①女王蜂
帰りの馬車は一台になっていた。
そのさりげない教会の対応が、サプナを喪った現実を突き付けてくる。
バルーとナーデルは、憂鬱な気持ちを隠せないまま、レオと一緒にそれに乗り込んだ。
レオは、サプナが入った遺体袋を抱きしめている。
そして頬を寄せながら、ずっと一人で何かを話している。
完全に狂ってしまった彼は、まともでいるよりもかえってこの方が幸せそうに見えた。
「レオくん。これを飲んでくれるかな?」
バルーが差し出す円筒の容器を見ながら、レオはきょとんと目を丸くしている。
「これはなんだね?」
「公爵の血だよ。バルーお兄さんたちの血に、血呪いを蓄積させないといけないからね」
レオは困ったような顔をしながら、真っ直ぐ彼のことを見た。
もしかすると、公爵のことが分からなくなっているのかもしれない。
「銀は抜いてあるから安心して」
そう言いながら、バルーは別の容器に入った血を一気に呷った。
飲んでも危険なものではないと示したかったのだ。
レオは静かに仕切りの間に手を入れて、それを受け取った。
少しだけ容器を眺めてから、片手で胸を押さえ、一気に飲んだ。
「……ああ、そうだったな。ありがとうサプナ」
空になった容器をバルーに返しながら、遺体袋の隣の空間を見つつ、そう呟く。
「公爵、だったな? 彼女が『計画』とやらを語った記録を、みんなにも共有しよう」
遺体袋の脇で寝ていたパンテルが、レオの指示により、空中に映像を浮かべ始める。
公爵が意気揚々と自分たちの計画を語るのを、バルーとナーデルは複雑な気持ちで聞いていた。
「……なるほど、女王が中心となって、人類を支配下に置こうとしているのね」
ナーデルは顎に手を当て、眉間にしわを寄せた。
「計画は最終段階……、その通りかもしれない。第一教区で操られていた人間たちによる暴動が起きたらしいわ」
「なんだって!」
バルーが心配そうな表情を浮かべ、ナーデルは合図のように頷いた。
「今は洗脳が解けているそうだけれど、あちこちに火が放たれているみたい」
第一教区はジルヴァ教会本部がある場所だ。
そんな場所で人々が暴動を起こしているというのは、あの場所を知っているバルーからすると、非現実的なことのように感じる。
「それから、吸血種が他の教区からも、本部に向けて進軍してきているそうなの。……ダンピールの不在を狙われたんだわ」
バルーは思っていた以上に状況が悪いことに気がつき、悔しそうに下唇を噛んだ。
「公爵に、まんまと陽動されたってことか……」
「第一教区に吸血種が集まっているってことは、そのまま一網打尽に出来るチャンスとも言えるけれど、残っている聖職者たちだけで、どのくらい持ちこたえられるか……」
ナーデルはあまりの事態にショックを受けているのか、額を押さえながら下を向いてしまった。
「……吸血種が近場の人間たちを、次々に後天性吸血種にしているそうよ」
ダンピールは後天性吸血種に不用意に攻撃することが出来ない。
それを逆手に取られている。
バルーたちが戻ってくる前に、戦いにくい盤面を作っておく。
公爵の陽動には、そういった目的も含められていたのだろう。
彼らもダンピールたちを一網打尽に出来れば、計画の達成にまた一歩近づけるのだから。
「……人間たちを守りながら戦うなんて……ハイリスクだわ……」
「それに関しては大丈夫。僕を信じて」
自分にも言い聞かせるように、バルーはそう言った。
レオは依然として、サプナの幻影と楽しそうに会話している。
それと反比例するように、その光景を見ているバルーとナーデルの気持ちは、どんどん暗くなっていった。
マルクの連絡通り、第一教区ではあちこちに火が立ち上り、人が人を襲っている。
そのあまりにも恐ろしい光景に、バルーとナーデルの不安は一気に加速した。
「……とにかく、人間と後天性吸血種を助けないといけない。レオくん、力は使える?」
「何かね……?」
「パンテルに指示を出して、後天性吸血種を人間に戻してあげられるかな?」
この非常事態でも、バルーはレオに丁寧に接している。
彼も素直に頷き、サプナの遺体袋を抱えながらも鼻を頼りに、パンテルに的確な指示を出した。
サプナに関することは認識機能が狂っているものの、それ以外の部分ではまだ正常に動けるようだ。
「僕たちも頑張ろう。ナーデル」
「ええ」
ナーデルはバルーの指を少し噛んで、血を体内に入れた。
髪の形状を注射針のようにすると、近くにいる後天性吸血種に突き刺す。
ナーデルの中に仕込まれた薬剤のお陰で、ダンピールの血は血清と同じ状態となり、注入されていく。
後天性吸血種は自我を取り戻し、その場から逃げていった。
バルーは吸血種を中心に攻撃していく。
持ち前の怪力で、人が居ないところに身体をぶん投げたり、引き千切ったりする様は『美しき怪物』と呼んで差し支えない。
その光景を見た者が恐怖するような、圧倒的な力を発揮している。
しばらく時間が経過し、ナーデルとパンテルの治療のお陰で後天性吸血種はだいぶ数が減ってきた。
レオは人間たちが教会に避難出来るよう声を掛けている。
きっと幻覚のサプナがそうしろと言ったのだろう。
彼に近づく吸血種は、パンテルが対処している。
「?」
バルーは人混みの中に奇妙な匂いを感じた。
葡萄でもなく、林檎でもない。
「上位種の肉……?」
そう呟きながら、視線だけで匂いが強い場所を辿る。
そこにはプラチナブロンドの髪をお下げにした、大きな眼鏡の十代後半くらいの女性が立っていた。
その特徴的な赤い目が、こちらを見る。
「公爵……?」
バルーは胸騒ぎを覚えながら彼女の方に近づいていく。
その姿はあまりにも公爵にそっくりだった。
しかし、あの女はサプナが命を賭して倒したはずだ。
ここにいるわけがない。
どくどくと脈打つ心臓の嫌な響きを聴きながら、足早に近づく。
しかしそれを阻むように、急に吸血種が飛び出してきた。
バルーは躊躇なく相手の身体を投げ飛ばし、一瞬で戦闘不能にする。
しかし、既に先程の少女は姿を消していた。
「行かねば」
ナーデルに連れられてバルーの近くまでやって来たレオは、パンテルの背に遺体袋と自分のトランクを乗せて、よろよろと先へ進もうとしている。
「どこへ行くの?」
バルーが尋ねると、レオは険しい表情を浮かべた。
「あの女のところだ」
それは彼らしからぬ、憎悪に支配されたような顔だった。
バルーよりも鼻が利くレオの案内により、その女はすぐに見つかった。
第一教区にある一番大きな噴水の近くで、むしろこちらを迎え撃とうとでも言うように、少女は待ち構えていた。
バルーでも分かるくらい、彼女からはっきりと上位種の肉の匂いがする。
「『しつこい男は嫌いですよぅ』、なんてな」
突然、レオの頭が爆発した。
「……レオくん!?」
彼の身体がドサッと音を立てて倒れた。
しかし、すぐに再生が始まる。
バルーは自分の目の前に、上位種の肉の強烈な匂いを感じ、反射的に後ろへと下がった。
立っていた位置で小さな爆発が起きる。
食らっていればバルーも何かしら負傷していただろう。
可愛らしい姿の少女は、上位種の肉を飛ばして一気に拡散させ、爆発を起こしているようだ。
「サプナ……」
「レオ! 大丈夫なの!?」
ナーデルの声を聞いた彼は、しっかりと頷いた。
「どうして公爵が生きてるんだ……」
ダンピールの問いを聞いた上位種は、ニッコリと微笑む。
「ああ、それは違う方ですねぇ」
バルーと少女は、ほぼ同時に動き出した。
心臓を直接叩こうとしたバルーの腕を軽々と避け、その背中に蹴りを入れられる。
振り向きざまに肘鉄を食らわせようと身体を捻るが、振り被った腕は少女の身体に当たったにも関わらず、何の感触もない。
「!?」
吸血種特有の、身体を変形させる動きが見られないにも関わらず、何故か避けられている。
バルーは膝蹴りから身体を捻り、反対の足でも追加でキックを繰り出した。
足は彼女の身体を貫通したように見えるが、当たった感触は全くない。
少女は手を硬化し、バルーに向かって腕を振るった。
その攻撃はただ掠めたのみで、バルーの美しい頬に小さなかすり傷が付く程度のものだが、この状況は彼を困惑させるには十分だった。
実体が無いわけではない。
それなのに、こちらの攻撃は当たらず、彼女の攻撃は当たる。
隙を見たナーデルが髪を飛ばし、それが何本か少女の身体に突き刺さった。
「やった!」
声を上げるも、銀で身体が灼けていく様は見えない。
髪にはダンピールの血が含まれているにも関わらず、そちらへの反応も少ない。
ナーデルは困惑の表情を浮かべた。
刺さった部分だけが少し焦げている。
しかし、それすらすぐに再生してしまった。
「……おまえ、何者なの……」
身構えるナーデルとバルーに対し、女は微笑んだ。
「吸血種たちからは女王と呼ばれておる。それでぇ、公爵の名前は『エヴェリン』なんですけどぉ、私には『リサ』という別の呼称があるのだ」
古い言葉と、公爵のような独特の言い回し。
老婆と少女が入り混じったような声。
まるで、人類とは別の生き物のようだ。
「さぁ、征け」
リサと名乗るそれは、次々と吸血種や後天性吸血種を操り、この場へと呼び寄せる。
バルーとナーデルは、彼らに攻撃したり治療する方を優先した。
「埒が明かないよ……!」
バルーは戦いながら、苦悶の表情でそう呟く。
その時だった。
噴水から林檎の匂いと共に、薄っすら赤みのある液体が噴き出してきた。
それを浴びた吸血種たちは悶絶し、次々と倒れていく。
逆に後天性吸血種は我に返ったようだ。
「……な、何……?」
液体を浴びたのはリサも同じだった。
彼女は涼しい顔をしているものの、何も言わず立ち去っていく。
「待て……!」
バルーは彼女を追いかけようとするが、後ろでレオが何かをぶつぶつ言いながら立ち尽くしているのに気づき、立ち止まる。
その隙に、リサは姿を消してしまっていた。




