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【完結】銀と血のダンピール 〜吸血鬼殺しの怪物になった、家畜神父の物語〜  作者: 岫住胡乱
第六章 白い檻と死

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③誘惑に負けて

 躊躇している暇はない。


 ナーデルは咄嗟の判断で外に出た。


 バルーを見捨てたからではない。

彼を信じているからこそ、装着中の機械に襲われている父の方が、より危険な状態だと判断したのだ。


 それに、このままでは近くにいるミオも危険だ。

母の暴走に巻き込まれてしまうかもしれない。


 ナーデルは髪の毛を伸ばして、エリーゼに巻きつけることで暴走を食い止めた。


「お父さま、今のうちにお母さまを外して!」


「っくそ!」


 マルクはこの姿にしてしまった今でも、妻のエリーゼを深く愛している。

だからこそ、この予想外の暴走にかなりショックを受けているようで、手元が覚束ないのか、上手く外せない。


 ナーデルの背後に人の気配が近づく。


「お義母さんの心臓はどこ?」


 後ろを振り向くと、手首から血をだらだら流しながら、血液バッグを飲んでいるバルーが立っていた。


「バルー! 手首……どうしたのよ!」


「心臓はどこ?」


 ナーデルは気を動転させつつも、バルーの言う通りエリーゼの心臓が格納されている場所を開いた。


 バルーはそれに血を掛けるようにして手首をかざす。


 暴れるエリーゼの動きが次第に治まっていく。


 すっかり大人しくなったエリーゼは、夫に酷いことをしたことを謝るように、優しく巻き付き、頭を撫で始めた。


「大丈夫かエリーゼ……。どうしたんだ?」


 尾のようになっている先端部分を下げ、落ち込んでいる様子の彼女を撫でる手は、先程の失態を咎める様子など微塵もなく、優しい。


「はぁ……」


 バルーは手首を押さえながら、その場に座り込んだ。


「な、何が起きたの?」


 ミオの純粋な疑問に対し、バルーは微笑みながら口を開いた。


「施設の中でみんなに襲われてしまったんだけど、バルーお兄さんの血を飲んだら落ち着いたみたいなんだ」


 屋内を見ると、確かにみんな正気に戻っているように見える。


「手首を切ってみんなに血を飲んでもらったんだ。理屈は分からないけど、お義母さんにも同じようにしたら効くかもしれないと思って、やってみたら上手くいったよ」


「でも、怪我……」


 手首から手を離す。

既に血は止まり、傷も塞がっていた。


 ミオはそれを見て安堵する。


 バルーは再度立ち上がり、施設の中の方を見た。


「みんなはもう大丈夫かな?」


 先程までダンピールに対して怯えていた子どもたちも、噛みついてしまったのに一切危害を加えられなかったことで、少し心を開いてくれたらしい。

静かではあるが、数人が頷いて返事をした。


「お父さま、大丈夫?」


「まあな……。さっき見せてくれたキーホルダーが原因か……?」


 それを聞いたバルーが眉を顰める。

エイブから回収していた、バルーによく似た男を模したキーホルダーを再度取り出し、マルクに見せる。


「ちょっと匂いを嗅いでくれる?」


「ん?」


 男はキーホルダーに鼻を近づけた。

そして、少し考えるように遠くを見る。


「なんか、御香みたいな……独特の匂いがするな」


「御香って言ったら、思い出すことは無い?」


 そのバルーのひと言を聞いたナーデルが、焦りの表情を浮かべる。


「エイブとレオが……密会してた時に、御香の匂いがしてたってサプナが……」


「くれた手紙に書いてあったよね。……まずいな」


 バルーはトランクとナーデルを抱えて走り出した。


「お義父さん! ミオさんのことと、エイブくんの分析任せる!」


「どこ行くんだよ!」


「レオくんのところ! サプナさんが危ないかもしれない!」


 彼はそう言い残して、颯爽とこの場を後にしてしまった。


 取り残されたマルクは気まずそうにミオを見る。


「おじさん、あたし手伝うよ」


 少女は勇気を振り絞って、彼にそう声を掛けた。





 よろよろとした動きで地下牢まで、何とかやって来たサプナを見て、レオはかなり動揺した。


「サプナ! どうしたのかね!」


 泣いている彼女を久しぶりに見た。


 何が起きているのか全く知らないレオは、彼女を慰めようと柵越しに手を伸ばす。


『エイブ、亡くなった』


「え……」


 それはレオにとっても信じられないひと言だった。

彼はあまりにも身近な側近で、共に過ごす時間が最も長い人だったから。


 檻の前で崩折れるサプナを見て、胸が痛む。


 彼女にとって、大事な幼馴染が亡くなったのだ。

正気ではいられないだろう。


 レオは彼らと初めて出会った時のことを今でも鮮明に覚えている。


 彼らが城に忍び込んだ時よりもずっと前、赤ん坊の二人を、彼らの両親が紹介してくれた時のことも、昨日の出来事のように思い出せる。


「どうして……? 事故かね……? それとも誰かの恨みを買ってしまったのかね?」


 サプナは首を横に振ってそれらを否定した。


『不明。しかし、教会、保護、後天性吸血種、加害、確実』


「そんな」


 吸血種が生み出した後天性吸血種が、エイブを殺してしまった。


 それは、吸血種を憎む吸血種であるレオの心を、深い絶望に突き落とすような真実だった。


「本当に、死んでしまったのかね? 他人の空似ではないのかね?」


 現実感が無さ過ぎてもう一度聞いてしまう。


 彼は殺しても死にきれなさそうな性格の男だ。

死んだふりでもしているのではないだろうか。


 しかし、サプナは首を横に振るだけだった。


「なん、と……」


 レオは頭を抱えて蹲った。



 もう諦めて受け入れよ。

お前は我らの同胞なのだ。



 レオは後ろを振り返った。

知らない声が勝手に頭の中で響いたような気がしたからだ。


「なんだ……?」


 動悸がする。

身体が熱を帯びている。


 甘い林檎の匂いが鼻を掠める。


「っ……!」



 いい香りがするだろう?

分かっているはずだ。

その女の芳香からは逃れられない。

お前の本能がそれを欲しているのだから。



 声が頭を支配する。


「なんなのだ……。誰だ……?」


「?」


 サプナが檻に近づく。

それを見たレオは咄嗟に壁際まで下がった。


「ならん!離れろサプナ」


 レオは理性を保つ為に自身の顔を傷つけた。

それを見た彼女は近くにあった机に向かい、手当をする為の道具を持ったまま、檻を開けてしまった。


「ならん!」


 消毒液を片手に持ったサプナを、無意識に引き寄せ、力任せに押し倒してしまう。


 顔を真っ赤にした彼女に馬乗りになったレオは、またしても顔を引っ掻いて、本能に抗おうとした。


 血がサプナの服に落ちる。


「ああ、どうか頼むから、自分(ジブン)から逃げてくれ……! 何かが、頭を支配しようと……」


 傷を負った頬に手を伸ばされる。


 この子は自分に忠誠を誓い、自分の為なら死をも厭わない。

エイブと変わらぬ狂信者だ。



 そんな気質すら、堪らなく愛おしい。

健気で、優しく、不器用で、愛らしい、



「殺してくれ」


 レオは彼女に対する全ての欲求を押し込めながら、祈るようにそう懇願した。


 サプナは首を横に振ってそれを否定する。


「はぁ……、た、のむ……」


 レオはどんどん虚ろな眼になっていく。


「頼む……から……」


 彼女が何を考えているのか、理解が及ばない。


 幼馴染に続いて、信仰対象まで失うのが怖かったのかもしれない。


 サプナは静かに、優しくレオの頬を撫でた。


 とうとうレオの瞳は光を失った。


 サプナを床に押し付けて、身動きが取れない状態にしたまま、口を使って器用に彼女の口を覆い隠している黒い布を引きずり下ろす。


 大きな傷が残るその顔を、静かに見下ろす。


 綺麗だ。


 彼女はどんなに傷つけられても、きっと年を取ってしまっても、レオにとっては惹かれてやまない存在だ。


 それこそ、出会った瞬間から。


「……知っているかね。サプナ」


 何の抵抗も見せない彼女は、ただ恋い慕う男の顔を見上げている。


 落下してくる血のことすら気にせず、ただ敬虔な彼女は、静かに彼の言葉を聞こうとしている。


「吸血種には、相手が例え赤ん坊だったとしても、どれだけ年齢が離れていようと、本能的に分かることがひとつあるのだよ」


『何、が、?』


「自分がどんなに抵抗しても、『血呪いを使ってしまう』であろう相手のことだよ」


 レオの舌に赤黒い塊が集まる。

しかし、最後に残された理性が、それを彼女に使おうとするのを拒む。


「ぐっ!」


 飲み込もうと抵抗するが、本能には抗えない。


 レオは虚ろな目をしながらサプナの唇に無理矢理舌をねじ込み、血呪いを喉奥へと押し込む。


 やっと得た快感に、身体中が歓喜する。


「ッ……!」


「ん、ふ……」


 音を立てながら、舌で咥内を蹂躙する。

夢中になって貪っていたが、急にハッと意識を取り戻す。


 その時には既に、サプナは気を失っていた。


 とうとうやってしまった。


 幼馴染を失ったばかりでショックを受けている彼女に対して、最悪の形で、最も自分が嫌悪する行いをしてしまった。


 もう車椅子が必要なくなってしまった脚が憎い。

身体が動かなければ、こんな酷い過ちも起こさずに済んだと言うのに。


「うああああああ!」


 レオは顔面をめちゃくちゃに引っ掻きながら叫び声を上げた。


 こうなることは最初から分かっていた。

だからこそサプナとは極力距離を取るようにしていた。


 彼女をジルヴァ教に送ったのも、物理的に距離を離せば、過ちを犯すこともないだろうと思ったからだ。



 浮かれたのだ。

 耐えきれると思ったのだ。

例え彼女が()()()()だったとしても。


 吸血種にとっての運命なんて、ただの罪でしかないと分かっている癖に、細胞の一片に至るまで惹かれてやまない。


 彼女は自分のことを信仰対象としてしか見ていないというのに。


 初恋の人を亡くしたばかりだと言うのに。

信仰対象に穢されるなど、あまりに酷だ。


「ああ……」


 サプナの太腿に付けられた銀弾が見える。


 レオはそれを掴み、自分の喉元に突きつけた。


 死ぬのが怖くないわけではない。

だからこそ、ここまで無駄に長生きしてしまった。


 百五十年。

パンテル村の人々を静かに見守ってきた。


「ありがとう。皆」


 村民たちの顔が頭に浮かぶ。


「吸血種など、全て……滅んでしまえ」


 振りかぶる。


 その腕を銀色の糸が縛り付け、暗器は床に落ちた。


 腕が灼けていくのをぼんやりと見る。

このまま消えてしまいたかったが、残念ながらそんなことは許されない。


「おまぬけ!」


「ナーデルオネエサン……?」


 少女人形は、その情けない呼び声に笑いながら、腕に巻き付けた髪を解いた。


「喜びなさい。おまえを助けに来たわ」


 レオは力無く、横たわるサプナの隣に座り込んだ。

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