①ミオの治療
白い壁。
広い窓。
子どもたちの笑い声。
後天性吸血種たちが収容されている施設は、ジルヴァ教会本部の一階層下にあり、医療機関と同じ階に存在している。
ここは、吸血種に血呪いを掛けられてしまった子どもたちが保護されている施設で、美味しいご飯も、抑制剤入りの血液も、玩具も、清潔なベッドも、シャワールームも、全てが完備されている。
整えられた短めの黒髪に、少し日焼けが落ち着いた肌、檸檬色の瞳を持つ、港町ゾーネン育ちの少女ミオは、それでもやはり故郷に帰りたい気持ちが強かった。
両親に会いたい。
それと同時に、ここに来てからずっと後悔していることがある。
『……その……、リーベンを助ける方法は、なかったの?』
友人のリーベンが目の前で殺されたあの日、あの愚かな質問を、命を助けてくれたバルーに向かって投げたことを。
今でもあの時の、少し悲しそうなバルーの顔を思い出し、よく葛藤する。
ここにいる子どもたちとは、ある程度仲良くなったと思う。
話を聞いてみると、ほとんどの子が吸血種に大切な人を殺されたり、尊厳を傷つけられたようだ。
中には玩具のように拷問と再生を繰り返し、精神を壊されてしまった子や、家族を傷つけたくなくて死のうのしたにも関わらず、銀が無いから死にきれず、何度も自分を傷つけていた者もいる。
ミオは、自分がいかに狭い視点で物事を捉えていたのか、深く深く恥じた。
自分の環境は、彼らに比べて明らかにマシだった。
偶然出会った吸血種が、自分に対して酷いことをする前に倒すことが出来たのだ。
本当に運が良かったと言える。
だからこそ、自分も吸血種の被害者であるにも関わらず、ここで過ごす日数が増えていく程、後悔に蝕まれていく感覚があるのだ。
後天性吸血種は人を襲う。
だから、ここから出ることは許されない。
人間と触れ合うことも出来ない。
完全な治療法が確立しない限り、このまま永遠に幽閉されたまま一生を過ごすことになる。
ミオはこの施設で、十一歳を迎えた。
年齢を重ねると、痛烈に『時間』を意識してしまいやすくなる。
余計に自分の未来について、ネガティブに捉えるようになった。
「みなさんにお知らせがあります」
施設の管理を行なっている年老いた修道女が、施設の窓の外から、子どもたちに向けてそう声を掛ける。
声を聞いた子どもたちは興味津々といった様子で窓に近寄った。
「後天性吸血種から、人間に戻る為の血清が完成しました」
「え!」
「すごい!」
全員嬉しそうに修道女の話を聞いている。
この施設で一生を過ごさなくてもいい。
やっと家に帰れるかもしれないと思ったみんなが笑顔になる。
「ただ、みなさんに打つ前に、まずは『治験』を行う必要があります」
「ちけん?」
「注射してちゃんと効くか、異常が見られないかを確認することです」
修道女は書類を眺めながら返事をした。
「注意点のひとつとして、血清にはダンピールの血が使われています」
「えっ」
それを聞いた子どもたちは、明らかに動揺した様子で顔を見合わせ始めた。
「ダンピールって……、後天性吸血種のことも殺しちゃうんでしょ?」
「……モーリッツはダンピールのせいで死んじゃったよ……。アデリナも……」
「怖い……」
バルーのことを見たことがある子どもたちはミオだけではない。
彼女たちにとっては知り合いを殺された仇としてのイメージが強いらしく、ダンピールについてだけは、ミオと意見が割れている。
子どもたちの間で、恐怖が伝播していく。
「それを考慮した上で、治験に参加したいという方はいますか?」
修道女の呼びかけに子どもたちは顔を伏せ、黙り込んでしまった。
「はい」
真っ直ぐ手を挙げる。
たった一人、ミオだけが。
いつか、神父様のしていることが報われるときが来る。
その一歩を手助け出来るなら、少しくらい怖いことでも耐えられる。
神父様はあたしの命の恩人なんだから!
それが、彼女が手を挙げた理由だった。
大人たちにも治験の募集を掛けたが、ダンピールの血に対する恐怖が拭えなかったのか、参加者はミオ一人のみだった。
ミオも皆と同じように、捕食者に対する恐怖を感じている。
これは吸血種の本能に刻まれたものなのかもしれない。
それでも、恐怖に対して逃げ腰だったミオは、もういない。
『ミオ・エルレー、十一、歳。間違い、無い、?』
口に黒い布を巻き、全身黒ずくめの、黄金の瞳を持つ修道女。
黒猫のような姿の彼女が、顔の横に出す銀色の文字を読みながら、ミオは小さく頷く。
「えーと……、お姉さんは、神父様のお友だち?」
そう尋ねると、その修道女――、サプナ・アートマーは『神父様』が誰なのか分からなかったらしく、小首を傾げた。
「あの……、バルー・ディートバルト司祭様のこと、なんですけど」
ミオがおずおずとそう言うと、彼女はハッとした様子でしっかり頷いた。
その返事に何故かミオの方が、嬉しい気持ちになる。
「神父様、あのお人形さん以外にもお友だちがいたんだね。……よかった」
そう言う彼女に、サプナはにっこりと微笑みかけた。
ミオが思っているほど彼女は怖い人ではないらしい。
『司祭、ミオ、治験、応募、喜んでいた』
「えっ! 神父様! あたしのこと覚えててくれたの?」
サプナが優しげな表情のまま頷き、ミオは胸が暖かくなるのを感じた。
「神父様には会えないの?」
そう尋ねると、サプナは少しだけ表情を引き締めた。
『司祭、任務、以外、地下牢、出る、ない。他人、地下牢、資格、無い、入れない』
「えっと、地下から出られないってことか……。そうなんだ。……仕方ないよね……」
少女は一瞬だけ悲しい顔をしたが、すぐに切り替えて笑顔を浮かべる。
「会えなくても、治験をすればきっと役に立てるよね! 頑張ります!」
サプナはまた頷いた。
ミオはその後、身体検査を受けた。
後天性吸血種になってからというものの、風邪ひとつ引かなくなったし、吸血欲求も抑制剤入りの血液を少し飲むだけで治まるようになった。
人を傷つける可能性があること以外は特に異常もなかったし、検査結果も予想通り問題なかった。
『高い、熱、出る、可能性、有』
「うん。案内の紙にも書いてあったね」
ちゃんと覚悟は決めた上で来ている。
どちらかと言えば、サプナの方が緊張した面持ちで注射器を持っている。
この血清が効くかどうか、ここが正念場だからだろう。
ミオの腕に注射針が刺さる。
手際よく中の薬液が注ぎ込まれ、スッと引き抜かれる。
『大丈夫、?』
「今は全然大丈夫だよ」
サプナが近くに用意されている寝台にミオを案内し、横に寝させる。
「あのね……、ちょっとだけ怖いから、傍にいてくれる?」
弱々しい声でそう言うと、サプナは優しく頭を撫でてくれた。
後天性吸血種になってから、普通の人間がこうして優しく接してくれたことは無かった。
「う……」
サプナが寄り添ってくれるのが嬉しくて、同時に何だか孤独も感じて、涙が溢れてきた。
修道女は何も言わず、文字も出さないまま、ずっと優しく頭を撫で続けてくれた。
「ミオ」
目の前にリーベンが立っている。
ミオを後天性吸血種にした、港町ゾーネン町長の養子で、養父を殺した吸血種。
今でも彼が死んだ瞬間のことを覚えている。
まだあの時は友だちの一人だと思っていた部分が大きくて、彼の死を理不尽に思う部分があった。
今なら分かる。
リーベンは人間の敵で、捕食者に過ぎないのだと。
今なら分かる。
だからこそミオを食べることを途中で止めてまで血呪いを使用したリーベンは、本気で自分を愛していたのだと。
「ばいばい」
相容れない生き物だと思う。
ミオもまだ幼くて、『愛』というものが何なのかは分からない。
ただ、もしも本当に生まれ変わりがあるのだとしたら、今度は人間同士として友だちになりたいと思う。
リーベンは微笑みながら泣いている。
そして、躊躇いがちに手を振った。
ミオも振り返す。
そうすると彼は踵を返し、ゆっくりと、真っ直ぐ歩き始めた。
少女は手を振るのを止めなかった。
ぐらりと足元がふらつく。
床が崩れ落ち、身体が闇へと落ちていく。
どんどん下へと引っ張られていく。
悲鳴を上げる。
「!」
下の方に光が見えた。
身体が光に包まれ、身体が揺さぶられる感覚に驚き、目を開く。
「……!」
心配そうな顔で見下ろしてくるサプナと目が合った。
『大丈夫、?』
全身が汗でびっしょりと濡れている。
かなりの熱が出ていたのだろう。
息も上がり、身体に力が入らない。
「あ、ぐ……」
喉もガラガラで、最悪の体調だ。
しかし、後天性吸血種になったミオにとって『体調が悪い』ということが、希望にさえ感じる。
サプナが身体を起こすのを手伝ってくれる。
酷い頭痛と、吐き気がする。
「あ……」
しばらく立てそうにない。
重い身体をサプナに預ける。
「……」
普段、人の身体から感じている、林檎の匂いがしない。
「あ、れ」
サプナはミオが何を感じているのか汲み取ろうと、じっと観察している。
「ぎ、……」
『何、?』
「ぎん、を」
サプナは少し焦った様子で首を横に振った。
銀に触れば、人間に戻れたかどうかすぐに分かる。
しかし、もしものことがあってはいけないと思ったのか、サプナは銀を持ってこようとしない。
『落ち着き、後、採血』
「自分が、どうなってるのか……。早く知りたいの……」
焦る様子のミオを見て、彼女は少しだけ考えるような素振りを見せた。
そのまま立ち上がって近くにある棚に向かい、中から何かを取り出して持ってくる。
『銀、弾丸』
ミオは少し手を震わせながら、サプナの手中に収まっているそれに手を伸ばす。
大丈夫、治っていなくても、すぐに手を離せば火傷程度で済む。
勇気を出してサッとその物体に触れて、手を引く。
「はぁ、はぁ」
息を荒げながら、弾丸に触れた指先を見る。
何の傷もない。
もう一度触れてみても、火傷にならない。
「あ、あたし……」
顔を両手で覆いながら泣いた。
あの変わり者で、優しい司祭の血が、みんなのことを救ってくれる。
その証人になれたことが嬉しかった。
そして、これからは家族に触れられる。
家に帰れる。
身体は重くて、具合も最悪だが、心の中は喜びに満ち溢れていた。




