②破壊された心
サプナとエイブが十六歳になった頃のこと。
「こんばんはー」
工房を手伝っていたサプナに向かって、窓の外から見知らぬ人たちが手を振っていた。
銀細工の工房は、村の中心から少し離れた、奥まった所にある。
「こんばんは!」
サプナは愛想よく返しながら、珍しいお客様を出迎えようと外に出た。
男性が二人と、若い女性が一人の三人組。
「何か御用ですか?」
「ええ、私、レオ・アウザーヴェルテの友人なのですが」
代表者らしき男がそう名乗る。
サプナは一瞬レオ・アウザーヴェルテが誰なのか分からなかったが、以前侯爵がそう名乗っていたのをすぐに思い出した。
「道にすっかり迷ってしまいまして。アイレン城はどちらでしょうか?」
「ああ、それならお連れしましょうか?」
そう提案したタイミングで、ぐぅと音がした。
音の方向を見ると、若い女性がお腹を押さえて照れ笑いしている。
「全く。申し訳ございません」
「あ、いえ! 何か食べて行かれますか? 少し歩きますけど」
「いやいや、そこまでして頂くわけには!」
工房から両親が出てくる。
「侯爵さまのお知り合いなら、我々の客人も同然だ。是非食べていってください!」
若い女性は照れた様子で頭を下げた。
六人は談笑しながら家に向かって歩いていく。
「……あら、お父さん。なんか変な臭いしない?」
「ああ、なんだろうな」
そんな両親の言葉を聞きながら、サプナは特にそれを気にする様子もなく歩き続けた。
毎週金曜日、ヘルターに動物の命を捧げ、祈る日。
集会所の前には陣が描かれており、そこに鹿の死体が置かれている。
「あれは?」
「ああ、あれですか?ヘルターさまへ、の……」
鹿の死体の上に何かが置かれている。
それは、女性の生首だった。
「きゃああああっ!」
声を上げたのは母だった。
サプナは何が起きているのか理解できず、ただ呆然とその光景を見る。
鹿の周りにバラバラになった人体の一部が転がっている。
「あははは!めっちゃいい顔すんじゃーん?」
若い女性が楽しそうに笑い出した。
男も一緒になって笑いながら、サプナの喉を思い切り掴んできた。
「ぐ、ふ」
「サプナ!」
何が起きているのか分からない。
男は首の全体を掴むのではなく、手前の方だけを丁寧に握り潰してくる。
「……! ……!!」
そして、地面に放り投げられた。
声が出ない。
「んじゃ、次はあんたね」
男は指先に赤黒い謎の物体を生み出し、父親の腕を握った。
何をされたのか分からなかったが、急に力を失って倒れ込んだ為、毒か何かだと思った。
「……!」
「お父さん!」
サプナはいつの間にか他の男に縛りあげられていた。
「おー? 楽しんでるー?」
そんな声と同時に、町のあちこちから、彼らの仲間とおぼしき者たちが近づいてくる。
「いい反応してくれたよ。見せたかった」
「ズル!」
仲間のうちの一人が、初恋の人――、エイブの首根っこを掴んで引きずっている。
サプナは声を上げようとしたが叶わず、代わりに口から血が溢れた。
「お父さん! サプナ! いやぁあああ」
悲鳴を上げる母の喉元に刃物が突き立てられた。
真っ赤な液体が地面を濡らしていく様を見ながら、サプナは暴れた。
「はいはい落ち着いてねー」
「落ち着けるわけなくねー? ってかそのために声帯潰したんだろ?」
「まあなー?」
彼らは愉快そうに笑い合っている。
「あ……あ、あ」
母は死ぬことを許されず、少しずつ血を抜かれていく。
動ける可能性があるのは自分だけなのに、腰が抜けて、口の中が血塗れで、怖くて何も出来ない。
「ううう……」
突然父が起き上がった。
呼ぼうとするが、やはり声は出ない。
「サプ、ナ……」
虚ろな目の父が口を大きく開けて、近くにいた母の腕に噛み付いた。
「たす、け……」
ただでさえ酷い流血なのに、腕からもどんどん血が抜かれていく。
「自分の奥さん殺しちゃってんじゃーん!」
「マジで……、面白すぎ……!」
若者の姿をした怪物が爆笑している。
「ッ……! ……――!!」
父が何をしているのか理解出来なくとも、止めねばならないことだけは分かる。
サプナは縛られた状態のまま何とか立ち上がり、両親の近くまで進もうとして、すぐ横倒しになった。
そのまま這って行こうとするが、目の前で父が若者たちに捕まり、引き離されてしまう。
母は顔を真っ青にして、地を這う娘を見ている。
「逃げ……て」
そう何とか口を動かし、白目を剥いて動かなくなった。
「…………」
死んでしまった。
脈を確認しなくても分かる。
母はあの若者たちと、何かされた父の手に掛かり、娘の目の前で殺されたのだ。
叫びたいのに声が出ない。
涙がとめどなく溢れてくる。
「んじゃ、次どうする?」
「このオッサンはまだ使えそうだし、連れて帰る?」
「そうすっか」
若者たちは父の服を無理矢理剥いだ。
丸裸にされた彼の首や手に鎖を繋げ、犬のように引っ張る。
「サプナ……、サプナ……」
理性が戻ってきたのか、自分がしたことを自覚したらしい父が、絶望の面持ちのまま娘の名を呼ぶ。
尊厳を破壊され、何処かへ拐われていく父を、地面に這いながらでは追えなかった。
父の代わりか、気を失った状態のエイブが目の前に放り投げられる。
「彼氏?」
サプナは震えながら首を横に振った。
「つまんねえな」
男はそう言いながらもあの赤黒い塊を指先に集め、エイブに触れようとする。
彼も父のようになってしまう。
そう思ったサプナは、ギュッと恐怖で目を閉じた。
「ぎゃああっ!」
突然男が悲鳴を上げた。
目の前に切断された手が飛んできて、サプナは後ろに逃げるように身体を引きずった。
「自分の……、領地で何をしている」
低く、怒りのこもった声。
目の前に黒髪の青年、侯爵が立っていた。
陶磁器のような白い肌には、傷ひとつない。
完璧な姿の彼を近くで見たのは、これが初めてだった。
「侯爵。やっと会えたな! 女王の代わりに呼びに来たんだよ」
「……呼びに来た……? 誰だ君は」
「え? 知らない? 公爵だよー。まあ、今後仲良くなってこーぜ」
差し出された手を引っ掻き、侯爵は敵意をあらわにした。
「ここから去れ」
「は? 何言ってんの。お前、俺たちの仲間じゃん」
「違う! 君たちは、ここの人たちに何をした……!」
侯爵は、惨状を目の当たりにして絶望の表情を浮かべた。
「え? 何怒ってんの?」
「冗談じゃないっすかー」
「冗談……? 人を殺しておいて冗談だと……?」
侯爵は怒りのままに、若者たちに向けて赤黒い獣の形をした物体を放った。
「な……ッ」
若者の一人がその獣の毛皮に包まれた。
中から骨や肉が押しつぶされるような音がしてくる。
さすがに公爵と名乗る彼も顔を引き攣らせた。
「お前……何をしたんだ」
「自分の血呪いの能力は、『吸血種を別の生命体に改造し、思いのまま使役する』ことだ」
「っ……! お前ら逃げろ!」
侯爵は赤黒い獣の形の物体をいくつか放ち、若者のうち何人かをそのまま捕らえた。
「子爵! くそっ!」
公爵は仲間を見捨てて逃げ出した。
捕まらなかった者たちも、一緒に遠ざかっていく。
侯爵は地面に膝をつき、声をあげて泣き出した。
「『血呑みの貴族』……、クソッ……」
彼が来たことで、少なくともサプナとエイブは無事だった。
エイブも口元を怪我する程度で済み、大事はなさそうだ。
それでも侯爵は、自分のことをひどく責める。
「すまない……。みんな……、本当にすまない。……すべて自分が怪物だからだ……」
彼はそうやって泣き続けた。
レオ・アウザーヴェルテは自分の城に、生き残った者たちを匿った。
全員無事か、毎日、もはや病的なまでに確認するようになった。
彼のそんな姿を見ているうちに、サプナは不思議と彼のことを異性として気にかけるようになった。
これまで見ていた彼はあくまでヘルターの御子であり、人間味を感じたりしなかったのだが、こうして人々を心配する姿を見て、親近感が湧いてきたのかもしれない。
レオはそれまで、村民たちの輸血のお陰で生きながらえてきたと明かした。
「しかし、自分は、君たちを襲うかもしれない可能性がある限り、これ以上生きていくことはできない。輸血をしてもらうことは今後一切止めようと思う」
「!」
その宣言を肯定する者など、いるはずがなかった。
侯爵はあの若者たちと同じ吸血種かもしれないが、同時に村民たちの命の恩人でもある。
彼は既に皆の英雄なのだ。
レオに惚れていたエイブもサプナも、当然他の村民たちと一緒に本気で彼を止めた。
「お願いだ……。死なせてくれ」
それでも、彼には既に、生きる気力を失っていた。
「侯爵さま……、どうかお願いします……。オレたちを捨てないで下さいよォ」
サプナがレオの為に、食べてもらえないであろう手料理を運びに行った時、部屋の中からそんな声が聞こえてきた。
「捨てるわけじゃない。この城を君たちに託すのだ」
車椅子に乗るようになったからか、低い位置から声が聞こえてくる。
「愛しているんです」
サプナはレオと一緒にいるであろうエイブの告白を聞いて、部屋に入れなくなった。
「……」
声が聞こえない。
二人がどうなっているのか分からず、ほんの少しだけ扉を開けた。
独特の御香の匂いが鼻腔をくすぐる。
「んっ……」
「……」
二人の顔が重なっていた。
「……っ!?」
唇を重ね合わせる二人を、これ以上見ていられなかった。
初恋の相手と、現在想っている男性の逢瀬。
最悪な現場をこの目で見てしまった。
もう、その場から逃げ出すしかなかった。
レオはエイブの口付けに対し、抵抗していなかった。
その気力が無かったのかもしれない、でも、エイブのことが好きだから受け入れた可能性もある。
胸が痛い。
痛くて痛くて仕方がない。
母を喪い、父が拐われて、銀細工師としての仕事も出来なくなったサプナにはもう、何の希望も無くなってしまった。




