④希死念慮と血
レオは酷い後悔に苛まれ、床の上で頭を抱えながら唸り声を上げている。
ナーデルとバルーが、レオとサプナの窮地に駆けつけてくれたのだと理解は出来る。
しかし、それを素直に受け入れることが出来ない。
一番傷つけたくなかった人に危害を加えてしまった。
その事実がレオを苦しめる。
「どうか……、殺してくれ……。君なら……」
レオは唸りながらナーデルに向かって懇願したが、彼女はわざとらしく視線を逸らした。
「断るわ」
少女人形は突き放すようにそう言いながら、横たわるサプナの腕を取り、あまり慣れない様子で血清を打った。
「自分は……怪物だ……。吸血種になんて、……生まれたくなかったのに!」
レオは打ちひしがれつつも、今度こそ彼女を傷つけないようにと、サプナから距離を取る。
「すまない……。すまない……」
バルーはレオが居る檻の中に入り、彼から香る葡萄の匂いに耐えながらも、宥めるようにそのみすぼらしい背中を撫でた。
吸血種にしてはあまりにも細く、弱々しい身体。
それこそが、ずっと自身の中に眠る獣を抑え込んでいた証明だ。
「バルーオニイサン……、サプナは無事なのか……?」
「うん、大丈夫だから安心して。血清はちゃんと完成してたから、サプナさんもすぐに人間に戻れるよ」
レオはまるで子どものように、泣きながらバルーに抱きついた。
バルーの目からは小さな子どもに見えているのだろう。
慈しむような顔でレオの頭を撫でている。
「よりによって……彼女を傷つけるなど……、一番避けたかったことなのに……!」
「うん、よく分かるよ。……誰かが許してくれても、自分が一番自分を許せないんだよね」
優しく頭を撫で続けながら、バルーは穏やかにそう言った。
「こうなっては……、自分は、もう死ぬべきだ……。ケダモノだ……」
子どものようにボロボロと泣きじゃくりながら、男はバルーにしがみついた。
しかし、ダンピールは彼を噛み殺したりはしない。
「そんなことを言ってはいけない。今回のことは、自分の意思でやってしまったことじゃないって、賢いあなたなら分かるはずだよ」
そう言われて、少し頭が冷えてくる。
罪の意識が強すぎて、パニックに陥っていたらしい。
確かに、サプナの血に誘引されてしまう直前。
得体の知れない声が聞こえた。
その声は明らかに『サプナを後天性吸血種にしろ』と誘惑していたように思う。
知らない間に、誰かに血呪いでも掛けられていたのか。
しかし、それでも『サプナを自分のものにしたい』という醜い支配欲を顕にしてしまったのは、血呪いごときに引っ張られてしまった弱い心が原因だと、レオは自身をまた責め始める。
「そんなものは言い訳に過ぎんのだ……」
この頑固さと生真面目さには、さすがのナーデルも呆れた声を出した。
自分も比較的ネガティブになることはあるが、ここまで自罰的な考え方をしたことはない。
レオは出会ったときからずっと、自分が死ぬことを想定した上での発言をしていた。
物事の解決策のひとつとして、『自身の死』を手段として組み込むのが当たり前になっているのだろう。
死ぬのは容易い。
だが、それで遺された者たちが何を思うのかまで考えが至らないのは、あまりに自分勝手な話だ。
これは彼だけでなく、バルーにも言えることだが。
「バルーオニイサンでも構わない……。自分をこの世から消してくれ……」
「ダメだよ」
「……耐えられないのだ! エイブを喪い……、サプナに酷いことをした自分のことが憎くて仕方がないのだ!」
そんなやり取りを聞いて、ナーデルは深い溜息をつく。
無限ループだ。
彼の説得には骨が折れるだろう。
「……きっと……、エイブが死んだのも自分が原因で……」
「それは違う」
どこまでも暗い妄想に落ちていくレオに向かって、バルーは厳しい口調で咎めるように言った。
生まれて初めて怒られた子どものように、レオは肩を落として静かになる。
年齢はレオの方が何倍も上だろうに、城に閉じこもっていたせいか、村のトップにしてはあまりにも子どもっぽ過ぎる。
いや、むしろこの性格だからこそ、村人たちも放っておけなかったのかもしれないが。
「そんなに死にたいのなら、バルーお兄さんの血に、命を賭けて欲しい」
そう言いながら、バルーはレオの目の前に腕を差し出した。
「……一体……、何を……?」
信じられないものを見るような目で、レオは顔を上げた。
「バルーお兄さんの血を飲んで。この状況を何とか出来るかもしれない」
「しかし……」
バルーはフッと表情を柔らかくした。
「バルーお兄さんは人間に恋をした吸血種に何人か会ってきてる。お兄さんにも好きな人がいるし、レオくんの気持ちはよく分かるつもりだよ」
レオは耳まで真っ赤にして顔を伏せた。
突然話題に上げられたナーデルも、離れたところで慌てふためいている。
「あなたが吸血欲求に耐えてこられたのは、好きな人に対する欲求と比べたら、何でもないものだったからでしょう?」
男は顔を伏せながら、小さく頷いた。
「エイブくんがサプナさんをこれ以上虐めないように、自分の気持ちを犠牲に、引きつけていたんだね」
レオはその言葉を聞いて、バルーをキッと睨みつけた。
「エイブのことを悪く言うな。ヘルター信仰が視野を狭くさせてしまっただけで、あの者も被害者だ」
こういうところは一組織のトップらしい。
バルーは素直に頭を下げた。
「そうか、ごめんね。お兄さんの理解が足りていなかったみたいだ」
「いや、かまわん。外部の者が見れば当然の反応だろう」
レオは咳払いをし、また肩を落とした。
「……自分が間に入ったところで、エイブの怒りは収まらなかった」
「……うん」
「自分は手を尽くしたつもりだったが、人の心を制御することなど、出来るはずもなかった」
エイブが他人を害していたことすら、自分のせいだというように、レオは自嘲する。
「自分はどこまでも傲慢な怪物だ。偉そうに、皆の先導者のような顔をして」
レオは倒れたままのサプナを見た。
その表情は融けた蜂蜜のようで、どこまでも甘い。
叶わぬ恋に向けられる顔。
「穢らわしい感情だ」
「ナーデルと同じ悩み方をするんだね」
レオは驚いたようにバルーの顔を見た。
「そこでわたしが出てくるの?」
「心当たりある癖にー。案外吹っ切れた方が楽だよね。こういう時は」
どこまでも楽観的な犬に、飼い主はため息をついた。
レオは首を横に振る。
「それは、ならん……。欲求に正直になるということは、世に後天性吸血種を増やしてしまうということだ」
「確かにそうだね。今のままであれば」
レオが困惑の表情を向けると、バルーはその悩みを吹き飛ばすように、にっこりと微笑んだ。
「何を、考えているのだ……?」
「いいからいいから」
バルーはカソックの袖を捲って、レオの眼前に翳した。
普通の人間よりも濃い林檎の匂いにあてられて、軽く唸る。
「お兄さんのことは気にしなくていい。あなたに噛まれたくらいでは死なないから」
吸血種は子どものようなあどけない表情で、捕食者であるはずのダンピールを、真っ直ぐ見上げた。
躊躇いながら、その腕に歯を立てる。
人から直接血液を貰うのが久しぶり過ぎて、やり方が上手く分からない。
溢れてきた血を、何とか舐めるようにして飲む。
濃すぎる程の林檎の匂いが口の中に充満する。
嚥下すると、食道が焼けるように熱くなった。
「ぐうっ……!」
胃まで熱いものが下りて、レオは床の上でのたうち回る。
「ちょっと……大丈夫なの……?」
「うーん、どっちに転ぶか分からないね」
ナーデルが焦った顔でレオに駆け寄った。
「バルー……! 死ぬかもしれないと分かった上で血を飲ませたの……!」
「うん。だって、サプナさんを襲った時点で、レオくんは詰んでたよね?」
その笑顔は、どこか恐ろしい。
「自分で死ぬことを選ばなかったとしても、教会から処分されちゃうよ」
「……処分って、レオは教皇聖下と同じ……」
「処分しなければ、教会への非難は避けられない。組織にとって邪魔になるものは、立場関係なく断ち切られるものだよ」
ナーデルは悔しそうに下唇を噛んだ。
バルーを切り捨てる為に処刑道具を持たせているのも教会なのだ。
理解しているつもりだが、改めて言葉にされるのは辛いものがある。
「分かって、ナーデル。僕はレオくんがそうならない為に血を飲ませたんだから」
「どういうこと……?」
いつも一緒にいるのに、彼の考えが分からない。
ナーデルのそんな不安に答える為に、バルーは続ける。
「確かに死ぬ可能性もあるけど、反対にこの絶望的な状況を打開出来る可能性もあるんだ」
「打開出来るって……、本当に何を考えているのよ……!」
少女人形が恋人の膝を平手打ちしたが、彼はびくともしない。
床で暴れているレオの動きが少し治まってきた。
ナーデルは彼の脈を確認し、問題ないことに安堵する。
「血呪いが蓄積したダンピールの血は、吸血種にとって毒みたいだけど、レオくんは『アウザーヴェルテ』の血筋だから」
「……バルー、まさか……」
少しだけ、彼の狙いを理解出来たような気がする。
「この方法なら、教会はレオくんを簡単には殺せなくなる。逆に言えば、これ以外に彼を助ける方法もないと思ったんだ」
「……はぁ」
ナーデルはため息をついてがっくりと頭を垂れた。
「……幻滅するかと思ったわ」
「うーん……。それは無理だよ?」
そんな言葉を聞いた彼女は、バルーの太ももを思い切りつねった。
「イテテテテテ」
「おまえが『他人を愛している』のは分かっているけれど、だからといって助けるのに失敗したら、今度はバルーの命が……」
彼はニヤニヤと惚けた顔をする。
「そういう時は、『死ぬような賭けはしないで、愛してるわ』って言うんだよ、ナーデル」
少女人形は、かなり鋭利な視線で恋人を睨んだ。
「イテテテテテテテ」
先程よりも強く太ももをつねる。
その脇でレオがたまに唸りながら、汗をかいて寝返りを繰り返している。
少し離れたところに倒れているサプナは、体調が良くなってきたのか、静かに寝息を立てていた。




