③接近するふたり
鉄格子を挟んではいるものの、サプナは気が気ではなかった。
数時間、二人きりでの移動。
いつもよりも互いの距離が近く、逃げることも叶わない。
加えて、何度も視線を感じる。
気になって自分もそちらの方を見ると、しっかりと視線がかち合った。
驚いたレオが、深く息を吸い込む。
「ごほっ……けほっ……」
「侯爵さま……、だ、大丈夫です、か?」
涙目になるレオを心配して鉄格子に近づくと、片手でそれを制された。
「すまん。大丈夫だ……気にするな……」
目が泳いでいる。
何を考えているのか気になる。
彼が着ている服に目が止まった。
故郷に居た頃からずっと、目立たないようにしてきた人だから、とても新鮮に感じる。
「その……、お洋服……大変、お似合い……です」
「っ……! そ、そうか! あ……あの……っ」
レオは少年のような、あどけない表情を浮かべた後、目をギュッと閉じた。
「その……、サプナ……の服も……とても、よく……」
その声をよく聞こうと身を乗り出しただけで、彼は驚いて飛び上がった。
「ななな、なん……」
「……いえ……、よく、聞こえない……ので」
「っ……!」
サプナは謙虚で、侯爵の為なら何でもするような狂信者でもあるが、今は少しだけ彼のことをいじめたくなっていた。
彼は紳士だ。
きっとこちらが言ったことへのお返しに、ドレスを褒めようとしてくれているのだろう。
愛する人から『似合う』と言われてみたい。
そんな欲求が膨れ上がる。
「よく……似合っている……! ……夜空みたいで……美しく……」
言葉が尻すぼみになる。
それがより一層、真実味を引き立て、聞いていたサプナは嬉しさに高揚した。
「あ、ありがとう……ございます」
二人とも顔を伏せた。
次に何を言えばいいのか分からないまま、視線を彷徨わせる。
五分程経っただろうか、気まずい時間が流れている。
このままではいけない。
サプナは勇気を出して、何とか口を開いた。
「あ、あの……、侯爵さま……、つかぬことを、お聞きし、ても?」
「あ、ああ、構わん。何でも……言ってくれたまえ」
レオの顔をまともに見ることは出来ず、外側の方に身体を向ける。
「この間……、私、が、後天性吸血種になった時、何があったのか……、誰も教えて、下さらない……ので、気になって、いるのです」
それを聞いたレオは、慌てて言い訳をしようと口をパクパクとさせたが、サプナからは見えておらず、丁度いい言葉も出てこなかった。
「それは、気にするなと伝えたつもりだが……!」
「でも、みなさまの反応も……気になりますし、侯爵さまの、態度も……以前と、違うので……」
レオはウッと唸って、また噎せた。
サプナはおずおずと振り返り、上目遣いで彼を見る。
その目は、いつも他人に向けているジト目とは雲泥の差だ。
「自分が……君を後天性吸血種にしてしまった……。それだけで良いではないか……」
レオはもう勘弁してほしいと言うようにそっぽを向いたが、意外と図太いサプナは、全く引き下がろうとしない。
「どうやって……?」
「んぐ……!」
彼の顔の赤みが増していくのを見て、サプナも何かを察したのか、次第に赤くなっていく。
「噛みつき……ましたか……」
「いや! サプナに傷をつけるなど……!」
「……では……、口……から……?」
そう言いながら唇に触れつつ、反応を見る為にレオに視線を移す。
口をアワアワと開いたままの彼が、顔を覆って丸まり始めた。
耳まで赤くなっている。
「……侯爵さま?」
「本当に悪気は無かったんだあの時は謎の声に差し向けられて自分でもわけのわからないまま吸い寄せられてしまってついうっかりやってしまったことなので数に入れないでもらえると――」
「キス……、したんです、ね」
「はい。しました」
レオはパンテルが入っているトランクに、自分も入ってしまいそうな勢いで身体を縮こませている。
そんな光景を見ていたサプナも調子を取り戻してきたのか、つい笑ってしまった。
「……操られていたから……なん、ですよね」
それについては少しだけ残念な気持ちになってしまう。
多くのものを望まないサプナだが、最初で最後になるだろう彼とのキスの記憶が無いのは、やはり何だか辛かった。
たった一度の思い出でも大切にしたかったが、それすら誰かに操られてしまった結果だというから、より一層悲しみが強い。
でも、仕方がないとも思う。
恋人のエイブが亡くなったばかりで、侯爵も精神が不安定になっていたのだろう。
そこを吸血種につけ込まれたのだ。
期待してはいけない。
「……言ったはずだ。吸血種が血呪いを与えたいと思う者は、非常に……限られていると……」
「……聞いた覚えが、ありません」
「そうだった……。忘れてしまっているのだった」
レオは、墓穴を掘ってしまったことを隠すように、顔を手で覆った。
それに気づかないはずがない。
サプナは躊躇なく彼を追い立てる。
「操られていたから……だけでは、ないと?」
その質問にレオは返事をしなかったが、サプナはそれを肯定と受け取った。
『吸血種が血呪いを使うこと』がどういう意味を示すのか、経験のないサプナにはよく分からない。
信頼している人間だから仲間にしたいのか、愛しているから傍に居たくてそうするのか。
実際に後天性吸血種と接触しても、彼らのほとんどはトラウマのせいで全てを打ち明けてくれるわけではないし、それを癒すのはサプナではなく、他の聖職者の仕事だった。
でも、レオの恥ずかしそうな反応から少しは察することが出来る。
きっと血呪いで仲間を増やすことは、彼らにとって抗いがたい本能で、生きるにあたって重要なことなのだろう。
「申し訳、ありません。……少し……調子に乗ってしまい、ました」
サプナは申し訳なさそうにそう言いながら、美しい黒髪を耳に掛けた。
「調子に……?」
「自惚れてしまった……のです」
レオはその言葉の意味が分からなかったのか、小首を傾げて彼女を見た。
サプナはおずおずと続ける。
「貴方様には……エイブが、居るというのに……、私に、口付けと、血呪いを下さったと……聞いて、舞い上がって、しまいました」
「……エイブ……?」
突然現れたエイブの話題に、彼はいささか驚いているようだ。
サプナは切なげに目を伏せる。
「亡くなったばかりですから……踏み込んで、までは」
「すまない。もしかして君は何か大きな勘違いをしては……いないかね?」
彼を見ると、明らかに困惑しているような表情を浮かべていた。
今度はサプナが目を丸くする番だった。
「……もしかして、自分がエイブと交際していたと思っているのかね」
寝耳に水、といったその口調に、こちらの方が混乱してしまう。
「そうでは……、ないのですか……? キスをしている、ところを……」
「キキキキ、キス!? 自分は人生で一度しか……」
レオはそこまで言うと、バッと両手で口を押さえた。
サプナも反射的に口を押さえた。
心臓がドクドクと脈打つのが分かる。
一度しか。
それは――、
「あああ、あの頃……、城に居た頃は、時折酒に酔ってしまって、一部記憶を失っていて……」
「お酒……? 侯爵が、お酒を……飲んでいるところ、など……」
「……エイブに飲まされていたのだ……。もしかすると自分の『血呪い』を植え付けられたがっていたのかもしれん」
もしエイブが、『吸血種の愛の証』が『血呪い』だと考えていたのだとしたら、確かにそうかもしれない。
しかし、記憶を失う程に飲まされても、レオはエイブに血呪いを与えなかった。
あの時上位種の肉の匂いが部屋からしていたのに、それでも決して使おうとしなかったのだ。
サプナはあることに気が付き、目を大きく見開いてレオを見た。
彼女は檻から手を伸ばし、逃げられないように彼の服の袖を掴む。
溶け切った蜂蜜のような甘い視線が重なり合う。
本人が気づいているかどうかは分からないが、きっとお互いに同じ想いを抱いている。
「私に血呪いを、与えた時……どのように、触れたのか……、教えて下さい……」
「……ッ! 言えるわけが……!」
「私だけ……知らないのは……、悔しいです」
そんな懇願を聞いてしまったレオは、またも目を閉じて、勢いよく下を向いた。
いたずらを叱られている子どものように、震えている。
それを見て、サプナは微笑んだ。
「侯爵さま……、ご存知ですよね……。私は、そんなことで、貴方様から、離れたりは……致しません」
レオは全身を汗でしっとりさせながら小さな声で、自白するように話し始めた。
「身動きが取れないように……」
「取れない、ように……?」
「床に押さえつけて……」
袖を掴む手に力が籠る。
それに気づいた彼は首を横に振った。
「だめだ! これ以上は……言えん!」
「言って下さい……。貴方様の、口からお聞き……したいのです」
まるで拷問なのに、男は抗えない。
「あれは……ただの口付けなどでは、無かった」
「……」
「表現するならば……『蹂躙』だ」
いつも理性的な彼が、自分に何をしてしまったのか。
想像しただけで全身の血液が脈打つ。
レオは秘密を打ち明けたことで嫌われるとでも思ったのか、背中を丸めて黙り込んでしまった。
「思い出したい……です」
そう言いながら彼の手の甲に、優しく自分の手を重ねる。
ダンピールになったことで、レオの神経はかなり鋭敏になっている。
「うぅ……ッ……!?」
少し触れられただけなのに、電流が走ったかのようにビクッと全身を震わせた。
「……な、なん……っ」
積極的に指を絡める。
「いつか……、お気持ちを……お聞かせ頂けます、か?」
「へぁ……?」
レオは肩で息をしながら、その言葉の意味を探ろうと首を傾げた。
「お待ちしております……。直接、お言葉を頂けるのを」
「あ……」
彼は赤い顔のまま、視線を彷徨わせた。
「サプナは…………」
この想いが伝わるように、真っ直ぐ彼を見つめる。
ごくりとレオの喉仏が動いた。
「その……、今は……、お父上を助けることに専念せねば。その後……ちゃんと話をしよう」
絡められた指先が熱い。
やっと心が通じ合えた気がした。




