⑥公爵との戦い
だいぶ落ち着いてきた頃合いを見て、今回の任務の本題でもあるオークション会場へと向かう。
建物周辺は意外にも人通りが少ない。
「提案があるんだ」
バルーはみんなのお兄さんらしく、穏やかな笑顔を浮かべている。
まだ元気が戻ったわけではないサプナとレオは、小さく頷いた。
「バルーお兄さんは刺された時に服を汚してしまったから、カソックに着替えて、敢えて正面から入ろうかと思ってる」
「それは……危なくないかね?」
「うん! 危ないね!」
何故か無邪気に返答するバルーに対し、全員が不安そうな表情を向ける。
「……こう見えてお兄さん本気で怒ってるんだよね」
彼は珍しく、治安の悪い笑顔を浮かべていた。
口は笑っているのに目は笑っておらず、眉が八の字に歪んでいる。
本気でぶち切れている。
仲間の為に自分の身を危険に晒すことを顧みないのは、優しいバルーらしい狂気とも言える。
「公爵を殺すには、近くに人を寄せ付けないようにしなくちゃいけない。オークションに集まる人たちは僕とナーデルが追い出すから、二人は裏口から潜入して捕まってるはずの後天性吸血種を助けてあげてほしい」
レオはそれを聞いて不安そうな表情を浮かべた。
自分に戦闘能力が無いことを気にしているのだろう。
「大丈夫だろうか……。バルーオニイサンも誤って人を傷つけてしまう可能性が……」
「みなさん、忘れてるかもしれないんだけど」
バルーは自身の襟元に付いている『銀の目』のピンバッジが、全員に見えるよう指し示す。
「バルーお兄さんは戦わなくても、人間を逮捕出来るんだよ」
人身売買の現行犯で逮捕する。
これなら人間を傷つけずに身柄を拘束できる。
ついでにナーデルの髪の毛を手錠代わりにすれば、ダンピールの血の力を使って洗脳を解くことも、血呪いを予防することも出来る。
「私が……侯爵さまのこと、お守りします」
「……それは、格好がつかないな」
レオは恥ずかしそうに頭を掻きながらも、表情だけは引き締めた。
こちらのことを真っ直ぐ見て、しっかりと頷く。
バルーもそれに対して、同じように返した。
「頼んだぞ」
「うん! お互い気をつけようね」
建物の隣で、バルーとナーデル、レオとサプナの二組に別れて歩き始める。
バルーはナーデルを抱えたまま、お手洗いの個室に入り、トランクの中に入れてきていたカソックに着替え始める。
「はぁ……」
バルーはため息をつきながら鼻を啜った。
ナーデルはその音に反応して顔を上げる。
彼の頬に涙が伝うのを見て、驚愕したのか、髪で身体を支えて上まで昇ってきた。
「……どうしたの!?」
「公爵を、すごく許せないんだ……」
大量に付いているベルトを慣れた手つきで締めながら、手の甲で涙を拭う。
「久しぶりに物凄く、人のことが憎くて……。自分のこの感情が、とても怖いんだ。呑まれてしまいそうで――」
ナーデルはそう言うバルーを壁に押し付け、彼の悲しげに歪む唇に、自分のそれを無理矢理押し付けた。
着替える手が止まってしまう。
「ナーデル……、今はこんなこと――」
「いいから黙りなさい」
二、三回唇を押し当てられた後、小さな舌で上顎を撫でられる。
突然のことに驚いてしまい、涙が止まる。
「……おまえは共感力が高すぎるから、二人が抱えているものまで、自分の荷物みたいに背負ってしまうのよ」
「……」
熱い口付けをしているとは思えないほど、ナーデルの瞳の奥は、怒りのせいで烈火に染まっていた。
バルーの襟首を掴む手の力も、かなり強い。
「わたしだって公爵が憎い。でも、わたしたちまで、二人が抱えている憎悪に、一緒になって呑まれてはいけないわ」
「でも……」
「わたしたちは、戦闘の要なのよ。公爵の思惑に嵌って、心を乱してはいけない」
バルーはそれを聞いてハッとした。
どこまでが彼の計算なのかは分からないが、こちらに隙を作る為に、村民たちを使ってあんな残酷なことをした可能性は、十分にある。
「……重たい荷物は、二人に持ってもらいましょう。わたしたちは、それらも含めて守ってあげないと」
そこまで聞いたバルーは、ふぅと長めに息を吐いた。
やっと落ち着いた気がする。
本当に苦しんでいる人たちを支えたいなら、彼女の言う通り、共倒れしてはいけない。
バルーはナーデルの顔を優しく両手で包み込み、視線を合わせた。
この人は必ず、苦しんでいる時に闇からすくい上げてくれる。
感謝の気持ちを表すように、ゆっくりと顔を近づけ、唇を重ねる。
そして、そのまま小さな口の中に、そっと舌を差し入れた。
ナーデルはその行動に対し、困惑するような表情を浮かべている。
「この後、僕の血が必要でしょ?」
「……あー、そういうことね……。変態」
ナーデルは躊躇なく、バルーの舌に噛み付いた。
「ぐ、ぅ……」
痛そうな声と共に、喉奥に溢れた血が流れ落ち、噎せる。
少女人形は、バルーの口から溢れてくる血を床に少し落としながらも、口を開けて精一杯飲み下す。
「はは……」
バルーはその光景を目だけで見下ろして、妖しく笑った。
舌に負った傷はすぐに再生して、バルーは悪戯っ子のように舌をベッと出す。
「ナーデルとなら、どんな無茶苦茶なことでもやれる気がするよ」
「そうね。こんなやり方普通に受け入れられるのは、多分世界中でわたしだけよ」
二人は愉快そうに笑った。
心の中に怒りの炎を灯しながら。
他人の死を目の当たりにしたせいで、多少おかしくなってしまったのだろう。
だが、少しくらいイカれていた方が、力を発揮出来るのはもう分かっている。
「さあ、一緒に踊ろうか」
そんな言葉を聞いたナーデルも、片側だけ口角を上げて治安の悪い笑顔を浮かべた。
建物の裏側にある窓からサプナが先に侵入し、内側から鍵を開けて、レオを建物内に引き入れる。
彼が贈った靴は相変わらずきちんと機能しており、壁に吸い付くように立つことが出来る。
レオはパンテルを巨大化させて背中に乗り、高い位置にある梁の上に飛び乗った。
「人の気配は……あり、ますか?」
「ああ、少し先に吸血種が三人居るようだ。どうするかね?」
サプナは右手に銀弾を握り、道の先を睨んでいる。
「私が……、忍び寄って、殺します」
レオが案内する為に先導し、出来るだけ音を立てないように気をつけながら、梁の上を進んでいく。
その後ろをついて行くように、サプナは壁を歩く。
三人の吸血種は、一番最初に舞台まで連れて行く後天性吸血種について、打ち合わせしているようだった。
「あいつ、気ぃ失いやがって」
「次のやつを先にするか?」
「公爵に聞くしかねぇな。勝手に変えると面倒くせーからな」
一人がその場から離脱する前に、サプナの銀弾が首に突き立てられた。
「は?」
残りの二人にも一気に突き刺す。
注射器から急所に直接水銀を注入され、苦しげにもがく。
床に倒れた後、目を見開いたまま、あっさりと絶命した。
「素晴らしい手際だ」
「……ありがとう、ございます」
褒められたことが嬉しかったのか、サプナはほんのり頬を赤く染めながら頷く。
「この先に吸血種一人と、数十人の後天性吸血種がいるようだ。……後者は恐らく、商品にされてしまった者たちだろう」
「では、吸血種を、倒して……、すぐに、助け出しましょう」
高い位置から、敵のいる方向へと忍び寄る。
壁や梁を辿りながら、広めの部屋へと辿り着いた。
いくつかある檻の中に、十人くらいの後天性吸血種が詰め込まれている。
高い位置に電球があり、それだけで部屋を照らしているようだ。
檻の前に一人の男が立っている。
「……なんだ……?」
レオは何となく違和感を覚え、冷静にその場から状況を分析する。
「パンテル。サプナを手伝ってくれ」
豹の背中から降り、梁の上に座って部屋を見下ろす。
レオがサプナに目配せする。
それを合図に、彼女は男目掛けて銀弾を投げつけた。
しかし、それは硬化された手の甲で簡単に跳ね飛ばされた。
檻の前に立つ男は、ゆっくりとこちらの方を見上げる。
「公爵!」
サプナは彼の顔を見て、反射的に飛び掛かった。
パンテルも跳躍したが、公爵は器用に身体を変形させ、全ての攻撃を避ける。
身を翻し、暗器を刺そうとしたサプナの横を、布のように平らな状態に変形しながら華麗に回避した。
またすぐに人の形へと戻る。
パンテルも何度か噛みつこうとするものの、なかなか上手くいかない。
膠着状態が続く。
「……そうか」
この状況を何とかしたいと考えたレオは、天井を見上げて呟いた。
「サプナ! こちらへ!」
彼女は侯爵が何をするつもりなのか分からなかったが、絶対的な信頼を寄せている。
合図に従って跳躍し、レオの居る場所へと戻る。
それを確認したレオは、頭の中でパンテルに指示し、部屋に唯一ある光――、電球を破壊した。
そして目を閉じ、パンテルの暗闇でもよく利く視界を借りて、急な暗転で動きが鈍くなった公爵に噛み付いた。
銀の牙にはダンピールの血がまだ含まれている。
男は痛みに耐えきれず、声を上げた。
「そこか!」
サプナは暗闇の中、声を元に男に飛びつき、暗器で思い切り喉を突き刺す。
あの村で、楽しそうにサプナの喉を潰した男が、情けない声を上げながら、声帯に注ぎ込まれた水銀を掻き出そうともがいている。
「死ねっ……! 死ね……!」
何度も、何度も、刺す。
全ての殺意を銀弾に込めて、何度も、何度も。
「あっ……、サプナ!」
レオは叫びながら、床に降り立った。
「えっ……」
「やめろ……!」
サプナは突然、背中から経験したことのない激痛を感じた。
「……そんな!」
腹に誰かの手が突き出ている。
たった今殺した男のものではない。
全く違う存在が、ここに居る。
「どうやって……、隠れて……!」
近寄られるまで、レオはサプナから腕を引き抜いている、この小柄な吸血種に気がつけなかった。
しかし、今はその相手からかなり濃い葡萄の匂いを感じる。
そして、上位種の肉の、独特の匂いも。
「かっ……、は……!」
「サプナ!」
パンテルの目を借りて彼女の様子を見る。
真っ赤な血溜まりの中心で、サプナの意識は朦朧としていた。




