①幼馴染への失恋
マルクがいくつか工具を持ちながら、ナーデルの顔を見ている。
ダンピールの地下牢。
マルクはいつも通り、ナーデルに異常が無いか確認し、整備を行なっていた。
「ちょっと横向けるか?」
「こう?」
「おお、ありがとな」
バルーは相変わらず椅子の上に拘束されたまま、牢の中からナーデルを眺めている。
少しだけ目が合い、頬が赤くなる。
「仲直り出来たみたいでよかったな」
マルクが淡々とそう言うのを聞いて、青年はドキッとした。
ナーデルはバルーに向かって、『何も言っていない』と首を横に振っている。
昨夜バルーとナーデルは、熱く互いの想いを確かめ合った。
しかし、それを誰かに話してしまうほど狂ってはいない。
よりによって父親には、特に知られたくないだろう。
「でも、あんまり激しいのは止めておけよ? 俺もさすがに恥ずかしくなっちまうからさ」
「何のことかしらねー……」
ナーデルは視線を横に流した。
汗をかく機能があったら、恐らく顔面がビショビショになっていただろう。
「お前、気づいてないのか? 口周り……、ひび割れてるぞ」
「!?」
ナーデルは両手でバッと口元を隠してマルクから距離を離した。
聞いていたバルーは耳まで真っ赤にして、今にも沸騰しそうだった。
「血呪いで繋ぎ止められるとはいえ、万全の状態で任務に挑む必要があるんだ。喧嘩されるよりはいいけど、支障はきたさない程度にしとけよ」
「……〜ッ」
少女人形はその場で悶絶し、ダンピールの青年も、拘束具をガチャガチャしながら悶えている。
マルクはそれを見て、頬を赤らめて目を伏せた。
「……何で俺がこんなこと言わなきゃいけないんだ」
「ごめんなさいごめんなさいお父さま……」
半泣きするような声で謝るナーデルに、マルクは片手で「それ以上言うな」と制止する。
「悪いことじゃない!嬉しいことではあるんだが……、父親としては何か複雑な気持ちが……」
とうとうマルクも悶絶し始めた。
「……お義父さん。僕、ナーデルと結婚前提でお付き合いすることになったんだ」
「……!」
マルクの悶絶が止まった。
「もう言っちゃうの!?」
「うん。元々タイミング見て言おうって決めてたんだ。お義父さんにはちゃんと認めてもらいたいし、隠れてナーデルに触れるのは不誠実だから」
バルーのあまりに真剣な顔を見て、マルクは何故か涙を零し始めた。
「お前が……本当に息子に……」
「あら、これは完全に感極まっちゃってるわね……」
マルクは牢を開けて中に入り、両手を広げた。
「うおおお……。抱き締めさせてくれバルー! 我が息子よー!」
「お義父さーん!」
『何、してる?』
バルーに駆け寄ろうとするマルクと、まだ顔が赤いバルー、口がひび割れたまま机に座らされているナーデルを見たサプナは、相変わらずジト目のまま、銀文字を出していた。
「……! サプナ!?」
サプナはレオが居る牢で、後天性吸血種を治療する為の研究を手伝うことになっている。
そんな理由もあり、彼女の登場に三人とも驚いていた。
『約束、果たし、来た』
「約束……?」
サプナは机の上に座っているナーデルのところまで歩み寄ると、封筒を手渡した。
「これは?」
『ナーデル、抱える、もの、話せ、言った。話さない、去れ、言った』
「ああ、あのことね」
サプナは律儀にも、自分の秘密を手紙に認め、持ってきてくれたらしい。
銀文字では話しにくい内容だったのだろう。
『では』
サプナは恥ずかしくなったのか、少し縮こまったまま、さっさとその場を去ってしまった。
ナーデルが手紙を開く。
『私が抱えているものですが、恐れながら、過去の出来事をお伝えさせて頂きます。これは、侯爵様から皆様にお願いされた件の補足にもなるかと存じますので、長くなるでしょうが、ご一読いただけますと幸いです』
という、至極丁寧な文章から始まっていた。
サプナの両親は、隣国からの移民だった。
銀細工師だった二人は、宗教国家ヴォルファルトでその技術を磨く為にパンテル村に越してきて、そのまま娘を出産した。
パンテル村では黒豹の精霊ヘルターの信仰が盛んであり、実際に村民たちが困った時、いつもアイレン城からヘルターの御子と呼ばれている男性が助けに来てくれていた。
老人が上手く歩けないときには手を取って共に歩いてくれて、荷物が重くて困っている者の代わりに運んでくれることもあった。
川が氾濫した時にはアイレン城の一区画を貸し出して避難所にしてくれたし、畑の収穫で人手が足りないときも手伝ってくれた。
彼は自身を『侯爵』と名乗り、自分はヘルターの御子などではなく、人を傷つける怪物なのだと村民に言い続けていたが、それを誰一人信じないくらいには、本当に親切な男性だった。
村民たちから愛されている侯爵の姿を遠巻きに見て、サプナの両親もサプナも、他の人たちと同じように彼に憧れた。
こうして、アートマー家の者も熱心なヘルター信仰者となっていった。
サプナには幼馴染がいた。
今や狂信者と化している、あのエイブ・ハンギッヒだ。
幼い頃の彼は、さほど攻撃性が高い性格ではなく、やんちゃではあるが刺々しい物言いや乱暴な態度を取るような少年ではなかった。
「エイブ!」
「よォ! サプナ! 今日こそアイレン城に行くぞ!」
あの日、二人は村を出て、憧れの侯爵が住む城に忍び込もうと約束していた。
大人たちに言えば絶対に叱られてしまう為、二人だけの秘密だ。
「侯爵さま、近くで見たことないもんね! どんなお顔してるのかな!」
アイレン城に近づくことは基本的に禁じられていたが、そうしていたのは侯爵自身だった。
今となっては彼の本性が吸血種である為、村民を傷つけないように禁じてくれていたのだと分かるが、当時はサプナもエイブも、彼が人を傷つける怪物だなんて冗談だろうと考えていた為、侯爵の忠告を気にしたりしなかった。
むしろ危険なことがあれば、彼が守ってくれるだろうと楽観的に考えてさえいた。
サプナはこの時、侯爵に憧れつつも、エイブと一緒にお城に忍び込むことの方がドキドキして、何だか嬉しかった。
狭い世界の中、彼女はエイブに初恋を捧げていた。
同世代の異性が彼しかいないので、当然とも言えるが。
「サプナ! ここ!」
城に到着し、早速開いている窓を見つけた二人は大喜びした。
「ここから入ろうぜェ」
エイブが先立って石で出来た壁をよじ登り、屋内に入る。
サプナも伸ばされた彼の手を掴みながら中に入った。
「あっ」
バランスを崩したサプナをエイブが抱き留める。
「大丈夫かァ?」
「え……、あ、うん!」
胸がとてもドキドキした。
それを気づかれたくなくて、急いで離れる。
エイブは特に今の出来事を気にする様子もなく、どんどんサプナを置いて先へと進んでいった。
城の中には黒豹のタペストリーや絨毯が敷かれていて、とても綺麗に掃除されている。
入ったことの無い場所で、ここが何処だか分からずきょろきょろしていると、エイブが声を掛けてきた。
「侯爵さまの部屋ってどの辺なんだろうなァ?」
サプナは前聞いた話を思い出そうと斜め上を見上げた。
「えーと、大人の人たちがいつも上の階の方に戻って行かれるって言ってたよ」
パッと見王子様のような顔立ちのエイブが、サプナの発言を聞いて意地悪な表情を浮かべる。
「じゃあオレたちも上の方に行ってみようぜェ!」
サプナは頷いて、彼の後を付いていく。
「侯爵さまって、ヘルターさまの御子なんでしょ?黒豹の子だから、普段はいつもと違うお姿だったりするのかな?」
「それなら超ラッキーじゃん! 普段あんまり会えないのって、それが理由かもしれないぜ!」
二人の子どもたちは空想を膨らませながら、どんどん階段を上がっていく。
登った先にある扉を開けると、やけにひんやりした廊下に出た。
脇には幾つか古そうな武器などが飾られていて、子どもらしくキラキラした目でそれらを観察しながら、出来るだけ物音を立てないように慎重に歩いていく。
「……はぁ……、はぁ……」
男性の荒い息遣いと、ガシャンと何かが割れる音がして、二人はビクッと肩を震わせた。
「はぁ……、正気を保たねば……、決して人を傷つけてはならんというのに……」
また何かが割れる音がし、布を破るような音がする。
「ぐおおっ……、うぅ……!」
男の声は獣のように廊下まで響いている。
サプナは恐怖で足がすくんで、動けなくなってしまった。
「……エイブ……。私こわいよ……。やっぱり戻ろうよ……」
「何言ってんだァ? もしかしたら侯爵さまが誰かに襲われてるのかもしれねェだろ!オレたちが助けないと!」
エイブは自信満々にそう言った。
本気で侯爵のことを助けられると信じて疑わない言い方だった。
「でも……私自信ないよ……。大人の人たち呼びに行こうよ……」
「るッせえ! だったらそこで見てろよビビリ!」
サプナは城のことも、怒るエイブのことも怖くなって、その場で固まってしまった。
「誰か、いるのか?」
大きい声を出したせいで気づかれてしまったらしい。
廊下の先にある部屋の扉が開き、中から侯爵が出てきて、こちらに近づいてきた。
「あ……」
彼の顔面には爪痕のような傷があり、手の爪に血がついている。
現在なら理性を保つ為に自身を傷つけたのだろうと分かるが、当時のサプナは、どうして彼がそんなことをしたのか理解出来なくて、それも怖かった。
「……侯爵、さま……」
「君たち……、何故ここに……、すぐに帰った方がいい」
侯爵――、レオ・アウザーヴェルテは、あの頃から現在までずっと、二十代前半くらいの外見を維持している、黒髪の美しい青年だ。
サプナも他の人達と同じようにその姿に見惚れてしまったが、エイブは特に様子がおかしかった。
目を見開き、耳まで赤くして、カタカタと歓喜に震えていた。
完全に魅了された顔だった。
そんなエイブの姿を見たサプナは、ただ静かに、初恋が終わったことを悟ったのだった。




