④
血を飲んで落ち着いたミオは、自身の部屋に戻されて朝まで少し眠った。
正直この後どうなるか分からない恐怖もあったが、もう隠し事をしなくてもいい事実に安堵してもいる。
日が昇り、部屋の扉をノックする音で目が覚める。
「おはよう。起きてるかな?」
「あ、……神父様」
寝ぼけ眼、ボサボサ頭のままでドアを開ける。
穏やかに微笑む背の高い青年が、トランクを片手に立っていた。
昨夜は気が動転していて気が回らなかったが、彼はカソックを着たまま寝ていたような気がする。
しかし、衣服にはシワ一つ寄っていない。
明るい中近くでよく見ると、彼のカソックは他の修道士のものと違って、ベルトのような紐がいくつか巻き付いている。
司祭だから、修道士と違う特別なデザインになっているのだろうか。
「お父さんとお母さんとミオさんに、今後のことを説明したいんだけど、大丈夫?」
「うん。わかった」
思考を切り替える。
ミオは先に階段を降りていき、両親がいるか確認する。
両親は昨日のうちに、ミオの身に何が起きているのかをバルーから説明されていたのだろう。
二人とも悲しそうな、辛そうな表情を浮かべている。
「神父様から話があるって」
「……分かったわ」
そう言う母親の瞳には、涙が滲んでいる。
白い部屋。
棚には家族の笑顔の写真がたくさん並べられている。
バルーは案内されたテーブルに着いて、少しだけ部屋を見た。
そして、真剣な表情でミオの両親を見据える。
「今、ミオさんの身体の中に、悪いウイルスが入り込んでいます」
落ち着かせるような穏やかな声音。
両親はその言葉に静かに頷いた。
「ジルヴァ教ではその治療に全力を注いでいて、抑え込むところまで来ています」
ミオの母親も父親も、不安そうな表情でバルーの話を聞いている。
「完全に治療する方法はないんですか?」
「……ミオさんのような被害に遭った人の協力があれば、どんどん治療法は確立されていく。だから、是非ともミオさんをジルヴァ教本部で保護させてもらいたいんです」
母親は、ハンカチを目頭に押し当てながら俯いた。
「……昨日はお話を伺っても、ミオが襲われて病気になってしまったなんて信じられなかったんです」
「そうでしたか……」
涙が落ちるのを抑えることが出来ない母親を見て、娘の胸の奥は、きゅっと苦しくなった。
「でも、夫と話していて、食欲が無くなったこととか、私たちには分からない匂いについて話していたこととか、傷の治りが早かったりとか、……心当たりも出てきて、私、混乱してしまって……」
ミオの父親が、泣いている妻と娘を優しく抱きしめた。
その腕はかすかに震えている。
「治療しよう。でも、その治療の過程で酷いことをされたり、苦しい思いをするようなら、いくらジルヴァライン様のお導きであっても、私は絶対に許しません」
父親は、毅然とした態度でバルーに言った。
その今にも噛みつきそうな表情を見て、司祭は何故か安心したように微笑んでいる。
聖職者に対してそのような挑戦的な態度を取ることは、この宗教国家において、常識的にあり得ないことだ。
だからこそ、この父親が娘を本当に愛していることが、真っ直ぐバルーに伝わったのかもしれない。
ミオと家族がしばしの別れを惜しみあう間、バルーは微笑みながらその光景を眺めて待っていた。
しかし、それにも終わりがやってきて、ミオは司祭と連れ立って外に出る。
「ごめんね。しばらくナーデルと一緒に居てくれる?」
バルーは屈みながら手に持っていたトランクを少女に手渡す。
「え?これ……お人形さんが……」
バルーが明らかに恋をしているように見えたあの高圧的な人形が入っているトランク。
渡された理由が全く分からず、困惑した表情を浮かべてしまった。
「今からバルーお兄さんは、お兄さんのおともだちに仕事の引き継ぎをしてくる」
ミオはその言葉に頷く。
「お兄さんが居ない間に親分の吸血種が来て、ミオさんに嫌なことを命令してくるかもしれないから、少しだけ護衛として、ね?」
色男のウインクに、不覚にも顔を赤らめてしまう。
この司祭のこういうところは、本当にずるいと思った。
「あ、バルーお兄さんとナーデルが遠くに離れると、偉い人にすごく怒られちゃうから、町長さんのお家の敷地内からは出ないようにだけお願いね」
「うん。分かった」
少女人形のナーデルは、バルーにとって吸血種と戦う為の武器でもあるのかもしれない。
普通に考えれば、それを吸血種の子分になってしまったミオに託すのは、とても危険なことだ。
絶対に信頼を裏切らないようにしよう。
緊張からか、少しだけトランクを握る手に力が入った。
そのまま近所にある町長の家に到着したバルーは、既にそこに到着していた同僚の修道士に対しても、ミオに接する時とそう変わりない態度で話しかけ始めた。
「こちらのミオさんがそうだよ」
「血呪いの影響は?」
「結構強そうかも。昨夜お兄さんが持ってる分から、ひとつ飲ませたから今は大丈夫だよ」
「また勝手なことを……」
話を聞いている修道士が、頭を軽く押さえている。
血液を分けてもらった件についての話だろう。
あれはよくないことだったのだろうか。
「それで、葬儀のことで相談があるんだけど……」
「……ミオ」
バルーと修道士が話しているのを聞いていると、後ろから小さな声で名前を呼ばれた。
「あれ?リーベン?」
こちらに手招きしているのは、間違いなく町長の孫の少年、リーベンだ。
彼は、短い黒髪と黒い目を持っていて、ミオよりも背が低く、少し地味めに見える男の子だ。
今日は町長の葬式だからか、見たことのない礼服をきっちりと着込んでいるが、性格は見た目以上にやんちゃだ。
今は少し悲しそうな顔をしているが、ミオを見てホッとしたようにも見える。
対する少女は罪悪感に呑まれそうだった。
トランクはしっかりと持ったままで、リーベンの居るところまで駆け寄る。
少年は町長の家の、そこまで広くない庭に立っていた。
「……町長さんが亡くなったの、あたしのせいなんだ。本当にごめんなさい」
「ん?なんで?」
「分からなくてもいい。でも、……ごめんなさい」
ミオですら亡くなった経緯を全て把握しているわけではない。
謝罪自体がこちらの自己満足なのも自覚しているが、言わなければ後悔すると思った。
「気にすんなよ。遅かれ早かれこうなってた」
「え?」
リーベンが少しだけ歩み寄ってくる。
ミオは反射的に一歩下がった。
「オレのことは好き?」
「えっ……、いい友達だと思ってる、けど?」
知り合いが突然、見知らぬ人間になってしまったみたいだ。
リーベンはそういう話に興味が無いと思っていた。
「ふーん、そっか……。で、話は変わるんだけどさ。オレ、アイツ嫌い」
「アイツって……。神父様のこと……?」
ミオはリーベンの口を片手で押さえた。
修道士たちに聞かれたらまずいことになるかもしれない。
「悪く言ったら……」
「オレにはそんなもの関係ねえよ」
一丁前に色男司祭に嫉妬しているような発言。
それだけならまだ可愛らしいと思えなくもないが、違和感がある。
ボールの取り合いで揉み合いの喧嘩をしてしまうくらい、彼は子どもらしい性格だ。
こんなリーベンは知らない。
「ねえ。二人であの司祭、殺さないか?」
「……はっ!?」
そのたった一言で、彼が何者なのか理解してしまった。
リーベンは吸血種で、自分の祖父を殺した犯人。
ミオは彼の命令口調に警戒した。
しかし、命令するのに条件でもあるのか、これといってバルーに対する殺意はまだ自分の中に現れない。
「殺すのなんて怖くないよ。そのうち慣れる」
「なんで……、リーベンがフリーデルさんを殺したの……?」
「うん?まあ、ミオからしたら意味分かんないか」
リーベンの優しい微笑みが、余計に恐怖を奮い立たせる。
でも、彼の口から聞けるであろう真実が気になって、その場から逃げようとも思わなかった。
「爺ちゃんとオレは血がつながってないんだ。いわゆる『養子』ってやつ」
「……養子だったら、なんでフリーデルさんを殺すことになるの?」
「そりゃあ、オレは『人間』じゃなくて、『怪物』だからな。腹が減れば人を殺して血を飲むし、気になる女の子がいたら無理矢理自分のものにする」
そんなことを言いながらリーベンは、町長宅の壁に背中を付けるミオの頬にそっと触れた。
「……そういう生き物だから、爺ちゃんと婆ちゃんに優しくされてもいつかは殺しちゃうんだろうなって思ってたし、ミオに血呪いを使うっていうのも考えてたよ」
「血呪い……?」
「ああ、知らないよな。でも今は時間がないから、後でちゃんと分かるように説明してやる」
リーベンはそっとミオの頬にキスしようとした。
それを反射的に押しのけたが、代わりに手の甲にキスされてしまう。
ヒッ、と小さく怯えた声が出た。
「出来れば避けたかったけど、命令する。『あの司祭をオレと二人で』」
リーベンの言葉が途中で不自然に途切れ、身体が離れる。
ミオはその隙に距離を取って、相手に何が起きたのか確認するため振り返った。
リーベンの舌から血が出ている。
握っていたトランクから銀糸が伸びて針のような形状になり、少年姿の怪物の舌を貫いているようだ。
「ぐっ……、銀……かよ!」
「こんな人目のあるところで殺しの相談なんて、教会も舐められたものね」
トランクが勝手に開き、銀髪の修道女のような姿の少女人形が出てくる。
「う……ぐ……」
「舌が焼け落ちそうなのではなくて?無理して話すことないわよ」
少年は無理矢理舌から髪を引き抜いた。
穴の空いたところが焼け焦げている。
少女人形ナーデルは、自分の髪を何本か抜き取って空中に投げた。
それは真っ直ぐな針のようになって、リーベンの後ろを通り過ぎ、町長の家の中へと入っていった。
「髪を使って……、主人を呼べる……のか」
「は?」
そんな何気ない一言に、ナーデルは苛立ちを隠せない様子で睨みを利かせた。
「バルーが『主人』?笑わせないで」
髪束を針状に変化させ、目の前の吸血種に確実に狙いを定める。
「わたしがあの子の『飼い主』よ」
深海を思わせるような青い双眸は、獲物を逃すまいと真っ直ぐ少年に向けられていた。




