吐していたところよ……」
「噴水壊すの止めたいけど、今のままだとまた、さっきと同じように攻撃を避けられるだけだよね」
リサに攻撃が当たらなかったのは、あの蛆虫のように連なる上位種の肉が、バルーの攻撃に合わせて避けていたからだろう。
彼の攻撃は火力が高いが、速度も別段遅いわけではない。
むしろレオが居た古城で、血呪いの黒豹たちと戦って以降は、火力だけでなく、速度も間違いなく上がっている。
それを避けられているということは、普通の戦い方では絶対に突破出来ないだろう。
「そうだろうな……」
レオの分析でも同じ結果らしい。
パンテルが急かすように、レオの服を噛んで引っ張っている。
「対抗手段が無い以上、まずはこの噴水に流れる血を辿るべきだ。サプナもそう思うだろう?」
その言葉に対し、ナーデルは懐疑的な態度を見せている。
「……血を辿って何かが見つかる確証はあるの?」
「もちろんだ。サプナはヘルターに選ばれた予言の子なのだからな」
レオがそんな風に言うのを聞いて、ナーデルはため息をつく。
その代わり、バルーはしっかりと頷いてみせた。
少女人形は眉を顰め、恋人の耳に口を寄せる。
「レオの言葉……本当に信じてもいいの?」
「ナーデルオネエサン。自分のことはいいが、サプナのことは信じてやってくれないか?」
レオの耳がかなり良くなっているのを忘れていたナーデルは、あまり納得していない様子で何度か頷いた。
「分かったわ。とりあえず、何があるのか見てみましょう」
その返事を聞いたレオは、先導するように教会に向かって歩き始めた。
バルーとナーデルで、襲われている人間たちを救出しながら、少し時間を掛けて教会の保護区域まで来ることができた。
ここは広場のようになっており、医療班である銀の心臓のメンバーが、逃げ込んできた人々の治療の為に右往左往していた。
そこにはパンテル村の人たちも避難しに来ていたらしい。
彼らはレオを見るなり、安堵した表情で駆け寄ってきた。
「侯爵さま……! ご無事で……」
彼らは灰色の豹の背に、トランクと一緒に遺体袋が乗っているのを見た。
バルーとナーデルの他に、一緒にいるはずの彼女が居ないことに気づき、みんな動揺している。
「その遺体は……まさか……」
村人の一人が、遺体袋の顔の部分を開けた。
「サプナ……!」
人形のように美しい顔で、永遠に眠り続ける彼女を見たその村人は、膝から崩折れてしまった。
彼らは、彼女が赤ん坊の頃からよく見知っているのだろう。
サプナの変わり果てた姿を見て、項垂れる者、泣き出す者、怒りの声を上げる者、反応は三者三様だった。
レオはそれを見て困惑の表情を浮かべている。
そんな彼の隣に、バルーが近寄った。
「……レオくん、噴水の血はどこから来てるか分かる?」
「あ、……ああ、あれは恐らく、アドリッヒ枢機卿がよく出入りしている部屋の、隣辺りだろうな」
彼はその鋭敏過ぎる感覚で、いつの間にか建物の構造まで把握していたらしい。
事もなげに答えた彼を見て、バルーは微笑んだ。
パンテル村の人たちの方に身体を向ける。
「みんなにレオくんのこと、任せてもいいかな?」
「えっ……、侯爵さまを……ですか?」
「サプナさんが亡くなってから、少し……調子が悪いみたいなんだ」
レオが何もない空間を眺めているのを見た村民たちは、バルーが言っていることを何となく察したらしい。
静かに頷いて返事をした。
「レオくんは、ここでサプナさんと、パンテル村のみんなと一緒に待っててね」
「……自分が案内しなくてもいいのかね?」
「うん、大丈夫。アドリッヒ枢機卿猊下のお部屋の場所なら、バルーお兄さんでも分かるから」
レオは急に不安そうな顔になった。
バルーが先に進むのを止めようとするが、逆にレオの方が村民たちに止められてしまった。
「さ、行こうか。ナーデル」
そう言いながら近くの階段へと向かう。
少し登ってからレオの方を見ると、まだ心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
バルーとナーデルは、妙に不安な気持ちになってしまった。
「お父さまが心配だわ。早く行きましょう」
「うん」
二人は駆け足で階段を上っていった。
アドリッヒ枢機卿の執務室のドアをノックするものの、誰も出てくる気配はない。
近くに他の扉は無く、不自然な空間が続いているのを見て、二人はこの部屋の中から、隣の部屋に入れるのではないかと察した。
仕方なく目の前の扉を蹴破る。
「すみません……」
「お邪魔するわよ……」
罪悪感を抱きつつ、そろりそろりと歩みを進めていく。
部屋の中には誰もいない。
しかし、強烈な林檎の匂いが辺りに充満している。
「バルー。見て」
ナーデルが指した先に、いくつも鍵が付いた厳重な扉が鎮座している。
「多分レオが言っていたのは、この部屋のことじゃないかしら」
「開けてみよう」
バルーが蹴り上げると、扉はあっさりと開いた。
「お邪魔しま――」
目に飛び込んできたのは、巨大な機械の脇に座り込み、頭を抱えているマルクの姿だった。
「お義父さん!」
バルーは急いで彼に駆け寄る。
「お父さま! 何があったの!? 無事なの!?」
マルクは虚ろな目をしたまま二人を交互に見て、目に涙を浮かべながら、抱きついてきた。
「うああ……、ああぁ……! なんで、こんな、ことに……!」
「落ち着いて、もう大丈夫だよ。何があったか教えてくれる?」
バルーは子どもに言い聞かせるようにそう言いながら、機械の方に視線を移した。
中に何かいる。
血の匂いの発生源がこの中にあると分かったバルーは、ナーデルに視線で合図した。
彼女は機械から離れるように、マルクを誘導する。
「こんなことは……、おかしいって……、何度も何度も……止めたのに……! 狂ってる……!」
ポジティブな明るさと、技術者らしい冷静さの両方を併せ持つ彼が、この世の地獄を見たかのように取り乱している。
「俺が……、こんな機械……、完成させなければ……!」
バルーはごくりと生唾を飲み込みながら、その機械の蓋を開けた。
一瞬、そこに何が入っているのか分からなかった。
辺り一面真っ赤なインクで染められていたからだ。
しかし目が慣れてくると、その全容が次第に分かってきた。
「な……、これ……は」
バルーはもう見たくないとばかりに目を背けてしまった。
ナーデルが代わりにその機械の中身を見る。
両足の辺りに、常に回転し続ける刃があった。
青年は、その刃に両足を切断され、そこから血を、下に流れる水の中へ流し続けている。
両腕は鎖で繋がれ、ガチャガチャと音を立てながら、痛みに耐え続けているようだ。
生きている。
猿ぐつわのように噛まされているチューブから、無理矢理点滴のように繋がれた血を飲まされ、ギリギリのところで生きている。
「レオ……?」
その青年の顔は、レオ・アウザーヴェルテとほとんど同じだった。
「違う……」
マルクがナーデルの言葉に対し、首を横に振る。
「ティーゲル・アウザーヴェルテ教皇聖下だ……」
教皇は、ふーっ、ふーっ、と息を荒げ、痛みに耐えながら頷いている。
狂気めいたその光景に、バルーもナーデルも絶句するしかなかった。




